アースカラー ~ 地球色に染められて ~ その1【手段と目的】

「ところであなた、英語ができなくて、どうやって
                     海外で仕事しているの?」
    おっしゃるとおり ホントに自分でも不思議です
イギリスの友人が執筆した本の邦訳を、プロの翻訳家(女性)に
依頼したときのこと。彼女の言葉に、自分でも深くうなずいた。
インドにて、占星術、ヨーガ、仏教などに関することなら、
専門用語の理解によって、なんとか会話が成り立つ。
しかし、NPOを興してからの活動は、福祉、心理学、
精神病にいたるまでの専門用語満載会話に、ホトホト困った。
そこで2年前、一念発起して英会話を習おうと。
で、時間がないので効率よく習うためにはやり方を選ぶことに。
わたしの乏しい智恵をしぼっても知れているので、
そこはインド、神頼みならぬ、賢い聖者に聞くことにした。
どのような方法が適しているのか、どんな人から、
場所は日本か外国か、またいつからがいいのか。
と、やる気満々で具体的方法を問うた。
しかして、その回答は・・・
「習う必要ない」
    はぁぁあ?? なんでまた・・・
完全に肩すかしを食らった。
実際、困っていたから真剣だった。
「あなたの活動目的はハッキリしてる。それなのに何故、
伝える 『手段』 にこだわる必要があるというのかね?」
    んなこと言われても・・・
その後に続く説明は、もっと引くものだった。
「仏陀もイエス・キリストも教えを説くのに言語が必要だったかい?
あなたの想いが優先されれば、言葉なき言葉として伝わり
活動に支障を来たすことは、一切ない」
    ホンマでっかぁ?
    そんな偉大な人物と比べられても困るんですが・・・
出鼻をくじかれた思いはあったが、わたしより
賢い聖者がそうおっしゃるなら、お言葉に甘えて
『地』 のままで行こうと。
というわけで、わたしのイングシッシュは、ジャングリッシュの
まま、インド人のヒングリッシュと対峙している。
現場で何度もそれらの専門用語に触れると、目の前の
状況から、その子がパニック症なのか、統合失調症
なのか、肌で感じるようになってくる。
そう、言語が理解できないから、赤子のように五感を
全開にし、感じたままで返事をして、今に至っている。
聖者のおっしゃるとおり、なんとかやっている。
もし手段(道具)にコダワリ、道具を磨くことにかまけていたら
為すべきことが遅々として進んでいかなかっただろうと。
マヤでは、シャーマンになるべく赤子が生まれるとすぐ、
13歳になるまでずっと、目を包帯で覆うのだと。
    他の感覚器官を研ぎ澄ます訓練のために
あらゆる生命体は、たとえ何かが不自由でも、他の
感覚器官や臓器、肢体でそれらを補うようにできている。
その不自由さを超える「目的」「あり方」「生きがい」が
ひとつの手段を、魔法のように無限の方法にしてくれると。
手段という道具を磨いていると、なんだか「やっている」
ような気になってくる。実態はなにも進んじゃいないのに。
ひとしきり雑談を楽しみ、翻訳者との打ち合わせも終わるころ
    ただ来年、インドで農業研修ツアーを予定していて
    連れていく日本人はまったく英語がわからないので
    農業専門の通訳が必要なんですよね・・・
と翻訳者に伝えた。
「あら、わたしは国際協力機構で働いていた頃、農林水産省の
仕事をしていたから、専門通訳は農業なのよ!」
    わぁ~ それは話が早い!
 
    ただ、その農業研修は特殊で、アストロ・バイオ 
    ダイナミクス農法
なんですよね
「あら、知ってるわよ。その農法の勉強会も知人がやってるし、
それに詳しい人がブエノスアイレスにいて、よく日本にも来るわよ」
    な、なんですって ブエノスって南米ですよね?
ここ数年、古代遺跡巡りに惚けているわたしの、次の砦が
南米だった。今年の春、行く予定だったが、1月の洪水被害で
現地のインフラがやられ、目的地へ行くことが阻まれていた。
古代遺跡とアストロ・バイオ農法とは、まったく関係ない
本の打ち合わせだったのに、わたしの「英語できない」話
から、一気に日本の反対側の地球まで飛んでしまった。
しかも、バイオ農法を知っている日本人が
身近にいたことにも、ビックリだった。
近年、感覚器官と外応に導かれて生きているわたしは
この不可解な流れを、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
7月の渡印 3日前の出来事だった。
       
                         つづく・・・

本末転倒 ~ オール電化の真相 ~

『幸せになるために家を建てる』が、家を建てることが目的
になって、肝心な幸せがどこかへ行ってしまいそうですね・・・」
現在手がけている、風水建築物件の施主さんからのコメント。
設計士との打ち合わせも終わり、最終チェックに入ったころ、
キッチン・コンロの位置の調整を指摘したときのこと。
オール電化なので、調理器具はI Hなんですが、それでも
コンロの位置、悪影響ありますか? との問い。
既存物件のキッチン・コンロの位置がよくない場合、
別の場所へ炉(コンロ)の位置を移し、
カセット・コンロで調理するよう指示している。
だが、今回の依頼主は、自由設計で家を建てられるという
風水的には自在に『氣』をコントロールできる
という優位な条件下にある。
あえてオール電化という自殺行為にでなくても・・・
まして、炉にI H調理器を使うと聞いたからには
黙っちゃおれない。

