消えた文明の謎

「文明が発達した同じ理由で、文明は崩壊する」
          国際日本文化研究センター教授の安田喜憲さん
友人宅で、農業プロジェクトのことをお茶を飲みながら話していたら、
付けっぱなしのテレビから流れてきた、この言葉に釘付けになった。
【消えた文明の謎】として、NHK番組でいくつかの世界遺産が
取り上げられていた。
その中のひとつに、中央アメリカの密林から偶然発見されたマヤ文明
最大の遺跡、ティカルがあった。
密林に位置するマヤの古代都市・ティカルは、当時、中心部だけでも
6~7万人の人口を擁する大都市だった。だが周辺に水源はなく、
また大地が石灰岩だったために雨水は地中に吸い込まれ、しかも
地下水位が低く井戸を掘ることもできなかった。
この過酷な条件のもとで、人々は120日にもおよぶ乾季にどのように
して水を確保していたのか。そこには、ある巧妙な仕掛けがあった。
都市の地表は、雨水が浸みこまないように石灰岩を利用した
漆喰(しっくい)で塗り固められていた。しかも地面には0.76度という
微妙な傾斜がつけられ、雨水はその先にある貯水池に導かれていた。
つまり、都市全体を巨大な漏斗(じょうご)のような造りにすることで
水を確保していたのである。
しかし、漆喰を作り出すために大量の森林を伐採して燃やさなければ
ならなかったがゆえに、生態系に狂いが生じた。
     NHK
そして終には、文明崩壊につながったのだと・・・
そこで、コメンテーターの教授が言い放った。
「やり過ぎだった」
一緒に観ていた友人とこの言葉を聞いたとき「今の日本みたい!」
と、思わず口を揃えた。
経済、経済と血眼になって復興していた時代の弊害の煽りを受けている。
なにかを創り上げること(創世期)と、維持すること(成熟期)は
別のやり方が必要なのかもしれない。
やはり、なにごとも【ちょうどいい塩梅】がいい。

エコロジーとエコノミー

「日本人は働きすぎ。週に3日働けば十分、
             あとは歌って踊りましょう!」
・・・・・・
ジャイナ教のインド人からこの言葉を聞いたとき、
「それは、インドだからできることだよ~ 」
と、苦笑してしまった。
まして、ジャイナ教徒はとても働き者で、長者番付けトップ数%を
占めるのは、ほぼジェインツ(ジャイナ教徒)だと、以前日本の
新聞で読んだことがある。
そのジェインツが 『働くな』 と言うのだから、それなりの根拠が
あるに違いない。耳をそばだてその論理を聞いてみた。
その1:エコロジーとエコノミー
エコロジー(ecology 生態学・環境)とエコノミー(economy 経済)、
カタカナ英語のエコノミーには、【節約】ムードが漂うが、
このふたつの言葉は “環境と経済” という、別物にみえる
単語である。
だが、どちらも【エコ】がつく、親戚っぽい関係だと。
エコは、ギリシャ語の【オイコス】から由来し【家・住む場所】
という意味。今では【大地・地球という住む場所】をも意味する
広い範囲をさすという。
エコ・ロジーの【ロジー】は知(ロジック)を意味する【ロゴス】から
きている。だからエコロジーとは、大地という住まいを知るということ
では、エコノミーとは、エコ=住まいを管理する、マネージメントの方法だ。
つまり、住まいである環境を知ってから、その住まいの管理を
行なうという、エコロジーありきのエコノミーが自然である。
しかし、現実は住まい(環境)についてよく理解しないまま、
運営方法にばかり意識と労力を費やしている傾向にある。
その上、住まい(エコロジー)を快適にするための運営方法(エコノミー)
にばかり時間を費やしすぎて、住まいそのものを楽しむ時間がない
という、本末転倒が生じている。
この話を聞いて、インド人がよく口にする
『食べるために仕事しているのか、仕事するために食べているのか?』
を思い出した。
ジェインツは、よく働くことでインドでは信頼されている。
インドでは、宗教によって付けられる名前に特徴がある。
だから、名前で宗派が容易に読み取れる。
ビジネス界でも名刺を見てジェインツだとわかると、
仕事が増えるのだと、新聞記事にも書いてあった。
なぜなら、インドにおいて、彼らは約束を守る(戒律上)人種
だからである! →  これ、すっごく重要!!
だからますます忙しくなり、長者番付けにも入るという仕組みだ。
また、彼らは稼いだ収入のほとんどを、病院や学校への寄付に
回す
ことでも有名である。
これは宗教上の理由から【来世への貯蓄】というわけだ。
狭い範囲だと【働き者】という姿は日本人とジェンインツは
似ているが、広い範囲ではビックピクチャー(最終目的)が
違うということである。
だから、日本人のように目的と手段をはき違えて働いてたら、
【振り出し】に戻ってしまうよ、というのが、このジェインツの
言いたいことかもしれない。

