季節の替わり目

からになるころ、なぜ葉が舞い落ち、
空がオレンジ色になるのかと悲観するだろうか。
から冬になるころ、日々寒さが増し
重たいコートを羽織ることに疑問を感じるだろうか。
冬からになるころ、植物の芽が息吹き
昆虫がうごめくことに驚くだろうか。
そして。うだる暑さに適応することに躍起立つ人びと。
どうしたら暑さを凌げるかを考えるのは、一種のゲームのようだと。
今、わたしたちの文明はそんな季節の替わり目を迎えている。
四季の替わり目の【変化】を怖れないのは、その先を知っているから。
そこになにが待ち受けているか理解できるから、
その変化を楽しむ。
太極的な未来を見ず、その場の局地的な未来を憂えて
恐怖することから、そろそろ解放されませんか・・・


準備が整うまで

毎年この時期は、年一回のギビング・ハンズ総会開催のとき。
その後、行政書士さんと内閣府への報告打ち合わせをする。
昨日だった今年の打ち合わせのメインは、『認定NPO法人』
取得戦略
のはずだった。
    そう、3月11日までは・・・
NPO関連団体から 2月10日には以下のお知らせ;
タイガーマスク/伊達直人寄付で、社会の寄付への関心も
高まる中、今国会で、NPOや寄付税制に関する重要な法案が
議論されています。
しかし、寄付金の税額控除制度導入や認定NPO法人制度の
抜本改正を始めとした「新寄付税制」と、認定機関の移管や
法人名称の変更、会計基準の導入などの「NPO法抜本改正」は、
今国会で実現するかどうかの【瀬戸際】を迎えています。

とし、2月15日に国会議員の方々へ熱意や期待を伝えるため、
緊急院内集会を開催し、定員140名の会場に、300名超が参加。
それを踏まえた各NPOが、今後の対策を考えるべく、
各地で決起集会を行っていた。
わたしが3月9日に参加した今後のNPOのあり方集会では、
この税制改革にともなう日本の寄付文化の幕開けを大きく
取り上げ、各NPO団体自体がどう意識を変えていくべきかを
話し合った。
戦後始まって以来の大変革。元鳩山内閣の唯一の偉業。
と、NPO関係者の意識は完全にヒートアップしていた。
その2日後・・・ 未曾有の災害が襲い、国難がはじまった。
このポールシフトにも匹敵する期待熱が、一気に元にもどり
夢から醒めたように止んだ。
今、いかに税を上げるか検討している国政に、税制改革で
NPO関連の税金を控除するなどという余裕は、ない

だから、行政書士さんとの打ち合わせも、いつもどおり
内閣府への22年度報告に留まった。
ただ、この法案はなくなったわけではない。
保留にされているだけ。
なんだがこれは、昨年、わたしが盛り上がっていた
あるプロジェクトが振り出しに戻ったことに似ている。
イギリス人の友人が書いたファンタジー風「生と死の書」
の翻訳・出版プロジェクトだ。
ちょうど昨年の今頃、すぐにでも出版! という勢いだったが
6月にすべてが白紙に戻った。
それを著者であるイギリス人に伝えると
「日本人にはまだ『死』を見つめる準備ができてないようね」
と。 その通りだ。
準備が整うまで邪魔が入るのだと自身に言い聞かせ、
また一から翻訳作業を開始することに。
そして、震災後の今年4月。ようやく翻訳が仕上がった。
今後この本が世に出るかどうか、我われ日本人の
【精神性】に左右されているようだ。
暗礁に乗り上げたかのような法案ストップも、カタチ上は
保留だが、現実的には多くの国民が東北被災地に
寄付している。これぞ、実質的寄付文化だ。
1995年阪神・淡路大震災後にNPO法人格制度が
我が国に導入されたように、寄付文化の法的幕開けも、
きっとあと一歩なのだろうと思われる。
この宇宙はすべて陰陽。
両方のエネルギーが拮抗している。
【そこ】になにか起こるということは
        【あそこ】にもなにか因があるということ。

