民による民の評価

NPO税制改革を行う前から、認定NPO法人
となるために、パブリック・サポート・テスト(PST)
というものがある。
普通のNPO法人が税制優遇の認定を受けるための
要件のひとつで、経常収入金額のうちに寄付金等
収入金額の占める割合
のこと。
その割合が1/5 以上であることが条件である。
なんて、説明されても最初はさっぱり理解できなかった。
要するに・・・
寄付収入:寄付金、会費、国の補助金等 が、
経常収入:寄付金、会費、国の補助金等、事業収入
の1/5 以上
ということは、事業収入(寄付以外の収益)が
多いNPO法人は認定されないということだ。
つまりNPOとは、広く一般から寄付金を集めて
ナンボの価値があるのだと。
これは、1998年NPO法案が可決するとき、日本から
3人の専門家がアメリカに渡り、3週間の研修結果、
日本に導入したシステムだという。
これは読んで字の如し、パブリック(民)からどれだけ
サポート(支援)を受けているかというテスト(検査)だ。
寄付を集めることは基本的に事業と同様、等価交換が原則。
そこに欲しい対象があるから お金を出す。
その対象がモノなのか、サービスなのか、サティスファイ
(満足する)なのかの違い。
この「満足や納得」感が得られれば、寄付するが、
なければ「しない」だけ。
この民による評価がどれだけあるかを測るものが、『PST』 だ。
そこに今回の改正で「3,000円寄付者が100人いる
(一定期間内)法人には、『認定NPO法人』格を与える」

というものが加わると。
ただ、この「3,000円」という金額も、揉めにもめたらしい。
なぜなら、日本における2009年度の一世帯あたり
平均寄付金額が2,600円
という、3,000円以下の
厳しい現実があるから。
ましてこれは平均であって、現実は「ナシ」世帯が
多いのではと思われる。
米国の一世帯平均 20万円とはいかないまでも、
日本人に『意識革命』を起こさせるチャンスでもあると
古くからのNPO関係者は期待しているらしい。
毎日忙しく、日々の生活に追われ、今いる会社だって
いつまで続くか不安がある中、どこかに寄付するなど
という「人のこと」まで考えていられない。
これが現状なのでしょう。
では、一世帯 20万円/年 寄付している米国民は
現在、余裕があるのでしょうか・・・
得た食べ物を分け合っている、インドのスラム街の
子どもたちは、お腹がすいていないのでしょうか・・・
これはたぶん、『認識』と『意識』の問題なのでしょう。
数年前のわたしは単に「知らなかった」だけだから。
今回の改革で、多くのNPOが、民に寄付を「お願い」する
行動を取ることで、多くの民が「知る」ことになる。
そのこと自体に、大きな意味がある。
まず、『波』 ~ ムーブメント ~ を起こすことではないかと。

