「そのまんまでいい」 その2

「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、
自分独りで生きていると思っている」

                「奇跡のリンゴ」木村秋則 著
木村さんの体験談によると、無農薬のリンゴに実がならないのは、
木につく虫や病気のせいだと思い、化学的な農薬を使用しない
かわりに、酢やわさびなどを木に塗り病気を防ごうとしていたと。
精魂込めて、すべてをやり尽くしたが、8年間結果が出ず、
あきらめた木村さんの出した答えは【死】であった。
死に場所を探しに登った山の中に、ナンの手入れもしていない
のに、ミゴトな葉をつけているドングリの木を見つけた。
森の木々は、農薬など必要としない。雑草が生え放題で、地面は
足が沈むくらいふかふかである。つまり自然と一体化した中で
育っているのだ。なぜそのことに気づかなかったのかと、死ぬ
ことも忘れた木村さんは、一目散に山を駆け下り、土作りから
やり直し、とうとう無農薬のリンゴを作り上げた偉大な方である。
どうしても表面に出ている症状だけで判断してしまう癖を
人間は持っているようである。
皮膚に湿疹がでたら薬を塗り、熱が出たら解熱剤で下げると。
消費の滞りには一時金を配り、消費を促すと。
全体を観察せず一部しか見ないやり方は、そろそろ卒業する
必要があるのかもしれない。
ずいぶん昔、こんな記事を読んだことがある。
人間の運命は結局「星」が決める!?――天文学者の持論に賛否両論
王立天文学協会のメンバーで、天文学の専門家としても名高い
パーシー・シーモア博士が、自ら著した「The Scientific Proof of Astrology」
の中で、人間と惑星の間には何らかの関係があり、人間の運命は結局星に
よって決まっているという持論を展開。
これまで非科学的と否定されてきた占星学者らからは歓迎される一方、
同じ天文学者らからは批判の声があがっている様子が伝えられた。

古代の賢者たちは占星学も天文学も医学も、み~んな一緒に学んでいた。
だからこんな論争は皆無だったに違いない。しかし今ではそれぞれが
独立した学問としているため、整合性が取れなくなっているのだろう。
俗にいう複雑系になりすぎて、全体が見えなくなっている。
何も切り離さないで、まるごと【そのまんま】が一番シンプルでいい。
結局、故 福岡正信氏の農法には、その真髄がある。
【無】というシリーズ本で氏の想いが綴られているが、それを
実現させている方が、いったいどれほどいるのだろうか・・・・

「そのまんまでいい」 その1

「この農法だと、素人でもプロの農家以上の収穫をあげられる」
自然農法の第一人者、福岡正信氏の言葉。
自然農法とは、不耕起(耕さない)、不除草(除草しない)、
不施肥(肥料を与えない)、無農薬(農薬を使用しない)を特徴
とする農法。肥料や農薬を使用する従来農法(有機農法も含む)と
異なり、基本的に播種と収穫以外の作業を行わず、自然に任せた
栽培を行うことである。

福岡氏の著書「わら一本の革命」を読んだのは、20年前。
今ではすっかり内容を忘れてしまったが、この本を熱心に薦めて
くれた友人が、愛媛の福岡農園を訪ねるために連絡をとっていた
のは覚えている。
弟子入りを考えていたその人は、それが不可能だと知り、
ひどくガッカリしていた。
なぜ直接の受け入れをしなくなったかの理由を
聞かされたとき、納得した。
いままで多くの農民たちが福岡氏から自然農法を学び、
自分の農場で実践するが、どうやらうまくいかないのだという。
      なぜか
『何もしなくても今まで以上の収穫量が望める=楽して儲かる』
という心が根本にあるのではないか、と。
こう考える人たちに、いくら方法論を伝えても、全体をとらえ
ないと、氏の提言する自然農法が成立しないのであろうと。
今でこそ当たり前になっている【波動測定装置】も、アメリカから
やってきた当時は、操作する人間によって作動したりしなかったり
だったと聞く。
つまり、【波動】などという目に見えない存在を受け入れられない方が
さわっても、反応してくれないということだ。
少なくとも20年前の福岡農園受け入れ状況は、そんな感じだった。
その後、何回となく福岡正信氏の名前を耳にすることはあったが、
それ以上でも以下でもなかった。
最近、青森の木村秋則氏の「奇跡のリンゴ」を読んだとき、
8年間かけて成功した無農薬りんご栽培のきっかけが
福岡正信氏の本であったことを知った。
つづく・・・

ラマ 砂曼荼羅ヨーロッパ遠征

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「曼荼羅」ないし「曼陀羅」は、サンスクリット語の音を
漢字で表わしたもので、マンダルは「本質、真髄、エッセンス」
などの意味を表わし、ラは「もつ」の意であって、マンダラとは
「本質をもつもの」の意だとする。
また、マンダラには形容詞で「丸い」という意味があり、
円は完全・円満などの意味もある。
インドでは諸神を招く時、土壇上に円形または方形の魔方陣、
マンダラを色砂で描いて秘術を行う。色砂で土壇上に描くため、
古い物は残っていないが、チベット仏教などでは今でも修行の
一環として儀式、祭礼を行う時
に描かれる。
                     by ウィキペディア

つまり、僧侶は瞑想において本質を探求する道具として用い、
土壇上に描けば、魔よけ(完成されていないスキ間に魔がさす)
として役立つのだと。
また、心理学者ユングは、フロイトとの決別により精神不安定になり、
自己分析にと浮かんだイメージを書きとめていた。そのときの安定時
に、丸い絵を描いていたことが、後年、曼荼羅に似ていると発見した。
このように人は、完成された丸い、意味ある模様を観る、描く、
身近に置くことで、『安定』が得られるようである。