そのバランスが整うまで、今までどおりコツコツ活動していこうかと。

祈りとお知らせ

インデラガンディ・デリー国際空港内を歩いていると
なにやら他国では見慣れぬ案内が。
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【祈りの間】はこっち、だと・・・
さすがインド。
飛び立つ直前まで神に祈りを捧げる。
そこまで信心深くなるのも、ここにいるとわかる気がする。
4月上旬デリー入りしてから、連日のように
サティア・サイババの容態を知らせる報道がなされていた。
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3月下旬に入院されてから、インド国民の心配は尽きない。
それは北でも南でも同じだった。
そして4月24日、永遠のサマディ(入滅)に入られた。
わたしがスワミ(現地信者はこう呼ぶ)と縁が生じたのは
2006年。サイババの孤児院を訪ねたことから。
その孤児院では、スワミの写真からビブーティ(白い聖灰)
が沸々と自動的に湧き出る。
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さらには、サティア・サイババ、その前のシルディ・サイババ
の金属製の顔バッチから滔々と甘いアムリタ(甘露)
自動的に流れ出でている。
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そこに住まう子どもたちに「スワミはここを訪れるのか?」
と聞くと
「今まで一回もないが、朝夕のバジャン(お祈り)でいつも
ビブーティとアムリタをもらって祝福されているよ」
と幸せそうだった。
この孤児院の近くに住む友人に、今は亡きスワミの
あとでも、アムリタの祝福は続いているのか尋ねた。
It was a very sad news to all of us about
SRI SATHYA SAI attained Samadhi.
AMRITA is coming, as I read in the newspaper.
Presently I’m outside, by next week I will inform you in-detail.

【それ】は、今でも続いている、と新聞で読んだとのこと。
やはりスワミは肉体次元を超えた存在であった。
インドのシン首相も新聞で「哀しみ」をコメントしていた。
そして、マザーテレサ同様の国葬が行われた。
日本でどんなにインチキ手品師などとのレッテルが
貼られようと、現象が【聖者】だと証明している。
インド人口12億人の一割が涙したであろうスワミとの別れ。
それは日本の総人口に匹敵する哀しみ。
『涙』は、すべてを洗い流す浄化の働き。
さらに今回、新月と満月に「サンダル・レイン」が降る
聖地も見てきた。これ以上の聖なる浄化はない。
  ※サンダルウッド(白檀)含む天然の雨
こんなことを頻繁に見せられたら、自ずと祈らずにはいられまい。
インドでは天の羽衣のような物語が、現実の世界で起こっている。
『確実に時代が移り変わっている』、そんな実感を
落とし込むために、いつもの広尾地球ひろば
でチャリティセミナーを行おうかと。
テーマ:『国際社会における日本の若者の現状』
日時 :5月28日(土)13:30~16:30 (開場:13:00)
場所 :広尾 地球ひろば 303号室
参加費:3,500円
持ち物:地球儀もしくは世界地図、できれば自身のホロスコープ
お申し込み:info★giving-hands.jp ★を@に変えて
お名前(ふりがな):
紹介者名:

今回の旅でずんぶんと神妙な気持ちになったわたしは、
これからデリー空港に降り立つときだけでも、この
【祈りの間】なる空間に、身を委ねてみようかと思った。

「識(し)る」ということ

我われは常に『四重苦』の縛りのなかで生きている。
①まずは、この世に生まれた瞬間から派生している
  『カルマ(業)と二元論』
②次に、その世界で生きていくために守らねばならぬ
  『法律や規則』
③その上で、暗黙の了解として存在する
  『世間の常識』
④さらに、過去の経験から自分で決めている
  『自己へのこだわり』

