天の粛清 その5

明るいうちに次の目的地に向かう予定が
夕方になった。
車に乗り込むと、ちょうど西に太陽が沈み
ほどなく東から満月が昇ってきた。
「よかったぁ。月食前に歩き終わって」
目を閉じると吸い込まれそうな睡魔に
襲われるといいながら、ホッとしている彼。
上り坂では
「心臓バクバクするぅ」
「富士山登ってるようだ」
「あぁ めまいまでしてきたぁ」
と大騒ぎだったが、やれやれだ。
道中、月が欠けていく。
「まさかインドで月食を見るとは思わなかったなぁ」
と、左手に欠けゆく月を見ながら写真まで撮りだす彼。
「見ちゃダメ!」と伝えたが「大丈夫だよ~」と。
「あれ? 月食なのにインド人、普通に歩いているし」
茶化す彼。
「ホントだね」ガイドに聞くわたし。
   ねえ、インドでは家に籠って
   マントラ唱えるんじゃないの?
ガイド:「あ、それはブラーミン(僧侶)のことさ」
   あ、っそう・・・
それはきっと、こんな感じなのだろう。
《日本での冬至は、カボチャと柚子をたしなむ》
これを聞いた外人は日本中がそうしていると思う。
だが、実際はいったい何割ってか?
冬至は一年でもっとも夜が長い、すなわち陰気に傾くとき。
なので陽の気を取り入れるために、太陽の色に近い
黄色いものを身体に入れることで
陰陽のバランスを整えるという意味。
これも天空の動きから大地と人に及ぼされる影響を
考慮した古えの智慧。インドの月食・日食時の
対処法となんら変わりない。
古代の叡智アーユルヴェーダでも月食の8時間前に
食事を済ませ、欠ける前にはお風呂も済ませて
月食中は瞑想すること
が推進されているようだ。
「その間もちろん月を見ないこと」とも。
【喰】は他のことには悪いが、修行にはいい時間
だと伝承医学でも言及されている。
だったら聖地巡礼中に拝むのは悪くなかったかも。
ともあれ、南インドに着いたばかりの友人が
無事旅を終え、日本に戻れるようにするのが
次のわたしの仕事。
今回、いつもの思いつきで急遽行った《月食寄付》
の手伝いを、彼はさんざんやらされたので、
きっと善事の果報として守られることだろう。
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供養の前に ひと修行 シルシアーサナ中のサドゥ
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                孤児院でもフリーミール
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これから冬至に向かって進む【地球号】。
陰陽の切り替えが起こるとき。
この波にうまく乗れるか否かが、重要なとき、2012年を
迎えるカギとなるようだ。
いつもはしない、《冬至にカボチャ》を食べようかと思う。

天の粛清 その4

「僕はどこに行っても晴れ男♪」
と述べる友人。
前夜雨だった地も、彼が着いたらミゴトに晴れ渡る。
炎天下を歩くより、少しくらい曇りのほうがいいが
幸か不幸かカンカン照りである。
なのに彼は帽子も被らず平気な顔で歩く。
案の定、途中で真っ赤な顔になっていた。
なんとか手ぬぐいで頭を覆い
休み休み歩いていたが、とうとうギブアップ。
大きな岩に寝転びながら
顔から滝のような汗を流し、のた打ちまわる。
そのうち始まった嘔吐。
「座っても寝ても苦じい!
       どうしたらいいんだぁ~」

