時を越えて

「CNNではよく、インドの貧しい子どもたちが話題にされていますよ」
と、わたしがインド・ネパールの支援をしていることを知っている、
CNN放送が記事になった英語読本を愛用されている方から
ある記事を見せてもらった。
その内容を読み進めていくと、どこかで聞いたことのある内容だった。
ニュースの大意
近年、経済成長が著しいインドでは、世界で最もストリートチルドレン
が多いとされる国でもあります。彼らは路上に寝泊りし、ゴミの収集など
で得たわずかばかりのお金で生活しています。
そんなインドの子どもたちを引き取り、温かい家庭と教育を施している
米国の女子大生がいます。
大学1年生のときに活動を始めた彼女は、今では9人の子どもの保護者
となっています。さらに彼女の活動に感動したクラスメートも、彼女を支援
しています。無償の愛は、人から人へと広がっていくもののようです。

この記事にある彼女の名前を読んだ瞬間、
あ~ わたしが4年前のスマトラ沖地震からチャリティ活動をするきっかけと
なったときに知った、あの大学生だ、とわかった。
当時も新聞で大きく取りだたされ、米国の大学生だけでNGOを立ち上げ
チャリティ活動を試行錯誤で始めた、と話題になっていたのを思い出した。
彼らの行動に一触即発され、わたしにも何かできないものかと行動開始
したのであった。その彼女が今年、大学を卒業したとのこと。
彼女がこの活動をするきっかけになったのは、高校生のときのインド留学
だったという。路上に、まだ幼い子どもたちが物乞いという姿で普通に
存在するインドの現実を見て、帰国後にとにかく行動を起してみたそうだ。
そんな『思い』は多くの人の心にもある。しかし、それを彼女のように
形に変えられるまでには多くの『時』を要し、そしてその思いが
いつしか風化していってしまうもの・・・
そうならないためにも、目の前にやってきたものは、何かのメッセージだと
認識し、“思い”から“行動”に移したいものである。
今回こうしてわたしの目の前に、同じ人物の記事が二度にわたって飛び
込んできたのには、きっと意味があるに違いないと、時を越えて新ためて
この活動の意義を再認識してみようと思う。