チャリティーの里 ブラフマリシ・ヒル

「時間が許すのなら、ブラフマリシ・ヒルに行ったらいいよ」
インド滞在中、聖者に奨められるまま、そこに行ってみることにした。
同行したガイドもドライバーも、この地を訪れるのは初めて。
当然、日本のように便利な【カーナビ】などない。
インド人が地図を開いている姿は、未だかつて見たことない。
かといって、親切に道路標識があるわけでもない。
ひたすら、目的地にたどり着くまで、行き交う人に聞きまくる。
その聞き方は、「Excuse me, could you tell me how to get…」
なんて、見知らぬ人に道を訪ねる前置きなど、皆無だ。
いきなり車の窓から顔を出し、大声で場所のみ叫ぶ!
しかもドライバーだけでなく、乗客も一緒に探すと。
もしわたしが道を歩いていて、すれ違いざまに突然
叫ばれようものなら、間違いなく “逃げる” ・・・
日本人から見たら、失礼極まりないこの方法が、インド流
【道の尋ね方】だ。
ひとつ角を曲がるたび聞くので、いちいち「恐れ入りますが」
など言ってられない。それがインド流リレーションシップ。
ともかく【用件のみ】なのだ。
皆、気さくに応答してくれるのはいいが、間違っていても
キッパリと答えるから困る。
めざす場所は、ヒル【丘】。当然、人里離れた地域だ。
迷いに迷ってようやく到着した。
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着いてみたら、聖なる寺院があるわけでなく、
ただ小高い山がある、殺風景なところだ。
そこに、ポツンと一軒だけ家があった。
訪ねたところ、かつてアメリカで教師をしていたという、
ここを守る聖者に仕えているインド人女性が、
素晴らしく流暢な英語で出迎えてくれた。
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言われるまま来ただけ。目的もはっきりしない。
さて、着いたところで、どうしようかと。
聖なる山を横目に戸惑っていたら、その女性、しゃべり
続けること4時間。DVDまで見せられるハメに。
その間ガイドは、美しい彼女の英語に、通訳(タミール語/英語)
はいらんだろうと、横で本を読んでいた。
話の内容は、聖なる山を守っている聖者がひたすら
貧しい地域へ赴き、無料の食事を施し、毛布や衣類を配っている
ということ。そのチャリティー映像が流された。
そして女性からひと言。
「チャリティほど価値のあるものはありません。ここはリシ(賢者)
の里なので、聖者は皆、山で瞑想しています。
しかし、瞑想で精神性を高められるのは、今の時代では若くなければ
(理想は20歳まで)なりません。われわれ(年配者)ができる
最大限の行為は唯一【チャリティー】のみです」

確かにその場所には、他の聖地のようにヒンドゥーの神々が
奉られているわけではなく、ヨーガ行者の写真があるのみだった。
ひと昔前はきっと、『精神性の向上には【瞑想】です』 と述べられて
いたであろうが、今の時代は【チャリティー】なのだと。
しかし、ここまで【チャリティー】尽くめにされると、
かえって引いてしまうもの。
ちょうど子どもが勉強しようかな、と思ってる矢先に
親から 『勉強しなさい、でなければ・・・』 と言われているような気分だ。
「そんなことは、百も承知、わかっているよぉ!」と言いたくなったが、
きっとこれも、わたしに何かを感じなさい、というメッセージ。
彼女の熱い語りを黙って聞くことにした。
次回は、聖者がいるとき是非来なさいと、念を押されて
その山を後にした。

「マインド・マイレージ」

以前、【ノブレス・オブリージュ】という昔からある概念
のことや、12歳の少女 セバン鈴木の【伝説のスピーチ】
をここで紹介したことがある。
しかし、このようなチャリティ活動をやってみてあらためて
わかったこと。
『富める者が貧しきものを助け・・・』という考えは、
理屈でわかっているのと行動までは、長~い距離が
あるということ。
どんなに物質的に恵まれていても、捨てるほどモノが
あふれていても、人は『分け与える』という行為になかなか
踏み出せない傾向
にある。
なぜか?
心が満たされていないと、【不安】から派生した【セキュリティ】
システムが働き、結果【手放せない】という仕組みが自動的に
でき上がるようである。

