ASV カウンセリング・センターとは

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今、ギビング・ハンズにおいて一番力を入れてサポートしようと
している施設、ASV(アートマ・シャクティ・ヴィディヤラヤ)。
よくこのブログで登場するファーザー・ハンク氏率いる、
精神的な病を抱える子どもたちのカウンセリング・センターだ。
以下、そのセンターの簡単なプロフィールをハンク氏より
いただいた。
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アートマ・シャクティ・ヴィディヤラヤ協会、バンガロール
●要旨
組織の概要
アートマ・シャクティ・ヴィディヤラヤ(ASV)は、1979年に創設された
セラピー・コミュニティで、これまでに160名を超える精神的な病を
抱える人たちのリハビリに成功し、社会復帰へと導いています。
ユニークなアプローチと成功の実績により、国外からも数名の人たちが
当所のセラピーを受けにきています。その他の特記事項として:
01.セラピーの雛形を開拓し、着実で継続的なリハビリの成功を得ており、
   その実績は国際的にも認められています。リハビリを受けた患者の
   機能的な生活や仕事への復帰率は、統合失調症の患者については
   90パーセント、全体としては56パーセントとなっています。
02.最適な環境作りをし、コミュニティの滞在者の定員を常時
   25名としています。
03.能動的参加と自主的主張、精神的な病とそのリハビリの成功によって
   得られる社会的及び経済的価値についての認識と理解。
●プロジェクトの社会的及び経済的な意義
アートマ・シャクティ・ヴィディヤラヤは、国の生産力や社会及び経済の繁栄に
大きな影響を及ぼす分野においてパイオニア的な取り組みをしており、
ほとんど顧みられない領域に革新をもたらしています。
現在、インドの全人口の10パーセントに値する人びとが、何らかの
精神的不調を抱えていると推定されています。
WHO(世界保健機関)とハーバード大学の委託を受けた
「疾病の世界的負担の研究」によると、2020年までには、
(鬱や統合失調症のような障害を含む)精神的な病が、
インドの発展を阻害する主な要因になるだろうと予測されています
(2003年11月10日付TIME誌の報告)。

私たちは効果的で確固たる方法論を打ち出し、これまでに160名の
人たちを機能的な生活や仕事に復帰させることに成功しており、
この世界的にも先駆的で革新的な取り組みは、国際的にも認め
られています。
従来の精神医学や薬物療法の領域では、この種の取り組みは
試みられておらず、精神病に対する社会的な偏見や貧弱な
公共政策をもってしては、そのような取り組みに対して経済援助を
行う既存の支援機関もありません。
プロジェクトは、確固たる方法論の原則とテクニックを堅持することに
よって成功を収めていますが、内的及び外的評価を継続的に実施し、
(最も権威ある)ロンドン王立精神科医師会の名誉ある認定を
受けられるよう研鑽を重ねています。
この取り組みは、インド全土及び世界においても再現可能であり、
かつてその恩恵を受けた二組の人びとが私たちの指導の下、
同様のセンターを設立する準備をすでにチャンディガーとヴァルサッド
で進めています。
●基本理念
アートマ・シャクティのメソッドが掲げる理念は、アートマ・シャクティという
名称自体に秘められています。私たちは基本的に、人は適切な環境が
与えられるならば、心の健康と活力を取り戻すための選択や決断が
できると考えています。
リハビリに成功した人たちについては、その後の生活や社会において
成果を維持できるように、ASVを離れたあとも当機関が万全なサポート
を行っています。