アイ・パワー

「あなたは、眼はいいですね」
え~~~ ! わたし、メガネかけてるの、見えてますよね?
しかも、視力 0.1 以下なんですけど・・・
インド事情がまだよくわかってない時期、インド占星術師から言われた
このときの驚きは、いまでも思い出す。
眼科検診にでも行って、こう言われるのならわかるが、
人生の未来予測の話で、いきなり【目】について語られた
のだから、不思議でならなかった。
日本での眼がいい=視力がいい
インドでの眼がいい=眼の病気にかかっていない

ということを知ったのは、チャリティ活動をはじめてからだった。
インド、ネパールでは、眼科検診の無料診療に携わっている
NGOがとても目に付き、無償で治療を施している。
世界には;
目の見えない人:3,700万人
視力障がい者:1億2,400万人
90%が途上国在住者
目の見えないことでの世界経済負担額:2兆5,000億円(年間)
インド国内失明者:1,200万人(世界失明者の約1/3)
うち60%が白内障による失明

つまり、適切な処置を施していれば、確実に治療できる
ということである。
だから、メガネをかけていようと、目が見えるということは、
インドでの占星術的予測には、とても重要な予言項目
ということだったのだ。
2008年末に、ネパールのGCBSから報告データが届いた。
それは、ヨーロッパの支援者の協力で、チベットの子どもたちが
眼科検診と健康診断を受けている模様だった。
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日本では当たり前の子どもの健康診断が、途上国では生死に
かかわる重要な機会だったりする。
普段は感じられない制度に守られている【命】を大切に
することが、日本国に住んでいる恩返しだと思える。

いい加減

「いい加減だな~ 」
という言葉からは、いいイメージが浮かんでこない。
【中途半端、ちゃらんぽらん、不真面目、無責任、うんざり】
インドにいると、たびたび痛感させられる言葉である。
だが、この言葉にはもうひとつの【顔】がある。
「お風呂はちょうど いい加減だ~」
などに使われる、【適度な、ちょうどよい、いい塩梅(あんばい)】
という、見方によると上記の【中途半端】的な要素がないわけではないが、
悪いイメージの言葉ではない。
それは【適当】という言葉の二面性に似ている。
つまり、多くもなく、少なくもなく、頑張り過ぎもせず、だらけ過ぎもせず
という、ちょうどいいストレス度合いのある【中庸性】を、中途半端とみるか
適度なのかは、測る人の主観に左右されよう。
キチッとした日本人からみると、悪い意味での「いい加減」に感じるものでも、
インド人からしたら、適度な「いい加減」なので、心地よいのだろう。
見る視点によっての感じ方の差異は、前述した【市場基準】【社会基準】
に表わされているように、【GNH(国民総幸福)】を推奨している視点から
みたら、現在の経済成長低迷期は、大いに結構と映るかもしれない。
モノが消費されない→無駄使いがなくなる→自然が破壊されない。など、
今までと違った時間の流れ方を経験する、いいチャンスなのだと。
しかし、政治家、経済学者は大慌てする。経済成長率が何%かでも
上がらないと、政策上の失敗だと非難されるから。
話題の定額給付金も、国民消費を促すためなのでしょうが、この時代、
わずか1-2万円を得たところで、使われず貯蓄に回されるのがオチ
だと予測される。
また、IMF(国際通貨基金)の調査によると、2007年のシンガポールの
一人あたりのGDP(国内総生産)が、ついに日本を抜いたとされる。
これまでアジアでトップをキープしていた日本だったが、ついに2位に
転落してしまったということだ。
これを憂えた経済学者は、経済のグローバル化に伴って世界の国家を
見習い、GDPをもっと上げシンガポールになんて抜かれない政策を
とらねばならない!と士気を上げている。
かたや社会活動家は、グローバル化の弊害を訴え、ローカル化(地域化)
を促進しているという、両者ともの 『お国のため』 対策が相反しているのが
実におもしろい。
経済学者のいうGDPアップのために、消費産業の増大を図り、物流の
活性化を促すグローバル化による国際的流通のなかで、
「他国から10tの牛乳を輸入して、10tの自国牛乳を輸出」している矛盾
に、違和感をもたないのが不思議でならない。
わざわざ同じものを行き来させることで、エネルギーを消費し、二酸化炭素
を排出し、地球に負担をかけながら、時間・労力・お金をかけてまで、
GDPを上げようとしている。
まるでモノを消費するための “働き蜂” ではないか・・・
これでは国民総多忙なわけである。
昔から言われている「忙しい」=「心を亡くす」とは、このご時勢で
再認識しなければならない重要課題に思える。
グローバル化し過ぎても弊害があり、ローカル化し過ぎて鎖国状態
になるのも問題である。
だから、【いい加減】 がちょうどよいのかもしれない・・・

