マインドセット Mindset

「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(心のもち方、
思考の型)のままで、その問題を解決することはできない」

                      by アインシュタイン
例えば環境破壊という問題を引き起こしてしまったマインドセット
をそのままにして、ごみの分別やバイオ燃料だと言っている。
しかし、解決策であるはずの分別やバイオ燃料も、次々に
新しい問題を引き起こしているのが現状である。
では、どうしたらいいのか?
マインドセットそのものを変えるしかない。
小手先の手段ではなく、問題そのものを作り出している
【価値基準】を転換させるしかないのである。
それは個人の問題も、しかり。
もし、同じ問題をいつも繰り返していると感じたなら、
次に行く前に、自己のマイドセットをリセットする必要が
あるのではないだろうか?
2008年も本日で終了する。明日からの新年を皮切りに、
マインドセットを切り替えて、あらたなステップを歩み
たいものである。
本年は、ギビング・ハンズをご支援くださり、
誠にありがとうございました。

よいお年をお迎えください。

ハンク氏 出版プロジェクト 報告

ASVのユニークなカウンセリング療法を支えるメソッドが、
着々と秘書のサポートのもとに進められている。
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                 原稿
ここ数年、定員25名のセンターが、12月訪問時には35名
となっており、4人部屋には6個のベッドが設置されていた。
まだまだ入寮予定者が、順番待ちで待機しているとのこと。
ここインドでも、日本同様メンタルケアーを必要とする人たち
が増え続けている。
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             ハンク氏とGHインディアのスタッフ
30年日本に住んでいたアメリカ人が、国に帰って一番驚いたことは
国民の4人にひとり(25%)が、何らかの精神疾患を抱えていると
いう事実だったと聞く。
今後GHでは、このカウンセリング・メソッドを活かしながら、
日本においては農業プロジェクトに着手しようと計画している。
来年早々にも、プロジェクトのご案内ができるよう鼓舞しながら、
今年の終わりを迎えようと思う。

観念という枠組み その2

いままで、年に何回も海外に出かけていくわたしを尻目に、
海外渡航の経験がない姉からは、「たまには、わたしもどこか
へ連れてってくれ~」と、いつも訴えられていた。
「インドになら、いつでも連れて行ってあげるけど」
と言うのだが、わたしからいろんなインドの凄さ・大変さを
聞かされているがゆえに、“初海外”に、なにが起こるかわから
ないインドなんて遠慮しときますわ、という態度だった。
だが結果は、【初】がインドになってしまったので、息子に
生命保険証書の保管場所を伝えるなど、覚悟の渡印に
腹をくくったようだった。
・わかっているだろうが、毎日毎食【カレー】であること
・南インドのカレーは、めっちゃめちゃ辛いこと
・北インドの都会と違い、トイレ事情は、度肝を抜かれるほど悪いこと
・必ずといっていいほど、お腹を下すこと
・ホテルでは、シャワーのお湯は出たり出なかったりすること
・車は超ハイテク運転なので、落ち着いてなんて乗ってられないこと
・生水は決して口にしないこと

などを、行く前にとくとくと伝えた。また、わたしと一緒だと
超ハードスケジュールになるので、途中で休んだほうがいい
ことも付け加えた。
しかして、実際はどうだったか・・・
わたしが2~3年かけてようやく慣れた激辛カレー味を、ナンの苦もなく
【おいしい】と舌鼓し、寺院でいただく聖水(といえども生水)なども、
普通は飲んだフリして手や頭に振りかけるのだが、それをも平気で
飲んでしまうほど、インド流に溶け込んでいた。
きっといつか【腹下し】の洗礼を受けるだろうと、ハラハラしながら、
見ていると、ある朝、げっそりした青白い顔で起きてきた。
やっぱり・・・と思いきや、その原因はカレーでも生水でもなく、
なんと【チャイ(ミルクティ)】に入っているミルクのようだった。
日本ではコーヒーや紅茶の類いはめったに摂らない彼女だが、
ここインドでは、どこに行ってもおもてなしには【チャイ】が出てくる。
はじめは無理しながら飲んでいたようだったが、この洗礼からは一切
摂ろうとはしなくなった。お陰でその後の【洗礼】は治まったようである。
逆にわたしが、一日何杯もチャイを飲んでいると、「カラダに悪い、
砂糖摂りすぎ、また飲むのか~」などと、小うるさく注意される
ハメになってしまった。
実際問題、インド人のトップ病因は【糖尿病】である。これだけ大量に
甘いお茶を、暇さえあれば飲んでいるのだから、当然といえば当然である。
さすが最終日ごろには、【浄化】の熱でうなっていたが、上記のような
トイレやホテル事情は心配するほどでもなく、まったく予想だにして
いなかった【チャイ】だけが、衝撃だったというわけだ。
結果、休む暇なくわたしと同レベルの日程をこなしながらも、なには
ともあれ、生命保険を使わず帰ってこれたことで、【インド恐るべし】
という観念は、崩壊したことであろう。
人はあらかじめ情報をインプット(予言みたいに)しておくことで、
ある程度の心構えができるから、それほどの衝撃はないのだな、
ということが、今回の彼女の同行で確認することができた。
未知なる世界、未知なる未来、未知なる人物を予測することの賢さを
身につけることで、これからせまり来る大変革の時代をも、優雅に乗り
切りたいものである。

