メンタル・イメージ

いまどきの子どもは、巧みにテクノロジーを操る。
i-pad、スマホの操作などはお茶の子さいさいだ。
4歳になる姉の孫は、i-pad「に」絵本を読んでもらい
童話曲を一緒に歌い、ゲームも楽しむ。
さらに自分で新しいアプリを見つけ
ダウンロードさえこなす。
しかし、そこはまだ幼子。
ちゃんと親に「していいか」確認する。
お金がかかるものと、そうでないものがあるから。
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お正月に我が家にやってきた孫は、親に聞く。
子ども「パパ、これ『むりょう』?」
パパ 「どれどれ? ん、無料だよ」
子ども「じゃあ入れよう」
横で見ていたわたしは子どもに聞く。
    ねえ、『むりょう』って、どういう意味?
「えっとね、『入れられる』ってこと」
    やっぱり
別の日。
また子どもがやってきた。
自然味(あじ)好みの子どもが、
自家製カスピ海ヨーグルトをそのままで食べた。
横でわたしが自分のヨーグルトに「はちみち」を
加えていると、自分にも入れてほしいと。
   この「はちみつ」は高級なんだよ
「へぇ 『こうきゅう』なんだね!」
と喜ぶ。
彼にとっての高級とは、どんな意味か尋ねた。
   ねえ、『こうきゅう』って、どういうこと?
「あのね、『インド』のことだよ」
   ! なるほど
わたしがインドから帰国すると彼の親(姪っ子たち)に
インドの摩訶不思議、偉大さ、聖者の話をいつも
話すのを隣で聞いている。
そこに登場する天竺なる国は、どうやら高級
素晴らしいものに聞こえるらしい。
◆◇◆◇
人は、最初にどんなイメージでその言葉を理解したのか
そのイメージが画像として脳裏に焼きつく。

それは言葉だけでなく、出来事における経験
すべてにいえること。
いったん出来上がったメンタル・イメージ
次回、同じことを経験するとき瞬時に脳裏に浮かぶもの。
この積み重ねが、人生ヒストリーを創り上げる。
いったん創られたイメージが、その後の人生を
彩るならばそれでよし
しかし、影を落とすようなら変えてみること
別の窓から観る景色は、まったく違って
観えるかもしれないから。
姉の孫は、インド=高級という窓と
使わなくなった玩具を、身寄りのない
インドの子どもたちに分ける=貧困という窓もあるようだ。
彼が意味を理解しているかどうかは定かでないが
なにはどもあれ、柔軟な視点が持てるよう
いつも「両目」を開けていたいものである。

「ゆとり」

年一回、チャイルド・サポーティングで支援している
子どもたちの成長過程を写真とともにスポンサーに報告している。
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その際、子どもたちも手紙を書いてくれる。
で、それは現地語。
英訳するボランティアが必要。
それをいつものガイドが引き受ける。
しかし彼は、わたしの本業の仕事で目いっぱい。
だから、現地でわたしが彼といるときに、
目の前で翻訳をしてもらうことにしている。
でなければ、日本に帰ったら最後、
いつまでたっても英訳は送られてこない。
南インドを発つ前日、ガイドを呼び出し作業させる。
場所はホテル併設のレストラン。
ちょっと前に皆で昼食を済ませたあとだったので、
ラッシー(ヨーグルトドリンク)だけ注文。
ガイドはひたすらわたしのPCで英訳している。
小1時間経過。
レストランのオーナーが、なにやらレジから叫ぶ。
ガイドは、振り向きもせず適当に返事。
言葉の意味は分からずとも、雰囲気で理解するわたし。
オーナー「おい、なにやってるんだお前たち!
    食事が終わったんなら、さっさと出て行けよ~」
ガイド 「わかった、わかった。すぐ行くさ~」
しかしてその後、さらに1時間、そこに居座った。
それ以降、なにも言ってこないオーナー。
わたしも図太くなったものだ。
以前だったらすぐガイドに
    ねえ。まずいよね・・・
    出なくていいの?
と聞いていた。
返事は決まって「問題なし!(ノープロブレム)」
よく考えたら、我われはホテルの宿泊客である。
食事もそこでしたし、飲み物だって頼んだ。
しかも、レストランはガラ空き。
日本であれば店側は「追い出さない」し、まして
客に向かって「おい、お前たち」なんて遠くから叫ばない。
つまりオーナーの主張は
「ここは食事するところ。他の目的で使うな」
ということ。
また客も客で、そう言われたって気にしない。
こちらは目的を達したいだけ。
迷惑かけているわけじゃなし。
ここでは、社会の決まりや一般常識、普通はこう
という「枠組み」がゆるい
要は、柔軟性がある。
一応、皆、自己主張はする。
しかし、それに合わせられる人はすればいいし
できない場合は「大目に見る」ようになっている。
言いいたいことも言ったから、「腹」にイチモツもない。
そういう心の「ゆとり」がある。
そもそも「ゆとり」ってなんだ?
英語では適訳があまりない
   elbowroom   「ひじを動かせる」場
   space      空間
   time       時間

