『こだわり』 という名の毒素

ずいぶん昔になるが、笠巻 勝利氏の『目からウロコが落ちる本』
~固定観念を打破し、新しい自分を創るヒント~ を読んだ。



見開きページでワンテーマだったと記憶する。
いまだに覚えている内容のひとつが、以下である。
———————————-
◆ 人間の毒は生物まで殺す ◆
アメリカの心理学者エルマ・ゲイツ博士は人間のはきだす息
を使って、次のような実験をした。
人間がはきだす息を冷却したガラス管に集め、液体空気で
冷やしてると沈殿物ができるのだが、人間の感情の状態によって、
驚くべきことが起きるのである。
 ○健全な人間のはきだす息は無色である。
 ○人間が怒っているときの息の沈殿物の色は栗色をしている。
 ○悲しんだり、苦しんでいるときの息の沈殿物は灰色をしている。
 ○後悔して苦しんでいるときの息の沈殿物は淡紅色をしている。
博士は、栗色の沈殿物を水に溶かしネズミに注射したところ、
わずか数分でネズミは死んでしまった
もし一人の人が一時間、腹を立てつづけると、なんと
80人の人間を殺すことが可能な毒物が発生するという。
 また、血液は、
 ○怒ると黒褐色で渋くなる。
 ○悲しむと茶褐色で苦くなる。
 ○恐れると紫色で酸っぱくなる。
といわれている。
いつもニコニコしている人が健康であることが理解できる。
まさに「笑う門に福来たる」である。
————————————
これを読んで「やっぱりプラス思考だぁ~」と、ぶっ飛んでいた
ころを思い出す。
そして、感情が乱れると打ち消したり、気を逸らせたり・・・
とにかくマイナス退治に躍起になっていた。
しかし、いま思えば、その 『躍起』 になること自体が、
最たる毒素製造作業そのものだったのだ。
    なぜか。
怒る → 栗色毒素排出 → それを嫌悪する → 栗色毒素倍増(笑)
これが「正しい」という(と思い込んでいる)大義名分の落とし穴。
知らないでいると、毒素出し放題。逆に知ってしまうと、新たな
毒素が積み重なる。
    めんどくさ~
もちろん、毒素を生み出さない生き方がベストである。
しかし、聖人君主じゃあるまい、凡人のわれわれにはムリなこと。
イヤでも発生してしまう、毒素の処理をうまくやってのけるしかないだろう。
それはプラス思考だけでなく、生き方すべてに当てはまる。
肉食、農薬、白砂糖の害。
食品添加物に牛乳、サプリメントに至るまで。
見えないものだと電磁波、波動、すべてのマイナスエネルギーだ。
数え上げたらキリがない。
たとえ有機や自然栽培の農作物を摂ってても、
調味料は?
調理器具は?
はたまた 料理人の心の状態は?
なんて考えたら、どこかで確実に毒素は生み出されているもの。
できればインドの聖者のように、毒を飲んでも平気でいられる
ような、「すべてを受け入れ毒をも蜜に変えてしまえる
柔軟な精神力を培いたいものである。
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だから、ギビング・ハンズ・ファームの 『野菜Box for Two』 は、
無農薬や有機・自然農法にこだわらない。
普通野菜、有機野菜と購入される方の好みで選べるようになっている。
老夫婦の農家さんに、あえて自然栽培を要求して、草取りばかりで
疲労困憊してほしくない。1回の除草剤くらいは許される範囲の方に
購入いただければ幸いである。
※ 現在は有機野菜のみを扱ってます。 2010年
しかし、せっかく口に入れるものだから、おいしく且つ無農薬、有機や
自然栽培がいい方にも、十分満足いただける作物も用意している。
   大切なのは「気持ちよくいただける」ということ。
ベジタリアンでナチュラル国のインドでは、寺院帰りに
オムレツ(卵)なんぞを食べてると
「儀式のあとに、なぜ(動物を)食べるのか?!」
   ・・・・
蚊に刺されて、強烈なキンカン臭を放っていると
「その薬は、化学成分入っていないのか?!」
と。 気持ちはわかるが、いちいち ウルサイ!
海を渡った外国くんだりで、毒虫のような蚊に刺されたら
薬草塗って、かゆみが治まるのをジッと待つほど、時間と心に
余裕はない。そのときどきに合わせた対処をするまでだ。
  重要なのは、それぞれの影響を知っておくこと。
農薬漬けの野菜を食べ続け、肉食の習慣を続けたら、
結果どうなるかを、知って受け入れるということ。
なにを選択しようが、そこで起こり得ることを
『覚悟と誠意』 をもって受容すること。
臨機応変に調整するほうが、「絶対ベジ」「絶対無農薬」と
こだわり、決め付けるよりも、心の毒素を作らない気がする。