観念という枠組み その1

「マダム、子どもがあなたに食事をあげたいんだって~」
外に並ぶ子どもたちにチャパティを給仕していたら、
インド人ガイドから、食堂に入るように促された。
なんのことか理解できないまま、ひとりの女の子の
もとに連れて行かれた。
するとその子は、自分のバナナの葉っぱ(南インドでは
お皿がわり)に施された食事をきれいに手で混ぜ、その手
でわたしの口に直接入れて食べさせたいというのだ!
「え? そんな・・・」
と、戸惑う暇もなく、今までにない初体験に硬直し、
なされるままに口を開けたのだった。その瞬間、150人
の子どもたちからいっせいに、歓迎の拍手がおこった。
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日本の皆様からあずかった中古衣類や文具を持参し、
南インドの孤児院に渡しに行ったとき、フリーミール
(食事の提供)も同時に行なった。
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普段は「ごはんとカレー」くらいしか食していない子どもたちは、
チャパティやイッドゥリーという、めったに食べられないものを
目の前にして、こんな小さな身体のどこに入るのかと思うくらい、
たっくさんお替りをしていた。
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学校や孤児院でのフリーミールは、渡印時に毎回行なう
ので、『食事をあげたい』といわれたとき、いつものように
バナナの葉っぱに子どもたちと同じ食事が給仕され、
一緒にいただくのかと思っていた。
それが、直接口に入れられるとは・・・
南インドでは誰しも、右手がスプーンやお箸の代わりを
なし、上手に食事をする。
こんなにインドに通っていながら、手づかみで食事をすること
にまったく慣れないわたしは、いつも【マイ・スプーン】を持参し、
どこで食事をするときにも困らないようにしている。
つまり、【自分】の手で直接食物を触るのにも抵抗がある
のに、【他人】の手で、しかも、その子が途中まで食した
ものをいただくことになるなんてと、一瞬動揺したのである。
しかし、同じように提供された姉は、平気でその子からの
食事を口にしていた。
わたしと違って、子ども二人と孫を育てている経験がある
からなのか、インドの習慣に随分馴染んでいた。
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つづく・・・

インドラ神の迷いごと その2

「ヴェーダの聖典には、精神性を高めるためのさまざまな教えがある」
と、ガイドが得意の講義体勢で話してくれた。
1:Bramacharya(ブランマチャリヤ)
これはGuru kula vasa といって、子ども時代に親元から離れて
グル(霊性の先生)の下に送られ、ヴェーダ(聖典)を習得する段階。
いわゆるチベット僧が3歳くらいでゴンパ(僧院)に送られて出家修行
を行なうのと同じである。

2:Grahastha(グラハスタ)
ブランマチャリヤでヴェーダを習得した者は、いったん親元に帰される。
そして結婚して夫婦生活をし、子どもを育て上げていく過程である。

