日食 月食 So shock ! その2

「まぁ 日本は太陽にもにも支配されていない国だから
            少しくらい【日食】を眺めても問題ないでしょう」
これが単なる “気休め” だということは、すぐわかった。
しつこく質問するわたしに、少々投げやりになっている、
占星術に精通したガイドの態度で。
なんでも世界各国に当てはめた支配惑星というものがあると
打ち出した占星術家がいるようだ。もちろんこれは、占星術の
古典に謳われているものではない。あくまでも現代に当てはめ、
後年編み出された概念である。それによると
アメリカ  :欲望のラーフ
ヨーロッパ :戦い(植民地化)の火星
日本    :神秘的なケートゥ
インド   :神秘的なケートゥと富の金星(ヒマラヤ付近 :法則の木星)
 ※インドが物質と精神の両面をあわせ持つのが面白い
そして問題の太陽と月は
乾いた砂漠地域(アラビア諸国など)    :権力の太陽
氷の国(北極、カナダ、グリーンランドなど) :受容の月

なのだと。
この論理だけで、日本での日食観測=問題ナシ というのは
なんとも単純である。
実際、南インドの暦には、日食の注意点がこう記されている。
・前日日没前~日食終了時間までは断食せよ
・以下のナクシャトラ(占星術で用いる月宿)を有する者は、
 その間プージャ(祈りを捧げる)を執り行なうこと
  プナルヴァス、プシャヤ、アーシュレーシャ、
  アヌラーダラー、U.バードラパダー

・農業での収穫量はマイナスになる
・国家間での争いが激しくなる
・邪悪な人びとはより苦悩し、低所得者はより苦しくなる
・ビジネスマンは特に要注意である

このパンチャンガには、この日食によりダメージを
強く受ける国々と地域までが記載されていた。
また、北インドでは、日食、月食の日は外出してはいけないと。
特に妊婦は厳禁なのだそう。外に出るのもはばかれるのに、まして
日食そのものを凝視する日本人は、インド人に言わせると
狂気の沙汰になるのだろうか。
もちろん近代化が進む ここインドで、これを守っている人が
幾ばくかいるのか定かでない。北インドの友人が言うには、
しかたなく【蝕】の日に外出しなければならない場合は、
その影響をさけるために、サングラスをかけると。
また、【蝕】の日は寺院もすべて閉ざされ、いっさい儀式も
行なわれない。ひたすら忌み嫌われる【蝕】が去るのを
室内で待つのだと。
北インド人は日食を月食より畏れ、南インド人はそれとは逆だとも。
心=月を非常に重要視する南インドでは、月のエネルギー
が失われる月食は、lunatic(心神喪失)になる
とされている。
一般的に占星術(あくまでもインド)的見解では、蝕でなくとも
黄道と白道が交差するポイント(ラーフとケートゥ軸)は【凶】
されている。そこに魂(太陽)心(月)がアサインされ、
強烈な影響を受けるのだから、精神に支障をきたすと
考える方が、自然なのであろう。
まして今回の日食は、もともと月の支配星座である蟹座で起こり、
深い意識を意味するケートゥ(南の交点)軸での蝕である。
感情的なの星座である蟹座で、定座の月が魂の本質太陽と、
神秘的なケートゥにタイトに関わり、その上【理性】を司る水星もが
同室にあるという、二重三重もの【精神】にからんだコンビネーション
が形成されることになる。
これほど役者が勢ぞろいして、もし精神的安定を保っていられる
としたなら、それはそれで大したものである。こんなレベルは
とっくに超えている、類い稀な聖者に他ならない。
5,000年以上も夜空の星を見つめてきたインド人に、
地動説を唱えたガリレオを宗教裁判で有罪としたことを、
前法王ヨハネ・パウロ2世がようやく1992年、当時のバチカンの
非を認め謝罪したように、ある事実が真実と認められるのに
後手後手な現代人の理論
が、敵うはずもなし。
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ちょうど帰りの飛行機でこれを書いているとき読んだ日本の
新聞に「皆既日食の島 着々」という記事を見つけた。
それによると人口3倍の上陸なのだと・・・
まあ、『すべては心が作りだすもの』という観点からすれば、
“46年ぶりの楽しいイベント”とするか、“戦後同様のリセット”
とするかは、本人次第であろう。
戦前戦後がひとつの区切りだったように、何かが壊れなければ、
新しい時代は始まらない。戦後の東京の焼け野原をみて【終わった】
と思った人と、これからが【始まり(チャンス)】とみて、土地を買い
占めた人とでは、心持ちが天国と地獄だったように。
そして、現実は・・・
インド人はこの日食より、あと数ヵ月後の9月に訪れる
土星のトランジットで頭がいっぱい
なのである。
【蝕】の形成より、ラーフ・ケートゥ軸が移動するより、最大の関心事は
2年半ごとに星座を移動する【土星】くんのこと。
その重大な日は、土星神が祀られるインド最大の寺院 ティルナラール
に、50万人は集まるであろう参拝者でごった返すのだという。
だから、ちょっとおとなしく室内で隠れていればいい【蝕】よりも、
強烈に次のテーマにアタックしてくる土星の対応に、今から
おおわらわなのである。
結論は、今回の日食で心が揺さぶられ、土星のトランジットで
人生テーマに変化が生じ、少なくとも今までの生き方を
見つめ直す最適な時期となるであろう。
そう考えると、新しい時代の幕開けのようで、なんだかわくわくしてくる。