抜けられないループ 番外編

おばちゃんがお昼ごはんに家に戻らない理由。
作業現場の畑は、自宅がある集落からちょっと離れている。
山を超えてさらに山のてっぺんにあるから、はっきり言って
帰るのが面倒だと。
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出荷の日。わたしを畑へ案内するため国道まで出てきてくれた。
おばちゃんが運転するケットラ(軽トラック)のうしろを
東京から乗ってきた普通車でついて行った。
四輪駆動ですいすい走るおばちゃんを、必死に追いかける。
田舎育ちといえどもこんな山道、車で走ったことがない。
ケットラが精一杯の細い道は、90度はあろう急カーブが
頂上まで延びている。
曲がるたび、毎回ハンドルを切ることに。都会育ちの
“練馬ナンバー” は、何度も停まりながら進むしかなかった。
対向車が来ないことを祈りつつ・・・
これだけ山奥だと、あの農薬漬け野菜の二次的被害は
皆無であることは間違いない。
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この山一体の畑が、有機栽培や自然農法地帯である。
山と畑に囲まれた小さな村落には12世帯の農家が点在
している。しかし、あと10年もすれば跡取り不在で “2世帯”
しか残らない現実が待っている。
実はここには、地域を化学的な薬物から解放した英雄
住んでいるのだ。
それが実は、このおばちゃん!! で・は・な・く・・・
大学教授並みの博識ある、彼女の【甥っ子】Kさんである。
今年の2月。ギビング・ハンズ・ファームが野菜プロジェクトを
立ち上げるため、有機栽培農家との契約や、お米の年間契約を
取り交わす交渉に田舎の農家を飛び回った。
このおばちゃんとは、あるGHスタッフの母親である。
普段「お母さん」と呼んでいるほど親しい。
以前からこのスタッフの実家が、慣行農業ではない、
有機、自然栽培を手がけているとは聞いていた。
このNPO活動自体、代表であるわたしが流れのままに進めて
いるため、なにが飛び出すか本人にもわかっていないのだ。
悪く言えば、「行き当たりバッタリ」
見方を変えると「天の思し召すままに」である。
昨年の秋、突然の農業プロジェクト開始案に、白羽の矢が当たった
このスタッフは、すぐさま田舎に飛んで帰った。
段取りを整えてくれたお陰で、この2月、スタッフの実家、
つまり、おばちゃんの家を訪ねることができたのだ。
お米農家の、しかしサラリーマンなるがゆえ手がまわらない
畑を10年も放置している、農家の方をお連れして。
有機栽培、自然農法について。放置してある雑草だらけの畑の
復活法。今後の農業の在り方などを聞くために。
    そこに今回初対面の、Kさんが登場した。
はじめは単に有機栽培のノウハウを聞くのと、このプロジェクト
にご協力願えるかどうかの確認だった。
    結果、Kさんの講義を聴くこと 4時間!
それはそれは、タダで聞くにはもったいない内容だ。
あまりにも奥深い話しに、テープル一面に出された手作り料理が、
だれからも手を付けられず、並べられたままになっていた。
言うなれば、Kさんは
「自然な生き方を追求していたら、結果、農家になっていた」
という方である。
都会で育ちはしたが、大学は林学部を卒業。その後、上場企業の
商社に勤務した。その時代、途上国に渡って環境破壊(森林伐採)
をやりまくったのだと。
気がつけば「なにやってるんだ、俺?」と偽りの姿を
省みて、30歳でエリート切符を投げ捨て日本に戻ってきたという。
こんな話は今でこそ賞賛されるものだが、20年も前のこと。
当時の価値観では、いわゆる【世捨て人】だったに違いない。
たまたま親の出身地が田舎だったということで、この12世帯しかない
農村部に移り住んだと。
当時はたった2世帯しか有機農家ではなかった地域を、Kさんの
働きかけで、多くを無農薬地帯に生まれ変わらせたのだと。
前回までのブログ「抜けられない・・・」シリーズで、わたしが
さも知ったか振りのウンチクを垂れた“近代農家の成り立ち”
などは、何を隠そう、すべてこのK教授の受け売りである。
農業とは。国家とは。宇宙とは、の話しが延々と尽きない
K教授の熱弁を、ときが許すかぎり聴いていたかったが、
夜の帳とともにおじちゃんが帰ってきたので、お開きとなった。
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それからは、おばちゃんパワーの全開だ。さらにおじちゃんも
加わり、忘れ去られていたテーブルの煮物や漬物類の説明を、
これまた延々と聞くことに・・・
なんたって種蒔きから食卓に載る、すべての過程が手作りときている。
連れて行ったお米農家と意気投合し、種の蒔き方、肥料、収穫時期
や料理法に至るまで、やいのやいのと、わたしには理解不能な
宇宙語で話していた。
田舎の家に行くと、テーブルにはノートを広げるスペースがないほど
食べ物で埋め尽くされている。手を出さずに座ってなどいると、
「食べろ 食べろ」と小皿に山盛りされるのである。
きっと、自分が一からこしらえた“作品”を、味わってもらう
ことが 『快感』 なのかもしれない。
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どんなに素晴らしいポリシーで農作物を作ろうが、流通システム
と買ってくれる消費者がなければ、話しにならない。
この地域では、そのシステムを英雄のように現れたKさんが整えた
ので、昔のままの自然が生かされた模範例となっている。
しかし通常は、生産者、流通、販売者は別々に機能しながら
消費者に農作物が渡っていく。
だから、生産者である農家は自分の作品が流通するためなら、
スプレーをかけられようが、野菜を捨てるよう命令されようが、
業者に言われるがまま行動するしかない

