ラテンを学ぶ  その4 会話とは

わたしたちがもし、カタコトの日本語で
話しかけてきた外国の方と会話をするとき
外国人がわかるであろう単語を
探りながらゆっくり話す。
通じないとわかったら別の表現方法を使う。
次第に相手の発する単語や文法のレベルが
わかり、こちらの使う表現法が限定されていく。
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わたしのスペイン語のマエストラ(先生)も
同様に、クラスで教えた単語や用法を
駆使しながら、わたしとの会話を進めていく。
そのときのマエストラの
一つひとつ単語を選びながら、ゆくりと
わたしの顔色を見ながらの会話は、
まるでカタコトしか
話せない外国人のように映る。
わたしと同調しながら。
休憩。
マエストラは生徒から解放され
同僚との話にはずむ。
当然ながら、カタコト会話ではなく
機関銃会話だ。
マエストラが
まったく別人に見える。
異国の地で、そこの言語での会話が
ほんの少しでも通じると、
心まで通った気がしてなんだか嬉しくなる
ここでのそれは、先生がこちらに
合わせる会話学校にいるからにすぎない。
それを
休み時間になると痛切に感じる。
クラス開始。
また幼稚園児並みの会話スタート。
文法を学んでいるときは、解説を聞けばいいだけだが
会話時には「話題」というものがある。
使える単語やフレーズが限られているなか
話題は無難なところで、異文化の代表選手
ともいえる「食べもの」が多くなる。
「今日の朝食はなにを食べた?
            昨日の夕食は?」
「日本の季節は今はどう? 
    休みの日はなにをやっている?」
そんなところ。
はじめは真面目に
マエストラの質問に答えていた。
しかし、日本で普段こんな話題をする
習慣のないわたし。
まして食べものに興味ないので、
朝に食したモノさえ忘れる。
    つ・ま・ら・な・い
そこで作戦変更。
最初に
わたしから話題を発することにした。
   ・グアテマラの労働事情
   ・子どもの識字率、就学率
   ・宗教観と
    それにともなうジェネレーションギャップ
   ・女性の社会的立場
   ・政治・経済・福祉事情
   ・健康について
   ・マヤ文明と現地人の認識

わたしにとってこのうえなく
興味深い話題なので、話がはずむ。
ただし、
今度は言語レベルがついていけない。
が、話を先に進めたいゆえ、いちいち
辞書を引いているのがもどかしい。
で、わたしから発する
言葉が英語+スペイン語のチャンポンとなる。
都度、マエストラに
「エスパニョール!」
と指摘されながらもお構いなし。
そして
こちらから興味深い話をマエストラにすると
先生がわたしに質問をしてくる。
すると、今度はマエストラの言葉に
英単語が混ざるようになる!
ヒトは興味ある情報には
どんな手段を使ってでも手に入れたい習性がある

これが言語を学ぶうえで
一番大切なことだと思われる。
『その国の言葉を覚えるには、
    その言語を話す恋人を持つことだ』

とよく言われる。
「意思疎通」のため、なんとしてでも
会話を推し進める必要があるから。
だから、わたしには興味のない、しかし無難な
食べもの会話を延々としていても「伝えよう」
という気にならないのである。
また、いくら何カ国かの言語を習得しようと
「言葉」はあくまでも「道具」だ。
その手段を使って
「なにを伝えるか」が本質である。
『国家の品格』という本のなかで
著者の藤原氏は
「中味のない英会話をするだけのペラオは、
日本の知的水準が問われるので黙っておれ」
的なことを述べている。

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ともあれ
これで何とか愉しくなってきそうだ。
残り少ない貴重なクラス
有意義に過ごさねば。
                 つづく・・・

ラテンを学ぶ  その3 ベジタリアンって?