ユーザレビュー:
ちょっと立ち止まって …
メディアは「人を洗脳 …
フェアな内容ではあり …
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I H調理器が普及しているのは、
ハッキリ言って日本だけのよう。
海外では電磁波の害が、当たり前のように知られているから、
購入者がいないのだと。
この事実を施主に伝えたら、こんな返事が。
  確かに、うちの会社でも、『○○(会社名)の皆様だけに』と
  かなり安くオール電化にできる
  キャンペーンをよくやっています。
  これだけ光熱費がお得なのに、
  何でキャンペーンまでして売り込む
  必要があるのか不思議でしたが、
  
  そういった【害】を知っている人は知っている、
  という理由なのかもしれませんね・・・
  確かに、自分も含め、『安くて便利なら何でもいい』
  思ってたので、電磁波がどうかなんて、
  あまり考えたことありませんでした。
  でも、もう自分のことだけを考えればいい訳じゃないですよね。。。
  子どもができれば、子どもの未来は私たちが守って
  いかなきゃいけない
のに親として自覚が足りないですね。

また、エネルギーに敏感なわたしのヨーガの先生は、
以前、セレブ家庭から依頼されて料理を作る仕事をしていた。
IH調理器で料理をすると、いつも具合が悪くなったと。
やはりそこはオール電化だったので、家に入った途端、
身体が敏感に拒絶反応を起こしたそう。
2~3回依頼を受けた後、丁寧にお断りしたとのこと。
先生曰く;
「いい。今ではIHを普及させるためのお料理教室があってね
そこでは、こんな分厚い電磁波防止エプロンを着けさせるのよ」
と、そこではいかに I H設備がキレイでおしゃれで
調理も簡単かばかりを強調し、電磁波の害は
決して教えてくれないと、先生は若者を憂い嘆いていた。
つい最近、喫茶店主が、IH調理器でお湯を沸かしていた
店の従業員が次々に心臓病になったことを機に、
調理器メーカーの三洋電機に8900万円の
損害賠償を求める訴訟を起こした。
三洋電機立会いで実験した結果、
電流の存在を確認したとニュースになっていた。
また、危ないのは最近のエコ・ブームに乗った
ソーラーパネル
エコには確かにいい。
庭や車庫の屋根につけるなら賛成である。
し・か・し、母屋の屋根に取り付けることで、
その直下部屋の住人には
多大な悪影響(うつ病など)が
生じることも知られている。
いくら自然の恵みといえど、
いったん電気化したら電磁場の影響を
受けることになろう。
これは、競合他社であるガス会社勤務の方なら
当たり前のように知っている事実だ。
便利さという名の下で、あとから痛手を被った例は、
今まで枚挙に暇(いとま)がない。
結果、目的と手段を履き違えて
「こんなハズではなかった」症候群が、あとを絶たない。
消費者は宣伝・広告に振り回されず、
自らの目で耳で確かめ、
家族に安心したものを取り入れたいものである。
それには「脳」で考えず、感覚器官を研ぎ澄まし、
感じるままに受け取るのが一番いい。
身体の本質は
なにが自分にいいかをよく知っているから。
※上記紹介の本に、こんなレビューが。
《オール電化断念の新聞記事》
2005年、三重県三雲町が17億円をかけて
開設した幼稚園は、オール電化で給食調理場に
5台のIH調理器が設置されていた。
開園直後、調理員が頭痛を訴え始め、
自冶労県本部の顧問医師が調査を実施したところ
IH調理器周辺の電磁波計測が2万ミリガウスを超え
「測定不能」になった。
自冶労本部は2万ミリガウス超の電磁波が出たことを
重大視して、市にガスコンロへの変更、
正しい使用法の徹底・・・を要請。
結局、複数のガスコンロ導入を決定し2005年5月、
「三雲地区の幼稚園完全電化1年で断念」という記事で
新聞の一面に掲載されました。
このように、今の世の中、オール電化の大合唱の中、
いろいろな資料などからオール電化は体にも財布にも
良くないということが、よーく分かる本です。