原則と特例

両親の不法入国が原因で、強制退去処分を受けている、
日本生まれのフィリピン少女のニュースが話題となっている。
少女が日本に残れるよう支援する署名も、1万4000人を超えたと聞く。
これは、法相大臣の【特例】に訴えかけるものである。
どんな『モノゴト』にも原理原則がある。これがなければ規律という
秩序が保てない。しかし、それだけでは推し測れないものも多々ある。
組織が大きいほど規律がしっかりしていて安定・信頼度は高い。
しかし反面、【特例】措置のハードルも高くなる。組織が小さければ、
【特例】のハードルは低いが、原理原則が甘くなり組織としての
安定性は低くなる。
NPO/NGOという組織は、規模の大小如何にかかわらず、
『モノゴト』の基準値を決めるのが、難しいと感じる。
株式会社のような営利組織であれば【市場基準】という“経済的ものさし”
で線引きできるが、非営利団体の場合は【社会基準】という
“人道的ものさし” が基準値を測る道具となるので、決断する個人
もしくはその組織の主観に頼らざるを得ない部分が少なくない。
なにを基準値にするかによって、行動がガラリと変わるもの。
ある行動経済学の文献に興味深い実験結果があった。
人は、「市場基準(経済性)」「社会基準(モラル)」という2つの
判断基準をもっていて、低報酬なら請けない仕事であっても、ボランティア
(無報酬)なら請けることが多いということである。
弁護士に低報酬で困窮者への相談依頼をしたところ、ほどんどが断ったが、
ボランティアという無料での相談依頼には、多くの弁護士が引き請けたという。
この実験結果が示すものは、提示された低報酬は仕事としての価値基準から
みたら、断じて応じられないが、【人として】という社会的価値で測るなら、
無償であればあるほど価値があるということだ
そして非営利組織には、さらにこの【人道的ものさし】にも
“原則と特例” の線引きがあるから、悩みどころである。
年末年始にかけて、インドから数通のメールが届いた。
ある支援している施設を通して知り合ったインド人からの個人的な相談である。
要は、「困窮する問題が発生したから助けて欲しい」という依頼である。
個人的心情としては手を差し延べたいのは山々だが、
・数通のメールだけでは事情が明確でないこと
・わたしではなく、現場の上層部にまず相談したらどうかということ
・個人的な支援活動をしているわけではなく、組織単位 で活動しているので、
 施設責任者を通して「組織」としての依頼なら考慮すること
を伝えた。これは、いわゆる【原則】である。
すると返事は、「施設責任者に断られたから、あなたに頼んだ」
と。さらに続けて、
I thought you are helping the poor and you will understand my problem.
「あなたは困っている人を助けている人なので、わたしの問題を
理解してくれるだろうと思った」