粋な計らい 

どうして、自分を責めるんですか? 他人がちゃんと
必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか
 
                    by アインシュタイン
他人から公の場でしっかり責められる、最たる職業は
政治家であることは間違いない。
11月11日(木) 国会議員に会ってきた。
画像

【NPO税制改革】の進行状況を聞くために。
今年、まだ鳩山内閣だったとき、首相がNPO寄付者に対する
税控除の優遇措置を見直すよう、国家戦略担当相らに
指示したところから始まっている。
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/news/2010/03/npo-488e.html
来年度の税制改正の内容が12月中旬までに決まるのを
直前に、この法案に人力している議員先生方と、1998年の
「NPO法」可決に向けて奮闘されてこられたキーパーソン
のNPO/NGO関係者ら、参加者100名の緊急報告会だった。
市民セクター(NPO含む市民運動)にとっては、戦後
始まって以来の大チャンスが訪れようとしているらしい。
辻本 清美 衆議院議員の初当選の公約は「NPO法案を通す」
ことだったと。そのときの話を聞くにつれ、今どきの政治家も
捨てたもんじゃないと、思わず膝を叩いた。
当時の自民党時代、リュックに市民活動のパンフレットや
ビデオテープを詰め込み、議員の家を夜な夜な一軒一軒
まわって説得した話。
どうしても当時のドンと話がしたくて、偶然にも母校が同じ
だったことで、同窓会に顔を出したら会えたと。
そこで何とかお願いしようと近づいて、「NPOほう・・・」
とまで言ったらニッコリ微笑まれ
「あのね、【税】はダメだよ~」
と、釘を刺された話などだ。
株式会社だろうとNPO法人だろうと作るのは
構わないが、税制優遇措置は取らせません!!
という厳しい約束でのNPO法可決だったと。
つ・ま・り、
「寄付をする側(皆さんです!)に有利な控除はありません」
っていうこと。
欧米のNPOから見たら、「ぶ~っ」と吹きだして
しまいそうだが、それが日本の現実である。
また、我われNPO法人格を持つ市民団体も、
ある一定条件をクリアーしなければ、いくら皆さんから寄付を
いただいても、皆さんの税金が控除されないままなのである。
NPOにも、普通の「NPO法人」なのか、税金控除が
適応される「認定NPO法人」なのかの区別がある。
http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200808/article_7.html
現在、4万NPO法人が登録されているが、2009年度の
認定NPO法人は、わずかに180弱なのである。
で、一番の関心ごと。
税改革が行われたらどうなるのか!
民にもNPO法人にも福音がある。
民:所得税額から差し引く税額控除の割合を、50%にする。
もし、NPOに1万円を寄付した場合、所得税額から5千円が減税。
NPO法人:3,000円寄付者が100人いれば(一定期間内に)、
認定NPO法人格がもらえる。
法人側としてこれを聞いて、「え! それだけでいいの?」
と、今まであまりにも煩雑な条件だと認識していたので驚いた。
何はともあれ、欧米に比べて寄付文化が育っていない
日本に、『肥料』となる一条の光りが射してきたようだ。
会が終わる頃 「先ほどまで記者会見していました」という
元議員さんが駆けつけ、明るい最新情報を伝えてくれた。
その方が最後に一言。
「戦後始まって以来の偉業を、鳩山元総理はしたと思います」
  !!
辞任する直前あれほどまでに叩かれ、責められていた
鳩ポッポちゃんは、実は幸運の伝書鳩だったのかと思えた。
きっと、「ママから寄付」の不透明さでバランスを崩し、
「民の寄付」への優遇という粋な計らいをしたのであろうか。
それにしても、寄付文化の『黎明』とも言うべき画期的な
時期をこの年末、迎えようとしていることは事実だ。
貪欲な時代に被った経済ダメージと引き換えに、与える時代
に明るい兆しを迎える幕開けがあろうとは、天の計らい
これまた粋なもんだと、年末を前にわくわくしてきた。
「奪う(ムダ使い含む)ものは奪われ」、
「与えるものは与えられる」という
この経済コントラストは、実にミゴトだ。
天の理(ことわり)に 乾杯あれ。

三尺三寸の箸と沖縄

たくさんの子ども達の笑顔をいただいて、とてもホットな気持ちです。
    写真の子ども達に思わず話しかけてしまいました。
       最高のプレゼントをもらって感謝です。

バースデー@フリーミールを施した方からのメッセージ。
http://giving-hands.jp/freemeal.html
差し出す以上に もらえる喜び。
画像

これは、「三尺三寸の箸」に通ずる ~ 仏教 ~
ある旅人が地獄の食事会の風景をのぞくと、テーブルを
囲んだ人たちが三尺三寸(約 1m)もある長い箸で、
テーブルの上に並べられたごちそうを食べようとしていた。
ところが、箸があまりにも長いため、食べ物を自分の
口元に上手くもっていくことができない。それどころか
「おまえの肘が当たった」「おまえが邪魔だ」と言って
ケンカになってしまい、せっかくのごちそうを誰も
食べられずにいた。
そのため、みんな余計にお腹がすいて、カリカリいきり
立って小突き合い、それはそれは見苦しい有り様だった。
今度は旅人が極楽をのぞくと、地獄と同じように三尺三寸
の長い箸を使ってたが、その食事会は正反対だった。
三尺三寸の箸でつまんだごちそうを、向い合う相手に
食べさせてあげていた
のだ。ここではガツガツとした
奪い合いなんか起こらない。
「次はどれがよろしいですか?」
「お芋を煮たのを少々」
「これですね。ではついでに、焼き魚も取って差し上げましょう」
「ありがとうございます。あなた様は?」

こんな状況なので、お腹も気持ちも満たされて、
和気あいあいとしていましたとさ。
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今日、あるNPO関係者と会った。
その方は沖縄出身。
国際飢餓対策機構についてこう話してくれた。
http://www.jifh.org/
「日本で一番ここに寄付している県は、もっとも所得が低い県だ」
そう、それが沖縄だと。
「なぜか、わかるかい?」
と、問われた。
~ 金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい ~
からとでも答えようと思ったが、どうやら違うようだった。
「沖縄県民は、飢餓を経験してるから。
       戦争時代に餓死者を出した唯一の島だ」

日本で戦場になった現場は他にもあるが、食べ物が
なければ陸路で疎開すればよかった。
しかし、本土から遠く離れた島である沖縄県民は、事情が違った。
だから、「世界の飢餓」は “人ごと” ではない。
身につまされる話だった。
「知らない」というだけで、どれだけ無力なのか、心が痛んだ。

日本人の頭って、右脳的、左脳的 どっちだ?