ここが日本なら、助っ人を呼ぶか落ち着くまで
十分休ませるのであろう。
しかしここはインド。
そしてそばで見守るのはインド人ガイドと
インド人化したわたし。
ふたりはただ、冷ややかに彼を眺める。
ガイド:「巡礼中はよく起こること。休むほど調子は戻らない。
     さあ、ゆっくりでいいから歩こう!」
わたし:「サラリーマンの日頃の不摂生が祟ったんだよ。
     急にエネルギーが上がって毒素を出そうと
     しているだけ、寝てたってダメ。行くよ」
友人:「・・・わかったよぉ~」
素直に従う彼。まるで夢遊病者のように
ふら付きながら歩く。
ガイド:「だから言っただろ、彼には歩くのムリだって!」
わたし:「だから言ったでしょ、ダメなら車で移動させるって!」
それを忘れ車道から外れて獣道に誘い込んだのはガイドだ。
ふたりで言い合いしていると、彼にとってはまるで拷問のような
急な上り坂の、しかも岩だらけの道が前方を塞ぐ。
「こんな坂、登れん。あと残り何キロ?」と嘆く友人
「2キロほど」だと騙すガイド
「シヴァ神が笑ってるぞ」と突き放すわたし
しかして上り坂は2キロで終わったが、
平坦な道が延々と続き、結局16キロを歩き通した。
坂道を抜ける頃の彼は、我われと同じ速度になり、
一周終えた時点ではナニゴトもなかったように
歩いていた。
   言ったとおりでしょ
   辛いのは毒素が抜けるまでだから
「頭でわかっちゃいるが、抜けるときの辛さは耐え難いよね」
と、友人。「僕は何しに南インドに来たんだ~」と
まるで単なる観光にでも来たかのような口振り。
わたしの旅に付き合うとは、【遊び】などないということ。
彼は典型的な日本のサラリーマン。
毎日遅くまで働き、そのストレスは飲み食いに転化。
休日は身体を休めるだけに終わり、むなしさと毒素
だけが募る毎日。
それでも彼は、どこかで吐き出す必要を感じるのか
年に一度はインドを訪れる。
昨年は標高3800mの地「レー」で高山病に
かかったようで、命かながら日本に生還している。
懲りないヤツ。
それは、魂が【浄化せい】と訴えているからに他ならない。
それはわたしにもいえること。
都会に住まうモノとして、定期的に灼熱のインドで汗を流し、
時どき聖地巡礼でもしてエネルギーを昇華させて
おかないと、毒素が溜まり溜まって気が狂いそうになる。
今回、彼は希望の聖地に赴き、自分だけだったら
見学して終わったであろうが、わたしの希望で周囲を
歩かされた。さらにガイドの希望でナチュラルウェイ
(獣道)に引っ張り込まれるという運命にあった。
そのお陰で! まるで一年間の毒素を一気に
浄化するための修行に来たかのようだ。
月食時に彼をこのような状態に導いたことが、
もしかしたらフリーミールを施すより何より
わたしの最大の善事かもしれない。
              つづく・・・

天の粛清 その3

1時間遅れで夜中の1時に友人が到着する。
クアラルンプールで6時間過ごすことになった友人。
「もっか、何もすることなく待機中」
との連絡が。
着いたらすぐに車で6時間移動し、そのまま
2668mの山に登るので、何もせず
ゆっくりお休みくだされ、と返信。
  はて、こんな強硬手段
  彼にこなせるかしら・・・
まあいい。
状況みながら判断するしかない。
南インドは初めての彼に、南のヒマラヤ聖地とも
いわれるティルマンナマライの地で、果たして
彼に祝福が降りるか否か。
真夜中というのに人でごったがえすチェンナイ空港。
友人を出迎え、いざ、聖地へ。
朝7時。
お祭りが終わったばかりのように寺院周辺は
ライトニングと人とゴミが渦巻く。
数時間前には10万人超えの人で道がふさがれて
いたのを知っているわたしは、少ない人にホッと一息。
しかし隣の友人は「すごい人・・・」とため息。
朝まで雨が降っていたようで道路が濡れている。
曇り空を見上げて登山を懸念する。
「雨で山肌が濡れて滑るので、本日の登山は禁止だって」
なるほどそうきたか。
であれば聖山アルナチャラの周囲をいつものように
一周することにしよう。するとガイドが
「君の友人は着いたばかりで疲れているのに、
16kmも歩けるのかい?」
   彼が途中でムリだったら車で周ればいい
   とにかく【わたし】が歩きたいの!
ということで、登る代わりに周ることにした。
祭りは終了したとはいえ、普段より巡礼者は多い。
それにもまして道路に走る車の量が多くて気になる。
歩く速度はいつもの半分。
彼への配慮だ。
5kmほど行くと、ガイドがわき道に反れた。
どこかのアシュラムにでも行くのか。
行けどもしかし、林の中に入っていくばかり。
「いつもの道路を歩いて一周するんじゃなく
より聖山に近い際の道を行こう!」
と。そこは獣道。しかも誰も歩いていない。
行き交う車の喧騒も、物売りもない。
こんな寂静な道、今までなんで使わなかったのか?
「僕も今回初めておしえてもらったんだよ」
とガイド。
なので案内 ⇒ を見ながら歩くことに。
ハーブシャワーを浴びながら軽快に歩いていたら
あとから付いてきた友人が悲鳴を上げ始めた。
「もうだめ。これ以上ムリ。歩けない」
と、途中にある石に寝転んでしまった。
          つづく・・・

