ガン発見 ちょっとまて!

「ガンが発見されたので、全摘手術を受けることになりました・・・」
   うわぁ 大変!!
つい先日届いた知人からのメール。
数ヶ月前、「体調がよくない」知らせを受けたまま、
音沙汰なかった方からの極論に、慌てふためいた。
ここ数年、わたしの周囲でガンと告知された方が
代替医療で完治しているケースが続出している。
大切な身体を切り落とす前に、よく考えたほうがいいと
伝えるため、即、事務所にいらしてもらった。
驚いたことに 『0期』 なので、全摘するというのだ!
医者の見解は、原因の元(その部位)を破棄すれば
「1期」にならない、つまり進行しないということらしい。
この華麗なる対処療法は、まったくもって西洋医学
の世界そのものを物語っていた。
原因そのものを絶たず、部位のみ切り捨て「進行しない」
とするならば、他の部位の発ガンは考慮しないのか?
東洋的発想からすると、こんな子どもだまし的説明が
先進国日本の医学界を堂々と闊歩しているという
事実に驚愕する。
   たとえその部位を全摘したとしても、根本原因を
   改善しない限り、他へ移る懸念はぬぐえませんよ

と、周囲で切らずに、且つ危険な治療を受けなくても
完治しているケースが普通にあることを伝えた。
こんな代替医療で治った方のケースを見聞きすると、
ガンになること=風邪を引くこと、くらいな気分になる。
この夏、週刊現代の記事を知った。
「長生きしたければ 病院に行くな」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/868
先週、長野出張の際 寄った本屋で買った本
 
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  「人間ドック」制度があるのは日本だけ
  「ガン検診を受けた人ほどガンになり早死にする」
                      チェコ・レポート
  人は毎日5000個のガン細胞が生まれているので
  検診で見つかってあたりまえ

ガンになっても三大治療(手術、抗がん剤、放射線)
はしない
、は常識だったが、検査もしないが
「あたりまえ」だと多くの医者が言う。
オール電化の家といい、ガン治療といい、まったく正しい
情報が隠蔽されている
大変な国、日本で行う商売ほど、
その筋からしたら笑いが止まらないのだろうと。
そんな陰謀の餌食にならぬよう、多方面からの情報で
確認するよう伝えた上記の知人から、他の方法も
試してみる旨の知らせが届いた。
安保 徹 医学博士の「免疫革命」から、わたしを含む
どれほど多くの無知な民が救われたことだろうか。

免疫革命
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安保 徹
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感情の取り扱い その2

人は「感じ」「思って」「行動」する生き物。
他に何かを伝えるとき、これら3つのバランスを
整えることが大事だと、前に記した
   ※「わがままな友人たち」
   http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/201009/article_21.html
しかし、これが成り立つには、自分自身で
3つの区別がついている場合だけ。
特に、「感じ」「思う」が混同しがちだから。
キッズAの、「怖い。責められてる。逃げたい」という
言葉から、「怖い」という感情だけをセラピストは取り出した。
「責められている。逃げたい」というのは、あくまでも
彼の 『思考』 なのである。
さらに、「怖い」という感情も、その思考から湧き出た
表現だとすると、二次的感情かもしれない。
そこでさらに深く掘り下げた。
そう。一次的感情にたどり着くまで。
    なぜその恐怖が出てくるのか。
ひとりぼっちになることへの疎外感からか、
人間関係という舞台で失敗するという、
自信喪失への落胆・焦燥感からなのか。
とにかく、一次的感情という 『見えない敵』 を
焙り出さないことには、次の一手が出せない。
で、見えたとする。
仮にキッズAに「疎外感という寂しさ」が潜んでいたとする。
   これを あるがまま受け入れる
ここに判断(善悪)、裁き(責める)、否定(ダメな人)、
批判(もっとこうすれば)、肯定(それでいい)
など、
とにかく、なにも加えない。
ただ黙って見つめる。「あぁ 寂しいんだ・・・」と。
「見る」というより「観る」。
もうひとりの観察者が。
すると感情は自然と消えて無くなる
エネルギーを解放させてあげるから。
これを、どこかにしまい込んだり捻じ曲げると、
歪んだエネルギーがそのままになる。
我慢できなくなったそのエネルギーは、解放して
ほしくてウズウズしている。で、同じ現象を作り出す。
これは、子どもが泣いたり怒ったりしたときと同じだ。
「お母さんがいなくて寂しいんだ」と周囲が感情を
受け入れ、思いっきり泣かせてあげると、
あとはケロっと泣き止み遊びに夢中になる。
子どもは一次的感情を素直に表すからわかりやすい。
大人になると、理性や常識に覆われ、別の感情が
出てくるから、他人はもとより自分でもわからなくなる。
まして感情を押し殺したり、変なプラス思考にでも
変換されようものなら、ますます混沌としてくる。
その「行動」の理由を「思考→感情」まで遡っていくと、
なぜそのような行動パターン(癖)にいつもなるのか、
理解できるようになる。
理解できると、また同じ行動が出たとき客観的に
みれる自分がいる。これを繰り返していると
いつの間にか、その 『癖』 がなくなる。
キッズAは、まず
  「殻に閉じこもった」行動 に出た
→ 「責められる。逃げたい」思考
→ 「怖い」二次的感情
→ 「寂しい」一次的感情
→ 「ごめんなさい」受け入れ

