輝ける 未来 その8

宇宙システムといえば、天の舞踏ともいえる
星の運行が代表的である。
星といえども恒星、衛星、惑星がある。
この3つが絡む 天の時が いわゆる「」。
ギビング・ハンズ恒例の日食・月食寄付は
近頃、ここで告知せずとも寄付者が先回りして
寄付金を寄せてくれるようになった。
      5月21日は 金環日食
朝の通勤時間に当たる日食を見るために
グッズが売り出されているほどだ。
しかしここでのセオリーは「観ないこと」。
さらに百万倍の天徳を施すチャンスでもあり。
ゴールデンリング(黄金の環)となるその日、
インドの恵まれない子どもたちに
金環日食@フリーミール on 21st May in India
を施します。
できるだけわたしのインド滞在中(4月27日まで)に
手配したいので、希望者は早めにお知らせください。
(直前まで受付可)
※フリーミールのページから申し込み
   1万円   :30人
   3,000円:10人

その他、いくらでもOKです。
宇宙システムに沿っていると
誰でも
「すぐ」に「簡単」に「いつまでも」
安寧した人生を送れるようになる。
今、現実がそうでないなら、そこに
宇宙とのズレがあるはず。
これから、ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァの三神
総出で「運命を書き換える」という寺院に参拝。
              詳しくは ⇒ 
きっとこの三神が
宇宙とのズレを修復してくれるのだろうと。
                   Fin

輝ける 未来 その7

この世界は二元
すべて陰陽 相まみえる。
「食」もしかり。
中医学でいわれる食品にはがある。
また各陰陽には、さらにアルカリ性酸性食品に分かれる。
陰は身体を冷やし、陽は温め
アルカリ性は血液を清浄にし、酸性は汚す。
一番理想の食品は
玄米・ひえ・粟など「中庸」のもの。
人間しかし 玄米ばかり食べていられないから
副食としての「おかず」は陰陽、アルカリ・酸性どちらかになる。
偏りすぎないよう、昔からウナギに山椒、秋刀魚に大根おろし
など、陰陽バランスを整えながら食を摂る。
西洋医学における食の捉え方は、東洋のような
身体に与える温・冷効果ではなく、栄養学に沿うもの。
だから冬でも夏野菜などから30品目をまんべんなく
摂る必要がある。
これは問題外。
今のわたしには興味なし。
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では同じ東洋医学であるインドのアーユルヴェーダ医学
基づく食品分類に、陰陽にあたる温性冷性食品がある。
そして各温冷食品には、中医学のアルカリ・酸性に対応するのか
定かでないが、ラジャシック・タマシック・サトヴィック
食品に分かれる。
たぶんサドヴィック(最も理想食)
が「中庸」
なのだろう。
で、本題。
中国とインド思想には、ベースに五元素と5エレメント
という共通項があるが、ある目的を遂行するために
取る手段が真逆であることが少なくない
それは占術によくみられる。
これには理由がある。
インド超越主義(神様思考)
中国功利主義(現実思考)
求める目的が異なるためである。
では、食品の分類ではどうか。
   ・・・やはり真逆である
例えば
アルコール・白砂糖・ミルク・コーヒー
中国陰陽論:であり酸性
アーユルヴェーダ:温(つまり陽)であり、
ドーシャにおいてミルクなどはサトヴィックだ。
化学調味料の「味の素」さえ温性なのである!
(陰陽論では極陰)
なぜ、そのような分類なのか、根掘り葉掘り
アーユルヴェーダ医をつかまえ詰問していたら
いちいち丁寧に答えてくれたが
「そんなこと問うヤツは誰もいないぞ!
皆、単純にハーブ薬を素直に摂るだけさ~」

と、毎日の電話攻撃に舌を巻いたのか
反撃されてしまった。
陰陽論がベースにあるマクロビオテックの
食品陰陽表と比べると、こうまで異なる
インドの食品分類。
これには、ベースにある概念と
インド人特有の体質が絡んでいるようだ。
そのセオリーがわかると、両者の主張に納得がいく。
誰(各国人の体質)が、いつ(時代)、どこで(摂る場所)、
どんな目的(精神性か物質性)で、どのくらい(量)の
食品を摂るかで陰陽・温冷が異なる。

それを一般的には
「○○は身体にいいよね」的な乗りで摂る。
さらに「いいものは多く」摂る がはびこるから、
TVで「これは身体にいい」と放映されると
スーパーからそれがなくなるのが日本。
つまりそれは、健康難民と称してもいいほど
現代人の健康志向に確固として軸がない証拠。
本質は
「○○は【今】の【あなた】にはいいが、【ママ】はダメ。
また【どこそこ】に行ったときや【瞑想】中は控えたほういいよね」
「いいものは少量」
のようだ。
これは陰陽という宇宙システムの原理がわかれば
即、理解できるというもの。
このプリンシパル(原則)を聞き出すため
アーユルヴェーダ医に煙たがれながらも
質問し続ける、毎日。
            つづく・・・

