A Happy New Year !

雨が2時間以上降り続いていた。
今日でメキシコ視察最終日。明日は移動のみの日程である。
最後は気合いを入れて観なくてはならない、メキシコの旅
ハイライトともいわれている 『パレンケ』 遺跡だ。
そう、あの有名なジャングルに800年間も眠っていたという
パカル王の神殿である。発見されたパカル王の地下墳墓の蓋
の絵が、『宇宙飛行士』か? といわれているものだ。
早朝6時起きで張り切っていたら、なんと朝から雨である。
確かに今のメキシコは雨期である。といってもこの2週間、
雨に降られたのは、夕方のほんの1時間程度である。
昼間はカラッカラに晴れていて、毎回汗だくの遺跡めぐり
であったが、これくらいの暑さはインドで慣れているので
まったく平気である。
確か昨晩、夜中に起きたら雨だった。とすると、ずっと夜
から降り続いているのか・・・
パレンケ遺跡は起伏が激しい土地なので、山登りするには
早朝から出かけるに越したことはない。8時には出発する
つもりだったが、この激しい雨ではピラミッドにも登れまい。
空を見上げても、曇り一点張りで晴れる様子はどこにもなかった。
いつものように1~2時間で雲行きが変わるかと期待したのだが、
どうもいつもの雨とは違うと気がついた。
2時間待って、“今”だと直感で出かけることにした。コレクターボ
(乗り合いバス)に乗って20分。パレンケ遺跡に到着したときには、
すでに駐車場には大型マイクロバスが何台も並んでいた。
さすが日曜だけあって、雨にもかかわらず人で一杯だった。
幸い、遺跡に着いてからは5分程度で雨が降り止んでくれた。
その後の数時間は 『曇り空、ときどき晴れ』 だったので、快適な
気候での遺跡巡りができた。
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『葉の十字架の神殿』 に登り、ボ~ッ と下を眺めていた。
すると神殿の中央広場に、なにやら赤いハチマキを巻いた
5~6人の白装束なる軍団が現れた。
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そして背中合わせに手をつなぎ、各神殿に向かって祈りを捧げている。
一番年配の割腹のいい男性は、見るからにマヤ族の長老である。
! なにか始まるぞ~ !
そう思った瞬間、慌てて神殿の階段を駆け下りた。
そばに寄り、なにが始まるか覗きに行ったのは言うまでもない。
広場に布を広げ、各自がバックから持ってきたありったけの家に
あったであろう【宝物】を置いていた。そのほぼすべてが、儀式に
使われるであろう聖なる石たちや、お守りのようなアクセサリーの
類いだった。
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そして長老が見物している人びとにもなにか話しかけていた。
するとそこにいたわたしのような興味津々の見物客が、次々に
財布をその布に差し出していった。
スペイン語だったのでなんと言っているのか想像でしかないが、
きっと、これから「大切なものを供養します」だったに違いない。
そう、一般客の宝物は【お金】ということのようである。
あっという間に人だかりが出来て、みんなで人の輪をつくるよう
指示された。みなで手をつなぎ、なにかのお祈りをするらしかった。
わけもわからず突っ立っていると、赤いハチマキの白装束姉さん
からニコリと微笑まれ、手を差し出された。右手を差し出すと、
左手にも白装束姉さんが・・・
これは、逃げられまい。
長老が輪の中で、声高く皆に何かを伝えている。
幸い左手を握っているお姉さんが、英語で解説してくれた。
ひとしきり四方に鎮座している神殿に挨拶したあと、各自の健康
家族の幸運、許しを請う人びとへの懺悔と感謝、すべての人類
への平和が祈られた。そして最後に
      A HAPPY NEW YEAR MAYA!!!
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と叫んでハグし合ったのである。
そうだった、今日はマヤ暦の新年であった。
昨日の 【時間をはずした日】 まではしっかりと覚えていた。
明日の新年はなにを特別にしようかな、と・・・
しかし、朝の止みそうもない憂鬱な雨に気をとられて、すっかり
忘れていたのだった。
そうか、新年=節替わり。気候が不安定になるはずである。
だから昨日から長雨が続いていたのか!
時計仕掛けのグレオリオ暦に慣れ親しんでいる日本にいると、
節分を境に立春を迎える2月4日ですら、日本の旧暦新年だと
いう概念を持つことも難しい。
ほとんどの東洋の国には旧正月が存在するように、ここマヤ族
のお正月が、今日26日(日本ではすでに27日)である。
こんな日にマヤ族の長老とハグし合えただけで、朝の憂鬱さが
吹き飛んでしまった。考えてみたら、雨のため出発を遅らせた
おかげで、この新年の儀式?と遭遇できたのだから。
そう思うと、雨も風も竜巻も災害ですらも、すべては意味のある
ことだと、今さらながら新年を迎えて再認識させられた。
           KIN 4 【黄色い自己存在の種】の日にて