こんな制約の中で、がんじがらめに魂が絡め取られている。
この狭い範囲内で自己を保っているのだから
人間って、なんて器用な生き物なのだろうか。
しかし同じ人間のカタチをしていて、この四重苦から
解放されている自由自在な生きモノがいる。
   人は それを 『聖者』 と呼ぶ
では、凡人の我われもこの制約を外したら
自由自在となるのだろうか・・・
   否
そんなことしたら、即、自己が保てず、精神不安定
どころか、生死を左右するかもしれぬと。
④まず、『自己のこだわり』がある方ほど
   本質である自己認識が薄い。

この “こだわり” が外れると、アイデンティティが崩れる。
③次に、『世間の常識』に縛られている方ほど
   分別という他人認識に欠ける。

この “常識” のタガが外れると、一気に『KY』となり
周囲からつま弾きにされかねない。
②では、『法律・規則』がたくさんある国や環境にいる方ほど
   モノゴトに対する知識が少ない。

この “ルール” がないと、危ないものでも真に危険と
理解できず、火傷しかねないため「法」や「規則」で禁止する。
①最後に、『カルマや二元論』に左右されている方ほど
   自由という最高レベルの喜びを放棄している。

この “善悪、正否、白黒” という裁きを加えることで
己の正当性を保っていられるから。
こんな心の構造が見えてくると、
 
   な~んだ 自己保身と無智のために
        自分で作り出しているだけじゃん♪
だから、凡人のままでは決して外してはならぬ四重苦の枷。
自己を保つために、自由と喜びを差し出し。
そこから解放されたいなら、
④自己をありのままに認識し、③利他行を常とし、
②最低限の知識を身に付け、①智慧を磨くこと。

これを成した段階で、すべての制約は跡形もなく消え去るようだ。
一見、自己を高みに上げるかにみえる【ねばならない】思考が
実は、自らを地の底に陥れている元凶だということがわかろう。
【ねばならない】という義務は、【ありのまま】という自然体ではないから

うまく生きるということ その2

わたしが子どもの頃、うちにはある一定の基準があった。
それは、なにかを選択するときのモノサシ
当時、意志の強い(単なるわがまま)わたしを
コントロールする母は、悪戦苦闘していた。
で、いつもわたしに負けていた。
その妥協理由はこうだ。
「お風呂に入れ」→「いやだ」
      →「まぁ いいか、垢で死んだ人いないから」
「学校に行け」→「いやだ」
      →「そうね、バカで死んだ人いないし」

つまり、「命」にかかわることでないかぎり、
たいていのことは、許された。
高校時代、体操部の春の大会に向けてムリな
絶食をし、減量に励みすぎて倒れたときだけは、
「生命に危険」と、ストップがかかったくらい。
こんな環境で育ったので、何かを失うということで
立ち止まるのは「死」に直結することぐらいだった。
勉強ができるとか、財産があるとか、友人・知人の
有無などは、あれば「便利」、いたら「楽しい」くらいのこと。
さらに、大人になって東洋思想が我が家に導入されてから、
命を育んでいる 『身体』 ですら “借り物” である
という基準が加わった。
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今から 8年前、姉の子どもがまだ中学生の頃。
母が複雑骨折で入院した。その手術の際、
病院から家族全員が呼び出された。
たかが骨折、命に関わるわけじゃなし・・・
どうやら母の持病の心臓病がその手術には
致命的であり、成功する率は50%だと聞かされた。
これは骨折手術の成功率ではなく、心臓病の薬を手術のため
一週間止めねばならず、その間の生存率だという。
つまり、担当医がインフォームドコンセントのため
家族を呼び出したというわけ。
すでにうちの基準には『死んでも生まれ変わる』
が加わっていた。で、即答。
「どうせ人間いつか死にますから、早いか遅いかです
構いません、手術お願いします」
そう聞いた医師は、呆気にとられて病室から去った。
その後、母にとって孫である甥っ子がひと言;
「くだらないことで、呼び出さないでくれる?
           大丈夫だ、運命どおりになるから」
これは不安に思っている母への最大限の励まし。
なにも、命を軽く扱っているわけではない。
今生の役目を終えないまま死を迎えると
宿題を背負って転生しなければならないから。
役割りがある分だけ、『生かされる』というわけ。
「自分で生きている」と思うから、「死にたくない」となる。