3:Vanaprastha(ワナプラスタ)
グラハスタにおいて子どもが成長し結婚したあとは、妻を伴なって
森に入り瞑想をすること。

4:Sanyasa(サンヤーサ)
最後の仕上げとして、ひとりで洞窟に入り瞑想していく過程のこと。
このようにヴェーダ聖典では、修行の段階が謳われている。
これでカチャナム寺院での話は、ちょうどワナプラスタのときの
妻を伴なった聖者だということがわかった。
チベット僧や、スリランカ・タイの僧(上座部)は、基本的に妻帯
しない(過去において妻帯していた聖者もいるが)ので、どうしても
インドの僧侶は、なぜ結婚しているのかという疑問が生じてしまう。
チベット、タイなどはカースト制がないので、誰でも出家し僧侶に
なれるが、インドではブラーミン(僧侶)になるにはブラーミン家
に生まれた者しかなれない。
すると、必然的に僧侶が僧侶をつくり出すしかないので、グラハスタ
を通過するようになっているのだと。
インドのカースト制度は、【差別的】という観点から賛否両論はあるが、
カルマ・ヨーガという考え方からみると、「与えられたことを淡々とこなす」
ところに精神的成長があるのだと捉え、意味深い。
つまり、何ごとにおいても不満を抱かず、その仕事を全うすること
に意義があるというわけだ。
チャリティ活動をしていると、まだ根強く残っているこのカースト制度
にぶち当たることが少なくない。貧困と低カースト層との関係は、
どうしても切っても切り離せないからである。
カースト制度が物質的な段階を示すとするなら、この精神性の4つの
段階は、修行者としての【精神的な段階】なのであろうか。

インドラ神の迷いごと  その1

Kachanam (カチャナム)という南インドの寺院を訪れた。
ここは、過去世で積んでしまった【悪業】の浄化に、
もっとも適した寺院だと聞く。
壁画には、寺院にまるわる物語が描かれていた。
インドラ神(帝釈天)がある日、森を見渡していると、
洞窟で瞑想をしている聖者を見かけた。すると、その聖者
の連れである奥さんがたいへん美しく、まだ若干の煩悩を
有していたインドラ神は、その奥さんがたまらなく欲しく
なってしまった。
そこで神であるインドラは、神力を使ってカラスと化し、
夜中に洞窟の外でわざと鳴いてみた。
その鳴き声を聞いた聖者は、いつもの朝がやってきたと
勘違いし、洞窟の外に出たのだった。
すると、どうもまわりの様子がおかしいことに気づいた。
草木は眠った状態で、湖も穏やかである。
そこで聖者は、湖畔にて瞑想することにした。
この瞑想により、一連の出来事がすべてインドラ神の仕業
だと判明したので、急いで洞窟へ引き返した。
夫である聖者が戻ってきたことを察したインドラ神は、
次は猫に化けて、あわてて洞窟から逃げ去った。
しかし、この悪業によりインドラ神は、未来永劫にわたり、
周囲から嫉妬・誹謗・中傷・裏切りに遭うカルマを
背負うことになると、聖者から予言されてしまった。
それを知ったインドラ神は、ハタと目が覚め改心し、
この悪業を取り除くため、3ヶ月間に渡りシヴァ神に
プージャ(儀式)を施し、懇願し続けた。
プージャ終了後インドラ神は、砂で造った【シヴァ・リンガ】
を手のひらで押して壊そうとしたが、いっこうに崩れなかった。
なぜなら、今後インドラ神のように【無智】な行為による
悪業をなした者の救済手段として、このリンガを残すこと
にしたという、シヴァ神の慈悲が働いたからである。

実際、ここの寺院のシヴァ・リンガには、手のひらの型が
残っていた。
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この物語を聞いていて、
「ん~ なぜ聖者なのに【妻】を伴なって洞窟で瞑想=修行
などしていたのか?」
という疑問がわいた。なぜなら、一般的に聖者とは、森で
ひとりになって修行をする、というイメージだったから。
「いい質問だ! それは、精神性を高めるには段階があるんだよ」
と、ガイドが聖なる4つの精神性の段階を説明してくれた。
つづく・・・