つまり精神的豊かさ、いやそれ以前に【安定】があってこそ
分かち合い精神が働き、行動レベルにまでシフトされると
いうことになるのだろう。
そのことを端的に表しているのが、心理学者マズローの
【人間の欲求五段階説】であろう。
①生理的欲求
 生理的体系としての自己を維持しようとする欲求であり、
 具体的には食物、水、空気、休養、運動などに対する欲求である。
②安全と安定の欲求
 安全な状況を希求したり、不確実な状況を回避しようとしたり
 する欲求である。具体的には家、家庭、守られる存在の有無である。
③所属と愛情の欲求
 社会的欲求ともいわれ、集団への所属を希求したり、仲間意識とも
 いえる友情や愛情を希求したりする欲求である。
④尊敬・承認の欲求
 自己尊厳を希求する欲求であり、具体的には、他人からの尊敬や責任ある
 地位を希求したり、自律的な思考や行動の機会を希求したりする。
 
⑤自己実現の欲求 自己の成長や発展の機会を希求したり、自己独自
の能力の利用および自己の潜在能力の実現を希求したりする欲求である。
これは各国・各人のレベルで差こそあれ、どこでも誰にでも存在する
欲求段階である。今の日本では少なくとも①と②の欲求が満たされ
ない割り合いは、少ないであろうが。
仮に生じたとしても、国家レベルの保護制度が存在する。
日本は現在どちらかと言うと、③以降の【精神面】が満たされない
ことが深刻である。
それは、ITで急成長しているインドでも
『Stress Distress–苦悩するストレス–』 というテーマで
新聞の一面が占められているほど、精神面での厳しい現実がある。
この記事によると、もっとも大きなストレス原因のひとつは
『人と人との繋がりの欠如』 だと主張されていた。
まさに日本も同じだ。
となると③の 『仲間意識』 が希薄になっている昨今、④⑤までの
より高次の段階までは、なかなか行き着かない。
また、⑤までの段階になっても、実は満足できないという
新たな現実を、この欲求五段階説を唱えたマズロー自身が
後年で述べている。
そこで次に出てきた考えが【トランス・パーソナル】心理学である。
これは、トランス=超える、パーソナル=個、【個を超越した】
自分以外に意識を向けたところに人間の本質(幸福)があると
いうのだ。
この理論を受け入れるならば、人が③④⑤を得るには、つまり
自己実現していくには、ここを段階的に満たしていくより、
飛び越えていくのが一番近道だという、パラドックス
に気づくことになろう。
しかし、わたしを筆頭にほとんどが③~⑤の精神的欲求が
満たされないと、次のステップに行けないものである。
だから、いくら12歳の女の子に、
「家もなにもないひとりの子どもが、【分かちあう】ことを
考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに
【欲が深い】のは、いったいどうしてなんでしょう?」
と揶揄されようと、【世界がもし100人の村だったら】が何回も
TV放映されようとも、この本の出版に携わったアメリカ人男性が
以下のよう懸念しているように
「日本でこの本が売れているのは知っているが、ちょっと心配
なのです。なぜならここに登場する途上国をみて、【こんな国に
生まれなくてよかった】ということを認識するために売れた

のではないかと思うからです」
と言われてしまうほど、どこか精神のアンバランスが
生じ、行動までには移れないのかもしれない。
だからまず、チャリティ活動を促す前に、心を安定させることが
先決なのだと思えてならない。
その上でマインド・マイレージとも言える、【心の豊かさを溜める】
ことができるのではないだろうか。
しかし、心を安定させてから行動を起こすより、マイレージを溜め
ながら(分かち合いながら)自己実現(欲深い行為→マイレージを使う)
していくという同時進行が、いいのかもしれない。
そうしなければいつまでたっても、心の空虚感が埋まらないから。
物質的マイレージを貯めるくらいの勢いで、精神的マイレージも
溜めたいものである。