天の粛清 その2

何年も前から、南インドに行きたいと訴えてる友人がいる。
目的地はシヴァ神がいらっしゃるという
アルナチャラ山が鎮座するティルマンナマライ
  行ったらいいじゃな~い
サラリーマンである友人の日程に合わせて
「盆・暮れ・正月」時期に海外へ行く気などしない
不親切なわたしは、他人ごとのように振る舞う。
やさしくないが、少しの配慮くらいできそうな
わたしは、場所や日程のアレンジ、ガイドの手配
ならしてあげることにした。
もともと12月に行く予定だった友人。
わたしの渡印日程は11月頃だったが、
結局この12月になった。
そう伝えると
「年末休みじゃなく、普通の日に休んで行く」
と申し出る友人。
だったら、わたしが案内しようか。
ということで、一足早くインド入りしたわたしは
本日、空港まで友人を迎えに行く。
で、そのままティルマンナマライへ直行。
よく「インドに連れて行ってくれ~」
と頼まれる友人に必ず伝えること。
   わたしの仕事に支障がなければね
そんなわたしが、友人の訪問希望地のために
わざわざ仕事を中断して、往復12~3時間かけて
空港まで迎えに行くなんて珍しいこと。
前回、初インド訪問のYOSHIでさえ、空港から
ひとりでタクシーに乗って現地まで来させたのに。
理由。
わたし自身が久しくティルマンナマライを
訪問していないため、この機会にシヴァ神に
ご挨拶してこようかと。
その後、別の友人から、聖者に指示されたという
サドゥ(修行者)へのフリーミールを100人以上
やってきてくれと依頼される。
   うわぁ~
100人ものサドゥが一同に会する場所なんて
南インドではティルマンナマライしか知らない。
ということで、渡印する友人の希望地と
サドゥへのフリーミールを施す地が一致。
12月満月の日。
ティマンナマライではシヴァ神のお祭り
カルティッケイ・ディーパム(12月の灯明)の日。
アルナチャラ山のてっぺんで1000kg以上の
ピュアギー(純粋なバターみないなもの)に火を灯し
カルティケイの日から三日三晩焚き続ける。
  ※インド占星術でいう27のナクシャトラの
   クリッティカーの日時

10万人もの人びとがその地を訪れる。
きょうの地元新聞にその模様が掲載されている。
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標高2668mのアルナチャラ山の登頂で
8日午後6時、ディーパムを灯す

3年前、姉を連れてその日に訪問し、宿も取れず
満員電車さながらの人だかりで、えらい目に遭ったが
知人宅の屋上からディーパムを拝んだときは圧巻だった。。
今回は満月を狙ったわけではなく、フライトチケットの
関係でちょうど10万人の参拝者が潮を引く真夜中に
現地に着く予定が組まれた。
それが奇しくも10日の月食日。
そこで130人ものフリーミールを施すのだ!
月食時に行う善事は、100万倍とも1億倍にもなる
といわれている。 ⇒ 
この日程すべてがわたしの意思で組まれたわけではない。
他者の希望を叶えていたら、こんな流れにつながった。
さらに月食前夜(つまり本日)、ラーフとケートゥが
奉られている寺院ティルパンプラムへの訪問が
突如組み込まれた。
本来は真逆な働きであるラーフ(物質)ケートゥ(精神)
の融合を示す寺院で、ラーフカラム(ラーフの時間帯)に
行う儀式はいつもながら超満員である。
ラーフ&ケートゥといえば、【喰】の起こるポイント。
月食前夜にはもってこいの参拝日和だ。
なんだかいいこと尽くめである。
明日は、三日三晩灯されているというアルナチャラ山に登り、
カルティッカイ・ディーパムを目の前で拝んでくる予定。
ということで、わたしだけ善事を重ねるのもなんなので
《月食寄付》を2年半ぶりに行います。
ティルマンナマライの聖者、もしくはその他の施設で
恵まれない子どもたちにフリーミールを施します。

希望者はギビング・ハンズの口座にお振込みください。

天の粛清 その1

明後日12月10日は、今年最後の満月。
そして皆既月食(日本もインドも)。
しかも、11月に2年半ぶりの土星トランジットを
迎えたばかりの、天空での初【喰】。
なんだが新しい風が起こりそうだ。
日本の知人には今年のはじめ、今年日本に起こる
すべての日食・月食の日時を伝えてある。
そのとき、12月の皆既月食は、忘年会時期の
まだ人びとが外にぶらついているであろう夜
9:45頃から起こるので、もっとも注意するようにとも伝えた。
要は、むやみに夜空を見上げないように。 ⇒ 
で、わたしはというと、それをインドで体験する。
日食・月食が星の国インドでどのように扱われている
か「知識」だけはある。「体験」としては初めて。
まず、インドでの天空の状態(日本は3時間半進んでる):
満月開始:12月9日(金)19:18
満月終了:12月10日(土)20:41
皆既日食:12月10日(土)18:14~19:49