と導かれた。
このとき、寂しい、怖い、責められる、逃げたいという
感情と思考を、団子のようにひとまとめにしないこと。
根本原因である「寂しさ」に向き合うことで、恐怖が薄れ、
逃げる必要がなくなる。冷静に判断できると、自動反応する
「逃げたい」思いや行動にブレーキがかけられる。
見たくない嫌なことにフタをして、「なかったこと」に
することを精神医学用語で【否認】というらしい。
この押し込められた感情が積み重なると、多重人格
へと発展してしまうから、どこかで解放させる必要がある。
そうならないためのポイントは;
一次的感情はありのまま受け入れ
マイナスな思考はコントロールすること

これらがキチンと訓練されると、自分と上手く付き合える
ようになる。で、ようやく人との関係性が改善されると。
その上で、さらに効果的なのは、「考えすぎ」という癖から
抜け出すために、目の前の為すべきとこに集中すること。
なぜなら、人生への意味は自分が作り出す(考える)
のではなく、人生からの課題を発見し、淡々と
こなすことが重要だからと、フランクル氏は訴える。
画像

ハンク氏のカウンセリング本、出版プロジェクトマネージャー
ニーラに進行具合を尋ねた。
今月で原稿は出来上がるわ。今、アーナンドゥと出版社を
当たっているところ。 で、あなたはいつインドに来る予定?」
    !!!!
とうとう出来上がる! 2年越しのプロジェクトがようやく
カタチになる。 これからは、日本での翻訳者探しだ。
                             Fin                      

感情の取り扱い その1

      バンガロール@インド in ASV
http://giving-hands.jp/facilities.html 【アートゥマ・シャクティ V】
キッズA 「昨日、Bくんが僕にこんなこと言ってきたんだ。
                   で、すごく焦っちゃって・・・」
キッズB 「いや、A がこうしたからだろう!」
キッズA 「違う、あのときはそうするしかなかったんだよぉ!」
セラピスト「ねぇ A。君にはそのとき、他の選択肢はなかったの?」
画像