日食 月食 So shock ! その1

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IN A SINGLE MONTH 3 ECLIPSES
On the 7th July lunar eclipse, on the 22nd July solar eclipse
and 6th Aug., again lunar eclipse.
It is very rare. It had happened so in the year 1945 that was a
period so many world countries started due to the after the end
of World War Ⅱ. Within a month 3 eclipses indicated very big
dangerous, not only to the people of the world, but also to the
readers various nations and resource of the world.
By Bharatkyan – research center –
表題:1ヵ月以内に3つの【蝕】
7月7日の月食、7月22日の日食、そしてまた8月6日には月食がある。
これはとても稀なこと。多くの国々が第二次世界大戦終了を迎えた
1945年に起こって以来である。
1ヵ月以内に3回もの【蝕】があるということは、とても大きな危険
を示している。それは、世界中の人びとにだけではなく、さまざまな
国家のリーダーたちや世界中の資産に対しても。

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       ※左の写真は記事の内容と関係ありません
もっとも占星術が民の生活に根付いている、タミール・ナドゥ州の
新聞記事に載っていたこのコメントは、多くのことを物語っている。
7月22日は46年ぶりの皆既日食があると。日本では一種のお祭り騒ぎ
のようだが、ここインドでは、日食前日の日没前から日食が終了する
まで、人びとは断食し、神々に祈りを捧げる

上記の新聞記事にあるように、日食を挟む2回の月食とは、実際は
半影月食のことである。だから、インドにあるパンチャンガ(占星術)
カレンダーには単に満月だと記されている。
しかし、南インドのリサーチセンターBharatkyan 氏に言わせると、
この現象も【蝕】とみなし、46年ぶりどころか、戦後以来のとても
要注意なポイントなのだと。
    なぜか?
もともと太陽の意味するものは、魂の本質デリケートな心
相当する。その両惑星(実際は、恒星と衛星だが)が、黄道と白道の
交差するポイントで一直線になるので、地球に注がれるエネルギーが
掛け算した状態となる。
その影響たるや、尋常ではないのだと・・・
                        つづく・・・

