曖昧 ~ モノゴトの順逆 ~

先週は缶詰状態で勉強した。
なんだか賢くなったような気がする。
その後に出会うヒト・モノ・イベントが一気に
変化するので、お勉強の「効果」が認識できる。
波動が変化している証左だろう。
しかし、それを維持するには、学んだものを
定着させねばならない。
でないと色褪せるに従い、元の波動にもどるだけ
こんな経験を何度かしていると、モノゴトの順逆が見えてくる。
レベルアップすることを【した】ので、やってくる縁が【変化】する。
であって、いい縁があったので、レベルアップするのではない。
もちろん良き縁のお陰で成長するのは事実であるが、
その前に自分の波動レベルを上げておく、もしくは、
下げることをしない、という前提がある。
       そう、トリガーは自分から
モノゴトが思い通りに進まないのは、その点を曖昧に
していることが少なくない。
「曖昧」とは、モノゴトをはっきりさせないということ。
これは、一時的には心地いいが、そのツケは大きい。
グレーゾーンはどっちにも転べるという、いわゆる
体のいい逃げである。すぐに決断しなくていいので、
浸かっているうち、抜け出せなくなる。
それだけではない。その曖昧菌が伝染し、
すべてが『どっちつかず』となる。
昼と夜の狭間 【夕方】は、地磁場も不安定になる。
建物の磁場を測ったとき、陰と陽の境 【空亡】に
羅盤の針が落ちると、人間が住めない空間になる。
つまり、あの世にもこの世にも行けない
彷徨える魂の格好の場となる。
人間関係もしかりだ。
役割り、関係性がハッキリしない付き合いは、
その他も同様に、曖昧となる。
元彼と連絡をとりながら、新たな出会いを求めることは、
善い悪いではなく、また元彼と同じ波動の出会いがある
というだけ。
そこから抜け出したいなら、目の前のことをサクサク進めたいなら、
思い切った身辺整理をしてみると、案外うまくいくもの。
モノゴトの順逆を変えただけで、ウソのように進むから。

違和感

ある、売れっ子スタイリストがいう。
自分ができることをしていたら仕事になった。
大きくなったので税理士に法人化したほうが
いいと言われたから、そのとおりにした。
結果、皆から 『事業家』 といわれるようになった。
なんだか落ち着かない。
自分には、そんなセルフイメージないから。
「みんなで喜べることがしたい」
ただ、それだけ。
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ある、小さなNPO代表がいう。
いいことがあった人に、持続可能な幸運ルールとして
「それを、みんなにまわそう」と伝えていた。
すると、「具体的にどうしたらいいかわからない」
と言われた。
であればと、インドに行くたび そんな方の
古着を持参することになった。
ついでに寄付金も託された。
いつしか人伝えで寄付が集まるようになった。
人様から預かったお金が目の前を通るたび、
収支を明確にせねばと唸ってたら、1年たってしまった。
『カエルを食べてしまえ!』 が本棚から落ちてきた。
一念発起して、法人化へと進めた。
結果、皆から 『慈善家』 と呼ばれるようになった。
なんだか落ち着かない。
不似合いな呼称だから。
「みんなが幸運になる連鎖ができればいい」
ただ、それだけ。
スタイリストもこの代表も、事業を立ち上げ、
継続することは、手段でしかなかった。
他から注目されるポイントは、ただの通過点。
そこを評価されると、妙に違和感がある。
いわゆる「成り行き」でそうなったまで。
いい加減のように聞こえるが、それが事実だ。
    ここでのポイント
①大きな視点で目標を掲げると、手段に柔軟性が生まれる。
②とりあえず目の前にある達成可能な目標を掲げると、
 手段であったものが目的となり、手段の自由度が狭くなる。

スタイリストの「みんなで喜べる」生き方に、たまたま
事業が含まれていた。これは手段であり目的ではない。
だから他の方法でも、ありだと。
NPO代表もしかり。自分でなにも立ち上げなくても
その分野の専門家に丸投げしてもよかったと。
ということは、それがなくなっても大丈夫。
乗り物をかえて目的地へ行けばいいから。
スタイリストを 『事業家』 として讃えても
「いえいえ、大したことはありません」と。
これは 『謙遜』 でもなんでもなく、マラソンランナーに
途中で声をかけているだけだから。
視点が違うと受け取り方が違うと。
②で自由度を失っていると、ものごとが停滞してくる。
そんなときは、①で視点をグ~ンと離し、再度
止まって、見て、考える。
すると、やるべきことが勝手に湧き上がってくる。
スタイリストは、今でも「皆が喜べる」何かを探して
淡々と活躍している。
NPO代表は、いったい何をやりたいのか周りに
十分理解されないまま、悶々と活動している。
それがいいのか悪いのか、本人にもわからないが
目標は大きいほうが、小さいより達成しやすい
ことだけは確かだ。
大きな視点で見ていると、小さな視点は、
単なる “通過点” になるから。