日本という国は、世界を見渡してみても、同言語を
使用する単一民族
で、完全に海に囲まれている、
非常に特殊な国である。
もちろん他でも、独自の文化や価値観をもつ
特殊な民族が住まう国は多々ある。
しかし、そのような民族は、他国と交流などせず、
まして国際舞台に躍り出てくることなど、まずない。
あれだけ有名なチベット民族のトップであり政治家でもある
ダライ・ラマ法王でさえ、国際サミットのメンバーには加わらない。
こんな「井の中の蛙 大海を知らず」的 遺伝子を持つ
日本国民が、本国の伝統を守るにはいいが、国際舞台で
コミュニケートするには、相当な訓練が必要であろう。
というか、あまりにもトンチンカンな対応(尖閣諸島や
ロシア問題)に、すでに国際社会の笑い者にさえなっている。
そのネックとなる感覚が、「言わなくても分かり合える
という特有の対人認識だ。
同じ土壌で育っている、日本人どうしであれば、
わざわざ念を押して言わずとも、わかる共通の認識がある。
「ツーカー」「あ、うんの呼吸」「空気を読む」など、
そういう感覚だ。
しかし、これはまったく外国では通じない。
どころかこんな感覚で対峙すると、トラブルにさえなる。
つまり、お互い「理解不能」状態に陥るだけである。
だから、言いたいことはハッキリ口で説明するか
文書で伝えるというのは当たり前なのである。
車の教習所に行くと「~だろう」「~かもしれない」
運転は禁止、と教わる。そっくりそのまま外国人
との会話にも適応する。
合理的で効率重視の非常にドライな人種を相手に
「情け」なんて、どこ吹く風かと吹き飛ばされる。
儒教にある五徳仁・義・礼・信・智)など期待すると
痛い目に遭うだけだ。
それは今日の日本でも期待してはならないなの
だろうが、それでも大和魂の根底には染み付いている
であろうと、穿(うが)った見方をしてしまう。
こうした「言わなくともわかるだろう」的会話や、
「わび さび」などの日本文化を鑑みると、日本人の
脳は右脳的かと思いきや、日本語会話というのは
左脳優位であるという。
なぜなら、「くも」という言葉を聴いた瞬間、前後の
会話で「蜘蛛」かを選択する。
先日ギビング・ハンズに、ある中学生から電話での
問い合わせがあった。
「すみません、今、『子どもし』について調べているんですが・・・」
   子ども し ・・・
わたしの頭は混乱した。
「し」とは「」なのか「」なのか。
しかし、うちのHPを見ての問いなので、「詩」ではないと。
「それでぇ、子どもへい についてお聞きしたいのです」
   子ども へい ・・・
さあ困った。「へい」とはなんぞや? まったく想像がつかない。
   あのぉ、子どもへいの「へい」とはなんですか?
と聞いてみた。すると答えは
「へい です」
   ・・・ あのさぁ~
これでは、「じゅんこ」さんの「じゅん」てどう書きます? 
との問いに「じゅん です」と答えているようなもの。
漢字を聞いても「へい です。へい」 だと。
まあ、中学生だし、学校での授業で言われたまま
調べているのでしょうから、それにしても話が進まない。
しかたがないから、頭をフル回転させてみた。
   おぉ ~ 「子ども兵」のことか!!
「子どもの兵士のことですか?」と問い直したら
「そうですぅ」と。 ようやくこれで会話が成立する。
うちの案内には子どもの兵士に関する記述はあるが、
活動内容にあるように、「子ども兵」への支援はして
いない。そのため、すぐにピンとこなかった。
このように、日本語会話とは左脳を瞬時に働かさねばならない。
日本人とは、そんな言語を巧みに操る民族なのである。
しかし、こんな小難しい言語にもメリットがある。
それは「言霊」(ことだま)というパワーだ。
漢字に含まれる文字には「霊」が宿っていると言われる
ほど、その一文字に意味がある。見ただけでイメージが沸く。
それゆえに耳から聞くだけだと、左脳で変換する必要がある。
それは英語でも同じような発音の単語があるので前後の
会話で想像するのだろうが、日本語ほど多くない。
まして漢字以外の他の言語は、見ただけではレター(文字)
が並んだ ワード(単語)の羅列にすぎない。
だから英語や他の言語を学ぶ際には、まず脳の使い方
からシフトする必要があるようだ。
インドに通い始めたころ よく聞いていた、
初心者向け英会話テキスト 「英語の頭に変わる本」

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リズムで覚える会話なので、まるで音楽でも聴くかのように
英会話が耳に入ってくる。なにより右脳優位な学習法なので、
疲れいるときでも、バックミュージックとして聞き流せる。
よく、言語を学んでいると「ボケ」ないというが、
これだけ脳をフル回転させているからだろうか。
英語を使って国際舞台に出るときは、脳の使い方だけでなく
単一民族国家臭さを払拭することも必須だ。
これは、習うものでなく、慣れるしかないであろうが・・・

「うまれる」ということ

「最近、【無痛分娩】希望者が多いんです」
産婦人科勤務の方からの、聞きなれない言葉に
一瞬、耳を疑った。
出産経験のないわたしがいうのもナンだが、
「お願いだから安易に決めないで!」と。
トランスパーソナル心理学で扱われる療法で、
ホロトロピック・ブレスワークなるものがある。
 ※チェコスロバキア出身の精神科医、スタニスラフ・グロフと
  その妻でヨーガ教師のクリスティーナ・グロフが、
  さまざまな呼吸法を研究の上、開発した方法。
  時に幽体離脱を引き起こしたり、心身に危険を伴う場合も
  あるので、正しい指導者の元で行うことが推奨される。
  やり方は、横になって目を閉じ、音楽をかけながら深くて
  速い呼吸を行うというもの。内面に目をむけ、呼吸に集中する。
 
