ノブレス・オブリージュ

今さらながら、1992年リオ・サミットにおける当時12歳だった
セヴァン・スズキ氏(カナダ人)の伝説のスピーチをお届けしたい。
http://www.youtube.com/watch?v=dvt4WTBnLyo&feature=related
このスピーチの中で述べられている以下の言葉
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちに
こう言いました。
「ぼくがもし金持ちだったら、家のない子すべてに、食べ物と、
着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」
家もなにもないひとりの子どもが、【分かちあう】ことを考えている
というのに、すべてを持っている私たちがこんなに【欲が深い】
のは、いったいどうしてなんでしょう。
これらの恵まれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だという
ことが、私の頭をはなれません。

これを聞いて、「ノブレス・オブリージュ」という義務のことを
考えさせられた。
ノブレス・オブリージュ(フランス語:noblesse oblige)とは
高貴な義務」のこと。
「恵まれた人間」には、その境遇に生まれなかった人々に対して
為すべき「義務」がある。一般的に財産、権力、社会的地位の
保持には責任が伴うことをさす。
現代のアメリカでは、裕福な人物や著名人がボランティア活動を
する事は当然とされ、しない方が特異視されやすい。
「最近どういうボランティア活動をしていますか」と問われて、
「何も」と答える事は、地域社会にとけ込む事を困難にしかねない。
貴族制度や階級社会が残るイギリスでは、上流階層にはノブレス・
オブリージュの考えが浸透している。
第一次世界大戦で貴族の子弟に戦死者が多かったのはこのためであり
(皆志願して従軍した)、フォークランド戦争にも王族が従軍している。
現在でも、例えば高校卒業後のギャップ・イヤーに、ウィリアム王子が
チリで、ヘンリー王子がレソトの孤児院でボランティア活動に従事している。
                         ウィキペディア

子どもの頃から教会に行き、「恵まれない方」のために祈り、なにかを
奉仕する習慣が身についている欧米社会の価値基準と、大きくかけ離れた
文化の中で生きてきた日本人には、ピンとこない概念かもしれない。
しかし、【思い】があっても表現方法を知らないだけなら、世界の
基準からみれば当然、高貴な貴族に属する日本人として、何か
少しでもできることをするのが、地球人としては自然なのかもしれない。
わずか12歳でそれをした高貴な人がいるのだから。

発熱

立春を迎え、はや5日。
半年振りに発熱し、どうやら身体が休養を要求していたようである。
しかし、決まっているスケジュールは待ってくれない。
家中にある、あらゆる道具を使ってコントロールしてみた。
なにを?  【発熱】を、だ。
仕事がある昼間は熱を下げ、反対に夜は、これでもかというほど
汗をかいて熱を発散させてみた。
道具というのは、身体の自然治癒力を促すものという基準に合った
アーユルヴェーダ薬、ホメオパシー・レメディ、梅醤番茶、ハーブ・ティ
熱い風呂、などである。
39度の発熱でもお風呂に入るなんて、ちょっと無謀なのだが、
今回はなんとしてでも発熱コントロールせざるを得なかった。
アップ・ダウンはあったものの、なんとか対処療法の薬と医者に
頼らず、この節替わりを乗り切ったようである。
【気】の替わり目は、心身伴に不安定になるとわかっていたので、
慌てず対処できたのもよかった。
熱が出てうなされているときでも「これで身体のなかの毒素も出ている」
と思うことで、発熱も楽しめ嬉しくもなる。
人はなぜ、そのことが起こっているのか理解できると、捉え方が
一変し、一瞬のうちにHappyになるものである。