突然はじまったグループ・カウンセリング。
25人のキッズ(患者をこう呼ぶ)と17人のセラピスト。
毎週一回、円陣になって全体カウンセリングが行われる、
ここ、ASVに初めて訪れたときが、ちょうどその日だった。
ここのキッズ(子ども)とは、精神的な病を持つ人たち。
と言っても中学生から50歳くらいまでの【子ども】だが。
どうやらこの日は、寮生活しているみんなの問題を
出し合い、セラピストだけでなく、キッズ→つまり患者
も混じって、問題提起した人に意見を申すのだと。
とはいえ 皆、精神的な病を抱える15歳~20歳代が
メインの若者。いったいどんな『話し合い』になることやら。
わたしのイメージだと、うつ病パニック症の方には
がんばれ』 や 『おまえが悪い』 的責め文句は
禁句だと思っていた。
しかし、ここでは皆、ひとりに向かって言いまくっていた!!
キッズAが問題提起人であれば、問題だと指摘された
キッズBは、黙っちゃいない。反撃しまくる。
で、その問題とは関係ないその他のキッズたちが
思い思いの勝手な意見、中には批判、攻撃までしてくる。
聞いているわたしは ハラハラものだった。
    えぇ! そんなこと言っていいのか?
    相手は『うつ病』なんだよ?
    逃げ出しちゃったらどうすんのさぁ~
その間、セラピストが本筋から脱線しないよう、また
キッズの心の機微を読み取りならが、調整していった。
大勢のキッズに攻撃された A は、とうとう、キレた。
キッズA 「みんな、わかっちゃいないんだ、僕のことなんて!
                    もう誰とも口を利きたくない
この時点で わたしは固まった。
    ほら。 どうすんの?
    知らないよぉ~
セラピールームに 『静けさ』 という緊張が走った。
ひと呼吸おいて、セラピストが口を開いた。
セラピスト「いいのかなぁ~ A それで? 
             今、君の心で感じていることは 何かな?」
キッズA 「 ・・・・・・・」
セラピスト「さあ、みんなにシェアしてごらん。
         どんなことが君の内側で起こっているんだい?」
しばらく沈黙が流れた。この間、他のキッズも無言だ。
初めて見る光景に、居ても立ってもいられない
わたしの心臓だけが、ドッキンドッキン高鳴る。
居心地の悪さを破るように、蚊の鳴くような声が A から漏れた。
キッズA 「 ・・・・ 怖い。 責められてる。 逃げたい・・・・」
セラピスト「ふ~ん なぜ怖いんだろうねぇ~」
セラピストは、彼の言葉から 『怖い』 という感じたもの
だけを拾って、さらに奥深く インナートリップさせた。
数分のやり取り後、彼の言葉がやわらかくなった。
うつむいていた顔が、挙がった。
そして、みんなに向かって
キッズA 「・・・ ご、ごめんなさい! 僕が間違っていました」
と。この間、わずか15分。
セラピストも他のキッズたちも、こんな光景は慣れたもの。
セラピストの「はい、次は誰かな?」の合図で、
A の投げかけた問題は、きれいに終わった。
次のケースも同様に、15分ほどで解決した。
鳩が豆鉄砲を食らったようなわたしを ヨソに、
淡々とカウンセリングが続いた。
ここでは、精神的な病を持つキッズたちを、2~4年で
社会復帰
させている。それにはこの場所で、社会に
出たときと同じ状況を作らなければならない。
外社会では、誰も腫れ物を触るように扱ってくれないし、
要求されるコミュニケーション能力も、高い。
それについていけないと、即、相手にされなくなる。
そう。また「はみ出し者」に逆戻りしてしまう。
初めて見るここの手法に、ただ目を丸くするばかりだった。
なぜセラピストは、A が漏らした「責められてる。逃げたい」
ではなく、「怖い」という言葉を掘り下げていったのか?
                       つづく・・・

焦点の当て方

南米帰国から早、1ヵ月。
意識が完全に内面探求モードになっていた。
はっきり言って、仕事で人と会っていないときは、
引きこもり状態で【今後】を模索していた。
ということで、ここの内容もNPOとかチャリティから
かけ離れたものに片寄っていた。
そろそろ 夢から醒めようかと・・・
昨日、「NPO法人運営講座」なるものに出かけた。
テーマは「ファンドレイジング」。
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講師のレクチャーを聞き、50人ほど集まっての
ワークショップ。
ファンドレイジング(資金調達、資金開拓)は、
どこのNPOにおいても一番のだ。
ゆえに頭が痛い課題でもある。
わたし自身、どの対象者に焦点を合わせて
アピールしたらいいか、正直戸惑う。
もともとGHの活動は、わたしの趣味ではじまったようなもの。
「好きでやっている」ので、自己資金が持ち出しだろうと、
仕事のついでだろうと、「できることをやって」いることに
自己完結していた。
当然、集まってくる仲間もその意識の方が多く
必然的に知り合いの輪で広がった。
はじめから信頼関係が構築されていたので、要らぬ説明
など必要なかった。あとから付け足したように法人化し、
システム構築、報告などを行った。
しかし、法人化 3年ともなると、このままではマズいと
新たにやりたいプロジェクトも増え、いままでのシステム
だと立ち行かないと痛感している。
そんなとき、こうした支援活動を他のNPOさんと
ずいぶん前から精力的にやってる友人から、
「なぜ、ギビング・ハンズは郵便振替用紙の寄付がないのか?」
と、問われた。また、GHに対する単発寄付制度がないこと、
初めての方の継続寄付はハードルが高いこと、クレジット払い
など初心者はしないこと等、寄付者の視点から教えてもらった。
    恐れ入りました
    というより、気づくの遅いよ!
今回の運営講座でも、寄付者にはさまざまなタイプがいて、
どこに焦点を当てた紹介をするのかがポイントだった。
たとえば、会員であるGHのスタッフは、無償で寄付や
ボランティアに勤しむ。この人たちに「○○になるから寄付して」
なんて言うと「そんな○○なんて要らないし」となる。
だから、「バースデー@フリーミール 自分への最高のプレゼント」
は気に入らない。純粋に子どもの役に立ちたいから。
しかし、そんな思いで寄付をする人ばかりが対象
かというと、寄付をする人の理由は;
1:お願いされたから → 必要とされたから
2:個人的なコネから → 知っているから 【義徳】
3:社会に貢献したいから → 人として当たり前の意識 【礼徳】