罠 その3

人には誰しも、つい無意識にやってしまう行動パターンがある。
その人生脚本が描かれるのは3歳とも6歳ともいわれているが、
とにかく幼いころに筋書きされて人生ゲームがスタートする。
そのゲームにハマると、迷路のように身動きがとれなくなり、
同じパターンを繰り返し、結果、苦しむことになる。
そこから抜け出すには、まず自分がどんなゲームパターンを
持っているのか、気づくことからはじまる。
気づいたらあとは簡単、ゲームが始まったらブレーキをかけたり
違うやり方に変えてみるだけだ。
大切な点は、すぐにゲームをやめようとしたり、ハマっている
自分を責めて落ち込んだりしないことだ。
そんなことをしようものなら、また別のゲームが始まってしまう
だけで、かえって悪循環だからである。自然にゲームオーバーを
待つしかない。
そう、わたしのゲームのひとつは『正義のために闘う』ことだった。
人として、国として、○○としてモラル違反に触れようものなら、
とことん正してみたくなり、それを行動レベルにまで落とし込ん
でしまう傾向にある。
一見誰しもによくあるパターンで、ある意味、正義の味方的行動
と捉えられなくもない。
この行動自体に是も非もないのだが、問題はその裏に潜む
歪んだ心にある。
土台となっている心は「自分は正しく、他は間違っている」とも
言えなくはない。この自己の優位性のさらに奥には、
「信じられない、何考えてるの?」という、他への侮蔑と嫌悪が
入り混じっていることも否めない。
しかし本質を見れば、表向きは自己優位だが、自信のなさの
裏返しだろう。
このような歪んだ心の動きがなく、基本的に他のことを思っての
大義名分なら問題ないだろうし、100歩譲ってその“行動”に
対しての責め立てならまだ許せる。
しかし行き着く先は、モラル違反=人間として失格 くらいの
人格破壊に及ぶ怖れがあるから危険だ。
なぜなら、それは自己破壊に他ならない。
ある基準値を厳しく、高く掲げているほど、そうでない行動
パターンが許せなくなる。
だれを?
紛れもなく自分自身を、だ。基準値からはずれた自分を否定し、
そのマイナスを見たくないので、問題を心の奥に押し込める。
それ(できていない自分)ゆえ、ますます自信がなくなる。
しかしそれは、ただ隠しているだけなので、どこかでその投影が
働く。そう、これが心理学者ユングのいう、ペルソナ(仮面)と
シャドー(心の影)のプレディクション(投影)である。
だれに投影するのか?
もちろん、他人へだ。許せない自分を責めずに他を責めることで、
不安定な心のバランスを取ろうとする。しかし、これはあくまでも
【投影】なのだから、他人が自己の身代わりになっているに過ぎない。
これをやっているうちは、自分をいつまでたっても受け入れられず、
自己否定=他人否定の罠にハマっていくのだと。
人が自分の基準値からはずれたことをしていても、自分には直接
関係のないこと。行動の結果困るのはその本人であろうから、
怒ったり責め立てるのは、お門違いである。
人にはそれぞれのモノサシがあるのだから、こちらの基準で
測って一喜一憂することこそ、独り芝居である。
それに、力ずくで正さなくても、宇宙の秩序が自然にもどしてくれるもの
である。
以前からこのパターンに気づいて、ゲームを手放すことに務めて
きたのだが、どうもわたし(日本人)の基準値から大幅に逸脱して
くれるコトが多すぎるインドでは、眠っている大義名分がムクムクと
起きだしてきてしまう。
今回の事故も、久し振りの 【許せな~い】 となった舞台である。
今にも戦闘態勢でエンジンをふかしていたのだが、警官の鶴の一声
で、あっという間に解決し、その日のうちに保険会社からタクシー
会社に連絡があり、なんと事故から3日後には車がミゴトに直って
いたのである!
今、その修理されたタクシーのなかでこれを書いている。
正月からゴミを出す人を「このアホ」と罵った人と同じことを
わたしもしてしまった。
怪我もなく大事に至らなかっただけでなく、このパターンに
戒めを与えてくれたことに感謝しながら帰路に着いた。

罠 その2

なぜ警察は早く来ないのか?
相手の車には保険が掛けられているのか?
タクシーの修理代はどうなるのか?
このわき見運転手は、こんな態度をずっと取るつもりなのか?