次なるKさんの課題は、あと10年先のこと。跡取り不足でこのまま
では滅びゆく農村地帯を、どうやったら残していけるのかと
それはなにも、地域限定の問題でないことは、国家レベルで
承知であろうはずだが・・・

抜けられないループ その4

都会にいたら、都会の悲痛が聞こえてくる。
田舎にもどれば、田舎のやり切れなさが伝わってくる。
なぜそうなってしまうのか。どうしたらいいのかわからない。
ジッとその苦痛に耐えているしかないのか・・・
そのときは良かれと思ってやってみた。
大した悪影響はないだろうと高をくくっていた。
こんな深刻な、自然からのしっぺ返しがあろうとは
まさか思ってもみなかった。
重要なのは「気づく」こと。
気づいたら「改め」られるから。
それを潔くやってのけたのが、
        経済学者の【中谷 巌】氏だと思われる。
氏が出演していた、半年ほど前のニュースを見た。
【懺悔の書】とした新刊の経緯を話していた。
そこで氏のコメントに拍手喝采しているわたしを、
隣にいた甥っ子が、一瞥してひと言。
      「この人、気づくの遅くね?」
・・・・・ 若者はわかっている。
中谷氏が、自己の市場原理主義に走った過去を反省、転向を宣言する
新刊書の前書き;
「構造改革の急先鋒であった著者が記す『懺悔の書』金融恐慌、格差社会、
環境破壊、食品汚染、すべての元凶は新自由主義にあった!」
『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』(集英社)
新自由主義にかぶれてしまった愚かな姿勢を反省し、グローバル主義
が環境破壊にもつながったと。
小渕内閣の首相諮問機関「経済戦略会議」の議長代理など、政府の委員
を多く務め、小泉改革を後押しした一員でもある中谷氏が、富める者が
ますます富む一方で、貧しい者はいくら働いてもまともな生活すら望め
ない状態に追いやられる姿を見て、自分も旗振りをした新自由主義の政策
の誤りに気付いた書であるという。

最後にアナウンサーから質問。
「では、これらを解決する方策は?」
     昔のような人間的な 『つながり』 をもつこと
・・・
言いたいことは、よ~く分かる。しかし、あまりにもシンプルで、
抹香くさい言葉に、きっと氏の教科書で学んだ輩からは、
ブーイングでも起こりそうな回答に思えた。
案の定、そのあと覗いたアマゾン・レビューには賛否両論の雨嵐。
それを受けてか自らのサイトでも、コメントを述べている。
http://www.murc.jp/nakatani/column/2009/01/20090120.html
所詮、世の常には、変化するモノやヒトに批判、罵倒がともなうもの。
必ず誰かが先頭切って、そこに風穴を開ける役割りを買って出る。
そういう意味では、たとえ気づきが遅かろうと、氏の 『勇気』 に
拍手したいと思った。気づいて変わろうとしてくれたから。
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インドにカースト制度がある(あった)ように、日本の士農工商
のように、世の慣習は、民がお上の指導のもとに動くもの。
占星術マンデーン(社会占星術)において、国の未来予測に
必要な情報は、国家建国年月日時と、ときのトップ指導者の
出生データである。
采配をふるう人物の運気と、コトを興すタイミングいかんが、
国家の未来を担うものだと認識されている。
確かに政策が変われば国が変わり、国民の生活も変わろう。
しかし、政策という「Do(やり方)」に焦点をおいている限り、
節操もない農業指導員の作物病気治療とかわりない。
大切なことは、いつも言っている「Be(在り方)」であろう。
http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200901/article_4.html
わが国がどう在りたいのか・・・
逆に国がどうあろうと、われわれは民として、どう在りたいというのか。
ひとりひとりがその在り方(Be)を貫いていたなら、それを
実行(Do)してくれる指導者(Have)が、自然と現れる
しくみになるはず。