たくましい旅人たち

「以前、僕が乗ってたバスが谷から落っこちてさ、2人死んだよ」
「え~!! わたしは乗ってたバスが人を轢いちゃってたことは
 あるけど。よく無事だったわね。で、乗ってたの前、後ろ?」
   ・・・・・・
これは現地メキシコ人の会話ではない。
日本人同士である。
メキシコに入国した初日、旅のルートを決めるべく情報収集
のため、日本人経営の宿に泊まった。
この時期メキシコになんて、日本人観光客は少ないだろうと
思いきや、いるわ、いるわ(笑)。
ただし、わたしのように世界情勢など、気にしないという
バックパッカーたちである。
朝食はテーブルを共にする。
そのとき、それぞれの目的地に必要な情報交換をするのだ。
その席になぜがわからないが、メキシコ在住30年のおじさんがいた。
しきりにメキシコの危険性、政治の腐敗さ、言葉の障害など、
否定的な(その方からしたら老婆心であろうが)情報を
喋り続けていた。
そんな中で、世界中をまわり酸いも辛いも経験し尽くしていそうな
若者たちが、白い目でおじさんを見ながら、話題を切り替えていた。
まずは、キューバでの体当たりカメラ強奪事件から、
上記のメキシコのバス谷底転落事故など、皆、笑いながら
    Take it easy, let it be.
「だからってナンともないよ、成るようになるさ」
的な乗りである。女性ひとり旅などなんのその。
「やっぱり夜行バスで行こう! そのほうが宿代浮くしね」
と、旅をし続けているひとりの女性が、各国の『地球の歩き方』
本を抱えながら、その日の旅ルートを決めていた。
『歩き方』では、女性の夜行バスは避けたほうがいいと記載されてはいる。
しかし、彼女たちはバスの前後の安全性を、谷底転落経験者から
聞いて学びにするくらいだろう。
   いや~ たくましい!
日本の若者も捨てたモンじゃない。 妙に嬉しくなった。
反面、わたしは例の否定的なおじさんから、スペイン語も
話せないでメキシコを移動するなんてとんでもない、女性ひとりで
タクシーに乗ったらあかん、など、得もいわれぬ恐怖心を煽られ、
彼らを見て「わたし大丈夫かしら」と不安になった。
結果は、やはり「成るようになってる」ものである。
英語×スペイン語でも、ちゃんと意思は通じる(笑)。
彼らの、“谷底に落ちてまでも旅を続ける”という価値観は、
経験してみないとわからないだろうと。
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国際 おれおれ詐欺?