こう見ると「ゆとり」とは、余裕のある時空間のこと。
戦後のトヨタ方式というムダな時間をカットした生産方法。
そこで生かされ、狭い住宅事情で暮らしてきた日本人に
今、一番足りないもの。
人は時間と空間に余裕があるときに、
心の「ゆとり」が生まれるのかもしれない。

そう。人生に「ムダ」なんてないのだ。
現在、子どもたちの手紙を邦訳しています。
楽しみにお待ちください。

インド時間ということで、気長に・・・
邦訳ボランティアの方々、いつも助かります!!

相対的価値観

毎年12月に催される集団結婚式
貧しい子どもたちが教育を受け、大人になった暁の
最大のイベントが 『結婚』 。
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2011年は12月18日に決行。
創始者である方は一年前に他界されたが
その意思を引き継ぐ者たちが、今年も無事執り行う。
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多くの支援者の資金で、嫁入り道具と式一切の
費用が賄われる。両家の父親が娘・息子の晴れ姿
を見守る。インドの大人はそうして親の役割を終える。
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結婚の意志があるほぼ100%の若い男女が婚姻する
インド社会にも、結婚したくないのに求婚されて
困る人たちもいる

なんと、
「いかに生涯独身を貫くか!」という本まで売っている。
そんな人たちとはどんな人種か。
言わずもがな、精神性を高めることに一生を費やす魂
知り合いのインドの兄弟に上記の本を読んでいた方がいる。
結果、兄は成功(独身)し、弟は失敗(既婚)した。
ボーハ聖者が永遠のサマディに入っているパラニ
を参拝したとき、山の中腹に2つの像が立っていた。
近くに行ってみた。
スーブラマニア神に礼拝している醜い老婆だ。
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これは? ガイドに聞く。
「この女性はアワイヤール(Avvaiyar)。
彼女は多くの正しい教えを詩に表し、
我われの言語を豊かにした古代の偉大な女流詩人。
彼女は若いころ、輝かんばかりの美貌を有し
あまりにも多くの男性からプロポーズされるゆえ
聖なる活動に支障をもたらした。
そこでスーブラマニア神に懇願したんだ」

   まさか・・・
「そう。どうかわたしの姿を醜い老婆にしてください、と」
これにより、彼女には誰も近づかなくなり、
生涯詩人に徹したということ。
なんともはや・・・
世には、容姿をより美しく、より若々しくと
整形までして保つ女性がいる昨今、男性を遠ざける
理由に美貌と若さを神に捧げた女性がいるのか。
人の価値観など、なんとも相対的なものだ。
インドという国は「逆さま思想」があり過ぎて、いつまでも飽きない。
ともあれ、
婚姻できた10組のカップルに大いなる祝福あれ!

チームワーク その2

デリーから1700 kmかけて裁判所から依頼され
コトの真相を検証しにきた2人の弁護士。
ここにいたキッズの兄が、継母から訴訟を
起こされた財産争いの民事訴訟。
どうやらその唯一の証言者が、ハンク氏だと。
そりゃ、2時間じゃ終わらないはず。
数年前このカウンセリングセンターにいたキッズ。
彼の病は癒え、社会復帰していた。
そんな折、父親が逝去。
この兄弟には継母がいる。
遺産は当然この3人で分配。
が、この継母。自身も思いっきり資産をもらったのに
まだ足りないと、弟の元の病である精神疾患を
理由
に、弟の取り分までよこせと言ってきた。
訴訟内容は、兄が弟の精神疾患を知りながら
自分で弟の財産まで取る恐れがある、というもの。
兄は兄でこの継母の企みを阻止しようと弁護士を雇った。
どちらの言い分が真実か、両人から依頼された
弁護士が裁判官の「命」でバンガロールまで赴いてきた。
3時間あまりのインタビューで、ようやく弁護士は
弟が社会復帰していること、継母がウソを付いている
ことがわかった。
「そもそも、こんなことで訴訟が起こるという
インドの法律自体がおかしいんだ
そう弁護士に言ってやった!」
キッズの担当だったアーナンドゥが
ニーラに向かって憤慨していた。
内容が見えないのは日本人のわたしだけ。
    どういうこと?
    精神疾患があると遺産もらえないの?
「そうさ! おかしな法律だろ?
それにしても世の中なんで、金、金、金なんだ!!
社会的弱者である病み上がりの子どもから財を奪おうなんて」
そういえば、ここASVのプロモーションビデオで、
理事長が訴えていた言葉を思い出す。
「人びとは、貧しい人、身体障がい者には寄付するが
精神疾患の人たちには手を差し伸べようとしない。
だから、ASVのような施設が必要なんだ」