口で言うのはたやすいが、実行し続けることは容易ではない。
しかし、いつまでも誰が「善い悪い」と責任転嫁しているだけでは、
解決の糸口が見つけられなくなる。
この堂々巡りのようなループから、潔く「いち抜けた」と言える
日が、早く訪れることを切望したいものである。
それにはインディゴ・チルドレンのように 【Be】 中心で生きるしか
ないように思える。
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ギビング・ハンズ・ファーム 初出荷のお祝いにと、おばちゃんが
お赤飯を入れたお重を持ってきた。成功するよう、たくさん食べなさいと。
「もしかして、【あずき】も自家製なの?」
“あったりまえでしょ” と自慢するおばちゃんの、お重いっぱいから
あふれる真心をたっぷりいただいた。
冬便の出荷時に再度ここに来ることを約束して、暫しおばちゃん
との別れを惜しんだ。
※野菜、お米、お餅、おまけの信州味噌が届けられます

抜けられないループ その3

資源のムダ、環境破壊、健康損失、一攫千金の裏の散財、
土壌のムダ、ヒト・カネ・モノのムダ使い・・・
そのツケが、天候悪化、長雨、生い茂る雑草、中国人の質低下
につながっているかもしれないと、だれが考えても分かること。
昔の出稼ぎ中国人は、とても真面目に働き農業技術を学んだと。
ワンシーズン終わって国に帰れば、リッパな農学博士となる。
ついでに稼いだ資金で、国に御殿が建つのだから。
そのため一生懸命だった。日本語を学び、農家の方針に合わせて
コミュニケーションを図ろうと努力していた。そこには少しでも
ノウハウを習得しようという、熱い意気込みが感じられた。
それが今では、集団で働きに来るため村落でも、働く時間以外は
中国人コミュニティ内で過ごすことが少なくない。もちろん日本語
は通じない。
食べ物事情も日本人とは違うから、住まいも食事も農家とは別々だ。
どんなものでもたいてい食する文化を有する彼らにとって、捕獲
される『鹿』など、大のご馳走となる。
また、肉食材料が足りなくなると、ヘビを捕まえに出かけるなど、
異国にいながらにして自国の文化を謳歌している。
極めつけは、雇い主が見てないところでサボるのだと。
これでは昼寝もオチオチしていなれないと、ボヤいている。
  なぜこんな 『負のスパイラル』 が続いているのか。
スタートは、化学農法で高効率の農業をめざすことだった。
となると、
→ 要人材確保 → 収穫高アップ → 過剰作物から価格調整
→ 農作物処分 → 農薬被害 → 健康損失 → ますます他に頼る(雇う)
→ 外国人に共依存 → 雇用外国人が強くなる → 質劣る・・・

これでは、秩序をどこかで元にもどさない限り、いつまでも終わりがない。
あるとしたら、病気、破産、死のどれかでだ。
こんな時限爆弾つきの不安を抱えているより、カウントダウン
のスイッチを止めるための「糸口」を探すことのほうが先決だろう。
それにはスタートラインに戻ってみること。
なぜ、高効率の農業をめざすため、化学農法を取りはじめたのか・・・
   遡ること大戦後間もなく。
敗戦国となった日本は、全国民が心身共にズタズタになっていた。
しかし、『戦い』の終焉という緊張状態からの解放が、敗北の
屈辱と喪失感を払拭してくれることにもなった。
現実問題、放心状態など続けている場合ではないだろう。
時の最重要課題は、国を挙げての復興である。
まるで人が亡くなったあと残された親族が、悲しみなどに浸って
いる間もないように。『終わった』あとは間髪入れず『始まり』
があるもの
。葬儀、相続、家族の役割り分担等々だ。
当事の日本の主産業といえば、第一次産業(農業、林業、漁業など)
である。ここに国民のほとんどが従事していたので、国の復興を
かけた第二次産業の製造業、建設業へ、人をまわす政策が
とられることになった。
そこで、これまで10人で農作物を生産していたやり方を、1/10で
こなせるよう化学農法が編み出されていくことになる。
 