まさに22日の真っ只中、【至急メール】
PLEASE I NEED YOUR URGENT ASSISTANCE!!!!
が届いた。
差出人は、バンガロールのカウンセリング・センターに
いるはずのハンク氏からである。
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その内容は、突然のアフリカでのアントレプレナーシップ
サミットに出席するため出発したのだが、Lagosのホテルで
暴漢に襲われ、ラップトップをはじめとするすべての金品
を奪われた。これでは家にも帰れないので、どうか
助けてくださいと。
さらに、
今は食べるものもままならず、お願いだから30分以内に
連絡ください、そして$3000 (約30万円) を貸して
くれませんか?必ず家に戻ったら返しますから・・・
「あなたしか頼れる人はいません」
という殺し文句とともに、送金はWestern Union(口座がなく
とも2時間ほどで送金できる)にと記載されていた。
さすがに心揺さぶられる日食時だけある。あまりにも具体的で
振込み環境が整っている日本にいたら、すぐにでも反応しそうな
勢いのリアル感だ。
ハンク氏といえば80歳になろうとする、決して若くはない
キリスト教神父である。こんな方から【お助けメール】
届いたら、「なんとかしなくては」と思うのはわたしだけ
ではあるまい。
しかし、よく考えたらなぜ30万円も必要か?
彼にはASVという施設があるのだから、まずはそこに連絡
するだろうに・・・
時計を見たらインドはまだ夜8時。
事情を確認するため、彼の側近に国際電話を入れてみた。
「ハンク氏、アフリカに行ってるんですか?」
・・・え? バンガロールにいるけど。
「だって、暴漢に遭って身包み剥がされたって!」
・・・あぁぁ さっきも韓国人から同じ用件で電話があったわよ。
       それ、詐欺だから!
「あっそう~ しかし、これマズいよね。ハンク氏のメールアドレス
勝手に使われちゃってますよぉ。そのメール転送しますね」
題名を 【How shocked !】 にして転送したら、なんとその詐欺師
からさらなる具体的な指示が送られてきた。終いには
「へい、君は銀行に行かなくてもいいんだよ、Western Unionでいいんだ。
なんならクレジットカードだと15分で届くからありがたいが」
これには呆れ果てた。
こんな口調、お金を借りようとする人がするわけないことは明らかである。
しかしまあ、国際テロリストならぬ、国際詐欺師なるものがいるもの
だと、変に感心してしまった。
日食時は善事も悪事も1000倍になって返ってくると聞いたそば
からこれである。日食真っ只中のインドで、しかも、聖職者である
神父様の名を語って、である。
複数に送っているようだったので、どうか誰も被害に遭いません
ようにと、祈るばかりである。
でないと、この詐欺師が被るであろう1000倍もの痛手が
どんなかたちになるのかと思うと、そちらのほうが心配である。

日食の真意 by Maya

「○○×× 【eclipse】 ○×○・・・」
え? なんでここでの説明に eclipse (日食)が出てくるの!
日本での日食前日にしては、あまりにもシンクロすぎて
ガイドに詰め寄り質問攻めにした。
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昨日、ウシュマルというマヤの遺跡を巡った。
カンクンからビジャエルモッサまでのルート沿いにある
各遺跡を、宿に泊まりながら廻っている。
ツアーでもなければ同行者もいないので、基本、ガイドは
いない。だが、ここメリダの宿のオーナーがとっても
いい人で、色々と世話を焼いてくれる。
ウシュマルもバスに乗って行こうとしたら、「ツアーのほう
がいいから」と、その場で連絡をとってくれた。
さすがに外国人客は少ない。メキシコ人ツアー客の
中にもぐり込む形で便乗したのはいいが、すべてスペイン語。
ガイドは皆の案内を終えたあと、“手短に” わたしひとりの
ために英語で解説してくれた。
ある場所に着いた。わからないスペイン語解説を聞いていると、
突然【eclipse】という単語が耳に飛び込んできた。たまたま
日食という言葉が、英語もスペイン語もほぼ同じ発音だったため、
耳がダンボになった。
メキシコ人は皆、首を縦に振って大きく頷いていた。
    ど、どういうこと? 早くこっちにも説明してよ!
はやる気持ちとは裏腹に、どうみてもスペイン語
解説のほうが長いのは明らかだ。当日ムリやり宿の
オーナーに押し込まれた客なのだから、しかたない。
ようやく順番がきた。
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それは、球戯場での解説だった。
マヤ遺跡の多くには、球戯場が設けられている。
メソアメリカ最大の球戯場は前日巡った
チチェン・イツァー。全長150mもある
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メキシコのガイドブックを読んだとき、以下の文が
わたしを強烈に惹きこんだ。
マヤ人の球戯は娯楽ではなく、豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式
だった。ゲームは生ゴムのボールを壁の上部に取り付けてある輪
にくぐらせて競われた。手は使わず、サポーターを装置した上腕
や腰でボールを打つ。
そして、勝ったほうのキャプテンが栄光をにない、生け贄として
捧げられた

内壁の基壇部分には、勝利者が斬首され、流れる血潮が7条の
蛇となってほとばしり、その先から食物が芽を出そうとしている図
が描かれている。

これを見たとき、単なる『豊穣』のためだけにここまでするか?
とも思ったが、生け贄天国だった当事のマヤ人のすることは、
現代常識では計り知れないものがあると納得させていた。
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しかし、規模は小さいが同じ意味を持つ球戯場を有する
ウシュマルでの解説は、まったく別のものだった。
生ゴムのボールは『太陽』を、輪は『月』を表している。
そして太陽であるボールが月である輪をくぐり抜けることは
『蝕』を意味すると。