4:個人的な関心 → もともと意識がある
5:助けたいから → 自己充足 【仁徳】
6:慈善的関心  → これが↑もっと深い
7:コミュニティに関わりたい → 「する側」から「集める側」に 【信徳】

なのだと。1~3は、何かので知ったからだ。
4~7は、自ら積極的に探すか、すでに実行している。
そしてアメリカのトップレベルのファンドレイザー(資金調達員)
口を揃えて言う言葉は【Ask】。 「お願いせよ」と。
このことからも、圧倒的に1~3タイプが多いということ、
つまり近寄って「お願い」しなさい=「知らせなさい」
すべてには、ステップが必要である。
だから、寄付者のタイプも;
   1:会員的な寄付者
   2:寄付的な寄付者
   3:対価性の寄付者

それぞれの段階での紹介の仕方に工夫が必要だ。
1:会員は運営費を負担しているのだから、厳密には寄付者とはいえない。
2:の寄付者は、団体を支えたいのであって
○○がおまけで付く、とか立派な会報がカラーで毎回届くと
こんなの要らないし、お金かけすぎと思え
「ちゃんと寄付金が正しく使われているのか?」※
と、かえって心が離れることにもなる。
   ※ もしここで「わたしは純粋な寄付をしているのに、何なのこれ?」
     と寄付先のやり方に疑問視する心が出る場合、
前述した“×【バッテン】つける理由”の ⇒ ここ
     ③○白:●黒の不安定状態であると認識しよう。
     
     団体は、それぞれのニーズに対応する必要があるゆえ
     「そういう寄付のカタチも必要ね」と他の窓から見る。

そして3:対価=寄付の方には、それ相応のサービスをする
必要がある。それには「○○になるから寄付して」という
【お願い】が必須なのだと。
一世帯平均寄付額20万円/年間の米国にくらべて、
3000円の日本では、寄付の浸透率と必要性が
まだまだなのだと講師が言っていた。
そして、カタチのないものに対するニーズの違いを学んだ。
 頼られたい
 ほめられたい
 喜んでもらいたい
 力を分けて欲しい
 義理を果たしたい
 評価を受けたい
 自己の技能を活かしたい

ニーズに「善し悪し」はない。
どんなものでも少しのエゴがあれば、それは「偽善」となる。
上記のニーズは、達磨大師から言わせると【無功徳!】
なのであろうが、そんなことはどうでもいい。
仙人になるわけじゃあるまいし。
まず心が喜ぶことをすればいいのだ
なにもしない偽善より、なにかする偽善※のほうがいい。
    ⇒ 参照 http://giving-hands.jp/blog/wp-content/uploads/200807/article_7.html
「偽善ってなに?」
こんな素敵なキングの話から、偽善だろうと慈善だろうと
「行動すること」が何より大切なのだろう。
人間死ぬまで【エゴ】の固まりなのだから。
であれば最高次元の純粋エゴにして、
「わたしは自分のために、寄付活動をしています」
と、胸張って生きたい。

それぞれの 窓

「わたしたち世代の 『ちょっと出かける』 範囲は
隣町なのに、うちの娘のちょっとは “インド” なんです!」
断っておくが、この娘とはわたしのことではない。
娘の考えが理解できない、ある母の嘆きである。
時空間にギャップのある親子は、モノゴトのとらえ方
にも大きな差が生じ、お互いの理解不能が慢性化する。
このような場合、よく伝えるのは「外国人だと
思ったらいいですよ。時には宇宙人かもしれん」

くらいに。
うちの母親は毎日、自宅から800m先にある
孫の家まで通っている。家族の食事係として。
彼女の世界はすべてこの距離内で完結している。
買い物も医者も娯楽も、この範囲で済ませる。
わたしがその道中往復するときジャージとサンダル
なのに対し、彼女は部屋着とは違う、お出かけ
スタイルに身を包む。
ゴミを出しに行くにも着替える姿に、当初は呆れたが、
わたしにとっての庭が、母にとっては家から一歩
出たところが外国くらいなのかもしれない。
画像