   いわゆる化学肥料を使う近代農法のはじまりだ。
これにより工場に多くの人がまわせ、産業の発展につながった。
今までの手間隙かけた農作業が、化学肥料と農薬のおかげで、
さらに便利な大型農機具の導入で、サラリーマン農業(兼業農家)
が可能となっていく。
その指導を 『農協』 という巨大組織が一気に引き受け、ビジネス
コンサル役をこなしていった。
農家はひたすら国政の指示通り、農協に言われるまま科学肥料や
農薬を購入し、農協バンクでローンを組まされ大型農機具が
農家の元に運ばれていった。
新しいやり方に慣れない農民は、農業指導員に頼らざるを
得なくなっていく。こうなると、先祖代々から受け継がれている
自然と共存してきた農法は、世代を経るごとに薄まっていくことに。
今まで主だった自然農法が、現在の近代農法に取って替わられて
から久しい。だから、不耕機、雑草と共存、無肥料で農作物が
できる
という昔ながらの農法を聞くと、にわかには「信じられない」
という構図が出来上がる。
それからというもの「減反政策」だと言われればそれに従い田んぼを
休耕し、言われた通りにやってるのに病気になる農作物の治し方
わからないと、ドクター役も演じる農業指導員の下、その病気に効く
新しい農薬の使い方が指導されていく。
また戦後、食品添加物上昇推移のグラフどおりに、病気の上昇率も
平行している。この因果関係は不明でも、とりあえずそれ以上
添加物を増やさなくなったら、病気上昇もストップしていると。
それでも世界中の食品添加物の50%を日本が消費していると
いうのだから、どれだけ「便利・長持ち・儲かる・きれい」
ニーズが高い国なのだろうか。
このように、表面上の問題だけをすくってパズルしているやり方
では、当然長くは続くまい。
そして今、にっちもさっちも行かなくなってきている。
   解決策は、ごく簡単。
時代に合ったやり方をする、だけ。
今でこそ“悪の権化”のような近代農業も、戦後はヒーローだったのだ。
これで日本は豊かになり、ユニセフからの支援も不要となった。
発展国の仲間入りをした昨今では、世界に誇れるODA大国にまで
のし上り、支援される側から【する側】になっていった。
第二次産業である製造業や建設業もすごい勢いでモノを大量生産
していった。有名なトヨタ方式である時間管理システムが、国民や
企業を多忙に導き、確かに国を豊かにしていった。
あれから約60年。モノがあふれる現在。いったいこれ以上、なにを生産
する必要があるのか。それに注ぎ込む人材とエネルギーと時間が、
果たして有益なものなのか、本当の 『豊かさ』 とは何かが疑問視されている。
   解決策に移行させるのは、そんなに難しいことなのか・・・
どちらかというと人は 『変化』 が苦手な生き物だ。
変化には、大気圏から圏外に出るような衝撃があるのは仕方ない。
でなければ、いつまでたっても宇宙空間を浮遊するゴミのように、
最終的には行き場がなくなってしまうことになる。
「作れ、増やせや、働け、稼げ」 が落ち着いた今、パラダイムシフトが
起こっているということを認識する必要があろう。
そのキーワードこそ、『欲』 の転換なのだと。
お金より、時間のゆとり
自分の欲より、他人の欲
モノよりココロ

社会が変化しないなら、自ら気づいて変わっていくしかない。
また、社会のやり方についていけない、合わない自分を、
決して「間違っている、おかしい」と思わないことである。
しかし、全面的に企業や社会が「おかしい」わけではない。
今までは必要だったから、
それしか知らなかったからそうしたのかもしれないと
つづく・・・

抜けられないループ その2

初出荷の日の午後、農家出身のGH役員と久し振りに会った。
その方含む3人娘がみな嫁いたあと、実家の母親がひとりで田畑を
維持しているのだと。ひとりで何町歩(面積の単位)も切り盛りできない
のは、どこの農家も同じである。だから近くに住む母の弟が手伝って
いるのだと。
実はその弟さん。農作業で健康を損なった経験を持つひとりだ。
10年前。突然の身体の痛みに襲われ、農作業どころか生活すら
ままならなくなる不治の病に陥った。
原因を調べつくした。
     結果、その因は『農薬』だと判明。
その経緯;周囲の農家同様限界まで働く → 効率を上げるよう農薬を
フンダンに使用 → 収穫高がおもしろいように上がる → 欲が出てさらに働く
→ 30年以上続ける → 結果、不治の病となる
こんな図式だ。
医者から見離されたからには、死を覚悟で矢印と逆向きに生きる
しかなかった。
まず、働くことを止めた(というか、働けなくなった)
→ 欲はお金ではなく『健康』に移った→農薬から離れた
→ やることがないから姉の田畑を手伝った もちろん無農薬でだ
→ 気がついたら不治の病が治っていた
     ちゃん ちゃん♪  いたって単純である。 
前置きはこれくらいで、続きに戻ろう。
果たして、道路破棄腐敗野菜の行く末は・・・
悪臭が充満するだけなら、その道をなるべく通らないようにするか
息を止めて一気に車を走らせるか(笑)、などの対策がある。
しかし最悪なのは、農薬漬けの腐敗野菜がドロドロに溶け、そこに
雨が注がれる。すると河川に農薬が流れ込むという事態が発生する。
その河川から村落の飲料水がまかなわれている。慣行農家の自家用野菜
は、出荷のそれとは別にしている。つまり自分たちの口にするものは
決して出荷する農薬漬け野菜ではない
ことは、周知の事実である。
ただ、どんなに表面だけ農薬を避けていても、廻りまわって飲料水
として結局口にしている。それも自分たちで破棄した野菜たちから。
これ、どうみたって同じ井戸の源泉を持つ他人の井戸に、毒を入れて
おきながら知らん振りして、自分の井戸だけはキレイだと思い込んで
いるようなもの。