  深く速い呼吸は、血液中の酸素と二酸化炭素の量を変化させ、
  アルカリ性の増加やカルシウムイオンの減少を引き起こす。
  こうしたことが脳に何らかの影響を与えるといわれている。

わたしもずいぶん昔に受けたことがあるが、目的があった
わけでもなく、ただの興味本位で。寝不足がたたって
途中で呼吸をサボり! 内面を見る前に寝てしまったが。
いろいろなヴィジョンや身体の感覚、胎内記憶や誕生時のこと
子どもの頃の記憶や感情などが浮かびあがってくるという。
と、ここで言いたいのはこのセラピーのことではなく、
取り上げている胎内記憶や誕生時のこと。
人の人生で初めて体験する試練は、安全な胎内から
ウィルスに満ちたこの穢れなる世に出る瞬間である。
ここで母子ともに与えられる【課題】がある。
いや、すでに受胎した瞬間からそれは始まっている。
つわりが激しい母、逆子などの妊娠中の課題・悩みを
問題集として解きながら、最後の試験として
【出産】
に当たるのである。
つまり、これからの人生に臨むための登竜門を
母子共同作業で越えなければならない。
まるでそれは、杜子春のようにだ。
その登竜門に正当に立ち向かわず、裏口入学や
カンニングで試験に通っても、あとでツケがまわって
苦労する
のは母子両人である。
なにもわたしは、無痛分娩や帝王切開を否定している
わけではない。それは生死にかかわる出産や、
重い病を持つ妊婦でも出産できる手段であろう。
ちなみに日本における出産時の母親死年間 50人という
世界でもっとも少ないという。これも医学の賜物だ。
しかし、それ以外で安易に楽をしたい(医師、妊婦ともに)からと
自然分娩を避けると、あとで後悔することになると理解すること。
で、わざわざ心理学のセラピーで、出産時のツケを補うため
の修正をしたり、その後の人生で「苦しみ」を味わうことになる。
つわりもなければ、安産な妊婦もいれば、24時間闘う
母子など人それぞれ。それは大学入試と一緒である。
どんな大学に入れるのか、そこでの試験に
四苦八苦するか否かも、人による。
出産も同じであろうと。
この大切な試験である出産を『無痛分娩』にするって・・・
頭がクラクラしてきた。
宿題を先送りしているだけじゃないかい?
「痛みの怖さより、無痛分娩のやり方のほうが怖いです」
上記 産婦人科勤務の知人がこう漏らす。
まず、下半身麻酔で痛みをなくすと。
麻酔がきれないよう、医師は定期的に薬を注入する。
次に、陣痛促進剤で子宮を自動的に収縮させる。
子どもが出てきたら助産師が子を引っ張り出し
最後はお腹をグイグイ押して出す
   ・・・・・・・
巷には出産途中で、陣痛促進剤を勝手に打たれたと、
ショックを訴える人もいれば、このように積極的に
受ける人もいる。
子宝は欲しいが『苦痛』は要らない。
こんなことが可能になる世の中に目まいがした。
11月6日(土)皮切りの映画 「うまれる」 を観てきた。

ユーザレビュー:
この世に生まれたこと …
シングル、夫婦、子供 …
まだ妊娠していない女 …
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ここでの出産シーンで助産師が言う。
「痛みから逃げないで! 人生と一緒よ」
まったく、その通り。
「子どもは親を選んでうまれる」という、東洋思想では
当たり前の概念を、ここでも伝えようとしていた。
不妊治療 9年越えの夫妻が、結果「子どもを産まない」
選択をした。産婦人科に勤務する妻が言う。
「堕胎する方の事情は理解できるので、その是非は問わない。
  ただ何故! そこが選ばれて自分たちは選ばれないのか

それだけが知りたい、と。
これも、大学に入る人とそうでない人、入りたくても
入れない人。入ったが途中で退学する人など、
事情や状況がさまざまなのと似ている。
鮫島 浩ニ先生の「わたしはあなたを選びました」という
本のレビューに、

