ラマダーン 万歳! その3

ラマダーン明け最初の食事を 『イフタール』 という。
この意味は英語でいう 『breakfast』 つまり “朝食” のこと。
なぜか。
断食のことを英語で 『fasting』 ファスティングというので、
それを break 【破る】ことだから、break-fast となる。
朝食とは、聖なる儀式明けの食事ということになるのだろうか。
このような意味を知ると、なにやらいつもの朝食が
妙に神聖なものに感じるから不思議なものである。
インドではガンジーが断食をして “非暴力” を訴えたのは
あまりにも有名である。
また、インドでのヨーガ行者曰く、最後に残る煩悩は、
食欲であるともいう。
食欲というものは、単に肉体を保持するためにわく
だけでなく、なんらかの精神的欠乏感とも関連して
動く欲求でもある。
つまり、こころが満たされていると、お腹まで満たされて
しまうという不思議なシロモノである。
インドにいるときは、あまりの激務と暑さで単純に食欲が
減退するだけなのだが、1日1食になる。その1食もほんの
少量なので、そんなわたしの姿を現地インド人が見ていて、
「君のような食生活をインド人がみなしていたら、食糧難は
解消し、貧しい人たちも食事にあり付くことができるだろうに」
などと、あり得ないことを言っていた。
先進国では食べすぎによる肥満や生活習慣病が国レベル
で問題視されている傍ら、途上国での食糧難が国際問題
になっている。
地球人として同時進行されているこの現実をどう捉えられ
ようか。この真逆の両問題に、国家の税金が湯水のように
使われているという現実を、だ。
単純に余っているところから足りないところに回そうと
動いたとしても、解決できるとは思えない。
なぜなら、“こころの飢えを満たすための飽食”という現実が
あることに焦点を当てない限り、単なる小手先の対処法に
過ぎないからである。
では、この【こころの飢え】への解決策とは・・・
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つづく・・・

ラマダーン 万歳! その2

日本語ガイドのほかに、もうひとり英語ガイドと、
日の出前4:00から神殿に向けて車を走らせた。
というのも数年前のルクソール事件により、現在、上エジプトを
廻るには、いっせいに軍隊に護衛されながら行くしか選択肢がない。
単独でのスケジュールは立てられないため、政府軍隊の
日程表に従うしかない。よって、こんな早朝となった。
他のグループが集まるまでの待ち時間に、日の出前だから
断食はまだ始まっていないと思い、ホテルで用意してくれた
朝食のパンをお裾分けしようと、ガイドに勧めてみた。
すると、日の出2時間前から固形物を摂ることは避け、
水分だけにしていると、丁重に断られた。
「へ~ 大変ですね・・・」と言うと、
「なぜ? いつものことなのに!」
と、目を丸くされ、彼らにとっては当たり前のことであると。
そんなことで驚いているわたしのほうが、疑問視された。
そして、わたしがインドで仕事をしていると伝えたら、
「どうやってインド人との関係性を保っているのか?」
と、聞かれた。
彼のガイドとしてのポリシーは、シーズン繁忙期には、
どこの旅行会社であっても、インド人の依頼は、
キッパリ断るのだそう。
「宗教上の理由からか?」 と聞くと、
「いや、どんな宗教かなんて全く関係ない。彼らの習慣、態度、
考え方、話し方、特に経済観念には、とてもついていけない」
と。これはとても意外だった。
英語ができない日本語ガイドに、同じことを言ったら
「インドを案内してくれ」と言われたほど、彼は好印象
を持っていた。
つまり、インド人と接する機会がほぼない日本語ガイドは、
インド人の現実をよく知らないだけだった。
エジプトのガイドブックを読む限りでは、気候、貧富の差、習慣など、
宗教以外はインドと差ほど変わらないと思っていた。
インドにもムスリムはいるし、乾燥して暑い国だし、男性の着ている
エジプト服(ガラベーヤ)もインドのパジャーマの裾を長くしたもの
と同じようだし・・・
ナンといってもインド時間同様に、【エジプト時間】なるものが
あり、電車が平気で4時間遅れるところなど、そっくりである。
しかし、実際エジプト人と接してみて、インド人とはまったく
異なることを実感した。
ひとことで言えば、“サービス精神の極端な違い”であろうか。
エジプト人は初対面でも人をおちょくる(からかう)ことを平気で
やり、笑わせることが習慣化されている過剰サービス的だが
インド人は、顧客に対しての笑顔はまずあり得ず、サービス精神
というものは皆無な、お役所的きらいがある。
はじめはどちらも両極端すぎて、日本人にはとてもついていけない
ものがある。どちらかというと無愛想なインド人に慣れてしまっている
わたしには、この過剰なまでの馴れ馴れしいエジプト風もてなしに、
ちょっと身を引いた。
厳格な戒律生活での反動なのか、単なる国民性なのか、
まだまだエジプト人とは接する期間が短いだけに、謎である。
ともあれ、普段、どんなにおちゃらけている店のお兄ちゃんでも、
しっかりと断水・断食をやりこなしている姿は、とても頼もしくみえる。
日没直前にお店に入り、購入を迷って「また来るね」なんて
言おうものなら、
「そろそろラマダーン明けだから、また来る時には店は
閉まっているからね!」
と、脅迫されながら、購入即決するのもまた楽しみである。
とにかく凄い! 皆、インドの聖者のように煩悩などなく平気で
断食しているわけではない凡人が、自己との闘いに打ち勝とうと
しているこの30日間は、なんて素晴らしいことであろうか!
実際は、ラマダーン中のほうが食料はより消費され、就寝直前の
食事により、この間は太るようなのだが、身体にとっての善し悪し
よりも、精神の善し悪しに重きをおくことが大切
なのだろうと感じた。
わたしも一生に一度、いつかラマダーンを体験してみたいと。
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ラマダーン 万歳!

