区別という名の『分離』  その6

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親の貧しさに負けそうだった子ども時代を過ごし、
自殺を考えるに至った男が、今では他人と一緒の
飯を食べて生活している、ノコムの理事長
シャクティベル氏に再会した。
今回は「身寄りのない高齢者の家」を見せてくれると。
常時30人ほどの高齢者が暮らすその住まいは、
まるで ニワトリ小屋 のようだった。
   ここは、人間の暮らすところではないですね
家畜以下の生活にショックを受け、ガイドに伝えた。
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「そうなんだ。ノコムは経済状態が豊かじゃないから
孤児院も老人ホームも、基本はレンタル施設だ。
しかし、誰も身元がわからない輩が集まる施設として
まして、どう汚く使われるかわからない高齢者になんか
貸そうとはしないのさ。
仕方ないから空き地だけ借りて、掘ったて小屋を
建てたというわけ」
いつ出て行ってくれと言われるかわからないからと
すぐ壊せるよう、最低限の材料で作られていた。
ここでも先週、2人の老人が亡くなったと聞かされた。
孤児院では、子どもたちに食事を施すことになっていた。
ここは建物自体を借りてはいるが、大家といつも闘って
いると聞く。決まってシャクティベルは大家に言う。
「いいですよ。他に我われを受け入れてくれるところが
あれば、いつだって出て行きますから

前回とは違うメンバーが加わっていた。
出産直後に夫に先立たれた、身寄りのない母子だった。
貧しかった当時のシャクティベルが、あのとき
命を絶っていたなら、今のノコムは存在していない
とすると、あの老人もこの未亡人も、そして多くの迷える
子どもたちも、とっくに命を失っていたかもしれない。
彼ら/彼女ら、そして子どもたちが直接受けるであろう、
誹謗・中傷、蔑みを、この理事長が盾になり
一手に引き受けている。
「人はなんのために生きるのか」ではなく、
人生になにを期待されて生きていくのか」と
アウシュビッツ収容所ででフランクル氏が気づいたように、
貧しいシャクティベルは、多くを人生から期待されている。
そこには、他人という区別からくる『分離志向』は、ない。
彼からみると、貧しい子どもや高齢者は、すべて過去
自分であり、未来の自分かもしれないと。
果たしてわたしに、親以外の30人もの病気を抱える
高齢者の面倒を看れるだろうか?
自分の子ども以外の、40人もの世話ができるか?
行政はもちろんのこと、周囲からの奇異の目と
非協力的な状況の中、すべての行動を自己責任の
下で行わなければならないなんて、想像を絶する。
   ではなぜ、彼にはできるのか?
それは、『』を覚悟した強みからだろう。
                     つづく

投稿者: givinghands

2007年3月からスタートしました、特定非営利活動法人 ギビング・ハンズ オフィシャル・ブログです。 このブログはおもに、ギビング・ハンズのスタッフや支援者が、インド・ネパールなどへ赴いた際の 活動報告や視察模様などを、写真アルバムを中心にお伝えする目的で作成しました。

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