つまり、原則ではなく【特例】を認めてくれ、という、よくある勘違いである。
しっかりした理由と証明という裏づけがない状態で。
これでは、責任者がなぜ依頼を断ったのかも想像つく。
人道的ものさしの【特例】には、“情” や目先の手助けによる自立の妨げ、
依存、主従関係などが判断を誤らせる【罠】となる。
これは常に、NPO/NGOに突きつけられる
【その活動は、ほんとうに相手のためになっているのですか?】
という課題である。
しかし、答えはその場ではわからない。この言葉を
いつも胸に抱えて行動するしか、答えは見えてこない。
そのとき感じたまま、戸惑い回り道しながら進んでいくしかない。
まだ組織が小さいゆえの有利さとして、小回りが利く=特例大あり
が、ときとして判断を誤る落とし穴にもなりうる。
国という組織として法律が出来上がっているところに、今回の
フィリピン少女の問題のような、必要に迫った【特例】を突き
つけられると、答えに時間を要するものである。
親の不法入国後に日本で生まれ、就学した子どもが近年増加中とのこと。
国も、今後のために試行錯誤しながら対処しているのだろうと、
人ごととは思えず、痛感させられた。

スラムドッグ$ミリオネアー

『ぼくと1ルピーの神様』という本の感想を、
ちょうど一年前の1月、このブログにアップした。
http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200801/article_4.html
昨年2008年には映画化され、今年の4月、日本で公開される。
http://slumdog.gyao.jp/
内容は、いわゆる『闇の子供たち』インド・ヴァージョンだが、
タイを舞台にした、日本人(発展国)側の視点から制作された
『闇の~』とはスタンスが異なり、インド人が、インド人の実態を、
インド国内での問題として、インド国内外で放映された逸品である。
わたしは日本公開前に観たのだが、原作とはだいぶ異なっている。
それは、時間制約のある映画化にともなう避けられないポイント
だから、しかたない。
日本での映画を観る前に、ぜひとも原作を読んでいただきたい。

ナチュラルビレッジ

【農的生き方 青空プロジェクト】
~ナチュラルビレッジ 計画~
「A君、最近どうしているかと思ったら、
     田舎に帰って農業やってるんだって~」
「ボク、将来はどこかの農家の跡を継いで、
        農民になろうと思ってるんです!」
この手の話を、近ごろよく聞く。
なぜか?
【GNH】という価値観からであろうと想像できる。
そもそもこの【GNH】という言葉は、1972年に即位した
ブータンの若い国王(2006年に退位した第四代国王ジグメ・
センゲ・ワンチュック)が記者会見で、
「政府の目的はGNPを増やすことではなく、
GNH(国民総幸福)を増やすことだ」

と述べたところから、今では国民の価値基準を測る【ものさし】
の一部になっているようである。
GNP=国民総生産 GDP=国内総生産
両者の【P】は、Product プロダクト(生産物)のこと。
この生産物のやりとり(モノやお金の量)がどれほどあったかで、
進歩・発展・成長をはかり、発展国か途上国かに分類されるのだと。
しかし、そのGNPのなかには、タバコやお酒、交通事故や離婚訴訟
環境破壊から犯罪にかかわる、すべてが含まれているのである。
そこには、人々の健康や、教育の質、芸術の素晴らしさ、やさしさ、
思いやり、誠実さ、愛などは含まれない。
要するに、国の富を測るGNPからは、心の豊かさのすべてが抜け
落ちているということである。
この【P】の替わりに【H】=Happiness(幸福)度を基準に
したものが、【GNH】というわけだ。
かつてアメリカでは、1960年代に【ヒッピー】と呼ばれる若者たちが、
カウンターカルチャー(対抗文化)として、近代派と伝統派とは違う
第三の潮流として生まれはじめたことは、誰しもが知ることである。
そのような潮流の人種たちが、今のアメリカではどうなっているのか
ということを調べた、ジーンズで有名な『リーバイス』という会社がある。
そこで継続的に行なった社会意識調査では、20世紀終わりには、
ついにアメリカの人口の三分の一が、この第三潮流だということが
わかったそうである。
その調査によると、この種の人々の特徴は、
・環境問題に関心があり、ライフスタイルもエコ的生活を送っている。
・健康にも気を使い、自然食派である。
・食材にもこだわり、国産のさらには地元の物を食べたいと思っている。
・可能であれば、自身も農的暮らしを望んでいる。
・ガーデニングやベランダ栽培で野菜を育て、市民農園にも参加する。
・身体を動かすことが好きで、モノを作り出すことに生きがいを感じている。
・部分志向より全体志向。どういうプロセスを経ているかの全体像に関心あり。
・消費者ではなく、生活者であるとの自覚のもと、CMに踊らされる消費はしない。
・「わび」「さび」的な美意識で、地味な心落ち着くものを選択する。