この『蝕』が起こった段階(ボールが輪に入る)で
ゲームオーバー。すべてがリセットされる
と。
さらに生け贄になるチームは、勝った者とも負けた者とも
いわれていて、誰も真実はわからないのだと・・・
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          チチェン・イツァーのエルカスティージョ
マヤの遺跡は、天文学者ともいわれているマヤ人の意図が多く
見られる。テオティワカンの太陽のピラミッド月のピラミッド
をはじめ、チチェン・イツァーのエルカスティージョは、巨大な
カレンダーといわれている。
階段の段数、基壇部の垂直面の浮き彫り、すべてがマヤの
農耕暦(ハアブ暦)と祭事暦(ツォルキン暦)の象徴だと。
そして、このウシュマルには、『魔法使いのピラミッド』
なる巨大な建築物が鎮座している。
占星術をたしなむわたしは、こんな古代の叡智に触れられる
こと自体、感無量なのである。
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ガイドに、なぜ『蝕』を表すゲームが、そこまで宗教的な
意味をなすのか聞いてみた。
   そのキーワードは『調和』だと
詳しくはマヤの古事記ともいわれている「ポポル・ヴフ」(本来
は「ポップ・ヴフ」というらしい)の解説からしなければならないが、
簡単にいうとマヤの二元論に基づく。
すべてはバランスが大切で、どちらかひとつで成り立つものなど
ないと。つまり東洋でいう陰陽論
である、男女、昼夜、上下、
肯定否定など。
このバランスが絶妙に整った段階で、はじめて世界がはじまると
いうのか。だからリセットなのか・・・
【蝕】だから神々に生け贄を捧げるという善事を行なったのか、
それとも【蝕】というバランスを祝福するための生け贄なのか。
生け贄のチームがなぜ勝った者か負けた者か区別がつかないのか・・・
疑問は尽きない。
いずれにせよ、日食前後にこのようなことに触れるにも
偶然とは思えない。
古代マヤ人は、神聖な場所に【蝕】を形成するための
球戯場を設け、人為的に【蝕】というリセットを起し、
神々に供養していたということである。
なぜなら、この世に『バランス』をもたらすために
つい自分中心になってしまう人間に、他方面にも
目を向けさせるためにか・・・
となると、富める者も貧しき者も、ともに表裏一体なのだから、
視て見ぬふりなど、できようはずもなし

今回お預かりした【日食寄付】は、まさに古代マヤ人の意向でも
あるのだと、善事を行なえない地にいながら、これを伝えることが
わたしのできる善事かもしなれいと言い聞かせることにした。
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           雨乞いの神 チャック モール

両刃の剣

「明日の日食時に ギビング・ハンズの口座に寄付を振り込みます」
との連絡を、何人かの方からいただいた。
お預かりする【日食寄付】は、情報提供者でもあるチベッタン・ラマの
学校 GCBS に届けようと思う。きっとこの日は寄宿学校の子どもたち
とラマとで、最大の善き行ないをしていることであろうから。
今まで日食というと、
日本:何十年振りかの一大イベント(フェスティバル?)
インド:忌み嫌われる日で隠れてお祈りと断食
というイメージだったが、あるチベッタンラマの以下の言葉で一変した。
西歴2009年7月22日は極めて素晴らしくてありがたい日です。
この日は300年以来、一番長い日食です。
この日ではどんな【善・悪】をしても何れも数十億倍になります。
つまり、善事を一件するとすれば、その功徳は平日にする同じ善事
で得る功徳より数十億倍も増加するというわけです。