人はそれぞれ独自に作り出した世界(それを現実と呼ぶ)
で生きている。いつもその世界の窓から眺めている
周りで何が起ころうと、判断基準はその窓から。
そのことが「自分」にどう関わるかという視点で眺める。
世界で石油が高騰すると、母はスーパーの値段が気になり
わたしは渡航費用のサーチャージが気になる。
セールスマンが人と会うとき、対象者が顧客に
なり得るか否かを吟味するが、婚活中の男女にとって、
その出会いはパートナー選びとして推し量られる。
これが自然原理である。
ただ、こんな【自己中】窓からいつも意識を覗かせると、
友人の結婚式の知らせを受けると、とっさに
「残りは自分を含め、あと何人」と落ち込む。
子どものことで警察から呼び出されると、途端に
学校での評価が気になり、親としての責任を考える。
インドで豚インフルエンザ蔓延の知らせを受けると、
自分が赴く地域は大丈夫かと調べる。
たとえ慈善だ人助けだと言って、他を優先しているように
見えても、いざとなったら(自分が困る事態)自己保身に転ずる。
このような行為を非難しているわけではない。
それどころが、わたし自身が先頭きってやっている。
ただ、自分にばかりかまけていると、他に起こった災い、
お祝い、問題点が、正しく見れなくなるということ。
自分への影響を先に考えると、友人の結婚に心から
「おめでとう」が言えなくなり、子どもの不良化による
子どもの本心が見えなくなる。
そら恐ろしいのは、どこかで災害があったとき
「自分のところじゃなくてよかった」と思う心の働きだ。
この反作用たるや、いつか自分に降りかかってくる。
他者も自分同様、いつも【自己中】窓から覗いている。
だから、ほんの一瞬他者の窓から覗いたあとで、
自分への影響を考えてみる。
すると、素直に「おめでとう」「お気の毒に」が出てくる。
自分【に】役立つ何かを探す前に、自分【が】役立つ
ものを探すほうが、目の前の視界が開ける
母の800m圏内宇宙の旅を、聞いているフリも疲れるが、
これも親孝行かと、そのときだけは聖徳太子になることにしている。

幻影と現実

南米在住の友人が帰国していたので、1年ぶりに会った。
お互い、「どうだった?」と、報告し合うために。
わたしは初南米、彼女は初東南アジアでの旅を。
画像

いつも旅でニュートラルな自分に戻している2人の共通見解。
実際現地に行ってみると「なんだ、こんなものか」となること。
しかし、帰ってくると肌に染み込んだ感覚が、
後からじわっとやってくる。
高山病とインカ帝国の圧迫感を小脇に抱え、ドキドキしながら
渡った南米だったが、登ってしまえば、見てしまえば
「あ、これがマチュピチュね・・・」と、淡々としていた。
彼女も東南アジアの抹香くささに想いを寄せ、旅日程を
綿密に立てたにもかかわらず、空港に降り立った途端
「え? ここ、中南米と同じかも・・・」
その感覚に従い、その場でホテルをキャンセルすることに。
日程を大幅に変え、当初の予定とはまったく異なる
場所へと移動した。
結果、大正解だったと。
情報だけで知る範囲と、現実の世界は違うもの。
表面上は同じだが、五官を通して入る感覚が
そこでの印象をガラリと変えてしまう。
これは想像という世界の原則だ。
画像

ワクワク期待していた旅が、終わると普通になり、
逆に、ドキドキしていたプレゼンや嫌なことも、
やってみると「なんだ、こんなものか」となる。
【期待】も【怖れ】も、勝手に作り上げたである。
【幻】をいつまでもほっておくと、その幻影に振り回されるが
幻影を現実にまで落とし込むと、きれいサッパリ消え去る。
すると、その幻の代わりに肌で体感したものが、
次のステップの【幻】へと導き前進できると。
そう。我われは常に幻影の中を彷徨っているだけ。
その幻影を、実体とみなして生きている。
しかしそれは、ひとつの実体にすぎない。
だから別の実体、選択もあることを、どこかで感じて
いない限り、いつもこの【幻】に惑わされることに。
その「感じる」道具として、2人は手っ取り早い
旅を選んでいるだけ。
いつも地球の反対側から帰国している彼女に、
世界一周旅行のことを知っているかどうか、振ってみた。
   知ってる? 世界一周の・・・・
ほっほっほ。 なんと彼女も知らなかった!!
今、わたしの周囲で 『世界一周友の会』 が出来つつある。
自分はやらない(出来ない)が、世の中やりたいことは山ほどある。
わたしは無責任にも、自分はやらないくせに、やったほうが
いいことを人にやらせる天才である。
今までどれほどの人が、わたしの口車に乗せられ
新しいことにチャレンジしたことか。
そんなわたしにも、基準がある。
「そのことは、その人をもっとも輝かせることになる」
と確信するから。
で、やらせたわたしも時間がダブルになった気になる。
これは、時間の流れがスピードアップしている時代の処世術だ。
今では、読みきれない本は、手分けして読むことにしている。
マンマとわたしの罠にはまった、世界一周ひとり旅
第一号が、そろそろ出ようとしている・・・
今までの、旅テクニックすべてを伝授しようかと
テグスネ 引いて、待っているから!