新プロジェクト【結婚】と【健康】

ダージリンでラマとの激しいディスカッションをしたせいか、
南インドに着いてから急に体力がなくなり不調となった。
そしてインドに長らく通って以来、はじめてカレー、チャイ
の類いが摂れなくなってしまった!
インドでカレーがダメとなると大変である。身体に優しそう
なものでも、必ずスパイスがインド人仕様で入っているため、
本当に食べるものがない。
毎日果物だけで過ごしていたら、ますますパワーがなくなり、
ついにインドの友人に訴えることにした。
すると、彼らの奥さん方が胃に優しいガード(ヨーグルト)ライス
やヌードルをスパイス抜きで作ってくれた。そのおかげて、
毎日問題なく、お弁当持参で活動することができた。
こうなって初めて気づくもの。
いかに、カレー(スパイス)やストロング(濃い)チャイは、
カラダに負担がかかるものなのか。
だから、治療のためのナチュロパティ施術中や、ヨーガ・
アシュラム滞在中に出される食事は、カレー色した単に野菜の
煮物である。つまり、ターメリック入りだがスパイス抜きと
いうことだ。
これら刺激物を平気で食しているインド人の消化器官は
実に大したものである。
しかし、これだけの暑さと悪環境を生き抜き、さらに激しい
人とのぶつかり合いをこなしていけるだけのパワーを維持するには、
これくらいの強い刺激が必要なのだろう。
今回ほど、胃腸の弱いわたしには、日本食の有り難さが身にしみる。
この【日本人向け手作りお弁当作戦】を、カラダが元気になっても
続けていたら、心身ともに今までにない爽快な毎日を過ごす
ことができた。
なぜ今まで、こんな画期的な方法を思い付かなかったのだろうか!
「次回からも是非、お弁当をよろしく」と、友人の奥さんには
十分お礼をしておいた。
さて、今後のインドでの支援活動に【貧しいカップルの結婚支援】
とナチュロパティをベースに【自然療法プロモーション支援】
取り入れる予定である。
北インド在住のスタッフがあらかじめ手はずを整えてくれ、
実際に結婚支援活動をしている、インドにおいてはある有名企業
の社長さんと会うことができた。
今までは地元の人たちの支援だけで、地元の貧しいカップルを
支援していただけなので、NGOという法人格を持たない、小さな
組織である。よって資料もヒンディ語のみだった。
しかし今回わたしとの打ち合わせのために、わざわさ英語の資料
を作成してくれ、帰り際にはヤフー自動翻訳にかけた日本語訳まで
渡してくれた。
自動翻訳だけに、意味不明な文章だったが、その行為だけで
とても嬉しい気持ちになった。ここで受け取った資料をさっそく
訳して、追ってWebにも載せたい。
また、インド人スタッフのひとりがナチュロパティ(自然療法)
学校を卒業し、いよいよドクターとしてのインターン活動に入った。
彼は日本語/英語ガイドでもあるため、どちらかというとナチュロパティ
を多くの人びとに知らしめたいという目的から、プロモーション
を中心に活動していく予定だという。
そのために、3年前わたしと彼が入院してナチュロパティ治療を
受けたときのドクターたちと一緒に、トラスト(NGO法人)も
立ち上げている。
今回、久し振りにこのドクターたちに再会したら、また治療を
受けたくなった。以前の入院経験はわずか10日間(理想は1ヵ月)
だったにもかかわらず、カラダの芯からデトックスされたことは
間違いない。
お金も大してかからず、自宅でできる自然療法の手当ては、
貧しい方々の健康維持には、もってこいの方法である。

この両活動の支援を、今後ギビング・ハンズでは取り組んでいきたい
と考え、企画・案内を整える手はずだ。
これにより、日本人の【結婚】と【健康】増進にも貢献できること
を信じて。

