洗礼 

牛、牛、牛。 
昨年に続き、今年も牛の話題が尽きない。
昨年は九州地方の牛の口蹄疫。
今年は福島原発付近の置き去りにされた牛。
焼肉「えびす」の生牛肉ユッケ問題。
そしてとうとう、全国規模で放射性セシウムに
汚染された肉牛の流通問題。
同じ肉でも豚や鶏ではなく、なぜ牛肉が
ここまで問題として上がってくるのか、
凡人のわたしにはわからんが、少なくとも
古代のインド賢者は予見していた。
昨年、今年の宇宙の担当神を「コパラ神」とし、
地上の民を守護しようと。 ⇒ 
ここまで【徴】があるのに、まだ肉食を続けるニッポン。
ついにコトが自身に降りかかると、一様にうろたえる。
わたしは肉食反対派でも、原発廃止派でもない。
その人に、その国に必要なものなのだろうから。
ただ、その影響をわかったうえで行為し、その結果が
どうであろうと覚悟を決めることなのだと思う。
ホリックの侑子さんの言葉を借りると、
覚悟と誠意」が必要だ。
動揺するぐらいならやらなければいいし、そもそも
「動揺」する背景とは? 生死にかかわること。
その「動揺」がストレスを生み、免疫力低下となり
ガン化が進んで、結果、寿命を縮める。
こんな悪循環の道を選ぶより、ここまで全国
津々浦々に放射線がもたらされるということは
一種の【洗礼】だと受けとめ、覚悟を決めたほうが
「動揺」というストレスから免れられよう。
来週から渡印するのだが、前回同様、インドに
牛の供養(コ・ダン)をしてくるつもりだ。

何かが 始まる

普段からあまり電車に乗ることがないわたしの
耳に最近よく入ってくること。
震災後、それでなくても電車はエコ運転で
  遅いのに、朝、よく止まるのよね・・・ 
 
これはなにを意味しているのか。
そう、人身事故で頻繁に運転が中断されていると。
あるニュースでは、震災後、自殺者数が前年より
2割増えており、それは、「震災のせい」ではなく
政治無策が原因だと指摘している。
以下、引用;
自殺率は国家体制や経済の危機に上昇することが
知られている。日本は終戦後の混乱期、自殺率が
世界一だったが、高度経済成長期に急激に下がり、
バブル崩壊後、再びハネ上がった。
ハンガリーは共産党独裁下で自殺率世界一となり、
民主化とともに低下、かわって世界一になったのは
旧ソ連崩壊で大不況に陥ったロシアだった。
日本中で電力不安が日々高まる中、製造業の
日本脱出が進行している。三井金属鉱業や
レンズメーカーのHOYAのほか、半導体メーカー
も海外移転を検討し始めている。
そうなれば、失業者が増え、結果として自殺者も
増えることが懸念される。
日本経団連はこのまま海外生産比率が上がった場合、
今後5年で300万人の雇用機会が喪失するとの試算
発表している。
今の日本で300万人が新たに失業すれば、
年間自殺者は3万人から5万人に増えて
再び自殺率世界一になるとも危惧されている。
6月20日の警察庁発表によれば、5月の全国の
自殺者は3329人で昨年同月比19.7%増(547人増)。
特に増えているのは東京や大阪の大都市圏で、
震災と直接関係のない西日本や九州でも
平均15%超の増加だ。

何かが崩れていく。
これが戦後作り出した虚構の結果なのか・・・
3.11で3万人近い死・負傷者、行方不明者を出した
震災に匹敵する人災が、なおも続いている。
反面、放射線の恐怖に苛まされ、ガン ⇒ 死の
シナリオを避けるための動きが活発化している。
ともに【生】への執着からくる苦悩。
「死ぬ気でガンバレ」という言葉がある。
これは「ガムシャラにやる」ということではなく、
すべてを棄てた」気で、つまり「無」心でやれということ。
無になると、生へのこだわりもなくなり、
自然と苦悩から解放され、新たな道が生まれる。
何かが崩れていくかのような【死】のオンパレードも
何かが始まるというサインなのだろう。

必ず 見つかるから

よくいわれるように職業には「適職」と「天職」がある。
適職:苦痛ではない、自分に適した仕事
    ⇒ 収入を得る手段=Do
天職:魂が喜ぶ、生きがいとなる仕事
    ⇒ 自己存在価値そのもの=Be
多くの人が望むのは、働くからには「天職」がいいと。
しかし、この天職も、環境しだいでは苦悩をもたらす。
 大好きな音楽で生計を立てられるが、売れるためには
 好ましくない歌を奏でなければならいジレンマ。
 日本人が大好きで、日本語ガイドになったインド人が、
 旅行会社の意向で高いショップに日本人旅行客を
 連れて行かなければならない苦悩。
 人助けをしたくて医療の道に入ったが、病院の方針で
 薬漬けの対処療法に嫌気がさす医療従事者。
など、自営でない限り、
理想と現実の狭間で人は苦しむ。
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Valampuri Vinayaka
進路やその後の就職を考える高校時代、いったい
自分はなにをしたいのか、ずいぶん考えた。
だが、明確な答えは出なかった。
月日が流れ、浮かんでは消えゆく「理想」に疲れ果て
とりあえず、そのときわかっているものだけを
実行してみることにした。
 ①自分には、生まれ持った「使命」があるはず
 