たかが【弁当】、されど【弁当】

「ちゃんと列をつくって並んでぇ~!!」
張り裂けんばかりの声で叫びながら、怒涛のごとく押し寄せてくる
人だかりと対峙しながら、どうしたらいいか途方に暮れてしまった。
聖なる山の巡礼時に、200人分のお弁当を無償で人々に配る
計画があった。
この場所ではよく、サドゥー(修行者)やストリート・チルドレンに
フリーミール(無料の食事)を行なっているのだが、今回は特別
の祭典日。30万人のなかで執り行うのは初めてである。
まず、この時期の宿と食事代は、いつもの10倍を要求される。
その高需要のなかで、200食分のお弁当つくりを快諾してくれる
食堂をさがす作業から始まった。
ようやく見つかった食堂に朝一で、ガイドをはじめとするタクシー
ドライバー、ガイドの知人家族総出で駆けつけ、お弁当づくりに勤しんだ。
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出来上がったお弁当を入れたダンボール箱を、人々が巡礼している場
に運び込んだ。と、その途端、複数の手がその箱の中に集まってきた。
こちらがまだ配ろうとする体勢前に、お弁当を両手で数個奪っていく
子どもまでがいた。
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唖然としている暇もなく、しかし上記のごとく叫んでみてもいっこうに
状況は変わらない。そもそも英語が理解できないのかもしれないが、
それにしても、わたしが全身全霊で髪を振り乱しながら叫んでいる
様子から、なにを言わんとしているかは理解できたはず。
ただ、誰ひとりとして手を引っ込める者などいないどころか、
ほっとけば将棋だおしのように、お弁当めざしてダンボール箱
に畳み込んでくるのだった。
頼りのガイドといえば、路上に置いたダンボール箱からお弁当を
守るために、箱に覆いかぶさっているだけで、この一大事になんの
誘導もしてくれない。
場所を移したところで、そのまま群集が一緒に移動してくるだけで、
埒があかない。もうここでの施しはムリだと判断し、タクシー乗り場
まで戻り、フリーミールの場所を変えることにした。
すると、タクシーのそばにちょうど警察官が立っていたので、人々
の誘導を依頼してみた。
乗り場まで移動してもずっとついてきた、ほぼ暴徒と化した群衆も、
さすが警官の前ではおとなしく列を作って順番に並んでくれた。
こうして、ようやく喉は涸れ汗まみれになりながらも、アッという間
に200食分を配り終えることができた。
ムンバイ・テロがあったことで、インドのあちらこちらに警官が配置
されている。皮肉にもそのおかげで、【フリーミール・テロ】の防御
をも果たしてくれたということになる。
それにしても、こちらの善意に対するこのような【テロ】まがいの行為に
悲しくなり、お弁当を強奪していった子どもを追いかけ、返してもらった。
「欲しい場合はちゃんと正規の手続きをとるように」と伝えようと思ったが、
彼らにしてみたら、そんな悠長なことをしていたら、ありつけるものにも
ありつけなくなることを、きっと嫌というほど経験しているに違いない。
ひと息ついたところでガイドに、このような状況を想定したうえでの場所
選びができなかったものかと問い詰めた。すると
「まさか、こんな状況になるとは思いもしなかったよ~」
との返事。同じインド人でさえ想像もつかないほどの激しい貪欲さに
【たかが弁当、されど弁当】の重みがひしひしと伝わってきた。
日本でも最近、生活保護が受けられずに餓死した50代の男性の
最後に発した言葉が
「 【おにぎり】 食いたい」
だったと聞く。
インドで起こっている貧困=飢餓は、なにも遠い国の
出来事ではないのだと、今回のお弁当騒ぎで痛感させられた。
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助ける人生、苦しみナシ

Help ever Hurt never 
インドにある聖者のアシュラムで【セヴァ(お手伝い)募集】の
貼り紙にあった言葉である。
これは、He who hurts another hurts himself.
《諺》他人を傷つける者は自分を傷つける。/人を呪わば穴二つ。
と同じこと。
また【セヴァ】とは、「愛は行動から」という前提のお手伝い
である。思いを【形】に表すまでには、とかく多くの期間が
要されるものである。
なんでもいい、出来ることから行動することの大切さを、
この貼り紙で、再認識させられた。