理解するということ

6/14(土)午後
ようやく会議が終了。
前回の第一回総会のとき、わたしと弁護士は言い合い
になり、かなりのストレスンを抱えたまま、時間終了した。
だから、今回の渡印自体を弁護士に伝えていなかった。
しかし、ASV(カウンセリング・センター)のハンク氏が
わたしが朝食に来ないと心配して、弁護士に電話して
しまったのだ。
わたしがインドにいることを知った彼は、会議が不完全に
終わったため、その取り繕いをしたいと電話してきた。
12時間も電車に揺られてまで、来なくてもいいと伝えたが
真摯にも、駆けつけてきたのだ。
そして今、すべてがクリアーになり、望んでいた流れに
ようやくなった。
これが、昨日見た “白龍” の正体だったのかなと。
「なぜ先月の会議でこのような話し合いができなかったのか?」
と彼に聞いたら、「君が最初にアップセット(興奮して怒ったこと)
したから、どうやって回復させようかと意識してたら、他のこと
は忘れてしまったのさ」
「しかし、あのときはあなたのミステイクが判明したから!」
と、わたしも負けない。
いずれにせよ今回で、「我が道を行くインド人」「何を言ってもOK」
という認識でいたわたし自身の “自己中”
深く反省した。
そして日本人と初めて仕事をするこのインド人も、
「君(日本人)のことが、今回でよ~くわかったよ」
と、どういう意味で “わかった” のか定かではないが、
少なくとも以前とは違う認識なのだろう。
今後はお互いの文化・性格を理解しながら進めていこうと
肝に銘じることにした。
先は長いが、これでようやく第一歩進んだのかな・・・

白龍

6/14(土)
昨日、GHインディアの責任者である弁護士が
わたしに会いにカウンセリング・センターを訪ねてきた。
前回のチェンナイで行なった総会で解決し切れなかった
問題を話し合うためである。
そのとき、二人のシスターも連れ添ってきた。
そして数日間出張で不在だった、わたしの世話をしてくれている
シスター・セラピストもセンターに戻ってきたので、センター内は
神父2人とシスター3人のホーリーなエネルギーに包まれた。
そして弁護士が連れてきたシスターのひとり(初訪問者)が初対面のわたしに、
シスター:今日、ここにくる朝、天から光が降りてきたの!
      それまで真っ暗だったのが、光りで一杯になったのよ。
      ここには神の祝福があるとわかったわ・・・」
わたし: ・・・・絶句(汗)
日本人同士なら絶対あり得ない初対面の会話がこれである。
いくらシスターといえども、ちょっと引いてしまった。
とはいえ、純粋なシスターの体験が本当なら、やはり祝福されている
センターなのだろうと思うことにした。
そしてその夜、はたと気づいたのだが、なんとわたしも昨日の朝
もの凄くリアルに白龍が天空に昇って行く夢を見たのを思い出した。
その白龍は地上に降り立つと人間の姿に変わり、わたしが「白龍さん」
と声をかけたら髪が瞬く間に真っ白になり、顔が龍に変身したところで
目が覚めたのである。
その日、シスターが来るなど知らされていないわたしは、弁護士から
彼女を紹介されても何の主旨かもわからないまま、いつも説明もなく
物事を進める(わたしもそうなので因果応報ですがね)彼に反抗して、
自分の仕事を優先させていた。
し・か・し、そのシスターはシスター服ではなく、真っ白な
パンジャービ・スーツを着ていたのである。
夜、そのことに気がつき、あの初対面の会話といい、わたしの
夢といい、なんだか意味深~ ・・・
ということで、本日はそのシスターとじっくり話す予定。
そしてこれから、GHIのシビアな会議なのです(苦笑)。
ここのセンターのキッズ(患者の子どもたちをこう呼ぶ)と毎日
悪戦苦闘しているセラピストたちを見たあとだから、これから始まる
『大変なインド人』との話し合いなど、まったく遊びに近いと言いきかせつつ・・・