あと5分・・・
じっと腕時計を見つめながら、ミネラルウォーター・ボトルを
握りしめているムスリム(イスラム教徒)の日本語ガイド。
すると遠くの方から日没の合図であるアザーン
(「いざや礼拝に来たれ!」の呼びかけ)が流れてきた。
と同時にガイドはまず、お腹にやさしいグァヴァ・ジュースを
飲み、その後、一気に2リットルの水を飲み干した。
この時期のエジプトは夏を少し越したにもかかわらず、
昼間は50℃近くまで気温が上昇していた。
その最中、ガイドはひらすら世界遺産についての説明を
日本人にし続け、その間、食事はもちろんのこと、一滴の
水も口にしていない。
なぜなら、今年は9月1日からの30日間がラマダーン月と
いって、イスラム教の五行のひとつであるサウム 『断食・断水』
をこなす時期に当っているからだ。
30日間といっても日の出から日没までなので、正確には
『半断食』である。
日本では、夜の12時~昼間の12時まで水分以外の固形物
を摂らない半断食はよく聞くが、これは半分寝ている時間に
終わってしまうので、比較的楽である。
しかし日中、それも今年は特に猛暑にあたり、断水まで行なう
このムスリムのラマダーンは、そうとうな意志力がなければ
30日間貫徹すること自体、至難の業であろう。
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本業の研究を兼ねて、9月17日からエジプトに向かった。
その間がちょうど、年に1回のラマダーン時期だったのは、
今回の旅での大きな収穫となった。
なぜラマダーンが、イスラム教の五行のなかに
組み込まれているのか。
ガイドの説明によると、半日の断食を経験することにより、
世界中の貧しくて食べられない人たちと同じ体験を共有する
ことができる。それにより、やはり五行のひとつである
ザカート 『喜捨』 精神で、『富める者が貧しき者を助ける』 
ことを、こころから行なうことができるというのだ。

あとは、意志の力を強固にするため、多くのムスリムは、
8歳~10歳くらいでラマダーンを始め、幼少のころから
自己との闘いを訓練しているという。
国民の90%以上がムスリムのエジプトでは、それこそ国を挙げて
の断食ということに、驚きというより “畏敬の念” さえ覚えた。
この時期の学校や会社は10:00始まり14:00頃終了だと聞く。
そして夜は、それこそ『今日も無事、断水・断食が成功した』
ことを、皆で遅くまで起きて祝うという。
しかし、外国人相手のガイドはそうはいかない。昼間は過酷な
猛暑の中、ひたすら喋りつづけ、わたしたちをレストランに案内
し、自分は何も口にすることなく、横目で眺めているという職種だ。
夜、ラマダーン明けのイフタール(断食明けの軽い食事)を
摂ったら、早々に寝ないと次の仕事に差し支えるので、他の
職業の方のように、夜遅い夕食など摂っていられない。
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       ラマダーン明けの一杯に感謝する エジプト人ガイド
つづく・・・