                    2013.9.1 追記

許せない! その2

日本の人口2.5%にあたる300万人が、農業就業人口だと。
そのうちの200万人が60歳以上の高齢者である。
http://www.stat.go.jp/data/nihon/g1507.htm
つまり、このまま若者の農業参入がなければ、10年後には、
ほぼ半減するという、小学生でもわかる計算。
で、その農家が生産できうる食糧自給率は40%を切る。
これは、国家の安全保障上きわめて危険な状態である。
またその中には、年間1000万トンもの廃棄食糧も含まれる。
これは食糧全体の1/4にもなるムダ使いだ。
さらに、食糧自給率をたとえ上げても、結局輸入される燃料、
肥料、飼料
などが供給されなくなったら、途端にお手上げと。
一方、世界一の食料生産国であるアメリカは、人口のたった
5%が農民なのに、世界の食糧生産のかなりを支えている。
このような生産性ある農業では、若年層の農業離れが少ない。
もちろん日本とは土地も条件も異なる米国と、単純に
比べることはできないが、とにかく国の農業でどれだけ
国民を養えるかが、『国力』の基盤であることは確かだ。
それは個人でも言えること。
昨今の不況時代、サラリーマンはリストラ対象にならぬよう
出来るだけ上の顔色を見て泳ぐ『ヒラメ』と化す。
しかし、兼業農家のサラリーマンはイザとなったら
「食べられる」手段と、やることがあるから強気である。
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      K教授の畑
こんな日本の現実を知ると、K教授の不耕起栽培
光ってみえてくる。
植え床はなるべく草が生えないよう、藁などを敷き
となりの畝(うね)には雑草を自由に生えさせる。
害虫が発生しても、益虫も現れるから悪さを抑える。
起こさないことで、ねずみやモグラの通り道もわかるから
彼らの邪魔にならないところに植えられる。
すると、作物もかじられないと。
こうすることで、自然の生態系バランスがとられる。
   自然の力を生かすにはどうすれば良いかを考えよ
   農業が苦労という事は、自然の力を生かしていない証拠
   作物の安全・安心は当たり前、環境増進まで考えよ

この定義からすると、肥料、飼料が最低限で済むし、
不耕起だから機械購入の費用と燃料がかからない。
自然任せなので重労働とならず、自然からの反発もない。
いいこと尽くめである。
これに気づくまで、いったい何年かかっていることか・・・
この間、起こっている地球異変で、多くの弊害が生じている。
明らかに地球の磁場が弱っている。この磁場ホールの
最大級のものが、16万キロにもおよぶ割れ目として
ブラジルと南アフリカの海洋上にあると。
それは、南極上空の成層圏に広がる悪名高いオゾンホール
と驚くほど近く、わずか数度北に位置しているだけである。
これにより、地表に達する紫外線が増加しているのは
周知の事実である。有害紫外線であるUVBが起こす
サンバーン(やけどをともなう日焼け)は、深刻な事態を
招いている。
これをマヤのシャーマンに伝えると、次の言葉になるのだと。
「皮膚のカビに対する処置は、日に当てることなんだよ」
   ・・・・・・・・!
この暑さと焼け付くような日差しを「許せない!」、だと?
   ふざけるな!
地球生命体を大量のケミカルで汚染した寄生虫のような
おまえこそが、許されない存在なのだと。
なるガイア・地球が悲鳴を上げているのを、熱い恋人である
なる太陽が治療を施しているというわけだ。
その後、早朝に出荷を控えているK教授にお礼を述べ、
「語ろう会」第2部がスタートした。
言わずもがな、わたしの独壇場である。
   今後、宇宙規模で起こる予測と、地球への影響
   インド聖者たちの見解と心構え、その対策
   『人』として為さなければならない事とその準備

「薄々わかっていたが、あまりにも具体的でショック・・・」
という参加者を尻目に、残された時間がないなか、
淡々とコトを進める計画と役割り分担を決めた。
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翌日も天気がよかったので、パワースポットだという
松原湖に寄った。
子どもたちに付き合い、ボートに乗ることに。
    あぁ~ なんて、平和なんだろう・・・
昨晩話したコトなど、どこ吹く風かのごとく
日曜の湖畔には、穏やかな時間が流れていた。
この “平和ボケ” が墓穴を掘ることにならぬよう
肝に銘じて過ごそうと。
   
                        Fin

許せない! その1  

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    許せない! この暑さ・・・・・・
「インド慣れしているあなたは、こんな暑さ 平気でしょ」
と、よく言われる。
しかし、インドの暑さを知っているからこそ、
「日本の夏」のコンフォトゾーンから離れた暴走する
猛暑は、わたしの許容範囲から外される。
先週後半ずっと長野で過ごしたので、実にご機嫌だった。
日中、焼け付くような日差しでも、日陰や朝晩は涼しく、
すでに秋を思わせるようだった。
風に当たると確実に秋なのに、照りつける太陽は
それとは対照的に、ジリジリと肌を焦がさんばかりだった。
    いつもと 違う・・・
東京に向かう日曜の高速道路は混むので、
昼には長野をあとにし、帰路についた。
車中、窓ガラスから射し込む日差しと、東京の蒸し暑さに、
心地よかった避暑地の余韻は、一気に吹き飛んだ。
都会と田舎の異常な季節を過ごし、いつもと明らかに
違う何かを感じつつ、エモイワレヌ未来への危惧は、
ますます抑えられないものとなった。
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この週末、標高1200mに位置する高原でキャンプ決行。
     目的は 「未来の青写真 確認と、その対策」
都会からやってきた早朝6時起きの参加者と、
長野農業チームが昼間、キャンプ場で合流した。
有機栽培農場での作物収穫と、高原温泉に浸かったあと、
バーベキューの準備へと入った。
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昨年から続く天候異常に、農家は四苦八苦しながら、作物を
育てている。今年は7月の長雨と8月の旱魃に見舞われ、
まさにの洗礼を受けていた。
これはロシア、アフリカなどの山火事と、その他多くの国で
起こっている洪水被害という、地球規模の洗礼同様である。
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おばちゃんの農作物の解説に耳を傾け、自らの手で収穫した
野菜たちを、炭火の鉄板の上で焼いていく。
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炭の熾し方すら初めての人ばかり。地元人が手際よく
半分に切ったドラム缶に火を熾し、りっぱな調理場にしてくれた。
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次々と地元の参加者が集まってきた。
依頼してあった、農業の達人「K教授」もやってきた。
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さて、本題である「語ろう会」開始だ。
「皆さんにお伝えしたいのは、農業の基本は『土作り』である」
と始まった教授の講演は、至極シンプルかつ、実体験に
基づくものだった。森林工学専攻の教授は、森の自然の生態系と
畑のそれを比較
し、自らの土壌を実験場にして確認している。
その結果、何も手を加えない不耕起栽培こそ、もっとも効率よい
農法だと力説していた。
                                つづく・・・