Allopathy vs Homeopathy

「耳の中が腫れてるわ、微熱はこれが原因ね
薬を出しておくから朝・昼・晩、ちゃんと飲むように」
微熱があるから、アロパシー(西洋医学的な逆症療法)ではない
薬がほしいとセンターに伝えたら、『ホーリー ホメオパシック ホスピタル』
なる、キリスト教のホメオパシー病院に連れて行ってくれた。
普段、どんなに熱があろうと耳が腫れ上がろうと、日本では薬の
類いは摂らないのだが、ここはインド、何が起こってもおかしくない所。
3日後には、5,000kmの長旅が待っていた。
南から北インドに渡るのだけでも、うまい乗り継ぎ便がないので
丸1日かけて移動しなくてはならない。
神妙に医師の言い付けを守って薬を摂ることにした。
といってもホメ・レメディである。即効性は期待できない。
この時点では前回処方してもらった一生に一回のストレス解消
レメディを服用したことなど、100%忘れていた。
幸いにも南から北への移動とその夜の日本へのフライトは、
熱が下がっていたので、大した支障なく成田まで移動できた。
さて、成田からの帰り道、2日後に迫る『チャリティ インド・ナイト』
でのレクチャー用パワーポイント制作を手伝ってもらうため、千葉
に住む姪っ子の家に立ち寄った。
すると日本に帰国した安堵感からか、数時間のうちにぐんぐん
熱が上がり、なんと、39.3度に身体が沸騰してしまった!
いったい、この熱は何が原因なのか。判明しないまま、1歳の子を
持つ姪っ子は、「うつったら大変」 と、子どもをわたしから隔離しはじめた。
とはいえ、熱があろうと翌々日に迫っているイベントのため、
作業を続けるしかなかった。
自分でも驚くほどの強靭の意志と体力があった。これは 『普通の発熱』
とは違うなと。その夜は案の定、夜中に3回着替えるほど、大汗を
かいて熱が下がるのを待った。
翌日、とうとう耳鼻咽喉科に駆け込んだ。
「これは航空性中耳炎を起こしていますね。
         あ~ 喉も扁桃炎だ。発熱はこれが原因ですわ」
と、抗生物質を処方された。「西洋の薬は飲むまい」なんて
言ってられない。翌日のイベントをこなさなければならない使命感に、
そんな “こだわり” はあっさり崩れ去った。
アロパシーの医師に何といわれるかドキドキしながら、
「実は、耳の調子がよくないとき “ごま油” を注したんです」と伝えた。
  ・・・ふ~ん、それで治るとでも思ったんですか?
と、顔色ひとつ変えずに受け答えするニヒリズムな医師の対応が
あまりにも冷静すぎて、おもわず噴き出しそうになった。
結果、イベント前後の3日間だけ薬の助けをかりてなんとか乗り切った。
だいぶ良くなったので、様子をみせに再度、耳鼻科を訪ねてみた。
「あれ? 完治していますね~。 これは中耳炎ではなく、外耳に
傷ができて、そこから耳垂れが出てただけかもしれませんな・・・」

!!!
中耳炎がこんなに早く治るはずがない、とばかりの医師の言葉に
では、いったいあの続いていた微熱と一気にで出た発熱はナンだったのか?
どう考えても普通の熱ではなかったのでおかしいとは思っていた。
思い当たるフシといえば、あの一生に一回の『とんでもホメオパシー』
以外、考えられない。
封を切ってからの20日間、大いなる毒だしに右往左往した日々だったが、
あの大熱以来、身体が軽くて仕方ない
そして一番の変化は、朝起きたときいつも溜まったアーマ(毒素)
で覆われている真っ白な舌が、今ではピンク色になっていることである。
確実に毒素が熱で焼かれて浄化しているようだった
恐るべしホメオパシー。そしてそれを涼しい顔して処方してしまうインド人
の勇気に脱帽した。ぜひとも次回の渡印時にはそのレメディの名称を
聞いてこようと強く思った。

チェンジメーカー

5月末、インドから戻ったら会員の方から、こんなメールをいただいた。
————————————–
渡印お疲れ様でした。
>
> ちょっと影響を受けた本がありました。
>
> 「チェンジメーカー」 ~社会企業家が世の中を変える~
>
> 「社会福祉」と「「アントレプレナー」が融合した
> 「ソーシャルアントレプレナーシップ」が
> これからのビジネススタイルであり社会に必要なものとしてもっと興ってゆく。
>
> といったような内容です。
> 海外で活動する日本人の写真家が、
> 世界でこういった起業を支援する財団関係者や企業家たちを
> 写真を交え取材をし、紹介している本です。
>
> NPOとして経済活動と社会福祉を成立させることは
> 今後のギビング・ハンズの活動には欠かせない研究材料ですよね。
>
> こういった視野で今後を考えてゆきたいな、と思わせられた本でした。
> 何かの際に皆さんにも参考にご覧になっていただければと思いました。
>
>
> 「チェンジメーカー」 ~社会企業家が世の中を変える~
——————————————-

ユーザレビュー:
“社会起業家”を世に …
生の声こういう話は本 …
今一歩、心に届かない …
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「チェンジメーカー」のレビューを読み、インドに発つ前に
手に入れようと、アマゾンを覗いた。
以下のレビューにうなずくばかりだ。
『哀れみの気持ちからの慈善事業ではなく、押し付けがましい
奉仕活動でもない、新たな社会貢献のかたちを示している』

