「最後だとわかっていたなら」

今年の初め、20年来の友人から
久しぶりの電話があった。
昼間だったが、疲れ果てていたわたしは
ベッドに横になりながらの会話だった。
なにか用事なのかと耳をそばだてたが
これといった特別なことはなく、
ただ「元気?」という何気ない電話
きっと、気のない返事をしていたのであろう。
わたしに気を遣うかのように、ほどなくして
「また掛けるね」と、電話が切れた。
最後に彼女が伝えてきたことが印象に残った。
「あなたが前に教えてくれた本、うちの夫が
いたく気に入って、毎日会社に行くときも
持ち歩いているのよ。ホントにありがとう」

    そうなんだ・・・ で、何の本だっけ?
「エドガーケイシーの『転生の秘密』
今までその類いの話に関心なかった夫がよ!」




もう、10年も前の話・・・
それは何より。
そうとだけ感じ、会話は終わった。
その2ヵ月後、3.11が彼女の地域を直撃した。
しばらく連絡が途絶えた。
NTT連絡電話の彼女番号に、何度も名前を吹き込んだ。
応答なし。
後悔した。
あの電話が最後だったのか・・・
もっとちゃんと対応すればよかった。
でも、ご主人に『転生の秘密』が伝わっていてよかった。
複雑な面持ちで日々が過ぎゆく。
1,2ヵ月後。共通の友人から彼女の安否が知らされた。
     生きている・・・
ホッと胸をなでおろした。
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きょう、近くの友人からフリーミールの申し込みがあった。
以下のメッセージを添えて。
  今、3000円、振り込みました。
  なんの記念でもない「フリーミール」でお願いします。
  ニュースで「最後だとわかっていたなら」 の本の内容を見て、
  なんとなくフリーミールしようと思いました。
  みんな「明日」が普通に来ると思っていたけど、
  「明日」がこなかった人がたくさんいるなと思って。
  いつもそれは遠い国や、知らない人たちのこと
  だったけど、今年は違った。

  次は私かもしれない。保障は何もない。
  だから、今日できることを今日やろうと思いました。


「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・ 「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を 持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より

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一瞬ですべてを伝える

スウェーデン。
日本の20年先を歩む国。
逆にいえば、現在の日本にある問題を
スウェーデンではすでに体験済みということ。
そのひとつが「自殺」。
1970年代までのスウェーデンは自殺率が高く、
世界で1位になったこともある。
その後、自殺を防止するためにうつ病の早期発見や
啓蒙活動を強化するなど国単位で取り組んだ結果、
自殺率は低下したようだ。
もうひとつが「体罰」。
スウェーデンが子どもへのあらゆる形態の暴力的な
取扱いや、精神的虐待に当たる取扱いを禁じる法律を
導入してから、2009年でちょうど30年
この法律を導入したことで、スウェーデンは世界で
初めて育児手段としての暴力を禁じた国となった。
それ以来、多くの国がスウェーデンの例にならい、
2009年3月時点では計24ヵ国が、家庭内での
あらゆる体罰を禁じる法律を設けている。
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8月、カリンがエーランド島に連れて行ってくれた。
数年前スウェーデンを訪れた友人が、是非
行ったほうがいいと奨めてくれた芸術の島。
日本からの留学生も少なくないという
カペラゴーデン手工芸学校なるものもある。
島の美術館のひとつ VIDAを訪問。
ひとしきり展示してあるアーティストの作品を観る。
と、最後のブースで釘付けになった。
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そこには『生死』に対するメッセージが溢れていた。
スウェーデンといえば、ガラス工芸で有名。
今回時間がなくて「ガラスの町」に行くことは
出来なかったが、こんなところでガラスの神秘
に出会うとは・・・
遠い国の、名前すら知らないアーティストの
作品にしばし魅入った。
生・性・正、そして死
その真髄があった。
その場から離れられないわたしの集中を、
カリンの「行くよ」という言葉が遮った。
後ろ髪を引かれる思いで、せめて彼の作品を
購入しようかと外に出た。
   ・・・あぁ ほんの小さな作品でさえウン十万円
しかたがないので、小さな作品写真を購入した。
帰国し早速、彼の動画を発見。⇒ 
   葬儀会場の場面
   この部屋をどう扱うか・・・
   例えば死を迎えるとき、考える
   天国に行くのか地獄なのか・・・
   わたしは「ガラス」を使っているのではない
   まぁ、多くの人はそう言うだろうが
   そこには伝えたいメッセージがある
   これはブルーハーバー(青い港)
   来世に向けた・・・

この動画を見て、思ったとおりのアーティスト
だと再確認した。
名も知らぬアーティストの作品から発する
メッセージは、確実に外国からきた
観光客の心に届いた。
一瞬ですべてを伝えるアート。
驚異だ。 ⇒ アルバム
20年後の日本のアーティストも
きっとこうなっているに違いない。