わたしがあなたを選びました
主婦の友社
鮫島 浩二
ユーザレビュー:
全てのパパ、ママに読 …
冒頭から涙・・・私よ …
賛否両論産院で紹介し …
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「不妊症の人の気持ちが分からないので、こんなことが
書けるのでしょう」
 という手厳しいコメントがあった。
この方の気持ちはよく分かる。しかしこの本は、あくまでも
「うまれる」というプロセスにおける原理を述べたもの。
「欲しくても子が授からない」という原理はまた別次元のこと。
天のルールを勘違いしていることから起こる誤解であろう。
今では人工授精や代理母など、とうてい昔ではなかった
プロセスで子宝が授かる道がある。
この話題でも、人がなぜ生まれ、死んでいくのかの原理原則を
しっかり押さえておかないと、上記のような誤解が生じる
ことになるのだろう。
ここにいる人類すべてが、すでに「うまれてきちゃった」
事実は変えられない。そのことを100%受け止め、
その課題に取り組むことに意味があるのだろう。
「子が親を選ぶ」という積極的な感じより、「選ばざるを得なかった」
というほうがシックリくるような気がする・・・
なぜなら肉体(欲望)を持ったときの今の選択と、9倍賢い
ピュアな魂のとき(バルド時)とでは、選ぶ基準が真逆であろうから。
親が、3歳の子どもが欲しがるチョコレートを安易に
与えない原理と同じだ。親選びも「天」と組んで選択する。
それはまるで、
「ド・レ・ニ・シ・ヨ・ウ・カ・ナ カミサマノ イウトオリ」 だ。
でなければ、鮫島氏の本のレビュー「選べるならいくらでも
マシなところを選び合って競争になるだろうし・・・」
という
この世での次元発想になるだろう。
この映画を観て、あらためて生死がクローズアップした、
新鮮な感があった。
6日から2週間、やってます。
http://www.umareru.jp/

ナチュラルパワー 【結論】

   え! 70年間 飲まず、食わず!?
さすがにインド。とんでもないヤツ(失礼!)がいる。
12歳から70年間、不食だけではなく不飲、つまり水分も
一切摂っていない
ジャニ氏にも会ってきたというM氏
http://www.youtube.com/watch?v=ZabwOwba2mE&feature=related
~ ネパールにいるブッダボーイの番組(Discovery Channel) ~
この番組にジャニ氏とマネク氏を調査した医師(Dr.シャー)のインタビュー有り

南インド・ケララ州のマネク氏とは異なる、北インドの
グジャラート州に住むジェインツ(ジャイナ教)の聖者。
60歳までビジネスマンとして世界を相手に活躍していた
マネク氏は、巧みに操る流暢な英語を使って現在でも
世界中で講演活動に勤しむ。
その最たる貢献場が、USAのNASA
宇宙飛行士が宇宙空間に持ち込む最大の荷物は、食料。
もし、火星まで4人の飛行士が3年かけて行くとすると
必要になる食料は【4t】超になるのだと。
不食のマネク氏とまでいかぬとも、半分の量
になることが出来たなら・・・
最先端な空間で、こんな研究に費やす姿が覗える。
ひるがえってグジャラートのジャニ氏は、一切の食料が
不要な身体の持ち主。彼は英語を話さないので、世界を
舞台とするより、インド国防省の促す
軍事研究に協力している。
戦場での難題は、兵士の「飢えと渇き」だ。
これが満たされないことには、戦力が著しく落ちる。
日本のTVクルーたちは、インド国防省に乗り込み
この実態を確認していた。
普段から宇宙飛行士も戦士たちも、特別なトレーニングに
日夜励むもの。そこに【飲食】の訓練を加えるというのか。
思うに、不食は今後、なにもこうした特別な人たちが訓練で
為し得る賜物としてだけでなく、我われ凡人にも必要な訓練
になるのかもしれないと痛感した。
マネク氏もジャニ氏も両者がジャイナ教徒である。
わたしがよく行く、ナチュロパティ病院のほとんども
ジャイナ教徒の経営だ。
80%がヒンドゥー教のインドで、わずか0.5%の宗派だが、
インドの長者番付トップをほとんど占めるのがジェインツだ。
仏教より厳しい不殺生戒から、農業(虫を殺す)などの職種
に就けないため、金融業や宝石商などの商人が多い。
また、厳しい戒律を守る人種と知られているので、ビジネス界
では信用が厚い。一番は「嘘を付かない」戒を徹底している
からだと思われる。→ インドでは国宝モノだろう
インド人は名前を見ただけで宗派がわかるほどの信仰国である。
名刺を差し出しジェインツとわかると、即 信用されると。
2006年、ナチュロパティ病院に入院したとき、ジャイナ教の
寺院に初めて足を踏み入れた。そのあまりにも豪華絢爛な
寺院に、空衣(裸行)派の一糸纏わず闊歩している聖者の
姿を美しいと眺めたものである。
冬の極寒でも、空衣のまま何もかけずに就寝すると
いうからには、ホンモノの聖者であるに違いない。
また、ヒンドゥー教の寺院と対照的な美しい寺院は、
多くの信者の寄進で成り立つ。
そう。
彼らが類いまれな商才があるのも、長者番付け上位なのも
ましてや「不食」でいられることなど、こうした常日頃の
生活に「施し」という土台があるからに他ならない。
この背景を無視して、自分のことだけにかまけている
わたしのような輩(やから)が、いくら太陽を凝視したり
裸足で歩くマネをしてみても、「不食」になるかどうかは
疑わしい。
かといって、彼らのような厳しい戒律の中で暮らすことは
インドでも大変というのに、とうてい日本では難しい。
しかしながら最低でも、アヒンサー(不殺生)である肉食を
絶つことぐらいは必須のような気がする。
M氏:「不食のための太陽凝視ではなく、サン・ゲイジングのための
         サン・ゲイジングであることが【禅】の極意である」
最後は、米国の禅寺で修行していたという、M氏の言葉で締められた。