わたしがチャリティ活動をライフワークとして取り入れようとしたとき、
大手のNGOを見学してみた。で、そこの活動をを紹介していこうかと考えた。
見学に行った。
“なにかが違う” と感じた。
だったら自分でやるしかないかとギビング・ハンズを立ち上げた。
本業の合間をぬっての活動だった。
やりながら方向性の調整に、試行錯誤だった。
そのとき、生前のマザー・テレサの映画を観た。
マザーがボランティアや新米シスターたちに言う。
「単なる慈善活動をやるつもりなら、他の福祉団体に行きなさい」
と叱咤する。
“神様の仕事をする” という確固たる信念がそこにはあった。
あそこまでの実績がつくられた根底が、見えた。
   それそれ! わたしがしたいのも
ここで、活動の「あり方」が落とし込まれた。
この本がその頃を思い出させてくれた。
ソーシャル・アントレプレナー(「社会福祉」と「お金もうけの起業」という
一見相反する二つを組み合わせた造語)
に焦点をあて、
次のステップに進む時期なのかもしれない。

耳が変・・・

帰国後、3日ほどしてから上海出張に出かけた。
身体の異変に気づいたのはこのときである。
「なにやら 耳が変だぞ・・・」
よくある“飛行機耳”になっていた。
空路を頻繁に使って移動している生活をしていると、
体調の良し悪しで、この飛行機耳の治りかたが変わる。
だからある意味、これを自己体調チェックの
バロメーターにしている。
しかし、今回は何をやっても、何日かけても治らないのだった。
これは単なる“飛行機耳”ではないと思い、かといって
耳鼻科に行っている時間もないので、アーユルヴェーダ的な
処方を試みることにした。
それは、『こま油を耳に注す』ことである。今までも耳の浄化に
よくやっていたことだったので、ナンの抵抗もなく注してみた。
しかし様子がおかしい。
「ん~ 効かない! いつもと違うな・・・」
それどころが大量に入ったごま油が、耳の中で固まってしまった。
上海帰国後、一週間もしないうちに、またインドへの空路かと思うと
気が重かった。しかし、今回の渡印は以前から実行したかった、
カウンセリング・センターの視察である。
成田 → デリー → バンガロールへと空路を進め、夜11時に
バンガロール空港に降りたった。
「わぁ~ 寒い!!」
そうか、ここは灼熱のインドといえども、高原地帯だった。
意識は2週間前のインドでの猛暑の延長線上にいたので、
真夏の装いだった。
いつもは冷房が効きすぎている車両予防にと持参している
シルク・シュラフ(絹の寝袋)も日本に残したままである。
肌寒い夜を過ごした翌日から、わたしの身体は完全に
おかしくなっていった。
微熱、難聴、めまい、節々の痛み、気だるさ・・・
この時点では『風邪をひいてしまった』くらいに受け止め、
寝るのが一番と、なるべく身体を休めることにした。
そして気になるのが “耳” 。なんとか注したごま油を掻きだそうと
現地で綿棒を手に入れ、自分なりの“お手入れ”を始めた。
それが致命傷となり、後々の外耳炎にまで発展してしまったのであった。
難聴状態で、カウンセリング模様を記録するためビデオを回し、
セラピストたちのインタビューを開始した。
その間、熱は上昇し続け、耳はヘタなお手入れが効いてしまい、
4日目の朝には、腫上がってしまった。
これは、医者にかかるしかないと判断し、ホメオパスか
アーユルヴェーダ医を探すことにした。
幸いカウンセリング・センターには、看護師でもあるシスターが
滞在していたので手厚くケアされ、体温計を口にくわえながら
医師の診察を待った。
                   つづき