ここで日本人だと、「政府の保護があるでしょ」と。
インドではそんな生活を支えるほどの支援システムはない。
あってもほんの僅かな支援金が渡されるだけ。
だから身内は、そのような家族がいると
すべてを犠牲にして支えなければならない。
しかし、ハンク氏メソッドのおかげで、統合失調症や
偏執病などの重い病が普通に治って社会復帰していく。
我われが出版しようとしているのは
そんな家族の希望となる本。
現在、インドの全人口の10パーセントに値する人びとが、
何らかの精神的不調を抱えていると推定される。
WHO(世界保健機関)とハーバード大学の委託を受けた
『疾病の世界的負担の研究』によると、
2020年までには、鬱や統合失調症のような障害を含む
精神的な病が、インドの発展を阻害する主な要因になるだろう
と予測される (2003年11月10日付TIME誌の報告)。
最終的な打ち合わせで、こんな深刻な訴訟問題と
出くわすなんて、「早くインドで出版せよ」というサインに違いない。
すべてのシナリオが粛々と進行している。
そんな気がする。

チームワーク その1

渡印時の恒例である、バンガロールにて
ハンク氏本の打ち合わせ。
今回は珍しく、推進担当を務めるニーラから
渡印前に嬉しい知らせが入った。
「ほぼ90%本が出来上がったから
次回の打ち合わせで原稿、渡すわね!」
午前11:00
ニーラがASVに到着。
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が、その10分前、突然デリーからの来客に
ハンク氏と、打ち合わせメンバーのひとり
アーナンドゥが別室にこもってしまった。
「すぐ」終わるから待ってて。とアーナンドゥ。
しかし、待つこと2時間。
その間、残されたニーラとわたしで世間話。
「ねぇ。あなたは日本でサーバント雇っているの?」
いきなりサーバント(使用人)か・・・
それに近い人なら周りにたくさんいるが。
     え! なぜ? いないけど
「いや。米国人に聞くとサーバントを雇うのは高いから
家事は自分でやるようだが、日本はどうかと思って」
 