人事を尽くして天命を待つ

われわれ自身は弱く、小さい。
しかし、もしもさらに困っている、あるいは弱い人びとがいたとしたら、
彼らを助けることが、われわれが幸福になることのわずかな代償である。
そしてその際に、行為の果実を心配したり、期待しないことが、
最も肝要な点であると、聖典は教える。

「最も あわれむべきは、行動の成果のために生きる者である」
             バガヴァット・ギーター 第二章 詩節49
資料の整理をしていたら、無造作に上記のことが書かれた
紙切れが出てきた。
2005年の夏、インド ヒマラヤ山麓のリシュケーシュ
ヨーガ・アシュラムにて書き写したもの。
まだ、ギビング・ハンズがNPO法人となっていない状態の頃。
ひとりでチャリティ活動をしていた。
そのころから、何ごとにつけ 『人事を尽くして天命を待つ』
を心がけていたので、この言葉が目に入ってきたのだろう。
古代の聖典は奥深く、われわれの生き方に
大いなるヒントを与えてくれる。
成果・結果は、目標として掲げることは素晴らしい。
だがそれにこだわることで、失敗への怖れから
緊張状態となり、本来の実力が十分発揮されない。
よく言われているように “失敗” も “成功” も同じベクトルを向いている。
その反対ベクトルは “何もしない” ということ

だから、やるべきことを為したなら、あとはすっかり手放す。
そのほうが気楽だから。
成果・結果に焦点が当てられる現代社会のなかで、
この姿勢をどれだけ保てるかは、はなはだ疑問だが、
何かに迷ったとき、うまくいかないときは、この言葉を思い出す。
「成果に執着していませんか?」
と・・・

すべてがメッセージ

「畑の雑草って、なぜ生えるか知ってる?」
農大出の友人から、いきなり質問されて答えに窮した。
なぜって・・・雑草なんて “意味もなく勝手に生えてくる煩わしいモノ”
という認識しかなかった。
「それはね、酸性に傾いている痩せた土をアルカリ性にし、
中和するためなんだよ」
へ~~~ そうなんだ~  さっすが、農大出!
と博士のごとく称賛したら、こんなことは大学では教えて
くれないのだとも言っていた。
それは医者になるための医学部では、なぜ病気になるかより
いかに病気(悪モノ)を退治するかを教えるほうが重要なのと
同じなのだろう。
わたしはよく暑いインドに行く。
そのときの悩みは、何といっても 『蚊』 である。
夕方になると、恐ろしくどこからともなくやってくる
蚊の大群と、いつも闘わなくてはならない。
なぜ “恐ろしい” かというと、服の上からでもジーンズのような
分厚い生地だろうと、容赦なく刺してくるほどの強敵だからである。
さらに悔しいのは、同じ空間にいるインド人は、あまり刺されない
ので、ひたすらひとりで悪戦苦闘しなくてはならない。
日本にいると、蚊に刺されるような場所にめったに行かない
ため気づきにくいのだが、これだけ蚊との付き合いが長いと、
ある法則性が見えてくる。
それは、そのときのカラダの体調によって、刺される部位が
異なるということ。蚊の食事は言わずもがな、血液である。
phバランスが崩れている血液、つまり上記の畑の痩せた土地同様に、
酸性に傾いている血液を有する人種 (ベジタリアンのインド人
より、加工食品を多く摂っているわたしのような) を狙って、
そのときエネルギーが滞っている身体部位に、まるで注射する
かのように刺すのだということが、経験上わかった。
つまり、雑草が生えてくるということ、蚊に刺されるということは、
とても重要な、何かのメッセージ
なのだということである。
これが理解できないと、自分に不都合・不快なコト・モノを
排除、拒絶してしまう。それで一時的に安定を得たとしても、
根本原因を解決したわけではないのだということだ