とんでもホメオパシー

5月のインド
季節は真夏。
唸るような暑さのなか、裸足での聖地巡礼に気合を入れながら
過ごした日々も終わりに近づいたころ、最後の仕事を
やりすごすために、栄養ドリンク剤の助けを借りることにした。
常用しているのはホメオパシーの「アルファルファー・トニック」
インド滞在中は、このドリンク剤に随分助けられている。
南インドではホメオパシー薬を専門的に扱っているドラックストアーが
数多く点在しているので、どこにいってもレメディが手に入る。
実は数ヶ月前に日本で定期健診を受けている歯科衛生士から、
「就寝時、“歯ぎしり”をしていませんか?」
と問われた。「そんなはずはない!」と返答したのだが、
どうやら本人の自覚がないだけのようである。
衛生士曰く歯が削れているというのだ。
そんなこんなで、歯を守るために就寝時にマウスピースを
着けるよう言い渡されてしまった!
それを友人のホメオパスに話したら、
「歯ぎしりは【ストレス】の現れ。あなた“働きすぎよ”
これをあげるから、しっかり摂ってね」
と、ストレスに効くホメオパシー・レメディをくださった。
そのレメディが終わったので、ちょうどホメ・ショップに来た
ついでに、歯ぎしり防止レメディを手にいれることにした。
ここからがとんでもない毒だしの始まりとなろうとは
思いもせずに、気軽に調剤してもらったのである。
インド人ホメオパスにわたしの状況を話し、適切なレメディを
出してもたっらときの摂り方諸注意が、
「このレメディは一生に一回だけ使うこと。それも一度に6粒
摂ること。もし効かなければ、15日空けてもう一回だけ摂ることが
できるが、それ以上は決して摂ってはいけない」
である。
わたし  ・・・・しばし無言。
一瓶に30粒はあろうレメディをたった6粒だけ摂れと。
残りはどうするのかと聞いたら、家族で適応する症状が
出たら同じように摂らせればいいと。
こんな処方、日本ではされたことがないので、
ちょっとビビッてしまった。
ご存知のようにホメオパシーのレメディは、深い意識の波動に作用
して、悪いものを外に押し出す働きがある。
最後の仕事をやり終えなければならない任務を残しているわたしには
インド滞在中にそのレメディを摂る勇気はなかった。
しかして帰りのフライト便のなか、ひとまず仕事をやり終えた
安心感から、その“とんでもホメ・レメディ”の封を切ることにした。
                    つづき・・・

心臓病

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6/12(木)
もう毎日のカウンセリングが、とてもエキサイティングです。
人の気持ちがわからない、キャリア・ウーマンのセッションや
愛情欲求過多のかわいい女の子に、今後10日間は
一切のカウンセリングをしない宣言通告をしたり、
もう、毎日が自己開発セミナーの連続のような
自己探求三昧なのです。
もともと他人とのコミュニケーションが苦手な方々が引きこもったり
他とうまくやっていけないなど、話し方そのものが口ごもりがちな
もしくは自己中心的な会話を聞き取るのに四苦八苦です。
ここでは本当に生きたカウンセリングが行なわれていると実感です。
ちなみに、ハンク氏は78歳です!!
「わたしの母より年上! しかもハードワーク・・・」
と伝えたら、
「これがわたしの生きがいなので楽しいのさ」
ですって。
しかし10年前には心臓を患って、しばし闘病生活をしたそう。
それから毎日歩いて、ヨーガ、プラーナーヤーマ(呼吸法)をして
今では健康体を保っているという。
だって、弓のアーサナを子どもたちと一緒にやっちゃうんですからね!
大した方ですわ。
あのマザー・テレサも心臓を患ってドクターストップがかかっていても
無視して働いていたし、夜回り先生も確か心臓が悪く
『余命3年』と言われてもうとっくに過ぎているが生きてらっしゃいますよね。
心臓=ハート(愛)を使ったこのような活動には、この病がつきものなのかな、
とハンク氏をみて思いました。

カウンセリング・センター

【これは会員のみなさんへの報告を引用】
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6/11(水)
今、バンガロールのカウンセリング・センターにいます。
前回、ここの創始者であるファーザー・ハンク氏に本の出版費用を
GH(ギビング・ハンズ)より寄付しましたら、
「秘書がいないと書けない・・・」
と漏らしていたのを、みなさんに報告させていただきました。
今回、その秘書雇用の資金の半年分を寄付された方がいます。
そのお陰で、昨日、ハンク氏にお渡しできました。
彼はとっても嬉しそうに、今まで書き残していた資料を
山ほどわたしに手渡してくれました。
今、1日中彼と一緒に過ごしているのですが、
朝のヨーガ・レッスンから始まり、午前・午後のカウンセリング、
その間に電話とメールの対応、そして書類作りと
かた時も休む暇がない日々です。
この寄付で、少しでもハンク氏の負担が軽くなりますように!!