とはいえ、頭での理解と感情は別もの。
本人はじめとして皆が、手術の成功を
祈ったことは言うまでもない。
なにかに「こだわる」と、
人は不安の渦に埋もれる。
不安、怖れとは、「なにかを失うかもしれない」
という心配から発する。
「ある」から不安になる。
であれば、はじめから手放せばいいと。
もともと「生かされている」という、与えられた人生
だと思えば、『生』というものを客観視できなくはないか。
そして、いざと言うときのために、ナムカイ・ノルブの
言葉を思い出そう。
六道への再生のうち、完全な悟りに向かって進んでいくのに
もっとも適しているのが、人間の身体をもって生まれてくることだ
だから、真の意味で人間たらんと思うなら、すなわち自分が
人間であることの意味を本当に実現して生きようと思うなら、
完璧な悟りを人生の目的とすべきだ。
それ以外の生き方は、仏陀の言葉にもあるように、
家の土台が燃え始めているのに、目に覆いをかけられ、
それに気づかないまま家の中でおもちゃで遊んでいる
子どものようなものだ。
ふつうの人間にとって、死はリアルなものだ。
それは、なんの警告もなく襲ってくる。
だから、人間として生まれてきた貴重な機会を、
瑣末な心配事についやすのは悲劇だ。
ただ修行だけが自分自身で悟ることを可能にしてくれる。
そして、自分自身の悟りをつうじてのみ、その悟りの力
によって、同じ境遇に到達できるようにひとを導き、
究極的な意味で他者を救うことができる。
物質的な援助は、ただ一時的な助けとなるにすぎない。
だから、他者を救うためには、まず自分を救うところから
始める必要があるのである。
                   『虹と水晶』 P184から

時代は禊ぎのとき。
どれだけ埃を祓えるかにかかっている。
『保身』という名の、こびり付いた『垢』にしがみついていると、
無理やり剥されることになると悟ろう。

うまく生きるということ その1

3月の震災後、ここ東中野のオフィスで仕事を
していて、いつもと違う異常な変化に気づいた。
それは、パトカーや救急車、消防車のサイレンが鳴り
連日、何度も山手通りを往来していた。
そこにヘリコプターの音まで加わり、実に落ち着かない。
ある昼間、オフィスでのセッション中、数台の
消防車とパトカー、救急車が列挙してやって来た。
うちのすぐ近くで停まり、拡声マイクで
なにやら叫んでいる。
あまりにも騒がしかったので、セッションを
中止し耳を傾けた。
「ただ今、東中野 1-○- ○から通報がありました。
なにか調査中ですので、道を空けてください」
   ホント 目と鼻の先だ
来客中でなかったら、野次馬に出かけるところだ。
が、ホンの数分で彼らは去って行った。
どうやらイタズラだったようだ。
これは、人びとの心が不安定になっている証拠であろう。
正しい判断ができず、事故、火事、事件が起こる。
または心の乱れからの心身不調だ。
これは、渡印する4月上旬まで続いたと記憶する。
震災後は日本人総 PTSD 「心的外傷後ストレス障害」
にかかっていると精神科医が言っているように
心に負担が圧し掛かっているのだと。
となると、身体に支障が出るのも時間の問題。
それは、今年の惑星の王様である『月神』も語っている。
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あるとき、聖なる天界でガンダルヴァが罪を犯した。
そこで聖者に呪いをかけられ、下界に降ろされ
の姿にさせられた。
  ※インド神話においてインドラ(仏教では帝釈天)に
    仕える半神半獣の奏楽神