死ぬかと思った! その3

「マダム、寺院の僧侶があなたにお礼を言いたいって」
おもむろに電話を向けられ「サンキュー、サンキュー」
と何度も言われた。
いったいナンのこと?
あえて自分のことを棚にあげて言うが、
インド人はいつも、事前説明がない
とにかく前後の状況を見て、判断するしかない。
どうやら渡した寄付金で、近くの貧しい寺院に
雌牛と仔牛のセットが、差し出されるらしい。
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寺院では、アビシェーカーという儀式が施される。
これは聖なる液体や供物を神々に捧げるのだが、
そのメインがミルク・アビシェーカーである。
そういう意味でミルクを提供する雌牛は、
貴重な存在だから、有り難かったというわけだ。
しかし、
その施しを選択したのはあくまでもグルジであり、
ギビング・ハンズではない。お礼をいわれて恐縮した。
そんなわたしの表情を読み取って、ガイドが言った。
「日本では牛が口蹄疫でやられてるんでしょ。
ギビング・ハンズが日本代表として、罪滅ぼしをしているんだね」
    !!!!
まさに、その通り!
その前日、ガイドとの何気ない会話で、
日本における口蹄疫の実態に話が及んだ。
なぜなら、インドにおける牛は神様なので、
もし同じ疫病に牛が罹ったら、日本のように殺傷処分される
ことになるのかと?
「なに言ってるの? 口蹄疫なんてすぐ治る
処分なんてあり得ない。
なぜ日本は食べるために殺すだけじゃなく、
そんな残酷なことするのか!?」
    え? 簡単に治るって・・・・ どうやって??
ガイドはおもむろに近くを見回し、傍に座っていた
子どもになにか指示した。
子どもは、木から葉のついた枝を取ってきた。
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「いいか、これはニーム(Neem)というハーブだ。
この葉っぱをすり潰し、ターメリックと混ぜてペースト状
にする。これを患部に塗るのと同時に牛に飲ませるのさ。
まずいから、喉に直接流し込むこと。あとは
キャステル・オイルに浸したバナナを食べさせる」
その後、牛をゆっくり休ませるだけだと。
    ホントかなぁ~
にわかには信じがたいが、神格化している牛を処分する
わけにいかないインド事情を考えると、なんらかの
対処法があるはずだ。
日本では、国を挙げて大騒ぎしている。
そんな中、涼しげに解決策をのたまうガイドを横目に、
必死でメモを取った。
なにかの機会に日本でも使えないかと。
しかし、途中で筆を動かすのを止めた。
天のルールに沿って考えたら、あれだけ牛肉を
食している国民に、牛を助ける義務はあっても
果たしてこんな有効な機会を受け取れるだろうか・・・
「これ以上、牛をむやみに殺す(食す)な」
という警告やも知れぬ。それに早く気づけよと。
インドだからこそ、「葉っぱとウコン」という単純極まりない
処方箋で、いとも簡単に完治するのだろう。
「生かすものは、生かされる」
というのが、因果律。
グルジが最後に教えてくれた貴重な教訓;
「一生のうち、10万人にフリーミール(無料の食事)を施せば、
今生すべての業(カルマ)が解消されることでしょう」

というのが、グルジのマスターからのお言葉。
   10万人かぁ・・・  一食、手配料含めて300円だとして・・・
   3000万円と・・・  あと何年生きられたら・・・
頭で計算しているうちは、まだダメだ。
とにかく出来ることから 『行動』 せよと。
むしろ、膨大に積んだ「業」がこれだけで解消できるとは
あまりにも、お手軽すぎじゃないかと疑ってしまう。
しかし、25年前まで映画監督だったグルジに、すべてを
捨てさせたマスターの偉業をみると、あながちウソではないかも。
因果律とは、バランスである
「殴ったから、殴られる」だけでなく、「殴ったら、他を保護して助ける」
「殺したら、殺される」 → 「殺したら、他の命を助ける」ことで
均衡がとれるものなのかもしれない。
フリーミールとは、まさに生死を分ける施しである。
どれだけのを提供するかで、自己ののバランスが
計られるかは定かでないが、10万人というのは単なる
目安で、要は「出来うる限り多くの」という意味だろう。
このグルジとの出会いは、あらかじめ仕組まれたようなもの。
これを聞いたからには、出来る限のりフリーミールを
今後も心がけたい。
そう、「死のレッスン」とは、いかにちゃんと「生きるか
に他ならないから。
希望者は、ギビング・ハンズにお申し出ください。
渡印の都度、施し続けることをお約束します。
                         