【チベット占星術 その3】

標高2500mの地、ダージリンに行くには、バクドグラという空港
に降り立ち、そこからジープで3時間かけて高地へと向かう。
急斜面を行き来するこの地での交通手段は、4輪駆動のジープか、
人が走るより遅い機関車である。
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  トイ・トレイン
飛行機が着陸した場所から、荷物を抱えながら【歩き】で
ゲートまで行く。なんとも長閑(のどか)な空港を出たら、
ラマが出迎えてくれていた。
3月の2500mとは、さぞかし寒いだろうと想像したが、朝晩以外
意外にも暖かかった。2007年3月に行った標高1200mの
ダラムサラーに比べたら、1000m以上も高地なのにだ。
すると、ここも温暖化の影響で、例年より暖かくなっているのだと。
地球には申し訳ないが、寒さが苦手なわたしには、ありがたい
限りである。
貴重な数日間、いったい僧侶でもあるチベット占星術師から
何を学べるのか、興味津々だ。物静かなラマ(僧侶だから?)に、
少し不安を覚えながら、3時間の道のりに身をまかせた。
ヒマラヤ山麓にて、世界の最高峰エヴェレストを眺めて暮らせるだけ
で善しとしよう。目的は、このラマとの交流なのだから。
車中、ネパールのラマ・ガワンに、このラマを紹介してくれた
お礼の電話を入れた。
「あ~ 彼になんでも聞いたらいいよ。で、今度はいつネパールに来るの?」
5月から7月にかけて催される、ヨーロッパ各地での砂曼陀羅
披露
を控えているこのラマは、ダージリンのラマとは対照的に
いつもパワフルで元気だ。
実際のダージリンのマラは、わたしの滞在中、物静かどころか
とてもアクティブに、それはそれはさまざまな場所を案内してくれた。
といっても、有名どころの各僧院とチベットロロジー博物館だ。
観光というより巡礼に近いものだった。
ラマはわたしが日本人ということで、同じ【仏教徒】だと思っている。
だから僧院内では、実に丁寧に解説してくれた。
そして、インドに10年近く通ってるわたしに、
「仏教徒なのに、仏跡であるブッタ・ガヤーにも行ったことがないのか?」
と驚いていた。
ブッタ・ガヤーどころか、インドの世界遺産である【タージ・マハル】
だって、デリーから電車でたった2時間で行けるというのに、
未だに訪れたこともない。
この巡礼中、ひたすらラマが教えてくれたことは【シン・ツィ】
つまり、死者の占星術である。
あまりにも奥深すぎてここには記せないが、長い間解けなかった疑問の
塊が溶けだしたかのように、心が満たされとても幸せな気分になれた。。
この出会いのきっかけを作ってくれた、GCBSの校長ラマ・ガワン
に感謝しつつ、この学校支援がこれからも続けられるよう
天に祈りを捧げた。
いつの日か、このラマたちに砂曼陀羅披露を日本でして
いただけることを夢見つつ・・・
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/2007168009294c721a98966de42ffab118c63f430/551612412940700021
                               Fin

【チベット占星術 その2】

「あなたが生まれた日の【ファースト・モーニング】も知らせて!」
運勢予測のために、インド占星術にならって生年月日、出生時刻、
出生場所の緯度・経度をラマに伝えたら、こんな答えが返ってきた。
なんなの、この【ファースト・モーニング】って?
日の出時間なのかと問うたら
I means, not that rising of the sun time.
I mean to say that; what time was it starting the first earliest
moring in your place of birth in Japan on your date of birth?
To check first morning; Go out side of home in the very early morning
or during pre dawn, and see the line of hand’s palm in the darkness
first time. If can’t see, it is pre dawn not first morning.
If can see the line of palm, thats call first morning)
【外にでて、太陽が昇る前にほの明るくなって、掌の線が見え始める時間】
なのだと・・・
インド占星術にはない概念だったので、調べてみることにした。
江戸時代の庶民は一日を【明六つ】に始まるとしていたのですが
この明六つとは日の出ではなく、腕を伸ばして自分の手のひらを見たときに、
筋の太いものが2、3本見えるくらいの明るさとなる時だったと言います。
我々の「夜明け」の感覚も大体同じようなものではないでしょうか。
江戸時代は「夜が明ける時刻を『明六ツ』、日の暮れる時刻を『暮六ツ』」
として基準の時刻としました。「明ける」、「暮れる」というのは「手のしわ
(嘗紋)が見えるようになった時と見えなくなった時」とも言われていますが、
実際には江戸では公儀(幕府)天文方が観測し設定したものでしょう。