ん~ もしかしたらこれは、大チャンスなのかもしれない。
ただし、このことを十分認識しているチベット僧侶のような
聖人のみが活用できることなのか・・・
凡人の我われは、両刃の剣でもあるこんな日には、
おとなしくしていなさいと。
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わたしは今、メキシコのメリダという町にいる。帰国は29日。
「こんな時期にメキシコとは、ひょっとすると日食回避?」
なんて言われているが、この時期ここを訪れることは昨年から
決まっていた。豚インフルエンザ発生によりフライトチケット
は楽々取得できると思っていた。
しかし、渡航予定日1ヵ月を切った6月半ばに問い合わせると、
なんとほぼ満席。航空会社が国際線をジャンボジェット機から
小さな機体に変更していたためだった。
ようやく取れたチケットでのスケジュールが、たまたま
今回の日程となったまでである。
結果、日食時には【蝕】が起こらないメキシコ滞在となり、
【善き】行ないをしそびれることになる!!
発展国の仲間入りをしつつあるここメキシコでも、まだまだ
JAICAなどの国際協力機構が介在している。
メキシコ・シティでは、インドのスラム街のようなテント張りに
家族で住まう光景が多くみられる。
わたしなりにできることを考え、明日の「新月」には臨もうかと。

ラマたちの抵抗

「日食・月食のときはね、チベット人や多くのヒマラヤンは大きな
音をたてるんだよ。たとえばドラムを叩いたり、ベルを鳴らしパイプや
どんな穴の開いたものでもいいから吹き続け、ラーフが太陽(月)を
食べる(蝕)のを邪魔し、阻止
しようとするんだよ」

    ま、まじで?
いつも支援しているネパールの学校のチベット僧に
日食のことを聞いてみた。その返答がこれだった。
   思わず笑ってしまった
僧侶曰く、科学とチベット仏教での日食・月食の考え方はまったく
違うと。科学では単に太陽・月・地球が一直線上になる、
とのことだが、それはラーフのことである。
ラーフはとても危険な神であり、普段は空におとなしく鎮座しているが、
ときどき太陽や月を食べてしまうと。太陽や月は神々の子どもだと
考えられているので、子どもが欠けていくのはとても邪悪なことである。
だからこそ、この日食・月食時の善き行ない(祈り、ランプや花を捧げる、
チャリティ等)は、普段の1,000倍の有徳
になるのだと。
最後に
「日本人も仏教徒なのだから、この日はランプを灯し、祈り、食事や
モノを恵まれない人びとに捧げなさい」

と綴られていた・・・
また、わたしの日食の記事を読んだチベット仏教通の
方からの情報;
———————
あるチベット僧侶の日記によると、日食・月食ではどんな【善・悪】を
なしてもそれが凄い勢いで返ってくる日とのことで、善いことをして
過ごしましょう、とあります。
善い側面をとると、実にそのとおりになるのでしょう。

——————–
そしてインド在住イギリス人の友人からは以下の情報が;
I know also about the eclipse. It’s best to do very little
on the 22nd. Although it is thought that prayers and mantras etc.,
are very helpful.
It is also said fasting is good. This Month, the New Moon falls
on Tuesday, July 21st, followed by the very rare Solar elipse
on July 22nd.
Scientists say, a complete solar eclipse like this was witnessed
about a century back and unless we plan to stick around for another
124 years, we will probably never have the chance to be a part of
this event ever again.
Enlightened beings say that everyone should be prayerful and perform
rituals to our ancestors and the Divine during this time.
I heard too about possible Tsunamis. I hope this does not happen.

さすがインド在住20年だけある。これに関しては詳しい。
断食やお祈りに勤しみ、神々にだけでなく先祖に対しても儀式を行い
なさいと。今回の完全なる皆既日食は100年に1回あるかないか。
次はあと、124年しないと出くわさないくらい稀であるのだと。
このような【蝕】の前後は、自然現象の異常にともなう地震、
津波等が過去も起こっている。今回も細心の注意が払われる
必要があるとも言っていた。
要は、室内におとなしくしているだけではなく、善き行ないを積極的に
しなさいということが、究極の【蝕】の日の過ごし方
のようである。
つまり【チャリティー日和】ということか・・・