その原理は、自身の行為にも当てはまる。
未完了にしてあるもの(中途半端なもの)が積み重なると、
人は精神不安定になり、常に緊張状態で、モノゴトの進み具合に
支障をきたすのだと、脳科学分野ではいわれている。
未完了を 一つひとつ完了させてこそ、次へのステップに移行
できるというもの。しかし、不安という罠が【曖昧】にしておく
という保険を作り出してしまう。だからますます不安定になる。
この負のスパイラルを抜け出すには、勇気を持って【完了】して
いくしかないようだ。その乗り物に、このマンダラが優れて
いるのだと。
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GHが支援しているネパールの学校、GCBSの校長でもある
ラマ・ガワンが、毎年恒例の『砂曼荼羅』デモンストレーション
のため、ヨーロッパへ赴くという情報が届いた。
本来、これだけの曼荼羅を描くには5、6人のラマで共作する
のだが、うちのラマは【子どもたちの学校資金調達】が目的
なので、経費節減のため1人で1週間近くかけて催す。
5月10日~16日:スイス
6月15日~19日:オーストリア
この間、ヨーロッパへ行かれる機会がある方で、ご興味あれば
是非、足を伸ばしてラマの砂曼荼羅の恩恵をお受けください。
Programs of Lama Ngawang Kunga visits to Europe 2009/10
Date Programs
5th May
Arrival at Zurich Airport, Switzerland
10th-16th May
Mandala at Ziegelbrucke as invited by Mr. Robert Jenny, Switzerland
18th May
Departure for London, England. Lama Ngawang will stay
about 25 days in London as invited by Mrs. Regine Wiessler.
12th June
Return from London, England to Switzerland
13th June
Dissolution of Mandala made at Ziegelbrucke, Switzerland.
11th July
Visit to Vienna, Austria as invited by Mrs Heike Yamuna Kiefer.
15th-19th July
Mandala at Vienna, Austria organized by Mrs Heike Yamuna Kiefer
21st July
Departure for Kathmandu, Nepal.

打たれ強い国、インド

着席したあと周りをみまわしてみると、今回も座席はガラガラ。
早速いつものように肘掛を上げ、カラダを横たわらせ就寝体勢に
入った。エア・インディア常連客としては嬉しい限りである。
昨年の12月から2回目の渡印だが、毎回ほぼ機内は空の状態で、
機体だけを行き来させているようなものである。
なぜなら昨年11月末のムンバイ・テロ以来、インドに行く渡航者
が激減したからである。
毎年3月といえば、大学卒業旅行の渡航者で予約を早めにとらないと、
チケット確保さえ危うい状態なのに、今年は渡航まで1ヵ月切っても
余裕で押さえることができたのである。
インドに行くビジネスマンが減っただけでなく、学生さえ敬遠して
いる国となっていた。
思えば、2001年9月11日のニューヨーク貿易センタービル・テロ直後
にも渡印したのだが、そのときの乗客はミゴトにジャーナリストしか
いなかった。
世界的な衝撃テロだったので、さすがにこのときばかりは、滞在中
何か遭ったときに備えて、宿泊先だけは高級ホテルにした。
日本の旅行代理店を通してホテルを手配したので、滞在中、
現地法人からインド人社員が「何か困ったことありませんか?」
と、ホテルを訪ねてきてくれた。
当時は、高級ホテルになんて泊まることがなかったので、
さすがにサービスが行き届いているな、くらいに思っていた。
そのとき訪ねてきてくれたインド人社員が、今のギビング・ハンズ
インド法人の重要なスタッフとなっている。彼と今回のテロで、
またあのときのようにインドに来る外国人が減ったね、という
話題になった。
「そうですよ、あの2001年のときも、社長に 『こんな時期にインドに
きてくれるお客様は貴重だから、帰る途中毎日、ホテルに
寄って挨拶していってください』
と言われたから、訪ねたのです。
普段は忙しくて、そんなことできませんからね」
という真相がわかった。そう言われてみればあの時は、どのお店も
過剰なほどのサービスだったのを覚えている。
ということは、あの2001年テロがなければ、わたしがこの数年間で、
インドにおけるもっとも信頼できる友人に会っていなかったということ
になる。事実、彼はその一週間後にその代理店を辞めている。
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今まで興味がなかったインド観光名所である世界遺産の
タージ・マハルに、今回初めて行く機会があった。
3月なんて、暑くもなく寒くもない絶好の観光シーズンにもかかわらず、
外国人客は、とても少なかった。
11月のテロから半年近く経とうとしているのに、このダメージは
さぞかし大きいことであろう。
インドにいると、テロ、爆発、津波、洪水被害なんて日常茶飯事である。
現地では、たとえ目の前でテロがあっても、自動車事故を処理するかの
ように【そのこと】が収まれば、まったく変わらない日々が展開されていく。
11月末のテロ直後に渡印しようとしたときも、多くの方から心配されたが、
わたしにはまったく【危機感】というものがなかった。ようやくわたしのリスクに
対する感覚が、もはや【インド基準】になっているのだと認識した。
どんな危険な状態でも、どんな試練にも淡々とやるべきことを行ない、
じっと事態を見据えて耐えていくパワー
は、このインドという国の
底力かもしれない。
今まで、走り去るバスに飛び乗る人や、電車の屋根の上にのる乗客、
裸足でヘルメットなしのバイク走者を見るたびハラハラしていたが、彼らの
リスクヘッジの範囲は、われわれの基準とは大幅に異なるのだとわかり
無駄に心配することはやめにした。
打たれ強い国、インドの忍耐力を、今後もじっくり観察していきたい。