ナチュラルパワー その3

アジナ・チャクラ それは人体にある7つの
霊的なセンターのひとつ。
肉体では松果体に対応する。
体表では眉間がアジナと密接な相関関係にある。
そしてここは、言わずもがな「第三の目」である。
ここが開かれると、人は人智を超えた存在となる。
大脳の中央に位置する松果体(アジナ)は、最新の
研究によるとに反応することがわかっている。
アジナの意味は「命令」。
古代では、松果体は「エネルギー中枢」であると言われ、
人体機能の正常な働きを司るとされていた。
このエネルギー中枢であるアジナを開発することで、
すべてのチャクラをコントロールできるとも言われている。
またアジナ・チャクラはムーラダーラ・チャクラとも直結
している。つまり一番下からでも上のチャクラからでも
どちらから開発しても、両者に変化が生じると。
ゆえに、太陽凝視でエネルギーが注ぎ込まれることで
松果体が拡大(アジナ・チャクラが活性化)し、他のチャクラ
が司る、あらゆる欲求がコントロールされるということ。
と、ここまでは巷にあるヨーガ理論の展開だ。
画像

さて、サン・ゲイジングを続けて3ヶ月になるころには、
眺める時間は15分ほどになっている。
目から入る太陽エネルギーは視床下部に充電される。
ここまでは、いままで溜めてきた穢れのフィルターを
除去することに重点が置かれる。まだ助走の段階だ。
そして30分連続して見続けられるようになると、
ようやく、太陽にあるすべての色が脳に届くようになる。
こうして3~6ヶ月で、生命維持に必要な器官に
割り当てられた色のプラーナを十分吸収することになる。
余談だが、
インドのナチュロパティ病院でよく見受けられるもので、
カラーフィルムを太陽に当て、その色光線を身体に
浴びせる療法がある。
また、サンバス(sun bath)、日光浴はリッパな
治療法のひとつだ。

ここまでが、6ヶ月かけて身体の不調から解放されるプロセス。
これからが、本格的な「不食」となる。
考えたら、口から入れた食べ物の9割は、対外に
出されてしまうもの。よって身体に吸収されている
ものは、エネルギーであることが容易に理解できる。
9ヶ月が過ぎ44分に達したら、太陽凝視はやめること。
今まで充電してきた蓄積エネルギーを放出するために。
そこで始めるのが、裸足歩きだ。
一日45分間を 6日間。
日中のいつの時間帯でもいいが、地面が暖かく
太陽が降り注いでいるときがいい。
こうして一年間かけて十分充電されたら、すべてをストップし、
3、4日に一度、数分太陽エネルギーを浴びるだけでいいと。
    ふぅ ・・・ 
ここまで書いていて、果たしてどれだけの人が
最後までできるのだろうかと、一番は我が身を疑う。
まず、コンクリートジャングルに住まう都会人には、
最初からハードルが高すぎる。
M氏:「マネク氏は『できる範囲でいいから、まず始めなさい』と」
海岸や山の上からでなくとも、ビルの合間からの太陽でも
コンクリートの上に裸足でも、完璧ではないが、効果はある。
ただし、芝生の上での裸足は避けること。
農薬というケミカルを吸収してしまうから。
新宿高層ビルしか見えない我が家と、ベランダから朝日が
ビシッと望める家に住んでいる友人と、どれほどの凝視
ができるか、お互い報告し合おうと約束した。
それにはまず、この宵っ張りを改善することが先決だろ。
そして一年後には、毎日インドでカレーを食べなくても
いい日を夢見て・・・
                             Fin
   

魔の30分 ~ パニックにどう対処するか ~

「インド大使館 明日お休みだからビザ発給が月曜日だって」
ビザを取得してもらうため向かった、姉からの連絡。
その悪夢は木曜日に起こった。
   明日が休みって? 金曜日なのに・・・
頭が真っ白になった。
日曜に出発するのに、ビザは翌日月曜ってか!?
   いいから 窓口の人と換わってぇ!!!!!!!!
姉に「なぜか」と聞いてもしかたがない。
電話に向かって叫んだ。
しかし、その雄叫びは徒労に終わり、窓口では
ケンモホロロに無視され、姉は無言で帰された。
画像