                              Fin
 

死ぬかと思った! その2

「君の夫に素敵なお土産があるから、楽しみにしていて!」
なんだろうね~ と脳天気に喜ぶ姪っ子。
黄泉の国へと誘われるかもしれぬ怪しい薬を、
嬉々として受け入れる変わり者は、彼しかいない。
わたしの状況をすべて話したら、案の定、喜び勇んだ。
となりで姪が「生命保険、いくら掛けてた?!」と、ジタバタ。
あとで恨まれても困るので、薬剤師さながら
しっかりと事前説明をした。
   いい、絶対に摂ったあと、すぐに食事しちゃダメだよ!
翌朝一番で決行するとのこと。
翌日、ナンの報告もないので、こちらから問う。
まったく変化ナシだと・・・
   変だな~ わたしの体調がおかしかったのか??
夕方、家を訪問。
すると夫は、ベッドの上でのた打ち回っていた!
   やった~ 
半日経ってからとはいえ、犠牲者その2 だ。
さっそく成分をグルジに聞くことにした。
   これって、水銀 入っているでしょ!!
   もう、大変だったんだから・・・
「ふぉ、ふぉ~ そうか! 君は胃腸が弱ってるからだよ
これは身体の底からクリーンナップしてくれる薬だ、心配ない」
どうやら懸念していた『水銀』入りの丹薬ではないらしい。
それどころか、この薬の名は「アガスティア」なのだと。
なんでもアーユルヴェーダの開祖であるアガスティア聖者が
この秘薬の成分を調合し作り上げたものだと。
しかし、まだ2回しか会ったことのない、いくら聖者とはいえ
わたしの目の前で、手でこねくり回して作ったような薬を
信用して摂ること自体、自分の無謀さに呆れる。
    なぜって?
このグルジが守っている聖地は、別名「チャリティーの丘」
呼ばれる。どんな生き物がこの丘を訪ねて来ようが、
いつでも衣・食・住が与えられる。
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前回、たくさんの神々へのお供物、サルへの餌、
子どもたちへの文具と食事を持参した。
今回手ぶらでやってきたので、叱られた。
「君たちが来るって、村の子どもたちが楽しみにしてたんだぞ!」
と言いながら、いつでもストックしている食事と文具を
出してきて子どもたちに施すよう、促された。
こんな多くの生命を生かしている魂を、
信用できないほうが罪である。
彼の貴重なシッダ・メディスンも、尋ねてきた者に
無償で提供されている。
帰り際に、ギビング・ハンズからの寄付金を渡した。
すると、ちょっと待っておれと。
                       つづく・・・

死ぬかと思った! その1

「これは決して、一粒以上 摂ってはいけないよ」
ブラフマリシ・ヒルのグルジ(聖者)に1年ぶりに会った。
このグルジは独自にシッダ・メディスン(霊薬)を作っている。
原料になるハーブを自ら採りに、虎など猛獣が棲まう
山奥に分け入って行く。その際、いっさい無防備である。
確かにこのグルジの風貌は、猛獣すらも怖れを
なすかのような圧巻ぶりだ。
画像

