レモン塩水

6月9日出発 インド行きフライト・チケットを予約した。
日本にいると、世界情勢の情報に偏りが生じるので、
インド滞在中の友人に、豚インフルエンザに関する
インド状況を聞いてみた。
「インドでは流行ってないよ。それにそんなものは
レモン塩水でも飲んでおれば大丈夫
!!!
そんな単純なものかなぁ~ と伝えてきた友人さえ首を
傾げる言葉を放った相手は、毒を飲んでも平気だといわれる
ヒマラヤ・ヨーギー(ヨガ行者)だった。
要は、殺菌すればいいのだと?
6月のインドといえば、気温が50度近くまで上る猛暑
期間である。インフルエンザのほうが逃げていくこと
は間違いない。
報道に踊らされず、曇りのない眼(まなこ)→ 昨日
「もののけ姫」を観た
でモノゴトを判断したいものである。

地球ひろば

NGOクワトロ 共催イベント 「心のバランス」講座 無事終了
広尾駅から歩いてすぐのところに、地球の問題を考えている
「ひろば」がある。
我らみな地球人 「earthian」
この意識こそ、
マヤの諺である【イン・ラケチ】
「わたしは、もうひとりのあなた自身である」
を物語る。
心のバランスとは、自分と対極にある心の持ち方こそ、
自分自身の心の安定、バランスを整えることに他ならない。
物理的には、地球の反対側にいる人びとに目を向けることも
ひとつの方法ではないだろうか。
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講座にご参加くださった皆様方の参加費は、諸経費を除いた全額、
ギビング・ハンズのチャリティ活動に寄付いたしました。

子どもの夢

小学生の頃によく書かされる「将来の夢」。
わたしの時代はというと、パイロット、医者、警察官など、
TVドラマに出てくるような、カッコいい職業の影響が
目立ったように記憶する。
今の子どもたちがどんな目標を持っているのか、子どものいない
わたしには想像できないが、インド・ネパールの子どもたちの
目標は「世のなかの役に立つ職業」という観点から選ばれる
ように思える。
ネパール チベッタン・ラマの学校の年間報告書の翻訳が完成した。
その中の生徒の文面の一部を掲載します。
私の生涯の目標
私はグレート・コンパッション寄宿学校ポカラ校の生徒です。
私たちはみな生涯の目標を持っています。高い目標を持っている人
もいれば、素朴な目標を持っている人もいます。
私は生徒で、素朴な目標を持っています。私の目標は立派な
医者になって私の国に尽くすことです。
私は自分の目標を果たしたいですし、果たせるよう努力します。
私は学校程度を修了したら、出願して医学を勉強するつもりです。
私は経験をたくさん積んで多額のお金を集めてから、私の小さな村に
帰って、貧しく無学な村の人たちに尽くします。そのために診療所を
開いて、地元の人たちのために無料で治療するのです。
これと並んで、村を回って村の人たちに保健と衛生の大切さについて教えます。
私は村の人たちに身の回りを清潔に保ち、清潔な水を飲み、新鮮な果物を
食べるよう勧めます。私は村の人たちに予防が治療にまさることを教えます。
村の人たちが村を清潔に保てば、病気を患うことが少なくなるでしょう。
病気になる人たちは私の診療所で治療します。
私たちの村はヒマラヤ地方にあり、病院は少ない方です。ですから
病気になったら私の診療所に来て、問題があったら私が解決できるでしょう。
私は診療所では健康診断料を請求せず、ただ薬代だけもらうつもりです。
これと並んで、裕福な人々から寄付を請うてから、私の小さな診療所を
病院にするつもりです。
これが私の素朴な目標です。今後私の目標に対して何が起こるか
わかりません。しかし目標を達成するために最善を尽くすつもりです。
第6学年
テンジン・ラクパ

いつも無料で診察を受けている恩返しだとしても、動機がはっきりしていて、
将来の活動も明確。こんな子どもたちを応援できることに感謝するとともに、
何かが失われつつある日本の子どもたちの応援活動も、もっと真摯に
取り組んでいかなければと考えさせられた。

【人ごと】でない危険

アエロメヒコ 057便 成田14:55発 ティファナ経由 メキシコシティ
昨年から計画していたメキシコ行きのチケットを予約するため、
情報を整理し、翌日エージェントに問い合わせを入れようと準備
していたその夜、隣の部屋から流れるニュースに耳をそばだてた。
豚インフルエンザ メキシコ発
鳥の次は豚ですか・・・
何もよりによって、メキシコ発じゃなくてもいいのになぁ
と、はじめは俯瞰しながら、計画を中断するつもりはサラサラなく、
現地事情に、より詳しい方からの情報を集めることにした。
しかし、行く気満々のわたしの姿勢を見ていた家族からの意外な反応
があった。当然のことながら「行かない方がいいよ~」という反対意見。
わたしがインド滞在中テロが起ころうが、津波に遭おうが知らんぷり
だった者が、今回だけは違った。
この連休中、日本からインドに行った友人に渡航状況を尋ねてみた。
いつもはチケットキャンセル待ちの連休にもかかわらず、飛行機は
ガラガラでインド入国時には、インフルエンザ・チェックもされたのだと。
何が起こってもノープロブレムのインドでさえ、検査をしている
ことに、友人も思わず笑ってしまったという。
そして日に日に報道は過激になり、フェーズ5?6? だと。
これはどうやら尋常ではないようだ。
確かに津波やテロに遭って害を被るのは本人だけであるが、ウィルス
感染の巻き込み被害は、甚だ激しいものとなる。
さすがにテロには無頓着の家族も、被害幅が予測できないインフルエンザ
に関しては、どうやら 【人ごと】 ではないようだった。
わたしを筆頭に人というのは、自分にも被害が及ぶかもしれないこと
に関しては、マスクが売れ切れんばかりの真剣さなのだが、遠い国
での自然災害やテロ被害には、やはり【人ごと】に留まるという悲しい
習性があるのだと痛感した。
報道からしか伝わってこない情報では、その伝え方如何によって
拡大・縮小解釈は否めない。
6月のインド渡航の準備をしながら、今は出来るだけ客観的な情報を
集め、メキシコ行きはしばらく様子をみることにした。