New 秘書

「ギビング・ハンズ Japan としてはどんなことを載せてほしいですか?」
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秘書として雇ったバンガロールASV(カウンセリング・センター)
の前任者がアメリカに行くことになったので、新しい秘書が
多忙なハンク氏に付くことになった。
初対面での打ち合わせで上記のような質問をされて、少々戸惑った。
なぜなら、こちらとしては、80歳近くなるハンク氏の雑用を受け持ち、
肉体的負担を少しでも軽減するためと、氏が築き上げたカウンセリング
のメソッドを世に残す(書籍出版)目的で、現地秘書を雇うことにした。
この書籍出版にあたり、ギビング・ハンズは陰ながらサポートするだけ
のつもりなので、こちらの意見が反映されることなど考慮になかったから。
しかし、上記の質問の中で彼女がいう。
「どんな目的で出版するのか、なにを一番強調したいのか、
ギビング・ハンズが国内外でどのような活動をしているのか、
あなた方がスポンサーなのだから、その意見を尊重して
編集作業を行ないます」
なんてスマートな女性だろう!
彼女はまだ大学院生である。現在の専攻は経済学だが、大学では
心理学を習得しているという、今回の出版プロジェクトにはぴったり
の人材である。
さらに、彼女の妹が中学生で登校拒否になり、このASVで実際に
カウンセリングを受けながら学校に通い、ミゴトに復帰しているという

身内を通じた実体験の持ち主だ。
これから数ヶ月以内にはできあがる見込みの内容に、今から目を
通すのがとても楽しみである。
と同時に、日本での出版にあたって翻訳者を探している。
どなたか適任者をご存知の方は、ご一報願えれば幸いです。

国民性と慣れ

インド出張最終地のバンガロールに着いた。
風邪をひきそうになるほど涼しく、南インドとの温度差は格別だった。
今回、カウンセリング・センターのハンク氏と初めて外食した。
ハンク氏は、毛糸のカーディンガンをまとっていたほど寒かった。
その翌日、帰国するためデリーに戻った。なんと気温は
         48℃!
外にでると、熱風を吸い込み息苦しい。2005年の夏、気温50℃
のインドを経験しているが、こんな猛暑は久し振り。
言ってもしかたないが、『暑い、暑い』 を連発した。
国でここまで気温差があると、体調を一定に保つにも知恵がいる。
移動前に次なる場所の気候を考慮して衣装を身につけ持ち物も
準備しておかないと、現場に着いてスーツケースを開くことになる。
さらに、どんな乗り物で移動するかがポイントになる。
インドの一等車(電車)は確かに快適なのだが、キンキンに
冷房がきいている。完全防備で臨まないと、降りるときには
鼻水を垂らすことになる。
それは飛行機も同様だ。いつもエア・インディアの冷房には
悩まされている。インド人は半袖。しかし日本人はいっせいに
長袖を着込むと。毛布をかぶるという現象も珍しくはない。
あるとき客室乗務員に「寒いから冷房を弱くしてくれ」と訴えたら、
「えぇ~ 寒いのか?」と驚かれた。機内を指差し、日本人が
冬支度をしている様を見て納得してもらった。
その点、今回はJALだったので、機内温度も食事もサービスも
インドのそれとは違い、日本人仕様で大変快適な旅だった。
    ひとつだけ困ったことを除いては・・・
渡印は昨年のムンバイ・テロから自粛されているためか、エア・
インディアをはじめ、JALも乗機率はとても低かった。
ここまで続くと航空会社としては痛手だろうが、乗客としては
うれしい。狭い椅子に何時間も座ることを考えると、アームレストを
上げて横になれるので、ちょっとした睡眠時間に充てられる。
今回もガラガラだった。食事が終わり、就寝体勢に入ろうとした。
すると、なんだかいつもと雰囲気が違うと。
辺りを見回すと、隣の席もそのまた隣も空いているのに、
皆、窓に寄りかかったり、エア枕を首にして座ったまま休んでいる!
うっそぉ~ なんでガラガラなのに、隣の席を使わないの
ひとり二人ではない、少なくともわたしの周りにいる日本人は、
寄りかかり組みばかりだ。
こんなことはインド人の多いエア・インディアではあり得ない。
日本人って、こんな国民だったか??
すっかり日本人気質を忘れてしまったわたしでも、自分だけ寝そべる
には気が引けたので、トイレに行くついでに機内を見回した。
すると、後ろのほうで横になっている人物(インド人かも?)
を確認した。
ホッとした。しかし、これじゃあ帰りもそうなのかと、真面目で
礼儀正しい日本人は、客室乗務員だけでいいなと。
しかして心配していた復路は、日本人が多かったにもかかわらず、
行きとは打って変わり、みんな横になっていた
      この変化はいったい・・・
行きの乗客とは違う人物にせよ、きっとこの人たちは
インド滞在中に、わたしのようにインドナイズされたに違いない。