国が違うとトラブル処理も大きく違う。
いつものドライバーが都合悪く、今回のタクシーは初めて
使ったところである。ドライバーは綺麗な英語を話す
(普通は話せない)とても真摯な方だった。だから
今後もここを使おうと思ったのだが、不運にも、
初っ端から、これである。
会社のオーナーからは、怪我の有無を聞かれ、他の車を
すぐ手配するから乗り換えるよう言われた。しかし、次元は
そういう問題ではなかった。
この不当な状況を解決すべく最大限意識を集中する
ことが、重要課題となっていた。
警察を呼んでから1時間経っても、それらしき車両は現れない。
そのうち周辺住民が外に椅子を出しはじめ、座れと促された。
ついでにチャイまで出できた。
始終厳しい顔をしていたわき見運転手も、この待ち時間に
心がほぐれたのか、仲間と歓談していた。
まったくこんなときに、よく笑っていられるなぁ
と思ったが、気がついたらわたしのテンションも正常になり
なんだか強がっているわき見運転手が可哀相になってきた。
わたしがどんなに訴えても(終いにはガイドが通訳してくれた)
こちらを向かず、ただ腕を組んでムッとしていた彼。
ここまで強気で非を否定するほど、何か守らなければ
ならないものでもあるのだろう。
物理的な金銭なのか、内面のプライドか・・・
すると、ごく普通のお兄ちゃんが、普通の衣装をまとって、
これまた普通の50ccバイクでやってきた。
なにやら皆と話している。
その間、5分ほどだった。
そして、その場の空気が【終わった】ことを示していた。
ガイドもドライバーもタクシーに乗り込み、チャイを飲んでる
最中のわたしに乗るよう合図した。
え! もう終了?
インドのことだから夜までかかると覚悟していたのに、
拍子抜けしてしまった。
あのお兄ちゃん、もしかして警官か?
にしも、5分でなにが起こったのか。
ガイド曰く、あの私服(?)警官が双方の言い分を聞き、
目撃者の証言からも、100% 相手に非があると判断したという。
なのでわき見運転手だけ警察署に赴き、我われは解放された
というわけだ。あれだけ争っていたのに調書も取らず、相手も
あっさりそれを認め、たった5分で済んでしまうことに驚いた。
警察の権威がそれだけ強いということか、単なる習慣なのか・・・
ともあれ、数時間のタイムロスで済んだので、こちらとしては
ずいぶん助かった。
開けるたびにドアのきしむ車に乗り込み、ジェットコースター
のようだった状況を、しばし振り返ってみることにした。
あぁぁぁ また【罠】にハマってしまった・・・・・・・
そう、『正義のために闘う』という大義名分に!
つづく・・・

「もう~ わたしの貴重な時間、返してよぉ!!」
久し振りに怒鳴ってしまった。
テンションが頭頂に集中するのを観察しているもうひとりの
自分が「まぁ、まぁ、まぁ 落ち着いて・・・」と、諭している。
インドに通って長いが、初めて警察を呼ぶことに。
理由は、交通事故処理のため。
用事が長引いてしまい、次の約束がだいぶ遅れていることを
先方にわび、急いで車を走らせている直後だった。
対向車線を走る小型トラックが、荷物満載の上、乗車オーバーの
人足を屋根に載せながら、こちらに向かって突進してきた。
えっ このトラックの運転手、前 見てないよ・・・
同じように危険を感じたこちらのドライバーが、とっさに
左に避けようとしたが、運悪く路肩が工事中。
これ以上に寄れない状況にあった。
その瞬間、ガ、ガ、ガ、ガーン!!!!
相手の運転手がこちらの車に気づいたときにはすでに遅し。
ハンドルを思いっきり切ったが、間に合わず。こちらの車両
側面を引っかいていった。急ブレーキとともに、双方車両が
道路わきに停められた。
うっそでしょ! この急いでいるときに、こんな足止めとは・・・
ドライバーとガイドは外に出るや否や、もの凄い剣幕で
相手の運転手を言及していた。
そう、誰が見てもわき見をしていた対向車に非がある。
外にいた民家の住人も目撃しており、こちらの車に突進して
いくサマをハラハラしながら見ていたという。
過失比は、絶対的に 【100 : 0 】である。
し・か・し
そのわき見運転手は、平然と自分の正当性を訴え、いっさい悪びれた
様子がない。避けないそっちがいけないんだ、と言い張った。
現地語で言い合っているので、わたしにはまったく理解できな
いが、雰囲気からして怪し~い空気を感じとった。
今までもインドでこのような接触事故がなかったわけではない。
対向してきた大型バスが猛スピードで走ってきて、こちらの車の
ドアミラーを吹き飛ばしていったことや、バッファローが突進して
きてボンネットに一撃を加え、何ごともなかったかのように
道路を横断していったことなど。
その都度車両にダメージを被ったが、不可抗力やお互い様という
暗黙の了解の下、話し合いもせずそのままだったが、今回は
ちょっと状況が違う。
この完全過失を平然と跳ね除けようとする輩を目の当たりにし
こんなことまでここではまかり通ってしまうのか? と、ドキドキ
しながら観察してみることにした。
しかし、どうしても我慢できず、英語が通じないであろうことは
承知だったが、相手の非を責める言葉をまくし立ててしまった。
わたしが怒鳴ってもどうにもならないことはわかっている。
ただ、あまりにも理不尽なこの対応では、ドライバーの
立つ瀬がないであろうと。
法律などあってないような国だと認識しているが、このまま
泣き寝入りなどあってはならないと、闘いに挑むことにした。
この【許せない】という思いが、次の約束や時間のことなど
遥か彼方に追いやってしまった。

