「イスラム教のクルアーン(コーラン)は、聖典というよりも、
人が幸福に生きていくためのルールなのです」
と述べる、ヨーロッパ諸国に仕事で移り住んだことのある
エジプト人ガイドが、フランスの法律は、クルアーンのルールと
よく似ていると分析していた。
その真意はともかく、イスラム教に限らず他の宗教経典にある
どの教典(基本となる書)にも、『いかにしたら幸福に生きられるか』
を説いているものが少なくない。
どのレベルの幸福観かによって、異なる内容のようにみえるが、
基本原理は共有しているように思える。
その主なものがラマダーンのような『
戒律』である。
仏教の五戒
ヨーガの禁戒・勧戒
モーセの十戒
イスラム教の五行などが挙げられる。戒律というと、なにやら校則を思い出してしまい、
“
破ると罰則”のようなイメージだが、あくまでもこれは“戒め”
として
自己を律するためにあるようだ。
つまりそれを全うすることで、弱い人間が悪の道に反れないよう
守ってくれる城壁のようなものと考えられている。
その戒のなかでの共通行為のひとつに
『与える』– Giving – というものがある。
喜捨
布施
チャリティー
寄付
積徳言葉は違えど、みな “
与える” という行為。
キリスト教の聖書では、『年収の20%の寄付』が謳われ、
仏教の六波羅蜜では、いの一番に『布施』が掲げられる。
イスラム教のクルアーンでは、『年収の2.5%の喜捨(ザカート)』
が義務的に示されている(任意の喜捨もある)。
宗教ではないが、やはり人がいかに幸運に生きていくかを
学べるオーソドックスな【交流分析】という心理学では、
人の “こころ” は5つのパーツで構成されるといわれている。
こころの構造である5つの自我状態がバランスされることで、
こころの安定が得られるのだと。
そう5つのなかの『NP:Nurturing Parent』の特徴が、
【やさしい 思いやりがある 人の為に尽くす】ことにあたる。
つまり“与える”人というカテゴリーである。
また、中国での古い格言には、幸福になる開運五箇条に、
【1:命、2:運、3:風水、4:積陰徳、5:唸書】がある。
ここでもやはり“与える”こととして 『
積陰徳』 が挙げられている。
陽徳ではなく陰徳(だまって善いことをする)というのが、
古代から重要なカギらしい。クルアーンの喜捨も同様に、
陰徳であることが大切だと、エジプト人ガイドが説明していた。
こうして全世界共通の幸福概念を見てみると、どうしたら
“こころが満たされる”=幸福になるかが、おのずと見えて
くるようだ。
もう、お分かりであろうか、【こころの渇き】を癒す道が。
不安・怖れがあると、そこから自己を守る体勢が出来上がる。
防御のために何かを得る(あるいは手放さない)ことで、
不安・怖れが解消されるかのように見えるが、実は『得よう』
とする行為以前に、『与える』という行為が先であるということを、
古代の賢者は教えてくれている。
これはヨーガの呼吸法と同じで、吐くことに意識を向けると、
自然に呼吸は入ってくるのと似ている。
まずは、欲しいと望む前に、自分は他に与えているだろうか?
と、自問自答してみることだと。
これが、あらゆる思想の総合的【道】タオであり、物理学でいう
ところの【エネルギー保存の法則】なのだと思える。
そう、わたしが20年前にした【あること】とは、この“
与える”
ということだった。これは別の観点では “手放す”ということ。
具体的には
スリランカの貧しい男の子を継続サポートしていた
いらないものはどんどん捨てた
欲しいものは、まず人にあげた
感情のこだわりを手放したまず先に出すことに専念したら、自然に入ってきた。
今までは、受け取ることを先に意識していた。だから受け取れない
状態に不足=【こころの飢え・渇き】を感じていたのだと。
そして気がつくと、
放出こそ喜びの日々に変わり、自律神経
調整のためにモノを無闇に買いあさることがなくなっていた
ということである。
ふ~ ようやく【ラマダーン 万歳!】シリーズが終わった。
エジプトという色濃い古代史の影響で、少し思想がかって
しまったが、チャリティ現場に【宗教・思想】なしでは
臨めないのが現実だと、ご理解いただけたら幸いです。