この一連の傾向をあらわす形容詞は『3つのS』
スロー(ゆっくり)
スモール(小さい)
シンプル(簡素な)

で示されるのだと、文化人類学者【辻 信一】氏が、このような潮流の人たちを
【カルチャー・クリエイティブ】と分析していた。
今、日本の若者たちの価値基準も、アメリカのそれと大差ないように思える。
だから彼らは、グローバリゼーション(世界的拡大)からローカライゼーション
(地方化)へと還っていく
のであろう。
そんな潮流を考慮しながら、ギビング・ハンズの定款に掲げてある、
【日本の若者たちの応援プログラム】として、【農的生き方 青空プロジェクト】
に、これから取り組もうと思っている。
このプロジェクトは、自ら気づいて基本に還っていくタイプと、『何かが違う』
ことまではわかるが、その先どうしていいかわからない若者たちの応援を
するのが目的である。まずは、多くの若者たちを受け入れる“受け皿”
を築くのが先決であると考える。
また、若者の反対側に、老齢者で切り盛りしている田舎の農業実態も
大きな問題を抱えている。
・誰も手をつけられていないままの休耕地
・跡継ぎ不在のまま、継続不可能な農家の実態
・労力に見合わない農業収入の実態
・老夫婦2人だけの、片方が農業従事不可能になった場合の廃業による不安
・農協にコントロールされている不安定価格の実態

など、従来農業には矛盾点が山積みされている。そんななかで現在
注目されているナサラ農法(Nature Surrouding Revived)に活路を
見出しながら、それぞれの課題をそれぞれが補う形の相乗効果
解決していこうというのが、このプロジェクトの目的である。
そのスターティング・メニューとして、年間通して自然の味が楽しめる
(仮)【ふるさとパック】なるものを準備する計画である。
順次、プロジェクト内容が準備でき次第、お知らせしたいと思います。
ご興味ある方は、奮ってお問い合わせください。

クレイジーパワー

『常識のある人は、自分を世間に合わせようとする。
非常識な人は、世間を自分に合わせようとする。
ゆえに非常識な人がいなければ、この世に進歩はあり得ない』

         劇作家 ジョージ・バーナード・ショー
社会企業家―― 新たな市場を切り拓く人々
このサブタイトルで、【クレイジーパワー】という
世界の数々の歴史的な問題に立ち向かっている
企業・人びとの本を、今年はじめに購入した。
 ― 【狂気の力】 が世界を変える ―
いつの時代も、大変革時には【非常識】な人びとが活躍している。
●紀元前500年代の非常識な人たち
ゾロアスター、ブッダ、孔子・老子、
ピタゴラス、ソクラティス、プラトン、
アリストテレス、アレクサンドロス大王

●1500年代の非常識な人たち
コロンブス、マゼラン、コペルニクス、
ガリレオ、ダビンチ、ミケランジェロ、
シェークスピア、ルター

歴史上では偉大な人物でも、当時の常識人から見たら
まさに【クレイジー】なパワー全開っだったであろう人びと。
しかし、そこから世界は、社会は変化していったことは、
歴史をみたら明らかである。
時代は今、大変革のとき。
大手を振って、非常識人をめざそう。