両刃の剣 【三者報告会】

「真面目に勉強しない子は、支援を打ち切ります
   うゎ~ シビア・・・
ギビング・ハンズでは、
ネパールの片田舎の貧しい公立学校を支援している。
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シュリ・パドマ・プラカッシュ・セコンダリー・スクール
http://giving-hands.jp/facilities.html#SPPSS
この校長の言葉に、
「そこまで日本人、望んでませんが・・・」
と、口から出そうになる。
しかし、
彼らはそんなことは関係なく、支援を受ける側の
当然の義務として、
様々な取り組みをしている。
そのひとつに、【三者報告会】がある。
①支援者  → おもに日本人
②被支援者 → 生徒およびその家族
③媒介者  → 学校および地域社会

この三者が一同に会して行なう、
年次報告である。
年間の収支報告、学童の成績発表とその表彰のみならず、
支援者の紹介とその功績を、皆の前で行う。
これにより、
まず支援者は
支援金がどのように使われているか一目瞭然、
被支援者である生徒と父兄は
どんな方々からの援助か把握でき、
それに応えるべく、勉学に励む。
さらに、媒介者である学校側も、
受け取った支援金をストレートに子どもたちのために
使っている「透明性」が証明される。
非常に明朗な、支援システムである。
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今年(2010年)の3月、
新校舎完成式典を兼ねた報告会に
参加してみた。
そもそも、ここの支援を始めたきっかけは、
4年前に初めてネパールを訪れたとき、
宿泊するホテルの送迎車にいたガイドとの話から始まった。
「ネパールは初めてですか?」
「どんな目的?」
どこに行っても聞かれる会話。
答えも、普通に
   NPO関連(すでに支援しているチベッタンラマの学校視察)
   ところで、
   どこか支援するにふさわしい施設か学校、ご存知でしょうか?
ネパールという国は、多くの諸外国から国際支援を受ける国である。
その諸外国のトップに日本がいる。
なので、
わたしのような目的で訪れる人は少なくないはず。
なのにガイドさん、「へ~ 珍しいですねぇ」と
驚くばかりで、ちっともこちらの質問に答えてくれない。
しかしホテルに着くや否や、ある公立学校の校長と
連絡をとってくださり、
翌日の視察があっという間に成立した。
彼らとは
それからの付き合いになる。
今回の報告会には、
その地域を担当する議員も来ていた。
いやに本格的だと感心していたら、
ネパール語の通訳の方が経緯を説明してくれた。
この方は普段、日本に在住している、この学校出身でもある。
さらにここを紹介してくれたガイドさんの弟だという、
生粋のネパーリーである。
彼が日本にいるとき、この議員が訪日した際、通訳をしたのだと。
ちょうどいい機会なので、
今回の報告会に来てほしい旨を伝えたらしい。
しかして
返事はあっさり「No」だったと。
普通はそこで引き下がる。
しかし、この通訳、ひるがえって説教しはじめた!
「あのですね! 
日本人が汗水流してコツコツ貯めたお金を
ネパールの子どものために、
しかもあなたの選挙区内の地域のために使っているんですよ! 
それを 『忙しいから』 と二つ返事
で断るなんて、どういう神経ですか!
万障繰り合わせて
絶対に来るべきです!!」

   ・・・・ 絶句 
   わかったわ、なんとか調整してみます。
   ところであなた、その能力、外交官にでもなったらいいわね
ホメ言葉なのか、イヤミか。
かくして、この女性議員、開始時刻を
大幅に遅れての到着だったが、
当日ちゃんと現れた。
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ここは、
国が、地域が、学校、生徒、父兄、支援者が
一体となって、システムを動かしている。
さらに、
その時わたしが持参した支援金額とその用途を
皆の前で発表するので、前に出てほしいと。
とっさに言われたわたしは
「いや、いいですよ。
   学校側が把握してくれれば」と断った。
すると
先ほどの議員さながらの勢いで通訳から
「なに言ってるんですか?
それでは生徒や父兄たちが
その支援金で使われたものに対しての価値がわからない
じゃないですか!」

   ・・・・ 沈黙
   そ、そうですか、皆のためなら前に出ますよ
今度はわたしがいいように諭された。
支援する側にもそれをちゃんと
伝える義務があるのだと。
寄付ひとつとっても、
しっぱなし(支援者)、受け取りっぱなし(施設や学校)、
されっぱなし(子ども)が多々ある中、ここの徹底ぶりは目を見張る。
さすが、議員にホメられる外交官顔負けの仲介人だけある。
義務と権利の絶妙なバランスが取られる。
支援活動はヘタをすると “両刃の剣” だ。
いわれのない資金が動くことで、
堕落、甘え、自己満足、依存が生じやすい。
もっとも重要な 『自立』 にほど遠くなる支援なら、しないほうがいい。
ギビング・ハンズも少なからずNPO団体として、
この原理原則を押さえて、
支援者が見ていようといまいと
義務と責任において、
「自立」を掲げ、なすべきことを為そうと思う。
関係者
すべてが成長できることを願って。