すべては、ニュートラルに戻すための自浄作用なのだと。
これは病気でも言えること。どの部位が、どのような病で、どんな
症状なのかの根本原因の解決こそが、本当の医学なのだと思える。
今、社会が世界が地球が、悲鳴をあげているさまざまな問題も、
このような観点から見つめ直したいものである。

産んでくれて、ありがとう。

先日、『あいのり』 という番組で、ラオスの学校を
日本の男女の若者が、訪れるシーンがあった。
人口80万人強の小さなこの国の、昔ながらの暮らしが
『古き善き日本』 のように映し出されていた。
そこの学校の先生が、日本の若者に尋ねた。
「なぜ日本は豊な国なのに、自殺者が多いのか?」
世界の自殺者ランキングがロシアに続いて、年間33,000人
という、2番目に多い国として紹介されていた。
ラオスの子どもたちは皆、家の手伝いをよくする。
それはむしろ、『手伝い』ではなく、『役割』となっている。
例えば3歳の子どもであっても、掃き掃除が割り当てられている。
このように、貧しい国では皆で助け合って、一家を支えている。
そんな家族間の生業を垣間見て、日本の若者は、
その質問に、こう答えていた。
「ここでは役割があるから、『死にたい』なんて思わないんじゃない?」
この答えには、日本では、人としての存在意義がなくなりつつ
あるかもしれないという現実が、見え隠れしていた。
また、東南アジアの貧しい家庭の子どもたちが、両親の
暮らしに役立つために、売られていくことは少なくない。
女の子たちは、12~3歳になると性産業に売られていく。
その子たちが村にもどってくるときは、エイズに罹り、
死を待つときだと聞く。
少女たちは、そのこと(死)を十分理解した上で、売られて
いくのである。なぜならば、両親のために、しかたがないと
受け入れているから。
日本では、親が子どもの面倒をみるのが当たり前でも、
ここでは、子どもが親の面倒をみるのが当たり前なのだと。
なぜならば、『産んでくれた』 のだから・・・
この 『当たり前』 のことを感謝できる心が、彼らにはある。
では、日本ではどうであろうか?
あるとき、わたしの知人(日本人)が、離婚した元夫から
子どもの親権裁判を起こされていたときのこと。
裁判官が10歳の子どもに、どちらに引き取られたいか
インタビューしたとき、その子どもは “お母さん”
と答えた。そして、その理由も問われた。
答えは、『産んでくれたから』 だった。
その真意は、東南アジアの子どものように深い意味がある
わけではないにせよ、これが日本でも基本ではないかと思える。
このような精神がベースにあるときの日本には、老人の孤独死や、
兄弟姉妹同士の遺産争いなど、めったになかったと思われる。
親は誰かがみるもので、家を継いだ者に遺産は譲っていた
時代は、遠い昔になってしまったのだろうか。
この同じ地球上で、物質的貧しさゆえに飢餓やエイズでしかたなく
死を受け入れる子どもたちと、物質的豊かさゆえに、自ら死を選ぶ
子ども(若者)たちが同時進行している矛盾
を、ナンとかできない
ものかと頭を抱える。
そして、精神的豊かさ(途上国)と貧しさ(発展国)に焦点をあてると、
まさに真逆なのだから、きっとそこに、答えがあるはずだろうと・・・

計り知れない何かのために 2

東京都内の若者の20人に1人弱は将来、「ひきこもり」に陥る
可能性があることが14日、都の意識調査で分かった。
現在はひきこもりではないが、心理的に同調する考え方の若者が
4・8%にのぼった。人口換算で16万人にのぼるこうした“予備軍”
の実態について、都はさらに調べる。

こんな記事が目に入った。
「ひきこもり」とは、学校や勤務先などに行かず、長期間自宅に
閉じこもって社会参加しない状態。

と、その記事では定義されていた。
社会からの隔離状態の根底には、「自分は役に立っているのだろうか」
というのがあるようにも感じられる。
その延長線上には、「世の中に存在していても、しかたない」と、
発展してしまう可能も否めない。
だが、この「役に立つ」という基準を外側に合わせてしまうと、
複雑すぎて、身動きがとれなくなる。
マザー・テレサは、世の中に見捨てられたと思っている『ハンセン病』
患者を引き取り、施設内で必ず何かの役割を与えたという。
訪問者を知らせる門番だったり、新聞を届ける役割だったり。
さらに、それを成し遂げている患者を十分承認したのだと。
患者たちもそうされることで、身体の病は治らずとも、
心の病はどんどん癒されていったのだと。
人は、『何かの役に立っている』 という存在意義が、
すべてのパワーの源になる。
その基準は、『自分がしたいから』 でよく、そこには
相手の評価・基準を計る必要すら、ない。
現在、若者たちが直面している課題は、モノがあふれている
物質社会において、ココロがあふれんばかりの何かを探すこと
だと、気づくことかもしれない。