 ②一生かかっても必ず「それ」を見つけること
 
 ③発見したら、それを遂行する「時間」「資金」「空間」
  の自由を確保しておくこと
 
 ④そのためには、いつもアンテナを張っておくこと
 
 ⑤多種多様な人種・文化を受け入れておくこと

最低限これだけを自己にいい聞かせ、
とりあえず生きてみることにした。
働くことは、あくまでも手段なので、なんでもよかった。
特には、準備として絶対的条件だった。
時間とお金の自由はともかく、
「空間」の束縛からの解放は、最も重要だった。
それは、一定箇所に固執しないということ。
なぜなら、そのレベルの波動にとり憑かれてしまい
成長しなくなるから。
そのために頻繁に住居の移転を行い、
身辺を身軽にしておくことにした。
また、その頃から、何回も海外にでかけた。
だから当然、サラリーをもらいながら働くという
選択肢は、はじめから排除された。
こう考え始めて18年。ようやく見つかったミッション
その間、どれほどの回り道をしたことか。
これも必要なプロセス。
「これではない」と気づくための。
肩の荷が下りた。
とりあえずよかった、死ぬ前で。
でないとまた来世、延々と自分探しを
しなければならなくなる。
そして今、わたしと同じ道をたどっている若者が
静かに集まってきている。
   大丈夫、必ず見つかるから
だって、生まれる前に「自分」が決めてきたんだから!

自然の助け

久しぶりに、日本の夏の夕暮れを歩いてみた。
それにしても蒸し暑い。
帰宅したら、なにやら足がかゆいゾ。
歩いたせいで、血行がよくなったか?
ホッとひと息ついて、足をみて見た。
  ぎゃあ~~~
蚊に刺されまくっていた!!
日本の都会に、なぜこんなに『』がいるのだ。
蚊といえば、東南アジアの専売特許ではないのか!
下水が整っていない、ドブ多しの・・・
あわててインドグッズからキンカンを取り出した。
それにしても、インドでは側ばかり刺されるのに
今回は「」だった。そういえば、身体に負荷が
かかると、うずくの歯が、今日から痛みだしていた。
  左のエネルギー(無智)の浄化か・・・
農作物の病気の部位を蝕む虫のように、蚊も人間様の
エネルギーが滞っている箇所を刺して調整してくれる

自己の欠点や至らない部分を指摘してくれる人ほど
耳障りで痛い存在だが、そのお陰で成長できるというもの。
雑草、害虫、蚊、忠告など、できれば遠ざかりたいモノ。
どんなに意図的に避けても、膿を出さねばならぬ
タイミングで、思わぬところで出くわすもの。
まだ暗くない、まさか日本の大都会で蚊の襲来を
受けるなんて、不意打ちだったように、人生
「こんなはずでは・・・」が、何度も起こるということだ。
まだまだ自己調整が上手くできない未熟者には、
こんな自然の助けが必要なのかもしれない。

記憶という厄介なモノ

うちの母は曾孫の名を、孫の名で呼び、
ネコの名を、曾孫の名で呼ぶ。
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これはつまり、「小さい」というカテゴリーで
名前の順位が決められているのだ。
ネコ(0歳) > 曾孫(4歳) > 孫(22歳) ⇒ すべて♂
わたしですら、めったに会わない孫(4歳)を呼ぶとき、
つい甥っ子の名を呼んでしまう。
昔、小さい頃の甥っ子を呼んでいたイメージが、
孫に投影されてしまうようだ。
より小さな存在が出現しても、頭が付いていかない。
人の記憶とは、いかにアバウトなものだと。
反面、小さな子どもがあまり好きではないという人
なにやら共通する、忘れられない「記憶」がある。
それは「自分の子ども時代が受け入れられない
という記憶。
自分が自分らしく生きていない、ぬいぐるみを
着ているかのような居心地悪い時代の記憶を、
表層意識では消したいと思っている。
が、深い意識に押し込められた記憶は、潜在意識
から強く主張され、現象として「子ども嫌い」として出現する。
もしくは無意識に子どもを避けてしまうと。
どんなに押し込めても、どんなに否認しようとも
最期【死】の瞬間、顕になる潜在意識の前で
その見たくなかった舞台が生き生きと展開されるのだ

この状態では、「そのとき」正常な意識を保てるはずがない。
なので、生存中しっかりと過去を完了する必要がある。
かのように、人の記憶とは、こちら(表層意識)の
都合いいようにはいかないものである。
わかることは、目の前に現れる【徴】すべてが
記憶の一端だということだ。
めんどうなコトだし、今やらなくてもいいコトだが、
あとで困るのは自分の魂だから、ここは一念発起し
過去完了のための時間を作り、一つひとつ診ていく
作業を、今、周囲では覚悟して取り組んでいる。

インドに避暑?