一昨年、インドビザを取得したとき、6ヶ月有効
マルチビザで複数回入出国できた頃のこと。
  ※今年からは出国後、2ヶ月あけないと入国できない
できるだけ有効にビザを活用したいから、毎回
インド出発ぎりぎりに発給してもらっていた。
そのときも出発3日前、大使館代行の
茗荷谷オフィスに姉は向かった。
いつもどおりに依頼書を提出し、翌日発給の
控え書を持ち帰る予定でいた。
だが、そこには知らなかったとはいえ、イレギュラーな
落とし穴があった。金曜日がインドの祭日という・・・
出発前ということで、わたしの仕事のスケジュールは
とても混濁していた。その合間の『事件』だった。
次の来客までにあと10分しかない。
なにをどうしていいのか、頭の中はすでに噴火していた。
予定通りに発給されない場合は、出発を遅らせるしかない。
ただ、タイミング悪くそのときの日程が【タイ】経由。
バンコクで4泊したあとインド入りする予定だった。
いつもと異なる初めての航空会社なので勝手がわからない。
しかも、そのフライトは正規割引チケットだったので、
変更は一切きかない
どう考えても、すべてを取り直すしか方法がない。
いや、たとえ取ろうとしても席すら確保できるかどうか・・・
こうなったら、何かなんでも土曜日までにビザを発給
してもらうしかない。闘う相手は インドという 『国家』 だ。
方針が決まったらあとは「方法」を探るしかない。
それも今日中に!
    しかし、どうやって・・・
時はすでに午後をまわっていた。
わたしに残された時間はあと 5分
すると次の訪問者から「30分遅れる」と連絡があった。
これぞ、天の助けだ。この間で解決せよということだ。
    落ち着け
    まず 頭を整理するのだ
インド大使館に直接電話をしてみた。→ 誰も出ない
インド大使館に直接行くのは? → 改装中で入れない
インド的に考えたら、正攻法で攻めるのはナンセンス。
では、インド流儀で対処するしかない。
【問い】
①今どんな状況にあり、どんな問題に対処しなければならないのか?
②その優先順位は?
③しなくてもいいことは?
④誰かの力を借りられないものか?
【答え】
1:ビザ発券に障害あり。土曜日までになんとかできないか
2:大使館に交渉できる人を探すこと
3:日本人側からヘタに動くことはやめる
4:在日インド人の協力

ここまで整理し、あとは4:在日インド人の知り合い
片っ端から電話をしてみた。
木曜日の真っ昼間。
当然みんな仕事中だ。
時間が迫ってくるほど冷や汗が出る。
もうダメだ・・・
とそのとき。人間窮地に追い込まれると発揮する
火事場のばか力」なる「ひらめき」がよぎった。
   ○○ー○氏がいた!
日本在住インド人の旅行代理店主。
今までそこでのサービスを受けたこともなければ、知人でもない。
ただ、インドに行く飛行機の中で日本人観光客を
引き連れているのをよく見かける程度である。
当然、氏はわたしなど知る由もない。
まして現在、日本にいるかどうかもわからない。
とにかく天の啓示に従い、電話をかけてみた。
祈る思いで呼びだし音に集中した。
  「はい、もしもし ○○です」
あぁぁ そのインド訛りの日本語は、まさに氏の声だ。
もう、日本にいてくれただけで安堵した。
まだどうなるかわからぬ雲行きだが、
彼が、きっとなんとかしてくれると確信した。
興奮冷めやらぬ口調で一部始終を説明した。
途中で待機している姉が、茗荷谷で預かった引換券を
持参し、すぐそちらへ伺ってもいいか尋ねた。
「どうなるかの保証はできませんが、どうぞ」
  よかったぁ・・・ あとは天にお任せだ
その直後、遅れていらした訪問者の対応に意識をシフトさせた。
結果、出発前日にビザが取れ、無事バンコク経由
インド行きが決行された。
いつも辟易している「インド流」が、このときばかりは
わたしを救った。
自分でアタフタするより、その「」のプロに頼って正解だった。
教訓。
魔の時間と闘っているとき噴き出す「不安と怖れ」
という感情に乱されたら、【思考】という
スパイスを加えてバランスを取ること。