迷ったら 掴め!

都会育ちの3歳児は、さすがにもう家では
何でも口に入れることはなくなった。
しかし、見慣れぬ田舎に連れて行くと、最大限の
五感スイッチをONにし 『確かめ』 作業に大忙し。
松ぼっくりを片手に、河原の石を口に含もうとする。
周りで見ていた大人が慌てる。
3歳にもなって、まさか石を食べ物だと思って
いるわけじゃあない。
家の中はすでに調査済み。だから口に入れないだけ。
田舎は探求するものでいっぱいだと。
目についたものを片っ端から触わって馴染み、
匂いを嗅いで、最後は口で味わうと。
大事に握っていた松ぼっくり。
一緒に家まで連れ帰るかと思ったら、どうやら
検査は終了したようだ。帰りの車にはいなかった。
画像

子どもは、「なに?」と思ったら確かめる。
それは大人だって同じだ。
毎日が昨日と違う新鮮な日。
その新しい刺激に対して、どう判断し行動するのか。
   直感
   外応
   徴(しるし)
   サイン
   シンクロ

を、センサーに引っ掛け嗅ぎ分ける。
で、次の行動が子どもと違うと。
子どもは近づき、触り、味わう。
大人は遠くで見ていて考える。
   そして 迷う
この徴は、なのかなのか。
この邪魔は、「進むな」なのか、課題(毒素)として「進め」か。
立ち止まってみて曖昧だったら、「掴んでみる」こと。
火傷するかもしれないし、振り出しにもどることにもなる。
いずれにせよハッキリはする。行くのか退くのか。
こんな経験を重ねると、迷いが減っていく。
なぜなら、試す前から嗅ぎ分けられるようになるから。
まったく子どものときから同じことを繰り返して、
人は成長していくのだと、全身火傷だらけの
我が身を顧みてそう思う。
おかげで、年々皮膚は丈夫に、センサーも感度が
上がったと、勝手な自己満足に浸ってる。

×【バッテン】つける理由 その3

20代の頃に参加した、自己啓発セミナーでのこと。
グループであるゲームを行い、個々が点数を出した。
次にグループ内での平均点から主観的に自己評価を
下し、4段階から選ぶよう指示された。
    A:平均点より下だが、満足
    B:平均点より下なので、不満足
    ————————    
    C:平均点より上なので、満足
    D:平均点より上だが、不満足
当時のわたしの自己評価は、【D】だった。
で、トレーナーから各段階の心理分析がなされた。
【D】は、ひと言 『甘えん坊』 だと!
    な、なんでっ !?
まったく予期せぬ解説に、身をこわばらせて聞いていた。
Dタイプは、たとえいい点数を出しても
「自分としては、もっと出来たはず」
とジレンマに苛まれる。反面 【向上心】 とも受けとれる。
なのに 『甘え』 だと言われたのだから、面食らった。
    なぜか?
できて当たり前だと、プラス部分を評価せず、
ひたすらマイナス部分に焦点を当てている。
そのため自尊心の反作用で、卑屈、自己嫌悪が強くなる。
その心のアンバランスを、なにかで元に戻そうとする。
そこで、自己承認できない(むしろ否定)代わりに
他に認めさせるよう無意識に仕向ける
安定を保とうとするために。
それが、「わたしは、まだまだです」というアピールだ。
平均値より上なのだから、たいてい他からは
『そんなことない、あなたは素晴らしい』的反応が返ってくる。
それを百も承知でやるのだから、確信犯である。
【ゲーム】以外のナニモノでもない。
表層では心地悪いが、深い意識は癒される。
これが、ニュートラルにもどりたい【甘え】のしくみである。
自己否定というブレーキをかけながら、上昇志向
アクセル全開という自己矛盾。
勝手な一人舞台ならいいが、他を巻き込む。
こんな綱引き状態では、思い通りの結果が出なくて当たり前。
これが①☆星:○白:○白の高位不安定の落とし穴。
もしくは ④★星:●黒:●黒の低位不安定だ。
これを向上心と勘違いぜす、理想を極めるためには、
正しく自己評価すること。でないと不完全燃焼で終わるから。
平均値より上なのだと、自分で正しく評価し認めて、
その上で次なる目標に向かうこと。
すると心の摩擦も消え、他からの承認など必要なくなる。
   「他力を借りず、正しく自己承認しませう」
                                Fin    