ガンダルヴァの姿に戻るには、池の底にある
シヴァ神(シヴァリンガ)に、適宜な時間に
参拝し供養することだと聖者に告げられた。
犯した罪を償うためにガンダルヴァは地上に降り、
長い間適切な場所を探し求めた。
ついに、ティルントゥデヴァンクディ(Thirunthudevankudi)
という美しい場所を発見した。
そこにあるホーリーポンド(聖なる池)の底に、
シヴァリンガが鎮座していた。
さっそく毎日池の表面に咲いている蓮を
自身の爪ハサミでカットし、底に沈むシヴァリンガに
蓮の花を供養することにした。
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あるとき、国全体を視察に歩いていたその地域の
王様が、池の土手で使者たちと休んでいた。
王様は美しい場をこの上なく楽しんだ。
それは、たとえ真夏の暑いときでさえでも。
すると突然、池にあった蓮の花が池のなかに
引き込まれていくのを発見した。
それは、夕方と翌日の朝も続いた。
そこで王様は、蓮の花が引き込まれていく
池の中に自ら入り、後をたどった。
するとそこにはシヴァリンガが鎮座していた。
奇しくもその日は、ガンダルヴァが地上の蟹の姿から
解放され、天界の姿に戻る呪いがかけられた最終日であった。
この偉大なパワーを目撃した王様は、その地に
リッパな寺院を建立することにした。
このパワーを知った医師ダンヴァントリーと
聖者アガスティアは、聖なるパワーと癒しの力を
内在するためにここを訪れた。
チャンドラ(月)とは、心を表すカラカ(表示体)である。
心とは、ほとんどの病の真の原因を作っているもの。

偉大な医学者や聖者たちからの懇願として、
彼(月神)は、この寺院を参拝する信奉者に
ヨーガ・チャンドラとしての祝福を与えている。
 ※満ちゆく月(waxing)が吉で、欠けゆく月(waning)は凶と
   されているが、どの月の状態でも祝福が与えられること

さらに彼は、呪いさえも恩恵に替えてくれる力を持つ。

このように、心の乱れは病気へとつながる。
では、どうしたら心を乱さず「うまく生きていく」ことが
できるのだろうか?
                    つづく・・・