一部の情報

「え? インドって 【寒い】 の?」
「インドはIT産業で発展している国でしょ。 なぜ 【貧しい】 の?」
ときどきある、インドに対する質問。
それは、インド人が、
「日本は、原爆を落とされた国で・・・」
という、一部の教科書的情報で日本という国のイメージを
もたれているのと一緒であろう。
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これは、インドの首都デリーの州境にあるGHが支援している
施設(ADF)での、クリスマス・イベントの模様。
子どもたちは皆、セーターを着て毛糸の帽子をかぶっている。
この冬は例年にない寒波で、北インドでは5℃を下まわる日
があったほどである。
インドでファン(扇風機)やクーラーは見たことあるが、
基本的に、暖房器具にはお目にかかったことがない。
この寒空に、家と寝る場所があるだけ幸せで、路上生活者は
冬、毎年寒さで命を落としている方々が少なくない。
また、IT産業で発展している人々は、10億人の民のうち1-2割
の、ごく一部だけである。
まず、知ることから始めよう・・・

やっぱり社会貢献!

「ガイドの勉強をする前は、ず~とこの塔をお墓だと思ってました」
バンコクの【ワット・ポー】という寺院で、ツアーガイドから
この塔の説明を受けたとき、『なるほど・・・』 と納得。
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この四つの塔は、ラーマ1世から4世それぞれ歴代の王様が造った、
【死後】、高い世界に転生するための装置だったのだそう。
エジプト帰りから2週間でバンコク入りした直後に聞いたので、
「まるでエジプトのファラオ(王)が造ったピラミッドと同じじゃない!?」 
と、シンクロした。
現在の王様はラーマ9世。この王様が亡くなったら、国民の涙で
湖が出来ると言われるほど、とても人気のある王様だと。
では、その前に亡くなっている、5世~8世までの転生装置は
いったいどこ?
   ・・・・・・ どこにも、ない
時のラーマ5世は、大きな行政改革や身分制度廃止をした王様だ。
また、周りの国がイギリスやフランスの侵略によって植民地化される
なか、独立を守った王様として、タイ3大王の一人とされているほど
偉大な王だ。しかし、この王のときから【転生装置】がなくなったと。
なぜなら、莫大な費用をかけて【塔】をつくるより、国民のための
病院や大学を建てることに転じたのだという

これによりラーマ5世は、タイ国の宗教【上座部仏教】の根幹である
死後の高い転生儀式を取りやめてしまったのだろうか!?
   答えは 【否】
高い塔を建てることも、公共施設を充実させることも、どちらも
違った形ではあるが、死後の転生に影響する行為である。
つまり装置を利用し波動を上げ、より高く飛び立つのか、
他に貢献することで、仏教でいうところの【情けは人の為ならず】
的ブーメラン方式
で、高く飛び立つかの違いだ。
それに現在でもまだ、転生装置に匹敵する儀式が残っている。
ラーマ9世のお姉さんが2008年1月にお亡くなりになられ、ちょうど
バンコクを訪れた10月に、火葬を含む葬儀の準備をしていた。
え? 亡くなって8ヶ月経ってから【火葬】・・・ ですか!
それも、年間 常夏のようなこの気候で。
なぜなら、火葬にともなう【棺(ひつぎ)】の用意に数ヶ月かかったと
いうわけである。 これだけだとチンプンカンプンだ。
するとガイドが、エメラルド寺院を出るとき、
「あれですよ、今、作っている棺は」
と、遥か彼方に見える、天高くそびえる木製の塔を指差した。
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          数十メートルはあろう、建設中の【棺】 
数人で寺院めぐりをしていた日本人全員が、その塔を見て
目を丸くさせ、口をあんぐりさせていた。
まず王族の棺の条件である、樹齢100年以上の木を探すところから
始まる・・・探すのに3ヶ月、製作に3ヶ月・・・ 死者は直立のまま
棺に安置され・・・ 
ん~  これ以上の話になると、このブログの主旨にそぐわなく
(すでにそうなっている!という声が・・・)なるので、今回は
この辺で・・・
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       タイの新国際空港内にある、タイ風にアレンジされた
             インド神話の【乳海攪拌】