満月の贈り物

10日、木星が天の夜空を動いたあとインド入りした。
12日の満月(日本では13日)に向け、ある聖なる山
に赴いた。
今年12月の満月は、特にパワフルなのだと聞く。
【満月】とは、言わずもがな、ちょうど太陽と月が
真反対の位置にあること。
【心】をあらわす “お月様” が100%露わになる。
生き物である人の心も連動して【解放】される。
満月の夜は、犯罪・事故・事件が多いというのは、
警察、病院関係者間では昔からの常識となっている。
今月は満月の3時間ほど前、火星と月が真反対
に対峙している。
火星と土星の同居による激しさは、半年ほど前に経験した。
満月+火星の【解放】は、さまざまな影響を心に
もたらしているようである。
それも木星のトランジット(移動)直後であるから、テーマが
変わったと同時に【心】の変化(カルマの解放)も起こる。
この動きをあらかじめ把握しておかないと、その変化に
動揺してしまう人も少なくないであろう。
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この特別な満月の夜を祝おうと、南インドの聖なる山の
頂上に、灯明が燈るというイベントに参加してみた。
30万人の人出のなか、超満員電車状態で聖地を巡礼した。
すると、わたしのウエストポーチに複数の手が忍びより、
瞬く間にジッパーを開けられ、財布が消えてなくなった!!
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これに気づいたガイドが、とっさにジッパーの上に
手を覆い、それ以上の被害を防いでくれた。
まさか身体の前に着けているバックのジッパーを開けられるなんて
思いもしなかった。しかも、一緒に同行していた姉のバックも
同時に開けられていた(姉の被害は孫に買った“おもちゃ”)。
インドで、なにも起こらないことは稀である。
土砂崩れで行く手を3日阻まれたり、目の前でテロが起こり
8人の死者現場にいたこともある。極めつけはスマトラ沖地震
の津波被害の真っ最中、現場にいたこと。挙げはじめたらキリがない。
しかし、どれも直接の被害に遭ったことはなかった。
だから、どちらかというと “人ごと” のようだった。
11月のムンバイ同時多発テロ直後の渡印だったためか、
行く前に、身の安全の心配を多々された。
被害は、幸い小銭しか入っていないお財布だった。
大金もなくカード類が入っているわけではなかった。
ただ、これによりインドに通いはじめた頃の初心にかえり
身と持ち物の安全に、さらなる注意を払うことにした。
まして、【初】海外渡航がインドという、それも単純な旅行
ではなく、わたしの激しい仕事の付き合いという状況に姉を
同行させている。より注意が必要だとの戒めだろうと。
ホテルにもどったら、別の場所(やはり寺院)でわたしと同じく
お財布を盗まれた方の話題で盛り上がっていた。
気の毒だったがその方は、カードをはじめとする
相当な貴重品が入っていたのだと。
まさに、満月の解放と火星の衝動的な激しさによる
影響がもろに出ているように思われた。
これを【被害】とみるか、天からの【贈り物】と捉えるかは、
当人次第であろう。
「なぜ、寺院という聖なる場所で巡礼(お清め)しているのに、
そんな行為(悪業)で自らを汚すのかね?」

と、インド事情に明るくない姉が、不思議そうに尋ねた。
答えは言わずもがな。
 【貧困】 だから。
生存の欲求に打ち勝てるものなど、ない。
秋からの経済的ダメージによるさらなる格差が、
ここインドでも広がっている。
それは日本にいるわれれにも言えること。
激しい動きのなかで、自身の小さな選択が、未来を大きく
変える時代になっていることを、肝に銘じておきたい。
賢い選択をするためには、【過去のこだわりを放棄】すること
かもしれない。

流れのままに

インド出発前、現地に依頼していた仕事がいっこうに
出来上がってこないので、何度も催促してみた。
すると、激しいサイクロンの水害で、4日間も停電が
続き、PC作業が滞っていたとのコメントだった。
実際、インドに来て見てみると、田畑がまるで湖のようになり
水害によるダメージの激しさが伺えた。
「この地域は、5日前には首まで水に浸かっていて、ボート
で救助作業をしていたのだよ」
という場所を車で通ってみた。しかし、家はそのまま、見た目
はいっこうに通常通りである。
なぜか。
それは、水に抵抗せず、家のドアというドアをすべて開け放し、
水の流れるままに受け入れたのだと。
もちろん家具やその他の備品は失ったが、元々【土間】のような
コンクリート敷きの床なので、水を掃き出せば住む家は残ると。
ここにも、状況を【受け入れ】、小極には【こだわらない】
精神が生きている。
これが、これからの時代の、生き方のヒントではないだろうか。