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朝 8 時から授業開始。
午前は4 時間(30分休憩)。
昼の12 時に午前の部を終え、
いったんステイ先に戻って昼食。
ラテンの国では、昼食がメインディッシュ。
99 % がノンベジ(菜食ではない)の国。
昨年のグアテマラでの昼食は毎日レストラン。
すでにツアー内容に昼食は組み込まれていた。
毎回のメニューが「肉食」。
さすがにまいってしまい「菜食」をリクエストした。
すると今度は脂ギトギトの野菜炒めが・・・
   あぁ
そんな体験を踏まえて、今回のステイ先では
あらかじめ「菜食で」とお願いしておいた。
これだけで伝わると思った。
しかして朝、おばさんから
いちいち食材を見せられ
「これは食べられるか? じゃ、これは?」
と、聞かれる。
言葉は通じずとも、モノを見れば
肉かどうかわかる。
と思った。
が、文化が異なる。
習慣が変われば食するものも異なる。
得たいの知れない「黒い塊」を見せられる。
説明を受けるが「チンプンカンプン」。
突如、昨年食した赤豆からできている
frijoles(フリホーレス)だと判明。
  シー シー(yes)
とだけ伝え、次なる食材へ。
これで納得、メニュー決まりと
言わんばかりにうなずくおばさん。
そもそも、ベジタリアンという概念がない。
チキン料理がメインの国で、
肉食NGというリクエストは、
なにを作ったらいいのか困るのだろう。
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午後14 時から 2 時間の授業を受ける。
トータル6 時間/日のクラスを
20 時間の空の旅 翌日に
睡眠 3 時間足らずで受けたので、
さすがに疲れる。
クラスにいる他の生徒たちに聞くと
6 時間クラスを毎日受ける人は
わたしひとりだけだった。
たいていは午前4 時間か、午後の2 時間だけ。
確かにランチのあとの授業は眠い。
しかしながらインドでは、
占星術クラスを朝10時~夜6時
休日なしで2週間連続で受けるモノにとって
土日お休みのクラスで日に 6 時間など
楽勝に思えた。
しかして、ある程度の知識ある分野の
応用編クラスを受けるのと、
まったく未知なる分野の学問を一から
学ぶのとでは、脳細胞の緊張度が異なる。
赤ちゃんが言語を学ぶのと同じで
全身全霊での集中力を要する。
少しでも気を逸らそうものなら
たちまち意味がわからなくなる。
第1日目がようやく終わった。
帰るなり バタンキュウ。
夜7時、食事の合図で目が覚める。
夜食は軽めの食習慣でよかった。
         つづく・・・

ラテンを学ぶ  その2 意思疎通は五感すべてで

夜中0時。
あらかじめ予約してあった
ホームステイ先に到着。
ひとり暮らしのおばあさん宅と聞く。
こんな遅い時間に申し訳ない。
ドライバーが呼び鈴を鳴らす。
なかなか出てこない。
寝てしまったのか?
メキシコをはじめとする中米都市の住宅は
外側を堅牢な壁と、厳かなドアで覆われ、
家の中の様子が伺えない。
しばらくしてドアが開く。
対応する女性は、背筋がピシッと伸び
膝までのタイトスカートにハイヒールを履いている
確かに若くはないが、老婆を想定していた。
まさかこの方が主であるはずはないだろう。
きっと、メイドさんか誰かだと。
ひとしきり、ドライバーと女性は
私にまったく理解できぬスペイン語で
話しを交わしたあと、ドライバーが去った。
2人きりになる。
その日から居候の身となる私に、その女性は
住まいの使い方を隅から隅まで案内する。
すべてスペイン語。
「アキ○○、アキ○●、アキ●●」
  ※ aqui = here (ここは)
なにを言っているかまるで理解不能。
雰囲気だけでうなずく私。
3部屋しかないすべての部屋を案内され
最後に、私の使う部屋のとなりが
その女性の部屋だとわかる。
残りの部屋は空いている。
ということは、この凛と澄ました女性が
ここの主、ということか!
家の中で、しかも夜中に
短いタイトスカートか・・・
いやはや元気である。
おばあさんなどと呼んだら失礼だ。
(言語がわからないので呼びようもないが・・・)
そう。
この家で一週間過ごしながら
歩いて行けるスペイン語学校に通うのが目的
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Gracias(ありがとう)しか
発したことのない言語を
いまさら 一から学ぶために。
こちらがまったくスペイン語を話せないどころか、
理解すらできていないと、5分の会話でわかること。
しかしてこのおばさん
まったくお構いなしに、
機関銃のように話してくる。
英語はいっさい通じない。
しかも一対一。
この先、どうなることやら・・・
     