名言とパフォーマンス 届ける

3ヵ月ぶりに訪れるノコム孤児院。
新しいメンバーがまた増えていた。
今回は孤児だけでなく、母子ともが数組。
ますます責任が重くなるシャクティヴェル。
恒例のフリーミール。
と、そのときガイドがなにやら大きなポスターを
壁に貼っていた。スワミ・サイババ・・・
書いてある文字はタミール語なのでわからない。
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「例のレストランで見たスワミの名言
               ポスターにしたのさ!」
素早い。
わずか一週間前に見て書き写したものなのに。
仕事もこうであってほしいもの。
フリーミール初体験のスプレーアティスト YOSHI 。
ひとつひとつ丁寧に食事を施す。
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その後、メインイベント。
YOSHI のスプレーアート パフォーマンス。

摂氏40度以上の環境で行うパフォーマンスは初めて。
速攻で乾くスプレー缶のインクを操る、汗だくの YOSHI 。

相転移というマジック

職業に「天職」と「適職」がある。
天職は、すきなこと、ミッションに基づいた仕事。
たとえ報酬が見合わなくとも、生きがいとなるもの。
適職は、できること、キライじゃない仕事。
報酬=労力・時間の提供に見合わないものは
やる気が起きない。
どうせ働くなら天職がいいと。
しかし天職は、自己のミッションがともなうゆえの
ジレンマも、同時に存在する。
例えば;
    日本人が好きだから、日本語ガイドになった
    インド人。しかし、旅行代理店から仕事を
    まわしてもらうには、大好きな日本人を
    法外な値を付ける土産ショップに
    連れ行かねばならぬという矛盾
に悩む。
    音楽が好きだからミュージシャンになった。
    事務所に所属して仕事をもらうためには
    売れる音楽=好きな音楽ではない、
    という現実
を避けることができない。
    人命救助がしたくて医療従事者となった。
    病院経営が自己のポリシーに合わなくとも
    経済優先の方針に従う医療をせねばならない。
理想の自分を表現できると思った職業に
身を傾けようとすればするほど、そこでの
ズレた環境で鬱積するストレス。
誤魔化す現実と、バランスを戻すための
発散という二重生活的な人生に嫌気がさす
現実の自分と理想としている自分の姿との
ギャップを感じる生き方。
そのギャップが埋められそうにないと
気づくたびに、偽りの時間が増す
だったら割り切って、時間と労働の切り売りという
適職」に就いたほうが、心身ともに楽そうだ。
これがよく言われる
「好きなことは仕事にするな」的理由なのか。
   果たしてそうであろうか・・・
人として生を受け、この世に使命を帯びてきた自分。
現実と理想の狭間もシナリオの範囲内
そこでのジレンマが次のステップを生み育てる。
だから、辛抱強く待つだけ。
必ず、相転移が起こるから。
『相』とはフェーズ(phase)、局面のこと。
それは、水が沸騰しお湯になるように
突然起こるというもの。
「あり方」「態度」「軸」さえブレなければ
だれでも、どんなことでも「それ」は起こることになっている。
これだけを信じて、いままで走ってきた気がする。
そしてこれからも、それは変らない。
必ず「それ」は起こってきたから
適職」も悪くはない。
心身ともに楽なのは確かだから。
しかし、それも一時的だと気づくのは
時間の問題かもしれない。
仕事とは、ストレスがあって当たり前。
そのストレスが、好きなことをやっての心地よい摩擦
なのか、心を偽っての違和感からなのか。
後者の行き着く先は、自己否定
そうならないために、自分と向き合うことにしよう。

Divine Hospitality

インド・マドゥライ空港に降り立ち、
バゲージ・クレームで預けた荷物を待つ。
   Welcome to Divine Hospitality
  ~ すてきなおもてなしへようこそ ~

そこで目にした広告。
高級ホテルにでも滞在すれば受けるのであろうが
インドにいて、Divine(神聖な)ホスピタリティ
などに縁のないわたし。
日本の基準とまでいかなくとも、最低のサービス
だけでも受けたいと望んでしまうのは日本人ゆえだろうか。
この夏、ニューヨークに留学していた知人の娘さんの、
米国の印象は、「サービスが悪い」ということ。
いやいや、日本が良すぎるのさ。
老人と子どもを安心して連れていける国は
日本だけ、という話も聞く。
確かにそうかも。
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昨日、被災地、気仙沼の友人と話した。
    どう? その後は・・・
「まだまだ瓦礫の山・・・ 
半年経っても手付かずの被災地がたくさん。
ようやく瓦礫を取り除く作業がはじまっても、
遺体が出てくるから身元確認で作業が中断する、
      そのくり返しよ」

現実は厳しい。
反面、つい最近警察から連絡があり、半年前に
彼女宛ての知人からの届け物の知らせがきたのだと。
1~2カ月安否が確認できなかった彼女を憂いて
知人は近くの警察署まで届け物をしにきたらしい。
「警察署だって流されちゃっているんだもの、
人手が足りないのに、よく半年も保管し連絡くれるよね
友人は感心していた。
日本という国はそういうところ。
これぞ、ディヴァイン・サービスなのかと。