それがヘタに脳を混乱させない秘訣のようだ。

ナチュラルパワー その2

ギビング・ハンズ・ファームのなかでも賛否両論なのが
工場で作られる野菜の真意だ。
今後の不安定な気候状況や農業革命などを鑑みると
工場農業は最先端をいく画期的農法である。
国を挙げて支援するのもうなずけよう。
反面、昔ながらの農家曰く、お天道様の下で育たない
野菜など、どんなに姿カタチが同じでも「邪道」だと鼻であしらう。
わたしはどちらかというと、無菌で虫もつかず、
栄養面では負けじ劣らぬ美しい野菜といえども
受け付けず、腑に落ちないところがある。
よって後者だ。
どこかで落とし穴があるような気がしてならないから。
それが、このサン・ゲイジングで少し謎が解けた。
工場野菜だろうがハウスものだろうが、ハタマタ姿を
変えたお肉だろうが、幾重にもフィルターがかっては
いるが、間接的に「太陽エネルギー」を摂っていること
には変わらない。
そのうち時代が、路地野菜栽培を許さなくなることは、
目にみえて明らかだ。
年々天候が荒れている昨今では、収穫高がすでに
読めなくなっている。今年の米の出来高は、一等米が
米産地新潟で20%だと聞く(通年90%)。
この状況で「お天道様の下の野菜」ばかりに固執しよう
ものなら、しまいには「理想」だけでお腹いっぱいにするしかない。
かといって、工場野菜には直接のソーラーパワー
欠如している。それを、栄養価は変わらないとし、なにも
加えずいたならば、どこかでエネルギー不足になりかねない。
しかし、両者のメリット・デメリットを把握しておれば、
不足分をどこかで補えばいいだけだ。
その「不足」となるパワーが「太陽エネルギー」ということだ。
では、どのような方法でパワーアップするのか。
ヒラ・ラタン・マネク氏のサイトに詳しくやり方がある。
http://solarhealing.com/home/
ここに書かれていることによると;
「悲しみは不足からくる」と心理学者は見ている。
まずサン・ゲイジングを始めることで、マインドの
バランスが整い、うつ状態は霧のごとく消え去ると。
思うに、世の中が不夜城になることで昼夜逆転生活となり、
日の光りを浴びる人口が減れば減るほど犯罪が増えて
いるような気がしてならない。
メンタルが安定してくると、身体の疾患が治りはじめる。
食事から同化されたエネルギーの80%は酸素同様 
脳に使われる。心配性や緊張型のタイプはたくさんの
エネルギーが必要となり、必然的に食事の量も増える。
太陽凝視でメンタルが安定し、緊張がほぐれストレスも
減ってくると、脳へのエネルギー補給も少なくなる。
結果、不食に近づき心身ともに元気になる。
いいこと尽くめだ。
それでいてやることはいたって簡単。
日の出1時間後までの朝日か、日の入り1時間前からの
夕日を凝視するだけ。瞬きしても構わない。
また、メガネは外し、裸眼で見ること。
初日は10秒。2日目は20秒と、日数ごとに10秒増やしていく
10日目には1分40秒になる。45分までいったらやめる。
曇りや雨で太陽が凝視できないときは、何日空けても
続きの分数からはじめればいい。
このとき、太陽エネルギーを吸収している大地に
裸足で立つことも重要なファクターとなる。
理想は、
「海岸で砂浜に裸足で立ち、水平線のサンライズ・セット凝視」だ。
これを続けて15年間 水だけで過ごしているマネク氏の
身体を調べると、脳にある松果体が普通の人の
2倍近く大きいと。
   ではなぜ 松果体が大きくなるのか
                      つづく・・・
                        

ナチュラルパワー その1

「俺の家のベランダからは、朝日が真正面に見えるんだぜ!」
いつも嬉々として、子どものように自慢げに話す友人。
彼とは年に1、2回会い、ホットな【怪しい】話題で盛り上がる。
  今回のテーマは「サン・ゲイジング」 ~ Sun gazing ~ 
数年前、インドの摩訶不思議な特集番組で知った
「太陽凝視」不食になる話だ。
そこでは、太陽を見ることで、すべての病(心身ともに)が
癒えるだけでなく、しまいには食事を必要としなくなるという。
ただ、今まで詳しい「やり方」は知らなかった。
で、2人の共通の友人M氏が、インドで15年間、水以外
口にしていないマネク氏を取材したという話になった。
TVクルーたちのコーディネーターをしているM氏とは、
時々エア・インディアに乗り込むとき一緒になることがある。
彼にとってフリー時間である機内で、わたしたちは
インドでの不思議な話を交換し合うのである。
今は日本にいるという、久しく会っていなかった彼に連絡が
取れたので、サン・ゲイジングのHow toを聞くことにした。
台風上陸か?! というとんでもない大雨の日。
こんな話が大好きな姪の夫も呼び出して・・・
M氏:「なんで太陽を食べる(サン・ゲイジング)かって? 
          僕はマネク氏から詳しく聞いてきたんだ」
TVでは放映されなかった理論を、わかりやすく話してくれた。
太陽系をまわっている地球は、もとは太陽を中心に廻っていた
塵やガスが冷えて小惑星となり、他とぶつかりながら大きな
惑星(地球)となっていったと言われている。ゆえに地球内部
のマグマは、太陽そのもののようでもある。
また地球とは、太陽エネルギーを吸収して生きている
生命体である。その父なる太陽エネルギー母なる
大地が吸収
し、子どもである作物が出来上がると。
その作物を摂取することで、人は生き長らえている。
つまり、食物を摂るということは、間接的な太陽エネルギー
を摂っているということになる

だから、直接「太陽エネルギーを食べる」ことで
間接的な食物を摂る必要がなくなるというわけだ。
これがまず「不食」になるメカニズムの第一歩である。
   なるほど。食事とは「太陽エネルギー」を食べることね!
   じゃあ、今話題の工場内電気で作る野菜はやはりニセモノ
M氏:「いや違う。だったらこの肉だって食べ物じゃなくなる」
と、彼はカフェで注文した食事を口にしながら、解説を続けた。
                             つづく・・・