    そりゃ日本も同じ、セレブでなきゃ無理
「えぇ~ じゃあ自分で掃除や料理してるの?」
    それも ないな・・・
    だって、時間の無駄だもの
「でしょ! わたしもそう思う。
     だからうちにはサーバントがいるの」
独り暮らしの彼女は都会で働くキャリアウーマン。
シンガポールに本社がある会社の建築設計士である。
南インドの田舎ではみないタイプの女性。
都会のバンガロールでは珍しくないのだろう。
働く女性の暮らしに低賃金で雇えるサーバントが
いたら、さぞかし楽だろう。
インドは確かに発展し続けている。
だが、それはごく一部。
ニーラのような社会で活躍する裕福な女性もいれば
片やサーバントの賃金は据え置きのまま低い。
格差は広がるばかりだ。
また彼女は、仕事に夢中でまだ結婚していない。
30代。日本では普通だが、インドでは少ない。
日本のように女性が結婚しないという選択が、
ここインドでも珍しくない日がそう遠くないかもしれない。
午後2時。
まだ終わらない。
どうやらデリーからやってきたのは弁護士のよう。
しかたがないからニーラとだけ打ち合わせすることにした。
「ここ数ヶ月、毎週土曜日ここに通ってファーザーと
一緒に作業したのよ。それがこれ。やったでしょ!
でね。ファーザーったら、出来上がった原稿を読んで
『これ、本当に僕が書いたのかい?』 って。
そもそもこの本の内容は今まで彼が記録していた
モノをまとめたものだから25年前に書いたものもある。
そして彼はまず、この出版プロジェクトに乗り気じゃなかった。
周りがヤイノヤイノ言うから仕方なく取り掛かっただけ」
    そうそう! だから最初は遅々として進まなかった
「でもね。こうして一冊にまとまった文章を読んで
ファーザーは大満足。今はやる気満々よ」
    ホント ここまできたのは
    ニーラ あなたのおかげよ!
「・・・来月でハンク氏、81歳なる。
わかる? なにが言いたいか。 ・・・とにかく出来上がってよかった」
あぁ 彼女もわたしと同じこと思ってた。
明日どうなるかわからぬ身で存在しているのが我われだ
本には、ひどく重症な統合失調症や偏執病を抱えて
リハビリにきたキッズたちが、ここでミゴトに回復し
医師や看護師になっていった体験談が載せられている。
中には外国(ドイツ)からやってきたキッズもいた。
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本に載せられた写真のマリア
ようやく来客から解放されたアーナンドゥが戻ってきた。
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「ボクは今まで何もやってないよ。
ニーラが毎週通ってハンク氏のお尻を叩いた賜物だ」
と、アーナンドゥ。
「いや、何より、ずっと関係者が本を書いてくださいと頼んでも
聞いてくれなかったファーザーが、まったく関係ない日本人の
あなたに言われたことで、ようやく腰を上げてくれた。
ホントにありがとう」
と、ニーラ。
  ・火付け役のわたし。
  ・30年間の書類をまとめたアーナンドゥ。
  ・それを編集し、ハンク氏のチェックを促したニーラ。
  ・それらをタイピングした秘書。
  ・そして出版費用、秘書代を支援くださった皆さん!
すべてチームプレーが織り成す結果だ。
さて次は、これが日本語として本になるかどうかが
次の課題である。
それは、日本人が準備できていればの話。
                  つづく・・・

ムリしないこと 【フリーミール】

フリーミール@インド
ギビング・ハンズがこのプログラムを
はじめてから約一年。その間3000食の施しが行われた。
都度、送られてくる子どもたちの写真を見ると、
毎回違う顔ぶれ。現地スタッフがあちこちの
地域を駆けずり回って施しているのがわかる。
最低 30人の子どもたちを対象に、施しには恵まれない
より貧しい地域や学校、施設を訪ねる。
この12月。500食近いフリーミールを施すため
久しぶりに大きな施設に赴いた。
そこは70年ほどの歴史を持つクリスチャン主催の
学校が併設されている孤児院。
小奇麗な建物と整った環境に学び、住まう子どもたち。
小さな子ども以外は女学生のみを受け入れている。
ここで育った孤児が、今はここの食事係として働いていた
ドイツのフォスターペアレンツが彼女を支えてくれたと
誇らしげに話していた。
現在、チャイルド・サポーティングをしている支援者も
チャイルドが大人になったとき、この婦人のように
「わたしの育ての親は日本人なの」という日がくるのか・・・
きっと日本の支援者は、わたしを含め、
たいそうなことをしている感はないだろう。
皆、ただできる範囲のことをしているだけ。
宇宙はひとつでつながっているのだから、
「するもの」「されるもの」という概念は本来ない。

足を怪我してたら手で手当てするのとなんら変わりないこと。
だから、今年もできることをしよう。
ムリのない範囲で。
バースデー@フリーミール
     「一年一善」 から

ガイアの夜明け

インドから帰国後。
怒涛のごとく時が流れ、元旦の夜、田舎に帰省した。
翌日、子ども(甥っ子)を連れて車を走らせた。
地元の友人も乗せて。
思わず子どもに口ずさむ。
   見てごらん! 空が見えるよ~
まるで小さな子どもに語るよう。
すると友人が口を挟む。
「え? 空は見えるものだが・・・」
そう、見上げればね。
都会でも見えるよ。
ここはしかし、普通の目線に
空と雲が、ついでに山まであるのだ