天の采配 番外編 【4つの帰依】

「マダムは女王様だから、3番目の『友人タイプ』だな」
と、自身は『サーバント(召使い)タイプ』だと分析する
ガイドの解説する、タイプ別 “帰依の仕方” を聞き入った。
エライヤッタンクディという寺院に鎮座していた像に関して。
ここでは、ハードワークのあとのエネルギー消耗を補ってくれると。
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Elaiyathangudi
ここのメイン像は『ナタラージャ』 ~ ダンシング・シヴァ ~
であるように、シヴァ神を讃える寺院である。
インドには八百万の神が存在するが、それを讃える
聖者たちもたくさんいる。その中で、シヴァ神への熱い
想いを賛歌としている聖者に、4つのタイプがあるという。
1:アッパーもしくはティルナヴァカラサル ← 聖者の名前
  Appar @ Thirunavakkarasar
  彼は「ダーサ・マルガDasa Marga」といって
  「僕(しもべ)の道」を謳っている。
  信奉者とは奉仕する僕のようであり、シヴァ神はご主人様である。
2:ティルニャーナ サンバンダル
  Thirugnana Sanpandar
彼は「サットプットラ・マルガSatputra Marga」といって
  「息子の道」を謳っている。
  信奉者とは長男のようであり、シヴァ神は尊敬する父親である。
3:スンダラール
  Sundarar
  彼は「サガ・マルガSaga Marga」といって
  「同胞の道」を謳っている。
  信奉者とは近しい友人のようであり、シヴァ神は同胞である。
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左から、2,1,3番の聖者
4:マニッカワチャカル
  Manickavachakar
  彼は「サン・マルガSan Marga」といって
  「一心同体の道」を謳っている。
  信奉者とシヴァ神は、熱烈な男女のように
  分離不可分な関係である。
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  4番目の聖者とナタラージャ、パールヴァティ女神
そして、ここでは有名な賛歌のひとつ
デヴァラム(Devaram sacred hymn)は、
1~3番の聖者の共同作業で仕上げられ、
もうひとつの賛歌であるティルワチャカム
(thiruvachakam Sacred Hymn)は、4番目の
聖者ひとりで創作されているらしい。
「これを見ただけで 『一心同体の信奉』 が、
他よりレベルが上
ということがわかるよね」
だから、4番目の聖者だけナタラージャの横で、
ひとりだけ付き添って居られるのだと。
まさにガイドは、1番のサーバント・タイプで、
わたしは、キングだった3番目の友人タイプのようだ。
  よかったぁ~
エラそうにしていても、神様はわかってくれるらしい。
目的地に行くには、様々な『道』があるように、
心の道も「人それぞれ」なのだと。
それにしても、いつもこのガイドはよく解説してくれる。
元教師だけあるが、それだけではないらしい。
聞くと、来世はブラーミン階級に生まれて僧侶になりたいから
今生で出来るだけ積徳しておきたいのだと。
それには、天の法則をいかに多くの魂に伝えるかに
かかっているから、すれ違う見知らぬ人にも惜しみなく
彼のあふれんばかりの知識を分け与えている。
大したものである。
ときどき、「わたし」のガイドだってこと忘れさえしなければね!

天の采配 その16 【心 ここにあらず】

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前夜祭より時間は早め、そして護摩壇も派手目で、
集まってきた信奉者も300人ほどになった本番。
シンガポール在住の、三世代に渡る10年選手の帰依者、
シンハ・ラージャ氏(“ライオンの王様”という意味)の
音頭とともに、厳かにホーマが始まった。

マントラを唱え、仕切るのはグルジの一番弟子の長男。
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日本の皆さんの寄付金で購入した供物(アーユルヴェーダ薬草)
を、取り囲んだみんなで護摩壇の炎に捧げていく。
   なんだか不思議な感覚
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この儀式が?
いや、こんな満月本番中に、肝心なグルジの姿が見えないのさ。
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あれだけ重要な日だと豪語していたのに。
儀式が終了してから、それをガイドに尋ねた。
「実は今朝方、パパナサムの聖女がこの世界を去ったのだ」
   ・・・え? うっそでしょ 信じられない
翌日、会いに行く予定だった、140歳のサマディ聖女。
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昨年は3ヶ月間、ブラフマリシ・ヒルにも滞在していたという。
そのとき、ガイドはこの聖女に会っている。
肉体はこの世界にあるが、意識はあちらの世界だった方。
唯一、象の儀式を施したときだけ「ガネーシャ、ガネーシャ
と手招きしていたとのこと。
稀にみる【生き仏様】に会える興奮が、一気に混乱へと変わった。
なぜ、この【タイミング】での他界なのか。
前日、日本国の救済儀式を執り行ったことに関係があるのか。
グルジは、年一回の信者に対しての義務よりも、魂が
肉体を離れて間もない聖女のもとに駆けつけることを選んだ。
いったい、この一連の流れに隠された深い意味は
なんなのか、そのときも今も、推し量れないでいる。
とはいえ、オビチュリー(obitury)といって、召された聖なる
魂へのダルシャン(観る)のために、翌日は予定どおり
アガスティア聖者の聖地パパナサムに向かうことに。
朝、4時起きということで、9時には就寝した。
しかし、その日は満月。月明かりが明るいだけでなく、
月の周囲に光りの輪ができていて妙に明るく寝付けない。
すると、外で寝ているわたしをガイドが起こしにきた。
「今晩、10:30から、グルジが聖女のための
アートゥマ・シャンティを執り行うから下に降りるように」
 ※魂の、死者の弔い
   グルジが戻ってきたんだ!
すぐに友人に伝え、寝場所だけ確保して降りる準備をした。
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さて、ここから経験したことや、翌日のパパナサムでの
体験は、まさにこの世を超越していた。