わたしにも毎日摂れと、これでもかというほど
天然メディスンを渡された。で、これらを摂取
する前、身体の中を浄化する必要があると、
得体の知れぬ米粒大の丸薬を、3つくれた。
そのときの注意事項が、「一粒だけ」だった。
あとの残りは家族がシッダ・メディスンを摂る際、
同じように摂らせなさいと。
朝、空腹時、1リットルの水と一緒に飲み干す。
その後、ヨーグルトを食しなさい。
いわゆるこれが、処方箋である。
その後、どんなことが待ち受けているかは、
一言もなかった。ただ、あまりにも「一粒だけ」と
強調していたので、いやな予感はあった。
帰国した夜、家にヨーグルトがあるか確認。
あった。よし、準備OK。
翌日、空腹時に恐る恐る摂った。
別に、これといった変化なし。
空腹だったので、その後、食事をした。
遅い起床だったので、すでにランチである。
メニューは「ニラ玉」。インドで連日カレーを入れて
疲れた身体は、しばらく日本食を貪るように欲する。
お腹一杯になった。
さて、仕事でもしようか。
その途端、お腹の底からこみ上げる熱いものを感じた。
    な、なんだ~ これは? 
すると、ますますそのは上昇してきた!
仕事どころではない。その場で倒れこんだ。
しかし、そのはだまっちゃいない。
横にもさせてくれない。
突き上げてくるエネルギーを抑えられず、
トイレに駆け込んだ。
口から噴水ならぬ、トコロテンのように逆流してきた。
食後すぐだったので、胃液と混ざってないニラ玉ご飯がそのまま。
クンジャラー(ヨーガの浄化法、お湯を飲んで吐き出す)
得意なわたしとしては、吐くことは快感ですらある。
しかし、胃にものを入れた状態で出すなんて、
子ども時代の車酔い以来だ。
その後はもう七転八倒。マジ、死ぬかと思った
上からも下からも出るわ、冷や汗は出るわ。
真夏の真っ昼間、都会のマンションのトイレである。
密室にクーラーなどない。暑さと冷や汗で身体中、
汗だくになった。
突然ハリケーンのごとく起こった原因不明の出来事に
困惑しつつ、冷静なもうひとりの自分もいた。
ニラが腐っていたのか? いや、インドで十分免疫
できているから、少々腐ったものでも平気だ。
じゃあ、熱中症か?
猛暑のインド帰りの翌日、日本で熱中症なんて、超 かっこわる~
など、のん気なこと言ってる場合じゃない。ヘタすると死ぬから。
30分もトイレでノタウチまわっていたら、家族がノックしてきた。
誰かがトイレに入りたいと。うずくまっていた身体をムリやり起こし、
外に出た。わたしの真っ青な顔を見た母親が、アタフタし出した。
とりあえず塩と水を流し込んだ。
第2ラウンド開始。出すものが出切ったところで、あとは、
身体にうねるようにやってくるエネルギー波が静まるのを待った。
少し落ち着いたところで、気づいた。
     グルジ~ やってくれたな! 
     これって、霊薬の仙丹ってヤツじゃね?
“してやったり” というグルジの顔が、目に浮かぶ。
なんでもグルジのマスターは、生きている頃、2ヶ月おきに
(硫化水銀のこと)を1kg摂っていたと豪語していた。
普通人がそんなことしたら、即死である。
実際、中国では不老長生の薬として、唐の皇帝が
何人も丹薬の害によって命を落としたことが
『旧・新唐書』に記されているほど劇薬だ。
しかし、本物の聖者はその毒を、まるでお菓子でも楽しんで
いるかのように食べ干す。アメリカのラム・ダスという
ニューエイジ系の元大学教授が、麻薬であるLSDを
インドの聖者にコップ一杯飲ませても、微動だに
しなかった話はあまりにも有名である。
彼らはすでに『怪物』である。  → 生死を超えている 
聖者の『浄化』と我われ凡人のそれとは、次元が違う
単なるデトックスのつもりで飲むと黄泉の世界
連れて行かれるかもしれんと。
もう~ こうなる可能性があるんだったら、事前に言ってよ!!
グルジが薬剤師なら、即、免許剥奪だぞ! で、誰に残りの
2粒を摂らせろって? うちの家族でこれに耐えられそうなヤツは・・・
     いたいた、ひとり ふふふふ
これでホントに浄化されたのかなぁ・・・ 
身体から出し切ってしまったのだから、それはないだろうと、
消耗しきった身体を小一時間ほど休ませた。
その後ナニゴトもなかったかのように、仕事にでかけた。
まるで「死のレッスン 1」の試験が、なされたかのようだ。
                         つづく・・・