計り知れない何かのために

「人の役に立つ仕事に就きたいんです・・・」
わたしは仕事柄、こんな相談を受けることがよくある。
誰しもが一度は考えること、しかし、誰もができることでもない、
と思い込んでいる。
この【役に立つ】って、何を基準にしての言葉なのだろうか。
また、【役に立った】証しなんて、どのように判断されるのだろうか。
わたしは昔から、誰にでも自分がいいと思っていることや
本などを薦める性分がある。特に書籍などは、知人の分
まで購入し、配ってしまうこともよくある。
そんなあるとき(といっても20年も前)、小学校時代の親友から
「そういうことしていて、よく人に嫌われないわね」
と、言われたことがある。
一瞬、なにを言われているのか理解できなかったのだが、
あ~ 彼女はこういう “おせっかい” 染みたことが、
お気に召さないんだな、と受け止め、今後この方には
そうしないことにしよう、と決めたのである。
なので、他の方に対しては、相変わらずな自分がいた。
ただ、彼女の忠告のお陰で “いつも、誰にでも” から、
“その方の必要なとき、空気を読みながら” と、今までの
意図はそのままで、薦め方だけが変化していった。
そして3年後、海外留学から帰国したその友人と、久々に
会ったとき、開口一番の彼女の言葉に、耳を疑った。
「あのとき教えてくれた本、向こうですべて読んだわ~
お陰で人生観が、すっかり変わったよ!」
・・・え? あのとき嫌がっていたと思ったけど、
もしかして、わたしのやり方を単純に忠告してくれた
だけで、意図は伝わっていたということ?! 
何はともあれ、あの本が彼女に役立ったことが、
すごく嬉しかったことを、覚えている。
【役に立つ】ということは、相手や対象があってのこと。
よかれと思ってやったことが、裏目に出ることも少なくない。
環境破壊防止という名のもとに、割り箸を使わないことで、
材料になっている木材加工で出る切れ端処分に困るという
問題。また、それを仕事にしている途上国住人の失業。
児童労働させている違法な工場や会社を訴えて、子どもを
解放させることができても、働き口を失った子どもたちは
さらに悪条件のところに流れ込んで行くしか道がなかったりする。
運よく、その子どもたちを一時的に学校へ行かせることができても、
親に教育への理解がなければ、すぐに労働力として戻されてしまう。
挙げはじめたらキリがない。すべての問題を考えたら、それこそ
政治レベルになり、なにも手が付けられなくなってしまうだろう。
わたしたち目線で、そのときできる必要な “何かをしよう”
と行動することから、始めるしかないのではないか。
この時点で、なにが役立ち、なにがその証明か、なんて
計れない気がする。
そして、もっと言えば、『計る必要すらない』 のだと・・・
計るということ=基準値がある→ それは、相手や社会の
反応・評価だったりする。
対象により不確定な相対的基準値に合わせていたら、『老人とロバ』
の話しのように、終いにはどうしていいのか分からなくなるだろう。
だから、計りながらするのではなく、したいからする、で
いいのではないかと。例えその結果、 “善かれ” が “悪かれ”
になったとしても、やってみないと分からない。なったら
なったで、その場で変えていけばいいのではないか。
これは、上記の 「人の役に立つ仕事」 も同じだと思える。
今の不自由な環境の中で、なにか役立つことを始めてみると、
理想の状況(仕事)が、どうやら近づいてくるように思えてならない。

We are all earthian.