上記の弟さんのように気づけばラッキーだが、最終的には病に伏しても
原因不明だと、相変わらず毒を入れる行為をし続けると。
人間のこの愚行はどこから起因しているのか。
         悲しいかな 『欲』 である。
今年から農家が雇っていいと許可されている外国人が3人になったと。
どこの所轄が許可制度をとっているか?とおばちゃんに聞いても、
外国人を雇う必要などないから、考えたこともないという。
とにかく昨年までは2人だったのが、枠が広がったという事実だけ
周りをみて知っている。農家にフルタイムで働く労働力が3人
加わったら、24時間営業ができてしまうほどの戦力になる。
たいていの農家は中国人を雇用するから、そりゃ日本人より働く。
夜中の2時からヘッドライトを点けて農作業がはじまる。
ワンシーズンで三毛作。夜中から夕方までフル活動。
結果、需要より供給速度が早回りしている。春は出来が良かった
というのは、天候に恵まれたこともあろうが、実は人手に恵まれ
“作り放題”だったのだと。
そこには、栄養供給源である大地のことなどお構いナシだ!
なにしろ化学肥料が、農薬がそれの代役をしてくれるのだから。
しかして、そこまで作れや、働けやした結末が・・・
    『野菜破棄』命令だったと。
   おばちゃんのテンションは、トップギアに入る。
「いくら価格調整とはいえ、お金かけて人を雇い、馬車馬のように
働かせ、掃いて捨てるほど作らせた作物が仲買人の鶴の一声で、
泡となって消えていくんだよ。こぉんな無意味なこと、どうして
続けられるのかな~。
手塩にかけて育てた野菜たちをムダにするなんて、あたしにゃあ
とても出来ないね! そんなの子どもを捨てるのと一緒さ。
もう今の農家は、昔のような家内事業ではなく巨大な “一大産業”
になっちまったのさ。 真心もなにも無くね・・・
   “あきらめ” モードに入り、ようやくローギヤに落ち着く。
こんな短期集中型戦略モデルの仕事に就いていると、どこかで
そのストレスを調整しなくてはなるまい。彼らの閑農期は冬である。
来る日も来る日もパチンコ通いだと聞く。
結局、暇つぶしとストレス発散なので、その散財ぶりは半端ではない。
聞くところ によると、損失額は 『ん百万円単位』 なのだと・・・
つづく・・・

抜けられないループ その1

今年から鹿を一匹捕獲(殺す)したら、1万円の賞金(?)が出る
のだと、農家のおばちゃんが畑を囲っている鹿避けの網を指し
言っていた。
素朴な疑問。
   で、その捕獲された鹿はどうするの?
だれも鹿肉なんてまずくて食べないから、尻尾だけ切って
役所に持参するのが捕獲した証拠。残った本体は
そのまま山に放置されるのだと。
   え、まずいって・・・ 食べたことあるの?
「なんだって昔は食べてたさ」と豪語するおばちゃんの口から、
目を丸くする事実が次々と飛び出してきたのである。
それは、聞いているだけで日本の実態を突きつけられたよう。
居ても立ってもいられなくなった。
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今年の悪天候は農業を営む人びとを大いに悩ませた。その被害の
結果は収穫時に現れる。それまでは不安が拭い去れない。
今年の長雨で草が背丈以上に伸びてしまい、刈っても刈っても
凄い勢いで、野菜ではなく “草” だけ成長したのだと。
毎日3時半には起床し、一日分の食料を作り、5時には畑へ
出勤する。 昼ごはんも畑で摂り、夕方近くまで働く。
冬の農閑期以外、普段でもこれを毎日くりかえす・・・
自然農法(無肥料、不耕機)に近い有機栽培(有機肥料使用)
農家は、自然に逆らわず人間が自然に従う。だから今年はいつも
以上に働いた。夫まで駆りだし草と闘ったのだと。
しかし、どんなときでも “楽しみながら” やることが、長く
続けるコツだと、おばちゃんは愉快に笑っていた。
以前のブログにも書いたが、雑草が生える=土の自浄作用である。
雨による草ボウボウも同じだ。そのメッセージを除草剤で封印して
しまったら、いったいどこで、大自然からの 『言い分』
聴くというのだろうか?
さらにおばちゃんは、何かを訴えるかのようにしゃべり続けた。
夏の収穫はサンザンなのに、春から野菜を出荷している慣行農家
(化学肥料、農薬使用)の野菜の収穫高が良過ぎたため、農家
を取り仕切っている市場から 『野菜破棄』 を命じられた。
いつものことだが価格調整のためである。
その破棄の仕方が、またムゴい。
色つきスプレーを野菜に吹きつけ、食品価値を失くして破棄される。
放棄するにも場所が必要だ。次の作付けのため畑には破棄される
野菜のスペースなど、ない。
山は人の土地である。で、考え付いたのがみんなの共有土地。
『道路』 わきだと!
・・・道って、車両と人が通るためにあるもの。
そこに山済みされて放棄された色つき野菜たち。
電化製品の不法投棄は昔よくあった。
これらは酸化はするが、腐敗はしない。
しかし、野菜は腐るもの。
だからこそ山済みにして、腐敗しドロドロに消えてなくなるまで
静かに見守る農民たち。その消えかけた野菜の上にまた放棄・・・
悪臭が放たれようが、田舎の美的景観が損なわれようと、
みんながやっていること」で、「それしか解決法がない」
というのだから、誰も文句は言わない。
そう、この方のような自己流通システムを持つ自然農家以外は!!
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村落人口のほんのひと握りである自然農家の言うことなど、
馬の耳に念仏であることは百も承知のおばちゃんは、
黙って事態を見守るしかないようだ。
誰にもわかってもらえないジレンマからか、目の前のわたしに淡々と伝える。
次世代に理解してもらうしかないかのように・・・
つづく・・・