たとえ日が暮れようと明日になろうと、解決するまで
とことん闘うつもりだ。
つづく・・・

老後の楽しみ

「ねじりのポースはこうするんだよ」
ヨーガ・テラピー真っ最中に、飛び入りでポーズをとって
見せたのは、ここナチュロパティー病院のオーナーである。
この方は、朝6時からはじまるヨーガ・テラピーのときは、
いつも外で、まだ未完成の施設の整備をしている。
ここは今年の2月にオープンしたばかりの病院だ。
まだ、患者数は少ない。
自然療法のメイン治療であるヨーガ・テラピー参加者も、
片手で数えるほどなので、テラピーは今のところ青空の
下で行なわれる。
将来は300人でヨーガができるよう、施設を今、建設中だ。
そう、この病院自体まだ建設途上である。
最低限の設備が整えば当たり前のように診療開始する気楽さが、
なんとも合理的なインドらしい。
わたしが入院する前日まで、病棟にはカーテンすらなく、
チェックしに行ったガイドが唖然としていた。
むろん、すべてがオープンな彼らの感覚では、“カーテン
くらいなくて何が問題なの?”だろうが。
外国人など迎えたことのないこの施設では、何が問題かなど、
知るよしもない。
ここのオーナーとドクター、そしてわたしは、以前お世話になった
ラジャスターン州にあるナチュロパティ病院の医者と患者の縁である。
オーナーは6年前から新しい病院を建てるべく計画し、土地を購入
していた。そして、今年ようやく施設を建設してドクターを引き抜き、
治療をスタートさせたのだ。
       さて、その目的は?
ずばり、チャリティーである。
1億円ほどかけて整えた施設には、老人や貧しい方のために
適切な自然医療を施したいというオーナーの想いが詰まっている。
ここでの宿泊費、治療代はもちろん患者持ちだが、申し訳ないほど
小額だ。テラピストとドクターに給料を払ったら、他の運営費が
賄えるのかというほどの額である。
施術を受ける日本人としては、これではとてもじゃない恐縮する。
だから、施術後にお礼(チップ)を渡すことで、ホッとする。
インド人患者にとっては、貧しくてもリッパな治療が受けられる。
しかし、その分運営側の負担が大きい。
しかし、そこは前述したとおり、目的が【奉仕】活動だ。
オーナーとしては、こんな活動ができればできるほど、嬉しいと。
銀行マンから脱サラし、ビジネスを立ち上げ大成功したという
オーナーは、子どもたちを結婚させ役割りを終えたので、
蓄えた財を他への奉仕に充てる
ことにしたのだと。
首都ニューデリーから20kmほど離れた国道沿いにある病院だ。
病棟自体は奥まったところにあるため、道路沿いの敷地は
まだ空き地のままである。
そのため、様々な業者が空き地に店舗を出したいと、
土地賃借の話しを持ってくる。
また300人規模のヨーガ・テラピー施設を、一時的に結婚式会場
として貸してほしいという引き合いもあるそうだ。
普通に考えると、病院経営で採算がとれないなら、他で収益を
あげて収支バランスを整えそうなものだが、このオーナーは
あくまでもすべての活動を【チャリティ】にと徹している
だからこのような取引きは、一切断っているという。
そう、オーナーはやりたいことをやっているだけである。
そこにはルールも、損益勘定も「やってあげた」という傲慢さもない。
「オーナーだから」という権力欲も、微塵もない。
だから早朝から一緒に建設現場で仕事をなし、ときどき気になる
ヨーガに口を出しながら、奥さんは自由気ままにわたしたちと
一緒に、裸の友としてテラピーを受けている。
       いいな~ こういう老後生活
ここでは施す側も受ける側も、双方の望みがマッチするという、
いい感じの関係が生じている。
はじめ、もっと多くの外国人を受け入れるために、サービスや
施術方法の変更を、ドクターに提言しようと思ったが、
外国人を受け入れる→より利益が上がるという構図は、
ここには必要ないことだとわかった。
ここの施術を望むには、外国人がここに合わせる他ないと。
だから、全身の泥パック後に、腰の位置にある水道の蛇口の下に
もぐりこまなければならないのも、全身のオイルマッサージ後に
身体に残ったオイルを洗い落とすどころか、拭かずに衣類を着る
ことも、これがインド流とあきらめなくてはならない。
患者側も最低限の治療代だから多くは望まないし、
施術側もお客さん扱いなどしないと。
毎朝ドクターの診察を受け、個々に合ったトリートメントと食事の
メニューが決められ、その患者の入院期間にあった完成された
プログラムを作ってくれるなんて、わたしから言わせれば、
至れり尽くせりだ。
それを思えば、多少のインド流サプライズなど、取るに足りないことだと。
溜まりに溜まったわたしの毒素をもらい受けてくれるかわりに、
活力をいただけるのだから、感謝以外なにものでもない。
今度こそ、毎年必ず施術を受けることをドクターに約束し、
アッという間の入院生活をあとにした。
これから毎日、また激動の生活が待っていることに
意識を切り替えつつ・・・
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             ドクターとオーナー夫妻