×【バッテン】つける理由 その2

①高位不安定 ②高位安定 ③不安定 ④低位不安定 ⑤低位安定
理想    ☆                    ★
       ——————————————–
知識   ○       ○      ○      ●      ●
       ——————————————–
本質   ○      ○      ●      ●      ●
○:善玉エネルギー 
●:悪玉エネルギー
☆:幻の善玉エネルギー
★:幻の悪玉エネルギー
人間の精神構造である顕在意識(知識)と潜在意識(本質)の
状態を上記5つのパターンに表すと、なぜ自分もしくは他人に
×【バッテン】をつけるかが見えてくる。
自他両方へのバッテンは、実は同じなのだが。
天のルールを知らないと、また自己分析が不明瞭なときは
傍から見たら崖っぷちに向かって進んでいるように見える人
でも、当の本人はいたって安定している。
それはまるで白砂糖、白パン、白米という三大白害食品を
毎日摂り続けていても病気にならないと思い込んでいる
自覚ナシの状態。
それが⑤の●黒:●黒の低位安定
これはこれで、本人は幸せである。
ただし、水面下でヘドロと化している悪玉エネルギー
が浮上してきたとき、大変な苦しみに遭うだろうが。
こんなことで苦を繰り返すと、さすがに生き方に
疑問が生じる。なんとかならないかと葛藤が起こる。
これが④★星:●黒:●黒の低位不安定
理想の生き方を探すが、やり方がわからないので
現実は変わらない。理想と現実の狭間で低空飛行する。
天のルールを無視した理想像(★)も、よろしくないと。
  ※「悪現状の打破には、宝くじで1億円当てる★」的な考え
そこで【苦】から脱却するために模索を開始し、
今までの生き方の軌道修正が始まる。
まずは「やり方」を知識として学ぶ。
で、次のステップとして③○白:●黒の不安定状態となる。
ここでは天のルールを理解するので、今までの観念が崩れる。
この段階では新概念を頭だけで理解するので、とりあえず
顕在意識はとなる。だが、本質である『癖』は、まだまだ
悪玉エネルギーが充満している。
理性だけで善を保っているので、相当葛藤が生じる。
その緊張状態をどこかで発散させる必要がある。
まだ癖として残っている本質(●)を認めたくないため、
他に●を見つけては攻撃、見下し、批判、優越感に浸る。
これでバランスをとろうとする。いわゆるユングの言う
シャドウ●(自分の嫌な部分)をペルソナ(仮面)で隠すがゆえ、
他に同じ嫌な部分を見つけては嫌悪するというプロジェクション
(投影)
が起こる。
ついには自分の嫌な部分(●)を隠し切れなくなり、
自己批判という×【バッテン】を付けることになる
この不安定状態で起こる心の葛藤は、魂の成長にともなう
プロセスである。通らなければならない道。
ここではしっかり、●○両方を受け入れること。
しかし、人は不安定な状態だと、自然と安定したくなる。
不安定なフリーラジカルが、電子のペアを作るために、
他の分子から強引に電子を奪って安定させるようなもの。
達磨大使が中国の武帝に言った「無功徳」ともつながる。
   武帝 「私は今までに多くの寺院を建立し、たくさんの
       人を救い、写経もし、仏像も数多く作らせました。
                どんな功徳があるでしょうか」
   達磨大師 「無功徳(功徳なんてありませんよ)」

武帝は現実世界では善(○)を行ったが、深い意識では
認めてほしいという煩悩(●)に満たされていた。
●と○の相殺で「無功徳」だと。 → +-=ゼロ
では善をしない●と●と同じかというと、そうでもない。
--=マイナスよりはゼロの方が前進だと。
   こういうはどの世界でも起こる
菜食主義者は肉食人を見下し、スピリチュアル系はマテリアル系
を毛嫌いする。少しでも自分はよいものをやっているという
プライドが、本質は違う自分を薄々感じているゆえに、
安定するため他を批判、見下し、区別してしまう。
なぜなら自信がないから。
最終的に押し込め切れなくなった●が、ゴミのようにあふれ出し
卑屈、自己嫌悪に苛まされることになる。
これも道、プロセス。善悪はない。
黙って静かに観つめよう。
荒れ狂っていた●エネルギーが落ち着き、
○に転換するときがくるまで。
ここでようやく②○白:○白の高位安定状態となる。
本質に○を身につけている人は、一見「普通の人」に見える。
これがホンモノの聖者は表に出ず、その辺のおじさん
だったりすることが多い。気負わないし、比べないし、
何より他を批判しない。
やれやれだ。ここにたどり着くまで、いかに暴れ馬である
潜在意識をなだめすかすかが鍵となる。
これで終わればいいのだが、人間の欲望は尽きない。
さらなる理想の自分を求めて、安定を崩すことになる。
これが、①☆星:○白:○白という高位不安定状態だ。
ここまでして人は、まるで趣味かと思うくらい
なぜ自己を不安定(自虐)にさせたがるのか?
    ありのままの自分を見れないからに他ならない                      
                            つづく・・・  