果たして、ここで見聞きしたことを、未だわたしは
自身のなかに落とし込めているのかさえ、怪しい。
であるなら、当然、公けの場で不特定多数の方が読む
ブログという媒体に、これから経験したことなど、とても書けない。
続きは近しい方にだけ、開示していくつもりだ。
ただ、ひとつだけ言えるのは、この現実世界の
同空間に、「確実に天界が存在する」ということだけ。
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この聖地で、世代を渡って何十年もカーカブンジャンダ
聖者を信奉している信者から、ブラフマリシ・ヒルの
頂で我われがホーマを施せたことを、しごく羨望された。
外国人として初めて、山のてっぺんで護摩壇を焚くこと
精霊から許可されたと聞いてはいたが、よく聞くと
インド人の帰依者ですら【それ】は許されていないのだと・・・
いまだに “キツネに抓まれ” 状態のわたしには、
その真意を理解することはできない。
きっと、元映画監督だったグルジも、先代のグルジから
様々な奇跡を見せられた末、ようやく次期グルジになることを
受け入れたように、はじめはわたし同様、すべてが
【マユツバ】にしか見えなかったことだろうと。
ふたつの聖地からの帰り道、わたしたち日本人は
放心状態のまま、エア・インディア オフィスへと向かった。
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街中に着いて、3日ぶりにメールを受信した。
「大変お待たせしました。
        ようやく【再生のバルドー】の翻訳が出来上がりました」
昨年から手がけているイギリス人の「死の教え」本の翻訳者から。
日付けを見ると、17日。まさにその日は【満月】真っ只であった。
今回のインド滞在中に、140歳の聖女だけでなく、
シーク教の有名な聖者が他界し、帰国する24日には、
スワミ・サイババも天昇した。
【死と再生】
ひとつの時代が確実に終わろうとしているようだ・・・
      
                           Fin

天の采配 その15 【聖なる森】

インドでの4月の満月は17日。
前夜祭があるらしく、前日早朝に現地入りした。
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そこには、グルジのグルジ(タライヤッティ・ジッダ)
のときから信奉している帰依者がぞくぞく集まってきた。
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どこから来たかと聞いてみると、ご近所からと南インドの各地だ。
遠いところでスリランカ、シンガポール、マレーシアから。
海外在住といっても、彼らは皆、南インド人である。
だからグルジの話すタミール語が理解できる。
わからないのは生粋の外国人、わたしたちだけ。
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到着後まもなく、聖なるリバーで沐浴することに。
インド体験長しといえど、男性が周囲をうろちょろ
している場所での沐浴は初めてだ。
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ちょうど皆が「露天風呂」から上がったところで
グルジがチャイを持ってやってきた。
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いやはや、日本であれば教祖様にお茶を運ばせ
お給仕してもらうなんて、まずあり得ない。
いくらこのグルジが「わたしは丘の管理人、
カーカブンジャンダ聖者に仕える犬」
と言ってはいても
やはり恐縮する。
とはいえ、いざ夜のホーマ儀式が始まり信奉者に向かって
なにか叱咤していた様(さま)は、【グルジ】の風格
そのものだった。
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「おまえたちは、常日頃あれが欲しい、これが食べたい
チャイが飲みたいと要求するだけで、本日の精霊たちへの
供養に、なにか捧げモノを持ってきたヤツはどれほどいる?
ワシがいつも、『できる限りのフリーミールをせい』
言っているのは、なにも貧しい人びとへの施しのため
だけではないのだ。
そのとき天から精霊が降りてきて、一緒にフリーミール
を楽しんでおられるのじゃ
。それをおまえたちは・・・」
ひとしきり厳しい説教が続いたのち、『Japan』という
言葉が響いた。
どうやら、ブラフマリシ・ヒルでのホーマだけでなく
このナンビ・ヒルの森のなかでも日本国のために
ホーマを施してくれるよう
だ。
ビデオ撮影に集中していたわたしに、いきなりグルジ
からマイクを渡され、一緒に供養してくれる、
ここのみんなに挨拶しなさいと。
   うわぁ~ こんな100人単位の人たちに
   日本に向けて祈りを捧げてもらえるのか!!
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しかも、翌日は日本での満月
なんだか凄いことになっている気がしてきた。
よかったぁ~ 日本代表がわたしひとりじゃなくて。
ロウソクを灯したり、お花を添えたりの儀式を、
彼女と手分けして行うことができた。
日本国に滞在する期間が少ない2人は、日本と
外国をつなぐ「橋渡し」にもってこいの役者のように思えた。
その晩は、天高く、精霊に日本への想いが届いたことを
祈り
つつ、明日の本番に向けて早めに休むことにした。
                    つづく・・・