と、日本では400年前の概念だということがわかった。
確かに江戸時代の【時の数え方】は、そのときの日の出から日の入りまでの
時間の長さを12等分し、十二支を配分して【丑の刻、寅の刻】などとしていたのを
みても、人びとが自然の流れにそって生活していたことがうかがえる。
しかし、出生時刻だけではなく、こんな時間もチベット占星術では
必要なのかと驚いた。その後も生まれ曜日と父母の
生年干支を知らせるよう要求された。
当然このラマも、南インドの占星術師同様、ホロスコープ作成に
コンピューターなど使わず、マニュアル計算である。
慣れているとはいえ、その大変さはよくわかる。お礼というには
オコガマシイが、このラマはカーラチャクラ占星術(インド占星術)
は習っていないと聞く。では、ラマのインド占星術リーディングを
わたしにさせてくださいと提案した。
     し・か・し
知らされたラマの出生情報は、生まれ曜日季節のみだった。
これではインド占星術はおろか、せいぜいが干支で占う
ことくらいしか適応できない。
なぜラマは孤児でもないのに、「誕生日」という誰でも
知っているであろう情報が欠落しているのか。
出生情報とともにその理由も知らされた。
中国共産党によるチベット侵略時に、ラマの両親は祖国から
インド・ダージリンに逃れたチベット難民だった。
当時はものすごく極貧で、その日暮らしで精一杯だったと。
そんなときラマが生まれたので、何月何日だったかを
認識するスベは何もなかった。そしてラマは続けた。
「わたしは、祖国の地をこの足で一回も踏まずに生きている
難民二世の苦悩を垣間見た。
インド、中国、チベット、日本、その他ネパール、タイ、ラオス、ブータン、
モンゴルなどの近隣諸国を見回してみると、思想、文化、宗教の流れから
東洋世界の全体像が見えてくる。そのすべての発祥地とは、言わずもがな
インド】である。
これらを太極的にみると、すべて【アジア国】という名の下、
異言語を使えど同種民族としてとらえられるのではないだろうか。
そこには【国境】など、ないと。
ダージリンに着いてみると、そこはインドの中の、まさに
ネパール・チベットである。ほとんどの人はネパール語を話し、
仏教僧院が多いので、僧侶の会話はチベット語である。
知識として知ってはいたが、東西南北がまるで別世界のような、
多民族・多言語国家のインドを、シン首相ひとりでよく統一できる
(しようとしている)ものだと感心させられた。
異文化を抱えるインド国の拡大鏡が、アジア圏国家と言えなくもない。
だが残念なことに、もっとも近隣兄弟国同士がいがみ合っているようだ。
ある意味、兄弟という近い存在だからこそ、ケンカもするのであろうか。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、原始キリスト教を
お母さんとした三姉妹が、もっとも不仲なように。
                               つづく・・・