期待値は小さい方がいい

「うわぁ~ サボテンみたい!」
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・・・ いいえ。 これは本日 採れたてのキュウリです。
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先月メキシコで “テキーラ” の材料になる 『龍舌蘭』 という
名のサボテンの実(?)を食べてみた。
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この龍舌蘭、英語では 『センチュリー・プラント』 と呼ばれる。
一世紀(100年)に一度だけ花が咲いて枯れてしまうという
100年植物である。
そして、一回結実性植物のため、花は一生に一度しか咲かない。
※実際には、熱帯地域では10~20年、日本では30~50年で開花。
  にしても50年!

わたしが生きている間、ずっと存在しているかもしれない
植物からとれる実が、メキシコではツナ(Tuna)
と呼ばれるフルーツとして、スーパーに並んでいる。
メキシコ在住30年の知人は、これが大好物だと、
袋一杯に詰め込んでいた。当然 初メキシコのわたしに
「ぜひ食べてみよ」と、いくつかまわってきた。
それは、それは皮をむくのにひと苦労。だってリッパな
サボテンの実ですもん。しっかりトゲがありますわ。
で、お味のほどは?
マスカットとスイカを足して2で割ったような、水っぽい味。
スイカが苦手なわたしとしては、ひとつで十分だ。
さらに、普段からフルーツを摂らない最大の理由は
    皮をむくのが “めんどう” だから。
なのにトゲから手を守るために軍手をして、さらにビニール袋
に “ブツ” を入れながら丁寧に皮を剥がしていく・・・
んなこたぁ、日本にいたら絶対しません。
てか、まず買いません。 そんなもの!
では、メキシコだから?
  
   否。 だって名前がいいじゃあ ないですか。
“龍の舌”ですよ! 100年植物ですよ!!
一生に1回限りの花ですよ!!!
こんなの身体に入れたら、まるで龍神様にでもなれちゃう
かと思うじゃないですか! → 思わないって;
こんな前置きなんぞを聞いたがゆえに、期待値が200%
跳ね上がり、軍手やトゲなどナンのその・・・
で、食べたその瞬間・・・
あぁぁ  種だらけと水っぽさに、温度が急降下。
瞬間、醒めて終わった。
これなら、ただのフルーツとして食べていればよかった。
要らぬ予備知識と思い込みほど、モノゴトの判断基準を
狂わすものはない
、と学習。
今日、畑で採ったキュウリは、間違いなく昔 田舎の畑で
採れたもぎたてに味噌を付けて食べたものと同じだった。
あの懐かしいトゲトゲ。小学生の手には痛いほど突き刺さる
ヒゲと、埃のような白い粉を服にこすり付け、かじり
ついていたのを思い出す。
そんな昔のことなどすっかり忘れていたので、キュウリへの
期待値は、当然 『0』 である。が、そのトゲを見た瞬間
「おぉ ~~」  この勝利者を、空高く掲げたくなった。
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田舎で生まれて育ったわたしが、田舎を離れて20年。
それでもこんなに感動するもの。
100年にいっぺんの龍舌蘭より、毎年このトゲトゲに
感動していたいと、真剣に田舎暮らしを考えはじめた。
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トレンドを追え

「富める者が天国に入るより、
     ラクダが針の穴を通る方が簡単である」

It’s easier for a camel to go through the eye of a needle
  than for a rich man to enter the kingdom of God.