毎月、長野県に来ているが、いつもは慌ただしい。
空に気を留めている暇などない。
だが今は、ゆったり二ヵ月近くいる予定。
とても贅沢な気分になる。
普段、新宿の高層ビルの合間に暮らしているような
非自然人が、太陽を見るのは南天に昇ってから。
インドでは、山の稜線から月が昇ってきたり、地平線に
太陽が沈む姿をみて「うわぁ 大きい!」とはしゃいでみる。
長野で朝8時。車を動かそうと表に出る。
そこは冷凍庫と化している。霜で真っ白。
寒すぎて雪すら降らない。
景色すべてが凍り付いている。
外気温を見る。氷点下5度。
別世界。
お天道様が昇っているうちは暖かいが、
沈んだ途端、氷の世界に舞い戻る。
太陽の恩恵をこれほど感じたことはない。
心底、地球が生きていると思える。
2012年は、そんなガイアの息遣いを
肌で感じる年になる気がする。

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ボーハの祝福 その3

「見て、この記事」
ガイドからタミール語の雑誌を渡された。
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If you ask bribe, snakes would come.
あなたがもし賄賂を要求すると
    蛇たちがやってくるよ~

どういうこと?
まず「あなた」って誰?
◆◇◆◇◆◇
インドで古くからある職業のひとつに「蛇使い」がある。
路上パフォーマンスで、蛇を自在に操り
その見世物として報酬を観衆から受けとる。
が近頃、路上でのそれが危険である要素が増え、
州の法律で禁止された。
困ったのは蛇使いである。
自身の仕事を失うだけではく、蛇たちの職場も無くなった。
そこで蛇使いのハックル・カーン(Hakul Khan)氏は
政府に提案した。
「その法律を施行するなら、我われと蛇の居場所を
確保してくれ。路上が危険というなら、動物園ならぬ
蛇園を設けて、そこに見物客を招くシステムにしてくれ」

と。政府はその案をのんだ。
ただし、場所の確保と費用は個人でどうぞ。
  ふざけんな!!
というハックル氏。
仕事を奪われた上、土地確保と建物建設も自費だと?
何度も役所を訪れ、費用と場所の提供を懇願する氏。
一向に聞く耳持たぬお上。
最後の交渉日がきた。
お願いする氏。無視する役人。
とうとうキレたハックル氏が放った切り札。
なんと、オフィスに何十匹もの蛇を放して
トンズラしたのだ!!

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途端。ニヒルに構えていた役人の右往左往する様を
待ち構えていたメディアが写真に収める。
なぜそこにマスコミがいたって?
ハックル氏は、前から言っていたと。
「もし、役所がワシの要求を受け入れないなら
      ○月○日に蛇とともに参上する
まさに、蛇テロ声明である。
まさか本気だと思わない役人は悠長に構えていたが
マスコミはもしやと思い、オフィスの外で待機。
これが記事。
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蛇たちが本当にやってきた。
コブラをはじめとする毒蛇軍団。
そう。袖の下を要求するのは、
決まってお上である。どこの国でも一緒。
だから記事は揶揄する。
賄賂か蛇か、と。
これを聞いた我ら日本人は、お腹を抱えて大笑い。
日本では絶対あり得ぬ話。
   最高! 超愉快!!
   で、その後、どうしたの?
   ハックル氏はどうなった?
興味津々である。
蛇使い本人が逃げてしまったから、さあ大変。
警察に通報するも、野次馬でやってきた者も
ゲッラゲラ笑って話にならない。
ハックル氏以外の蛇使いを大慌てで手配し、
事なきを終えたと。
このテロで根負けした政府は、とうとうハックル氏の
要望を受け入れることにしたのだと。
ただし、野生の動物を危険にさらしたという
法律違反を彼が償ってからになる。
いやはや命を張っての交渉だ。
逃亡中の彼が見つかり罪を償った暁には
晴れて蛇とともに第二の人生を歩むことであろう。
ボーハ聖者の祝福を受けたあと、なんとも爽やかな
気分にさせてくれた記事。
賄賂はインドではつきもの。
この国から政治の腐敗がなくなることを願ってやまない。
土星が天秤座に移動することで、正しい審判が
行われるようになるという予言の前触れのような出来事である。