×【バッテン】つける理由 その1

ある夏の昼下がり。木陰でインド人ガイドと涼んでいた。
「最近、女友だちと『放棄』について激しい口論になったんだよ」
と、ガイド。
“放棄” という単語に馴染みがなく、renunciationって何? 
と聞き返す、わたし。
「まったく。 君こそ人生を 『放棄』 していながら、
言葉自体を知らないとはね・・・」
ガイドはわたしの電子辞書を巧みに操り、
学校の先生さながら解説してくれた。
彼は元教師である。教えることが大好きだ。
renunciationとはsacrifice(犠牲)の類語のようで、特に
物質的なことに 『こだわならい』 精神状態のことらしい。
彼らの口論の焦点は、『放棄』とは、①はじめからすべての
欲望を遮断して得ないことなのか、②まずはすべてを経験して
から欲望を解き放つことなのか
、であった。
もともと占星術でいう、ラーフ(物質)ケートゥ(精神)
ドラゴン(龍)としてひとつだった。ともに共存させて
いくことが大切だと、ガイドはいつも力説している。
だから彼の意見は当然、“後者”である。
「自分の物になっていないものを人にあげたり手放した場合、
             それが 『放棄』 といえるのだろうか?」と。
しかし、女友だちはそれに対して激しく反論したらしい。
彼女は才能あふれるジャーナリストで、夫はこれまた
優秀な、最高裁判所出入りの弁護士だという。
一般的にみれば、セレブな物質生活を送っていた。
反面、精神的には夫の人格に難あり、苦しい毎日だったと。
夫は彼女が表舞台で活躍することに嫉妬し、最終的には
篭の鳥のように、家におさめてキャリアを奪ってしまった。
夫のわがままは、妻である彼女だけでなく、子どもたち
にも悪影響を及ぼした。このままだと子どもの精神にも
支障が生じると、離婚を決意した。
それでなくともインドでの離婚は稀である。
まして裁判で闘うとなると、弁護士である夫を前に、
決して容易でなかったことは伺える。
が、彼女が子どもの親権を勝ち取り、今では夫なしの
平和な生活を送っている。
こんな辛辣な経験をしてきた彼女は、ガイドのいう
“すべてを経験してから放棄する” だなんて、
とうてい同意できないと。
「で、マダム。 君はどう思うかね?」
画像

こんなやりとりを、わたしたちは仕事の合間によくする。
超B型インド人との日常会話はムカつくが、精神論は逆である。
インドの根底にある天のルールは、わたしたちの会話を
気持ちいいほど弾ませる。中心原理がわかるので、
意見の軸は一緒だが、その回し方が違うだけ。
軸がズレさえしなければ、臨機応変に対応させればいい。
『放棄』 ひとつとっても、①②両方ありだと。
すべてを経験し、味わい尽くしてそこから離れられるなら、
宿題は終わるし、経験した分成長し、次から動じなくなる。
しかし、その経験で軸がズレてしまうようなら、火傷する
前にさっさと退散するほうがいい。
また中心軸をズラすまいと、荒れ狂う誘惑、感情、欲望の嵐に
翻弄されないよう抵抗しすぎる場合もだ。
そんなことすると、反動で、反対側に思いっきり跳ね飛ばされると。
いわゆる「我慢ダイエット」のリバウンド同様である。
そんなときは、無理して押さえ込まないこと。
「あぁ 今、感情が乱れているなぁ」
「このままだと、呑み込まれるぞぉ~」
と、客観的にそれを眺めること。
で、巻き込まれたら流れに委ね、静かに観察してみる。
重要なのはそのこと(曖昧、乱れ、悪感情)を「知っている」
ということ。でないと巻き込まれたまま、いつまでたっても
同じパターンから抜け出せなくなる。
無理やりコントロールすればするほど、乱される。さらに
「コントロールできない乱れた自分」に×バッテンをつけない!
       では、なぜ人は 『×』 をつけたがるのか?
                         つづく・・・