梅干と枕、そしてナーガ神 その3

「君は来世、このいままだと “アニマル” に生まれ変わるなぁ~」
   えぇぇえええ! なんですって、動物ってか?
昨年の3月、ダージリンでチベッタンラマから占星術
リーディングを受けた。このラマとは、ギビング・ハンズが
支援するチベット学校の紹介で知り合った。
http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200903/article_3.html
インド占星術と中国占術(八字)をミックスさせたような
チベット占星術には興味津々。このチャンスを逃すまいと、
ラマに会う前にわたしの出生データを伝えておいた。
そもそもチベット占星術は、死者のための占術である。
このラマも、生きている人は、ほとんどやったことがないと
“虎の巻” を見ながら 『わたし』 を解説してくれた。
日本の占術業界では考えられない発想だが、死者が死後、
どこの世界に転生するかを占い、障害があれば取り除く
儀式を施す
のが、僧侶である彼らの仕事である。
そのとき使用するホロスコープは、没年月日時のチャートだ。
で、わたしはまだんでない。だから、よくわからないのだと。
しかしながら、生年月日時だけでも、大まかな死後ストーリーを
決めて生まれてきていると。そのわたしが決めたシナリオが
来世は『動物』なんだとさ。
     冗談じゃない
そんな雲行き危うい予測を立てられたまま
黙っているわけにはいかない。
    で、動物といっても種類がある
    いったいわたしは、ナニになるつもりなんですかい?
「ん~ 英語だとなんて言うのかな・・・」
おもむろに辞書を引きはじめた。
「おぉ~ これだこれ。 スネークだ」
    ヘビ・・・ ですか・・・
なんか、気分悪う。
まぁ、このラマ、生の人間の鑑定は得意じゃなさそうだし、
話半分に聞いておればいいやと。
これで話は終わりにしようと思ったら、辞書を差しだされ
わざわざ意味を読まされた。
細かい文字が目に飛び込んできた。
    NAGA(ナーガ)・・・天空を司る龍神である
途端にハッピーになった。
    な~んだ! 動物って、ナーガのことだったの?
    だったら 大歓迎よ
http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200909/article_12.html
須弥山(スメール)の西の麓に住んでいる広目天(こうもくてん)と
呼ばれる中心の神が、ナーガ(龍)である。
つまり天界だ。
こんな言葉尻ひとつで気分が明るくなるわたしは、
単細胞もいいとこだが、確かに昔から龍が大好きだった。
しかし、これが確定するのは、死んでからだと。
生前の生き様によって、来世はいかようにも変化するから。
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龍神ご来光を拝み、目的達成したので大満足だった。
さて、どうしようか。
龍神様のお陰ですっかり高山病から解放された2人は
せっかくだから頂上をめざすことにした。
距離にしてわずか200m、高度差400m。
普通は30分ほどで登れる。
しかしてこの2人は、なんと3時間を要した!
    なぜか。
昨夜からの睡眠不足が行く手を阻み、10m歩くと
熟睡モードに陥った。また、いい天気だった。
岩場にもたれて朝寝をすると、あまりに心地よくて
岩に吸い込まれていく。と、どちらかが気づいて
起こし合い、また歩きはじめる。
このまま寝入ってしまいたい気分である。
そりゃそうだ、昨日から歩きっぱなしで
一睡もしていない。酸素も薄いときている。
しかし、できれば下山道は別のルートを通りたい。
であればいったん山頂を抜けないと、それを取れない。
意識朦朧としながら到達したときは、感動というよりホッとした。
豚汁で身体を温め、一息ついた途端に土砂降りの雨となった。
     危機一髪
睡魔に襲われている最中この雨だったら、
今頃どこかで引き返しているに違いない。
頼みますよ、龍神様! 
いくら天候を支配しているとはいえ、絶妙すぎますわ。
下山中、ずっと降っていた雨の勢いは弱まることなく、
麓にたどり着くまで容赦なく身体を浄化し続けた。
帰りに温泉に浸かって温まったが、夜の外気は
まるで夏が去ったかのように、冷えていた。
    ようやくこれで、東京も過ごしやすくなるのか?
風水では山の稜線を『龍』と呼ぶ。
を求めて麓に降り立つかのような地勢が
風水では善しとされている。
雨で始まり雨で終わったこの富士登山は、きっと
水を求めた龍神の仕業であろうと、きれいに浄化
された心身を感じて帰路に着いた。
結局、眠りながらも20時間歩いた。
こんな荒行でもしない限り、日々溜まった
毒素を解毒することはできないのだろうと。
終わったあとは、二度と登るまいと思うくせに
また霊峰 富士に舞い戻ってくるのは、
心身が解毒を要求するからに違いない。
前回の火の洗礼に続く水の洗礼を受け終わったので、
ようやく、中央の道へと進む準備ができた。
喜んだのも束の間、翌日の東京は相も変らぬ猛暑だった。
                           Fin 

梅干と枕、そしてナーガ神 その2

枕一個分が、おひとり様の 『寝床』 です」
   ・・・・ い、今、「お部屋」に案内しますって言ったよね?
   部屋? 寝床? 枕? こ、これが?
山小屋が雑魚寝なのは知っている。
小部屋など期待してない。
にしても、この枕はないでしょ!
幅30cmだよ!
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確かに、頭は乗る。
しかし、肩はとび出す。
しかも、男女の区別なし。
わたしのとなりにいた四人組の兄ちゃんたちは、どうみても
体育会系である。とても仰向けになれないガタイだ。
肩を下にして横に寝るしか、スペースに身体が納まらない。
結局、彼らは一晩中、ゴソゴソもがいていた。
   兄ちゃん : 「俺、こんな所で寝たことねぇ~よ」
   わたしの独り言 :   誰だってないから!
   兄ちゃん : 「どうしよ、俺、腕で誰かの顔 殴りそっ」
   わたしの独り言 :   やめてよね、わたしにだけは!!
   兄ちゃん : 「ね! 2人づつ交代で寝ようぜ」
   わたしの独り言 :   ナイス・アイディア! こっちも楽になる
交代制を取り入れた四人組みの半分は、通路に横たわっていた。
気がつくと反対側に寝ていた姪の夫が、いなくなっていた。
どうやら高山病にやられたらしい。
富士登山5回目の彼にとって、宿泊は初体験だった。
横になることで呼吸が浅くなる、標高3000m越えの
8合目で宿泊すると、高山病になりやすい。
まったく一睡もできないまま、夜中 1時には頂上めざして
動き出す準備がはじまった。
今まで快調だったペースが、この「枕ひとつ分」で、
一気に崩れ去った。そこに高山病が襲いかかった。
なんとか気力を振り絞り、ヘッドライトを着けて、
真夜中の登山開始。
幸い雨は止み、満点の星空が夜空に輝く。
思ったとおり、ご来光は拝めそうだ。
真っ暗な山道にスポットライトの明かりが列をなし、
満員電車顔負けの渋滞が出来上がった。
昼間より夜の登山者のほうが多いと聞いてはいたが、
異様である。まるでインドの巡礼ツアーそのものだ。
寝不足と体力消耗と高山病の三重苦で、頂上の
ご来光はあきらめ、手前で待つことにした。
今度はわたしが高山病のピークだ。
吐き気が襲い、目が開かない。
これではご来光を拝むどころじゃない。
うずくまりながら、前面に広がる雲海のどこから
ご来光が昇ってくるのか、薄目を開けて待機した。
目の前に、ドカーンと大きな雲が立ちはだかっている。
まさかこの位置からじゃないよね・・・
邪魔だし、この雲!
すると頂上から歓声が湧き上がった。
そろそろこっちの番だぞ。
オレンジ色の光が見えはじめた。
ミゴトに立ちはだかった雲のすき間から!
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しかも、今まで微動だに動かなかった雲が、
光を喰らうかのように、発達しはじめた。
まるで「」の追いかけっこだ。
もう! カメラに収めようと、唸りながら薄目で様子を
みているこっちの身にもなってよ。
ようやく光が勝って、ピカ~ンと光が射し込んだ。
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雲の端から射す光で照らされた天空には、
天候を司る神 ナーガ(龍)が現れた。
その姿は東洋の龍神というよりも、西洋風のドラゴン(龍)である。
しかも、ドラゴン・ヘッド(龍頭)ではなく、ドラゴン・テイル(龍尾)からの
光の導きだ。そう、占星術でいえば、精神性を表すケートゥである。
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夢中でシャッターを切っているうち、太陽熱で大気が
暖められたおかげか、気がつくと吐き気が治まっていた。
                          つづく・・・