           つづく

ラテンを学ぶ  その1

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いま
古都、アンティグアにいる。
グアテマラは昨年末以来の再訪。
前回は乾季だったが今回は雨季。
毎日の雨は覚悟していたが
まさかこうも寒いとは思わなかった。
朝晩は摂氏20℃以下になる。
毎日ダウンジャケットを着る生活。
8月初旬。暑いインドの旅を終え、
中旬。3日間ほどこれまた珍しく
暑い長野県で仕事をかたずけ
ほとんど準備らしい準備もせぬまま
機上のヒトとなって13 時間。
機中、爆睡。
気がついたら
お気に入りキャリア
アエロメヒコでメキシコに到着。
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時間は完全に昼夜逆転。
眠気と闘いながら
グアテマラ・シティ行きフライトを
待つこと6時間。
シティ空港に着いたのは
夜の23時。
わたしのネームカードを掲げた
ドライバーを無事見つける。
小一時間のぼり、標高1500mの
高地、アンティグアのホームステイ先に向かう。
初のホームステイ。
果たして、何しに来たというのか?
          つづく・・・

天の仕事を一緒に

新しい支援施設を案内してくれるという
インドの知人に連れられ、2つの学校を視察。
ひとつは幼稚園、もうひとつは
幼・小・中学校が一緒になった学校。
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案内人の知人はインドで、日本とインドをつなぐ
マーケティング会社を経営する社長さん。
仕事の合い間に案内を買って出てくれた。
前回の渡印時に初めて会った真摯な男性。
わたしが「再生のバルド」本の著者、
マイナヴァティに会いに行くときに
自家用車で送ってくださった。
その道中。
上り坂に差し掛かる。
前が渋滞。
坂のちょっと下ったあたりで一時停止。
   と・・・ ガチャン
・・・後ろから来た車に追突される。
両の運転手が外に出て自身の車体を確認。
どうみても後ろから来た車の前方不注意。
しかして相手の車は新車同様。
「どうしてくれるんだぁ 俺の車!」
と、道理の分からぬ言葉を並べ立て
ひたすらわめき散らしている。
被害者であるこちらの運転手は
5分もしないで車に戻り走り出す。
    どうしたんですか!
    警察、呼ばなくていいのか?
彼の回答
「動物のような人物と
     話しても意味がないから」
    ・・・え!
    じゃあ ぶつけられた箇所は?
「ちゃんと修理に出すよ」
    ・・・
わたしの所用で出かけた際のアクシデント。
なんだか申し訳ない。
彼との別れ際に修理代含め
タクシー代として現金を渡す。
しかし
「要・ら・な・い」
いっさい受け取ってくれない。
まるで日本人同士の食事のあと見かける
食事代をどっちが払う払わないのやり取りのよう。
今回は
彼の「好意」を受け取ることに。
帰国後、彼にお礼のメールをした。
  このアクシデントは、きっとこれから
  お互い天の仕事をしていくという
  『前兆』だと捉えられませんか?

「ボクもそう思うよ。
   すべては必然だからね

道理がわかる人でよかった。
ということで、天の仕事のはじまりとして
彼が紹介してくれた施設
Chinmaya Mission Trust
まずは幼稚園。
ちっちゃな子どもたちが待っていた。
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続いて私立学校。
独立記念日に向けての準備をしていた。
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ここに
日本のスポンサー手作りのバックを寄付。
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もっとも必要な子どもに渡してくださいと
校長先生に委ねた。
すぐそばにあるアシュラム。
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巨大なガネーシャが迎える。
ここを13周、右回りすると、願い事が叶うと。
さっそく支援者と一緒に、
ギビング・ハンズの発展と支援者の繁栄を祈った。