復活! by ナチュロパティ

ほぼ病人と化したように、丸4日間、治療以外はベッドで寝続けた。
インドに来てすぐ、ナチュロパティ(自然療法)病院への入院生活に入った。
3日目からは完全な水だけの断食となり、毎日昏睡状態もどきとなった。
3年前に初めてこの療法に出会い、たったの10日間で心身の毒素を排出し、
その後1年間、パワー全開の活動ができるほどになった経験がある。
自然にあるもの(水、泥、太陽、野菜と果物)だけのトリートメント(治療)
で、ここまで元気になるものかと、いたく感動したものである。
そのときは毎年定期的に入院しようと決意したものの、諸事情で今に至って
しまった。ようやくこれた今回の入院期間は8日間、本日で終了。
前回より期間が短いので強烈な【水だけ断食】を取り入れることになった。
この間、まともにチャパティ(日本ではご飯に相当)を摂れたのは、初日と
最後の今日だけ。
結果、ミゴトに復活しました!
しばらくブログも更新できないほどの激務で疲労困憊していたが、
これからまた活動を、徐々に開始していく予定。
現在、GHI(ギビング・ハンズ・インド)スタッフである、Mr.Nitin が
ナチュロパティのドクターになるべく邁進している。
今回のわたしの入院中の食事やヨーガ指導にも施術側として加わり、
今後GHが目指している、持続可能な心身の健康を子どもたちに
提供するプロモーション活動に貢献してくれるだろうと期待している。
わたし以外の入院患者の多くは、西洋の医者から見放された病を持つ
患者が目立つ。彼らが最後にここにたどりつくときには、病も悪化して
いるというが、その後の回復はミゴトなものである。
インシュリンを打っている糖尿病患者は3週間で、インシュリンなしの正常値
寝たきりで歩けなかった方は、約1年で階段もひょいひょい

など、聞けば奇跡は山ほど・・・
浄化で入院しているわたしのような者と、不治の病だといわれた者
との治療が、ほぼ同じメニューというのだから、心身の浄化を怠たる
延長先が、重い病に至るという証明であろう。
自然の力は偉大であると、あらためて、古代人が自然を神と仰いだ
気持ちが、少し理解できるような気がする。
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