月が欠けている1時間半あまりをバッドオーメン(凶兆)
とするインドでは、この間なにもしてはいけない
人びとは家に籠もり、ダルバ Dharba(聖なる植物)
を携えてマントラを唱え続ける。
どんなマントラかと訊ねた。
「ヴィシュヌ」の真言。
  なぜ、ヴィシュヌ神なのか?
本来、日食・月食が凶兆となる対象者は
マテリアル・ライフを【主】に送っている者たち
翻ってスピリチュアル・ライフが【主】の
チベット僧たちは、ここぞとばかりの善行日和
になる。
ヴィシュヌ神は言わずもがな、この世界を「維持」する神。
当然、物質(マテリアル)の管理も司る。
よってヴィシュヌマントラは、物質面にダメージを
与える【喰】に必要なマントラとしてふさわしい。
「あと、ヴィシュヌ神は『』の象徴だからね」
と、インドの占星術師。
   え? シヴァ神も『』だよね?
突っ込むわたし。
すると、ガイドと術師は現地語で論議をはじめる。
さて、どちらの神が『月』の象徴か。
「厳密にはシヴァかヴィシュヌ神か区別できないんだよ」
これが彼らの答え。
理由は
月はクール(冷静さ)、太陽はホット(情熱)を表す。
この世をうまくコントロールしながら維持するには
月のような冷静さが不可欠。
また、ヴィシュヌ神はミルキーオーシャン(乳海)に
浮かんで休んでいるので常にクールである。
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反対に、破壊の神であるシヴァ神は常にヒートアップ。
それを冷ますために頭に月を載せ、さらに頭頂から
ガンガーの水を噴出されている。
火を象徴するシヴァ神の儀式の多くはディーパム(火)を灯す。
しかし、シヴァ神の別名にチャンドラシェーカラン
Chandra Shekaranという名がある。
これは「月を集める者」という意味。
これが頭に月を載せているシヴァ神を『』の象徴とする
理由のひとつだ。
月食による月の欠けとは、月=心を失わせること。
それにより正しい判断能力に欠けることによる
マテリアルの崩壊は、苦しみをもたらす。
よってこのような物質面に影響する月食には
ヴィシュヌ神にお願いするのがいいようだ。
逆に「心の崩壊」がスピリチャリティを高めることになることもある。
よって破壊による精神性の向上を司るシヴァ神にとって
月食は悪いわけではない。
しかし、心の崩壊が精神性アップにつながる
ステージの魂ならいいか、それによって心身ともに
ダウンしてしまうステージのモノにとっては勘弁してもらいたい。

人生とは川を流れていく石のようなもの。
濁流の中で砕け散ってしまうか、
磨かれて大海に流れ着くか、
すべてそのモノの自由意思による。

つまり土星トランジット後の初、皆既月食を
どう生かすかは、我われの心次第ということだ。
★☆★☆
ところで土星が天秤座に移ったということは、
もっとも土星がパワフルになる配置である。
土星の象徴するひとつが「政治と審判」。
とくに民主主義におけるジャッジメントの結果は
世に多くの幸不幸をもたらす。
インドの占星術師いわく
「この期間に善と悪のバランスが保たれる
法の規制とはすなわちダルマ(天のルール)の遵守に他ならない。
明確な審判によって悪は制裁されるだろう」
これが次回の木星トランジット(2012年5月)まで強まり、
その後、ケートゥと同居することになる木星によって、
悪事を働いた政治家たちがのた打ち回る
辛辣を味わうことになるのだと。
   いいことだ!
わたしの返答に師いわく
「その影響を国民はもろに受けるのだぞ」
   わかっている
我われ国民も “無智” とはいえ、その恩恵を
受けて育っている。だから彼らと一緒だ。仕方あるまい。
   一掃された暁には、クリーンな世界が待っている
「そのとおりだ」
とそのときガイドが口を挟んできた。
「ところでマダム。
10日の月食時とその後はなにも予定を入れてないよね?」
だれも仕事をしてくれない月食時はわかる。
しかし、その後もか?
粛清の時間を超えたら、皆でニベッティアムプレイ
(苦難を乗り越える祈り)を捧げるという。
インドならではだ。
仕事にならないなら、その、「ニベッティアムプレイ」
とやらに参加してみませう w
                    つづく・・・