ボーハの祝福 その2

ボーハ聖者という名を最初に耳にしたのは、
2009年ブラフマリシヒルにて。
そのあと、震災後の日本国救済を精霊ボーハに祈願した。
そう。
ボ-ハは東南アジア地域を守護する精霊なのである。
そして今回、生前のボーハ聖者が実際作ったという
スーブラマニア神(シヴァ神の次男)が鎮座する寺院、
パラニへと赴く機会に恵まれた。
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山の頂にあるパラニ寺院は、どんなときでも参拝者で超満員。
なぜなら、人びとは今でもボーハの「奇跡」を求めて。
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むかしむかし、ボーハ聖者は山奥のケーブ(洞窟)で
瞑想していた。そのとき信奉していたスーブラマニア神から
伝授された特殊な方法で、ご神体を作った。
それは9つの有害性重金属を、一定の比率で混合させ、
有害性を無くし、かつ薬物性のものに変えて
しまうという神業で。
その重金属で出来上がったスーブラマニア神に
アビシェーカとしての水を注ぐと、ご神体に触れた
ことで聖水に変わる。その聖水を口にした病人の
病は、瞬く間に完治した
のだと。

この噂を聞きつけてインド国中からひっきりなしに
参拝者が訪れるようになった。
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当時は朝から晩までアビシェーカが何度も繰り返し
施されていたが、ご神体へのダメージが考慮され、
現在は朝と晩2回だけとなった。
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夜中パラニに到着した我われは、朝の7時に
寺院に向かった。そこにはガイドの知人が待っていた。
やおら山の頂にある寺院への階段を上り、入り口を
見たら長蛇の列。 え! この列に並ぶの?
「こんなのに並んでたら夕方になっちゃうよ」
と、ガイドは知人の後に続き 我われ日本人を混雑する
人びとの合間を縫って寺院の中に招き入れた。
いわゆる、顔パス。
知人はどうやら地元の有力者らしい。
ひとしきりスーブラマニア神にご挨拶したあと
その作り主、ボーハ聖者の瞑想したケーブに向かった。
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ケーブ周辺を囲うような聖地跡に壁画が書かれていた。
9つ重金属が分けられた器とスーブラマニア神の像。
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その横に、かつて聖者が空間移動し、中国大陸
渡って過ごしたという壁画があった。
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それを指しながらガイドが言う。
「ほら、グルジが言ってただろ。
ボーハは日本を含む東南アジアを守護する精霊だと」
しっかりと日本のことをここで頼んでおきなさい、と
日本人2人をその洞窟内で瞑想させてくれた。
ありがたいことだ。
遠く離れた日本を、インドから見守ってくださるとは。
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ここまで参拝者が多いからには、いまだに病が癒える
という奇跡が起こっているのかもしれない。
インドという国は、今もむかしも変わらぬ神の国。
なんだか時空が止まったようである。
ガイドの知人のコネで、午前中に参拝を終えることができた。
また6時間かけて、南インドをあとにする列車の駅に向かう。
その道中。
ガイドが奇妙な記事を見せてくれた。
                    つづく・・・

ボーハの祝福 その1

「マダム。グルジから電話」
ガイドがおもむろに携帯をわたしに差し出した。
電話の向こうからはブラフマリシヒルのグルジが
なにやら私に文句を言っている。
「なんでお前はカルティッカイのディーパム(灯明)の日に、
こちらではなくティルマンナマライになんか行くんだ?」
  いや、グルジ
  知らなかったんですわ、そちらのこと
必死で弁明するわたし。
どうやら、12月の満月前のクリッティカの日には
ブラフマリシヒルでもシヴァ神の山アルナチャラ同様
灯明が燈された模様。
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「15日にはグル・プージャがあるから是非来い」
  そんなぁ~
  相変わらず、強引ですね・・・
16日には南インドを後にしなければならぬ日程で
どうやって遠距離のグルジのもとに赴けというのか。
これからタミルナドゥとケララの州境にある「パラニ
まで足を運ぶ算段をどうしようかと思案中なのに。
待てよ。
もしかして、ブラフマリシヒルはパラニの途中かも。
ガイドに確かめる。Yes。
であれば、行くしかない。
ガイドに、日程的に可能か問う。
「ブラフマリシヒルからさえも6時間かかるからムリ」
とガイド。夜通し走れば朝着く。とわたし。
渋々ガイドがドライバーに聞く。
「夜の9時前にヒルを出発できるんだったらいいよ」
とドライバー。いつもグルジはわたしたちを
引き止めるのを知ってる彼の見解。
よし決まり。
こちらの過酷な日程に、付き合ってくれる
ドライバーにはいつも頭が下がる。
当日。夕方5時、ヒルに到着。
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すでにプージャ儀式は始まっていた。
子どもたちにフリーミールとわずかなお小遣いを施す。
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ドライバーとの約束どおり、3時間の滞在で9時前に出発。
いざ、パラニへ。
         つづく・・・