「想いがあれば、人に役立つ何かができる」
~われら地球人~
本日、9月2日からスタートする、なかのNPO・地域活動見本市2008
のプレ・イベントに参加してきた。
ゲストが、NPO法人「国境なき楽団」の代表でもある庄野真代さん。
『飛んでイスタンブール』がヒットしていたころから、
庄野真代さんが世界一周旅行から帰ってきて出版された
旅行記を、隅ずみまで読んでいた学生のころを思い出す。
思えばその頃からわたしの思考は、世界に向いていた
のかもしれない。あれから20年たった今、こうしてご本人と
NPO活動という共通意識を持つ者として、同じ空間にいること
自体、なんとも感慨深いものである。
「わたしたちは微力だが、無力ではない」
の言葉に大きくうなづきながら、素敵な時間をいただいた。

子沢山は 神沢山?

2007年の夏、インド視察ツアーを行なった。
日本から数人の支援者とともに、いつもの施設に立ち寄った。
スラム街の子どもたちが通う学校や施設があるこの地域には、
ムスリム(イスラム教徒)が多く居住している。
なぜここの創始者があえてこの地を選び、初期の頃はテント生活
をしてまで慈善活動をされてこられたのかは、それなりの理由が
あると聞いている。
「明日はこの施設を出たすぐのところで、チャイ屋をしている
15人の子持ちのオヤジに会わせてあげるよ」
と、理事長が食事をしながら話し始めた。わたしたち日本人に
とって 『15人の子持ち』 と聞いただけで驚いたのだが、ここの
スラム街での家族構成は、最低でも子どもが5人以上いるという。
だから10人や15人はさほどめずらしくもないらしい。
しかも子どもを産むことに意味があるらしく、しっかりと教育を
受けさせるとか、健康に育てるという概念は極めて薄いという。
夜遅い夕食(インドの夕食時間は21時~22時が普通)を終えた
後も、この話はとても興味深く、皆、耳を傾けて聞き入っていた。
なんでもイスラム教の教えでは、子どもは唯一神アッラーからの
贈り物とされているので、神の祝福の証だという。
よって祝福されている人ほど “子沢山” という方程式になるらしい。
だから、ひたすら男性は死ぬまで子どもを生産する目的のために
何回でも結婚し、孫のような若い奥さんをもらいながら、たとえ
90歳になっても赤ちゃんの父であり続けるのが誇りなのだと、
理事長が教えてくれた。
と、ここまでの流れなら数ある世界の一宗教話として聞くことが
できたが、ここから創始者の活動目的の話へと展開していった。
このまま教育を受けさせてもらえない、貧困層のムスリムの
子どもたちが増え続けた場合、そのような人たちでこの地域は
あふれかえるだろう。すると、人口増加にともなう一定の思想
を有する選挙権者が力を持つことになる。
その結果、同じ思想の政治家が選ばれ、地域が、州が、終いには
国をも動かされてしまうかもしれない、というシナリオが見えてくる。
これはインドだけの問題ではなく、多くのヨーロッパ諸国が抱えて
いる共通認識なのだという。
日本同様、ヨーロッパの先進諸国では少子化が進んでいると聞く。
そんな中でムスリム人口だけが異常な勢いで増加しているという
事実があるらしい。
実際この施設の目の前で、その問題と対峙しようと奮闘している
人たちがいる。創始者をはじめとする理事たちは、真剣にこの問題
に取り組み、これまで何度もムスリム地域の“お偉いさん”方と
話し合ってきたという。
子どもをたくさん産むなら是非教育をしっかり受けさせてほしい。
そうでなければ、それができる範囲で産み育てることを提案したい、と。
すると、「自分たちの思想に口を挟むつもりか、アッラーを否定する
ならこの地域から出て行ってくれ」と反論されてしまい、話し合いに
ならなかったらしい。
だから、施設側も考えを改め、直球からカーブ投球法に戦略を
変えたのだという。それは、直接大人にアプローチするより、
その子どもたちにしっかり教育を受けさせ、彼らに子どもの
教育問題や、女性の権利の大切さなどを教え、次世代からに
期待するやり方にシフトしていったそうだ。
なるほどこれは、単にキリスト教神父(ここの創始者)さんが
『隣人を愛せよ』 というイエスの教えを実践するために行なって
いる慈善という名のキレイゴトではなく、そこにはもっとドロドロと
した、複雑な社会構造が隠されているようだった。
日本ではあまり考えられない宗教・思想観の対立問題が、多民族・
多宗教の渦巻くここインドでは、避けて通れない課題なのであろう。