暑い・・・
このままいくと、昨年同様 9月ごろまで猛暑かしら。
こうなったら 8月は、30度越えの東京から、
40度越えのインドに避暑にいこうかと。
   なぜに避暑
日本の報道では、26度で熱中症に注意し
28度で覚悟せいと言っていることに驚いた。
いつも30~40度あるインドにいて、熱中症など
聞いたことない。なにが違うのかと、しばし考えた。
差異といえば 『湿度』 である。
インドの夏は暑いがカラッとしている。
汗をかいてもすぐ乾き、衣類が吹いた塩でまだらとなる。
汗という水分が乾くとき気化するので、身体の熱を奪ってくれる
そのため、水分と塩の補給、熱射病にさえ気をつければ
なんとか生きながらえると。
反面、日本は気温がたとえ30度以下でも、
湿気のため汗が気化してくれない。
つまり、熱を逃がさず身体にこもることで熱中症になるのか?
これが、気温の高い、しかし湿度の低いインドに
避暑に行くということ
とかく部分だけだと理解できないものでも
全体を眺めると納得できることがある。
目先のことより、長期的視野での行動が大切なように
木を見て森を見ずして、なにがわかろうかと。
   なぜ日本は「湿度」が高いのか?
それは簡単だ。
ジメッとした【】の国だから。
情も適度だと温かいが、過ぎると暑苦しいではないか!
「情に掉させば流される」と。
かといって、オールB型のようなインド人だけだと
カラッとしているが、ちと味気ない。
だから、行ったり来たりがいいのだ。
ということで、来月8月は、日本から離れることにした。
★暑さ対策★
その1:湿気コントロール
その2:インド人のように、日に何度も水を浴びる

がんばりすぎる日本人

7年前、スリランカに行ったときのこと。
コロンボ空港に降り立ち、わたしを含む日本人4人で
タクシーをチャーターし、ほぼ島を一周した。
当然ながら、移動中はすべて車中で過ごすことに。
な・の・に、後部座席の窓が両側開かない・・・
季節は夏、真っ盛り。
エアコンなどない車だった。
走り出す前に気がついたので、訴えた。
「窓、開かないけど」
するとドライバーは涼しげに、こう返してきた。
「ノ~プロブレム! 前の窓は開くから」
そういう問題じゃない。
エアコン付きのタクシーを探そうと見回したが
引き下がろうとしないおじさん。必死にもてなそうとする。
しまいには、身の上話まで持ち出した。
情けに弱い日本人。
しかたない、妥協することにした。
たいていのアジア圏で耳にする言葉「ノ~プロブレム」。
アラブ圏での「ノ~プロブレム」といえば、IBM
【 I 】・・・Insha’Allah インシャラー    「神がお望みになれば」
【B】・・・Bokra(Bukra) ブクラ      「明日ね」
【M】・・・Maalesh(Malesh)マレーシュ 「気にしないで」no problem
あとは、これ。アルハムドリッラー    「神の思し召し」

アラブ人との約束は、「インシャラー」と確約せず
今日できることも「ブクラ」と言って先延ばしにする。
問題を指摘しても「マレーシュ」と言って気にしない。
きちんと約束をこなす日本人からすると、理解不能である。
一見、「いい加減」な人種に映るが、よく考えたら
たかだか人間様にできること、コントロールできることなど、
しれている。天地に左右されている人間のやることに
絶対など、本来ない。

よって、「IBM」や「ノ~プロブレム」に含まれる意味には、
我われは最大限の努力はしますよ。だが、天の計らいに
見合わなければ、そのとおりにいかないものなのさ。
だから、あとは「神の思し召しのとおり」なのだと。
日本語で言えば
「人事を尽くして天命を待つ」 ⇒ 天に身を委ねる
インド人の「いい加減」やアラブ人の「曖昧さ」に
嫌気がさすというなら、日本人の
「善処します」「考えておきます」
「行けたら行くね」「前向きに検討します」
という「断り文句」の常套手段に
辟易している者がどれだけいることか。
この、やるだけやるが、あとは天に任せる、
前半がんばり、後半委ねるインド・アラブ人。
一見、いい加減だが、本質に近い生き方のようだ。
反面、全力でこなし、ダメサインが出ても最後までやり抜く
前半がんばり、後半ガムシャラな日本人。
一見、すごそうだが、単に固執しているようにみえる。
さて、最終的に効率いいのはどっちかしら。
   【がんばろう! 日本】
震災後、この標語(?)をどれほど目にしたことか。
もっとも日本人らしい言葉だ。
が、今までがんばって来た結果が、この震災に
つながったと感じるわたしには、とても違和感がある。
ノ~プロブレムの世界観に慣れているせいか
いいよ、そんなにがんばらなくても・・・ と言いたくなる。
お上の政策に「なにやってるの!」と言っている人にとって、
こんな発言、まったくもってヒンシュクでしょうが。
がんばり続けることにより、見えなくなることがあるのだと、
この震災で教えてくれているように思えてならない。
   【つながろう! 日本】
これだけでいい気がする。