まだ20代のお金をガンガン稼いでいる(笑)頃
聖書にある、この言葉に出くわした。
マザー・テレサ特有の 『Poor is beautiful ~貧困は美しい~』
を看板にしょっているかのようなクリスチャニティが偽善的に
思えた青い時期。この言葉でますます宗教嫌いになった。
あれから20年。消費大国、無宗教だといわれてる日本に、
なにやら大変革が起きているらしい。
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   ソーシャルプランニングの竹井氏の記事
『マーケティングの常識が変わった!? 
     モノが売れない時代に『社会貢献』が売れるワケ』

モノが売れないこの時代に、『社会貢献』が売れている―。
社会貢献志向の消費行動を 『ソーシャル消費』 と呼ぶが、この
消費トレンドは、若者とアラフォー女性を中心に、30代男性、
そしてシニアを巻き込むメガ・トレンドになりつつある。
残念ながら40代、50代の男性はこの動きから完全に取り残されて
いて、企業の管理職や役員クラスにはその世代の男性が多いので、
このメガ・トレンドを理解できてない企業もまだまだ多い。
従来の企業活動、すなわちマーケティングとは、基本的に
“個人の欲望” をいかに刺激するかがテーマだった。
美味しいモノが食べたい、いいクルマに乗りたい、大きなテレビ
が欲しい、カッコいいスーツが着たい――。
そういった欲望を刺激し、肥大させ、消費を拡大させる。
時代が変わろうが、新しい理論が出てこようが、基本的な
ベクトルはこれまでかわらなかった。
しかし、今度の 『ソーシャル消費』 は違う。
個人の欲望より“他人の幸福”のために商品を購入する
という、従来のマーケティングの常識からすれば180度真逆の、
「コペルニクス的大転換トレンド」なのである。
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      なんて素敵なんでしょ!
20年経ったからわかる、この感覚。
ラクダより劣ると云われてムッとしていたころが懐かしい。
企業の管理職や役員から、「もっと売れ」「もっと働いて稼げ」
と言われる若者たちが、恐竜時代のような頭を持つ会社に
だれが貢献したいと思うかと。
極めつけが、天下の日経の“墓穴掘り”。
数ヶ月前の『日経ビジネス』の特集が、これ。
 
 「物欲消滅―買わない消費者はこう攻めよ」 (5月号)
  http://business.nikkeibp.co.jp/nbs/back/20090525.html
  
・・・いっきに冷めますわ
思いっきりトレンドはずしていませんか?
もう、十分なんですよ。物は。
不必要になった価値観を押し付けるようなビジネス戦略は、
そろそろ終わりにしませんか・・・
次のステップへと、早くビジネス界が追いつくことを祈りつつ、
針の穴に通る練習でもしようかなと。

初出荷

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ギビング・ハンズ・ファーム 【 野菜Box for Two
       今週末 発送します!

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今春の5月、若者代表選手のひとりが、田植えマシーン
を小気味よく操る姿を送ってくれた。
背景には、2月に噴火したばかりの活火山である浅間山
を臨む、長野県農村部。
このお米の収穫は秋だが、夏野菜が収穫され始めた。
7月下旬の冷夏や長雨と闘いながらも、なんとか出荷まで
こぎ着けた。
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今の若者の農業スタイルは、とてもお洒落である。ひと昔前の
「キツイ、キタナイ、農薬ダラケ」など、微塵も感じさせない。
日本の自給率アップに少しでも貢献できるよう、また農家を継ぐ
若者不足に少子化が拍車をかけるのを補えるよう、GHFの役割り
を果たしていくことが当面のビックピクチャーである。
そのための皆様からの温かいご支援、お待ち申し上げます。
http://giving-hands.jp/farm/index.html
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      しっかりと 『苗』 から自作している
  

本質をなぜ言わない?

「ティー・トゥリー・オイルを持参し、免疫機能を強く保つこと。
     あと、たくさんのビタミンCも、ね」
Yes, I think swine flu is now everywhere.
Please use Tea Tree oil when travelling.
And keep your immune system strong.
Lots of Vit. C also.
Keep well

9月10日からの渡印前、インド国内は豚インフルエンザによる
死者が2週間で20人以上にのぼっているという情報を得たので、
インドの友人に様子を聞いてみた。
返ってきた答えは、「来ないほうがいいよ」とか、
「ワクチンを打って来たら」という
 “その場しのぎ” ではなかった
ますは、殺菌、消毒作用に優れた特性がありアボリジニの
万能薬として、傷の殺菌消毒や感染症予防に利用されている
精油【ティー・トゥリー】をはじめ、自己の治癒力に委ねるための
免疫力の強化だと。
    まったくもって、うなずけるアドバイスだ。
なぜ、日本の厚生労働省は、新型インフルエンザに限らず
さまざまな疫病予防に自己治癒力を高めるという最強の
予防法を、声を大にして叫ばないかと不思議でならない。
「うがい、手洗い、マスク」は二次的予防であって、ましてや
『タミフルの大量確保』 など問題外。
「まずは 免疫力強化だろうが~」
と、ついTVに向かって叫びたくなる。
インドでの死亡例は、貧しく治療を受けられない人びとが犠牲に
なっていると思いきや、医者や看護師、エリートサラリーマンら
なのだと聞く。
    とうとうパンデミック(世界流行)到来か・・・
日本でも秋、冬にかけてさらに強力なインフル再来、かと懸念
されるが、まず間違いなく必要なのは、身体予防もさることながら
心の免疫強化だと思える。