【チベット占星術 その1】

「わたしはインド・ダージリン在住のチベッタン・ラマです。
ラマ・ガワンから、あなたがネパールでチャリティ活動をしていて、
チベット占星術師を探していると聞いたので、連絡してみました」
お正月早々、こんな嬉しいメールが届いた。
ちょうど1年前、ネパールのポカラで、ギビング・ハンズが
支援しているスクール・コンサートに参加したとき
校長でもあるチベッタン・ラマに依頼しておいたことが
忘れられずにいたことに、とても驚いた。
わたしの乏しい知識でのチベット占星術とは、インド占星術と
中国の四柱推命と日本の九星気学をミックスしたようなものだと。
ラマが情報として知らせてきたのは以下の通り。
I know Manchushree Astrology which is called Nagtse in Tibetan.
I also do Horoscope from Nagtse with Yangchar and Kalachakar,
Marry astrology, One year human’s astrology which is called Kagtse
in Tibetan and passed away person’s astrology which is called
Shintse in Tibetan. But I don’t know Kalachakar (Kartse) astrology.
・マンジュシュリー占星術(ナク・ツィ)→ 四柱推命に相当
・カーラチャクラ占星術(カル・ツィ)→ インド占星術に相当
・結婚占星術
・年間個人占星術(カク・ツィ)
・死者の占星術(シン・ツィ)

わ~ぉ!
かつて本で読んだことのある、お釈迦様が中国人に占星術を
伝えるためにマンジュシュシュリー(文殊菩薩)を五大山に現し
遣わしたという話し通りじゃない!
この記述を読んだだけで、興奮してしまった。
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このうちチベッタン・ラマの主な仕事は、シン・ツィと呼ばれる
死者の占星術】である。ただし、チベッタン・ラマすべてが
占術ができると言うわけでもなさそうである。
現に、チャリティ支援先のラマ・ガワンは僧侶としての
死者の弔い儀式はできても、占星術は出来ないと言っていた。
このあたりは、インド占星術が上手く【生きていく】ための道具
として活用されるのに比べ、チベットのそれは、上手く
【死んでいく】ため ー 転生という意味で ー の道具として
活用されているようである。
だから、僧侶が【占う】のが自然だと。
早速、このラマとアポイントを取り、チベット占星術による
わたしの運勢予測をしてもらえるよう依頼してみた。
                            つづく・・・

オーナーシップから リレーションシップへ

インドにいると、【自分のもの】という所有の概念が崩れる。
・その辺に【自分の】ペットボトルを置くと、勝手に誰でも
 その水を飲んでしまう。
・【自分が】雇ったタクシーに、同じ方向に行くからと、
 ドライバーが勝手に他の人を同乗させてしまう。
・他人の新聞や雑誌でも、本人が読んでいないと
 断りもなく勝手に読む。
はじめはこのような習慣に、戸惑ったのは言うまでもない。
だんだんこの国の所有意識が見えてきて、確実に日本人との
違いが理解できたとき、その戸惑いは親しみに変わった。
ここでは所有からつながりへ、奪い合いから分かち合いへ
という概念がある。
自分のものでも余ってたら分け与え、使ってない場合は他に貸しだす。
それが暗黙の了解なので、誰も【断って】からなど行動しない。
慣れてないわたしは、それをされる度に「え? それ、わたしの・・・」
という低レベルの意識状態になったものである。
初めてインドに行くと、インド人を 『慣れなれしい、ずうずうしい』
という印象をもたれる場合が少なくない。
それは、このような心意気があるからかもしれない。
しかしそれは、とても【粋】な生き方だと思えてならない。
なぜなら、人は【所有】から苦悩がはじまるのだから・・・

あなたと若者と農業と

本日、今年になって初めての渡印。
節明けからずっと、農業プロジェクトにかかりきりで
アッという間に月日が経ってしまった。
今回のインドは、デリー、ダージリン、バンガロールと、
北、東、南インドへと駆け巡る予定。
ギビング・ハンズ日本法人とインド法人ともに、
ちょうど今は決算期。
両国の事務局長兼、経理担当者からのさまざまな
質問・要求に答えなければならないので、いつもより
気が引き締まる時期。
本年度の国内一大プロジェクト【農的生き方】その1
【野菜 Box for Two】 ~もうひとりの誰かのために~
いよいよスタート!
http://giving-hands.jp/farm/