梅干と枕、そしてナーガ神 その1

   明日から出かけるから、ごはん 要らない
いまだに親に世話を焼かせている放蕩娘の
最低限のルールは、食事の有無を伝えること。
「どこに行くのか?」
   富士山
「 ・・・・ うわぁ~ 大変!」
慌てて冷蔵庫から梅干を出し、熱中症予防にとシコタマ
買い込んだ「塩ミルク」飴をパッキングし出す母親。
そのあと、「母さんが浅間山に登ったときはね・・・」と
2500m級の山登りの教訓を垂れだした。
心配性の彼女には、どこに行くにも直前に伝えることに
している。でないと出発直前まで恐竜時代の役立たない
注意事項を聞くことになる。
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一週間前、姪っ子の夫が富士登山に行きたいと。
3年前に仲間5人で登ったときも、一週間前に決めた。 
そのときは初体験だった。大慌てで装備を買い揃え
登山前3日間は、トレッキングシューズを履いて慣らした。
急だったこともあり、皆 日程が取れず日帰り登山だった。
一人を除いてすべて初心者だったが、無事登頂できた。
しかも12時間足らずで麓に帰還した。
カンカン照りだったので、火ぶくれが痛いたしかったが、
それが勲章でもあった。今思えば、よくやった。
今回は 『ご来光』 を拝もうと宿を取った。
どこも満杯。さすが夏休み期間だけある。
ようやく8合目に空いている宿が取れた。
前日まで仕事が詰っていたので、直前に宿泊用の
装備を整えるべく、ネットで調べ始めた。
『山小屋は劣悪。酷すぎて耐えられないかも』
との記述にドキッとしたが、インド慣れしているわたしに
これ以上の劣悪環境など、無いだろうと受け流した。
「残念ながら明日は雨だって」
姪っ子からの知らせだ。しかし、夫は合羽を着て登ると。
慌てて雨天用の足りない装備を前日そろえ、いざ出陣。
今回は丸2日ある。余裕だ。東京を7時に出発。
高速道路運行中、姪っ子から電話。
「台風4号が来てるって。危ないからね、気をつけて!!」
まだ沖縄に上陸中にもかかわらず、夫の安否を
心配する姪は、まるでわたしの母と同じだ。
はじめから雨と台風に阻まれたこの登山に、
いったいなんの意味があるのだろうか。
いっこうに止まない雨をかき分けながら
「きっと、ご来光は拝めるぞ」という
理由のない確信だけで車を走らせた。
五合目に着いた。
完全防備で臨み、ユンケルをくいっと飲み干した。
快調な滑り出しだ。雨といえどもミストのような小雨なので
まるで浄化のシャワーを浴びているようだった。
7合目でひと休み。
そのとき口にした梅干の旨いことといったらなかった。
梅干嫌いなわたしが3個も平らげ、生き返った気分だ。
この時はさすがに母の老婆心が身に染みた。
一歩一歩、確実に踏みしめるステップは、アリキタリな言葉だが
人生そのものだと感じた。雨だってあらかじめ予測していたことで
プロテクトできたし、『沐浴』だと思え、実に快適に過ごせた。
目の前のやるべきことに集中し、予測できる障害は最善の方法で
対処することでコントロールする
ことが、人生方程式である。
予定通り夕方、山小屋に到着。
皆、雨の中、ドブネズミのようにびっしょり濡れていた。
山小屋のスタッフが甲斐甲斐しく登山者のリュックを拭き、
ビニール袋を差し出し、丁寧に出迎えてくれた。
雨で冷えた身体が、この温かいホスピタリティに触れ
ホッとしていた。山小屋のどこが劣悪だと?!
ここまでは極楽だった。
「では靴と荷物を持って付いてきてください。お部屋にご案内します」
ここから、まさかと思う状況が待っていようとは想像できなかった。
                                つづく・・・