天の采配 その14 【おまけ】

やっかいな、フライトチケットの変更。
日本への帰国を延ばし、国際線フライトと同時に
国内線の変更手続きをすることが、多くの時間と
労力を費やすことは、過去に経験済みである。
それでなくても時間がないのに、【変更手続きの
ための日程】
も作らねばならぬという矛盾を抱え、
たらい回しの電話を延々かけ続けた。
インドの旅行代理店に座りながら小1時間、
10箇所以上電話をかけたが、まともに
取り合ってくれないエア・インディア。
いつものことだが、心が折れる作業だ。
適度なところで切り上げないと、骨折り損となる。
しかたない、日本経由で変更することにしよう。
チケット手配してくれた旅行代理店に国際電話
をしたら、日本サイドでは変更不可なのだと。
であれば、直接日本のエア・インディアに
【苦情】のタカチで連絡してみた。
結果は言わずもがな、即、手続きをとってくれた。
あぁ 疲れる。が、チケット発券はどのみちインド
にあるオフィスに行く必要があった。
タイミング悪く、翌日から森で過ごす日程だ。
オフィスなんて都会にしかない。
しかたがないので、森での滞在を早めに切り上げ、
都市で発券手続きをする日程を組むことに。
午後4時、ホテルをチェックアウトし、集合場所の
森を目指して車を走らせた。着くのは翌日の早朝。
朝、車中で目覚めたら、そこには白い衣装をまとった
グルジが待っていた。
さあ、いよいよ 聖なる森へ出発だ。
インド暦の今年のスタートは、4月14日が元旦。
そのチットライ月の満月の日は、一年間の悪業を
洗い流すホーマがこの森で催される。
グルジはこの儀式を過去30年間、
一回も欠かしたことがないと言っていた。
そんな稀な時期にインドにいるのに、「参加しない」
という選択なんて、彼の基準からしたら許されない。
ここで「No」を出していたら、ガイド同様、評価が10点
となっただろう。一応わたしは75点をもらっている。
この森行きを決断したのは他にも理由があった。
3日間かけて廻らなければならない残った寺院が
森に行く途中にあったことで、その帰りに仕事ができると。
あとは、森の近くの聖地に、140歳まで生きながらえて
いるサマディ状態の聖女に会えるということ。
なんでもその聖地は、実際アガスティア聖者
瞑想していた場所だという。
こんなワクワクする「おまけ」が付いていたので、
わたしと数日だけ同行する予定の友人にも、
「是非、一緒に行こう!」と誘った。
これで彼女の南での日程は、最後までわたしと
一緒にいることになる。
これも何かの役割りがあるのだろう。
森の入り口からジープに乗って、いざ、聖地へ!
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                      つづく・・・