【刺激】という麻薬

「毎回、もう電話してこないでって言っているのに、
              どうしてわからないのかしら・・・」
不思議がる女性と、邪険にされても懲りない男。
なぜ人は、好ましい関係が成立していないのに、その関係性を
保ち続けるのか。
それは、なんでもいいから【刺激】が必要だからだ。
このような刺激のことを、交流分析ではストロークと言う。
不安を抱えているとき、このストロークによって安定しようとする。
子どもはひとりでは不安で生きていけないから、親に支えられ
ながら成長する。子どもの不安を解決する最高のストロークは、
親からの愛や信頼、承認などである。
そのような刺激をプラスのストロークだとすると、ストロークが
得られない(愛や信頼を受けられない)場合は、マイナスでも
いいからストロークを求める。
マイナス・ストロークとは、“叱られる、罵られる、暴力” などだ。
プラスの刺激は嬉しいが、こんなマイナス刺激などできれば
避けたいものである。
しかし、無意識にこの刺激を受ける環境を作り出してしまい、
わざと親に叱られることをしたり、恋人に罵られても、別れられ
ないでいる。
なぜか。
無視されるという、なんのストローク(刺激)もない→【ディスカウント】
より、マイナスでもいいから刺激を求めて安定しようとするから。

だから、好きな女性に罵られようと、嫌いだと言われようと、
コンタクトが取れていることに満足するのである。
それらの刺激を人間関係で成立させられない場合は、他のもので
代替えしようとする。
つまり自分に不利益だとわかっていても、刺激あるもの(ジャンクな情報や
ゲーム、飲酒や薬物等)を求めて、不安を埋めようとする。
インドの多くのストリート・チルドレンは、ゴミ拾いをしながら生計を
立てているが、得た収入のほとんどはタバコやジャンクな飲食で
消えてしまうという。
たくさんのNGOが、親の保護が受けられないストリート・チルドレン
のために、避難所(住まい)を無償で提供している。
そこでは温かい食事と、雨風防げるシェルターがあるにもかかわらず
彼らはそこに一時的に寄るだけで、長くは居つかないという。
なぜなら、本来の家庭的な温もりや親の愛は得られないから、
その不安を埋めるために他の刺激物で補う必要がある。
しかし、避難所にいる間は未成年の子どもに酒・タバコは許されない。
しかたなく、外に出て行くしかないという悪循環をくり返す。
どこかでこの負のスパイラルを抜け出せないものかと、現地NGOは
試行錯誤しながら子どもたちと接している。
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ギビング・ハンズがメインで支援しているインドの施設ADF
では、毎年多くのストリート・チルドレンを引き取り、メンタルケア
をしながら子どもたちの生活をサポートしている。
われわれ日本人も、多くの刺激物(情報という)に囲まれて生きる
不安定さを抱えている。早くマイナス・ストロークからプラスのストローク
へと移行し、最終的にはナンの刺激がない中でも幸福でいられる
聖者のような境地に至りたいものである。

【権利と義務】

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この時期、支援している施設や学校から、年間報告が届きはじめた。
支援を受ける【権利】を得ると同時に、活動報告という
【義務】が発生する。
どんなものにも “権利と義務” はセットである。
どちらか一方になると、バランスが崩れる。
これは特別なことでもなく、世のなかの秩序である。
代価を払うことでサービスやモノを得る。
親に育ててもらったので、老後のケアをする。
自己主張する替わりに責任も伴なう。
国民代表の政治家という権利を得たら、民を守る義務がある。
自然からの恩恵を得たら、それを無駄にしないという無言の感謝が生じる。

この絶妙なバランスは、以前は当然のごとく成立していたのだろうが、
今は、あちこちで権利だけ主張し、義務は知らんぷりという傾向が目立ち、
何かが狂いはじめている気がする。
地震、津波、豚インフルエンザ、テロ、経済崩壊、国家破産など
狂った秩序を元にもどすための自浄作用が起こっているように思える。
ギビング・ハンズ Japan も、2008年度の活動報告と決算報告の
手続きを、ただ今進めております。
追ってHP上でご報告させていただきますので、今後ともよろしく
お願い申し上げます。