輝ける 未来 その6

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  あの塩が欲しい!
走り行く道中 目にした塩田を指し
ガイドに要求。
車を止める。交渉。
日陰で、寝そべったまま農夫が快諾。
袋いっぱいに塩を詰め、数ルピー置いて車に戻る。
外気温48℃! 
まさに灼熱。陽 極まる。
ここは UPPOOR ウップール
UPPU :塩
OOR  :村
いにしえからの「塩の村」だ。
塩は古代ローマで給料として支給されていたほど
貴重なモノゆえ、その生産に係わる職業は
聖職にも匹敵するくらいだと感じる。
塩のコントロールを今、試みている。
おもしろいほど作用する。
食のイロハの基本は「塩と水」
それはイコール陰陽、温冷作用である。
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インドに通って早、10年。
今回は、今までにない初チャレンジ。
スパイス、チャイ、油モノなしのインド生活に挑む。
以前、インドでナチュロパティ療養したとき
ドクターから食生活の指導を受けた。
その際、
ノー スパイシーフード(香辛料なし)
ノー オイル(油モノなし)
ノー シュガー(砂糖なし)

が健康の三原則だと。
暑い国インドでは、細菌やらが多く氾濫するので
スパイスが毒消しにもなるゆえ、ある程度
必要なのだろうが、摂りすぎはよくない
という意味での「ノー ○○」。
これを聞くにつけ、インドの食は
ほぼこの3つに尽きるといってもいいくらい。
どうやって原則を守るのか?
だからドクターは言う。
きっと誰もできないだろうから、年に一回
1ヵ月間、ナチュロパティを受けて
心身をリセットしなさい、とのことだった。
日本でなら簡単だと思ったが
現在、それをインドで遂行している。
しかも、「ミルク(チャイ、ラッシー)なし」を加えて。
それには知人の協力が必要。
どのレストラン(もちろんベジタリアン)でも
スパイシーかつオイリーなものしかない。
で、いつものガイドの奥さんが、わたしの
ノン・インディアンスタイルのサポート役を買ってくれる。
毎食のヘルシーフードを手作りして。
感謝。
こうして新しいインドでの過ごし方を体験し
一週間がすぎる。
さて、インドで食養といえば、アーユルヴェーダ哲学
明日はシッダ医、及びアーユルヴェーダ医に会って
東洋医学(特に中医学)との相違について議論しようか。
              つづく・・・

輝ける 未来 その5

今年の夏は特に暑いとインド人がぼやいていた。
なのにここでは昼間停電が4時間以上もある。
その間、ファンなしで部屋で過ごす。
外に出ると熱風しかこないからしかたない
部屋に籠るしかない。
昨日は夜中も一時間ごとに停電だったようで
(わたしはホテルなので発電機が作動する)
ファンが止るたびに暑くて寝られなかったという。
いやはやナンというか、よくそれで熱中症
ならないものかと感心してしまう。
その理由は「塩」にある
わたしは塩とともに生きて10年。
塩なしの生活など考えられないほど恩恵を受けている。
我われの身体の70%が体液
ここに程よく塩が溶け込んでいる。
海から生まれた我われ人類は、海の塩の濃度と
血液の塩分濃度が同じである。
この塩と水のバランスが心身の
ほどよい健康につながるようである。
で、結論。
彼らインド人は日本人に比べて身体内の塩が
多いので熱に強いらしい。
今、マイブームは「塩」。
塩は昔から神事に使われ、祓いの代表でもある。
わたしの心身をこれまで守ってくれた
塩のことが、気になってしかたない。
すると突然、目の前に塩田が広がった。
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わぁ 塩 だ   カ・ン・ゲ・キ
             つづく・・・

輝ける 未来 その4

南インドの南端に位置する空港 マドゥライ。
外気温40℃。夕方。
あたり一面360度、空、空、空。
南インドにはスーブラマニア神の6大寺院がある。
※シヴァ神の次男
  スワミマライ Swamimalai
  パラニ Parani
  ティルタニ Thiruthani
  ティルチャンドゥール Thiruchendur
  パラムディソーライ Palamuthirsolai
  ティルパランクンドラム Thiruparankundram
渡印の都度 訪れるスワミマライと
前回(12月2011月)参拝したパラニの
それはどれも圧巻かつ脅威的パワーを有する。
今回は6つの内のひとつ ティルチェンドゥールへ。
ここは海岸沿いに建立される寺院。
ホントに寺院の目の前が浜辺である。
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2004年、スマトラ沖地震が起こったそのとき
南インドの東側海岸はこぞって津波の影響を被った。
この寺院も当然、そのエリア内にある。
しかしてそのとき、津波はやってきた。
まず、引き潮のごとく、3kmも海の内側に波が引いた。
通常はその後、高波となって海岸を襲う。
だが、この寺院の周辺だけ、まるで生きているかの
ように波は別の方向へ突進していったのだと

だから 惨たらしい被害の爪痕を残す他の地域に
見られる現象は、ここには一切ない。
これをインド人は運が良かったとみるか
スーブラマニア神の恩恵と取るのか
言わずもがな、だ。
こんな奇跡が頻繁に起こるインドでは
神信仰にますます拍車がかかる。
日本で同じ現象が起こったなら、それなりの権威者が
こぞって原因を追究するのだろうが、ここではそれはない。
単にスーブラマニア神の加護だと。
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朝6時から始まる儀式に、4時から並ぶほど
毎日参拝者でごった返しているのもその証左なのだろう。
まるで、生前のスワミ サイババのダルシャン
を受けるときの様子と似ている。
目に見えるものでもそうでないものでも、
人びとの信心は変わらないようだ。
儀式を終え、次の目的地に向かう。
真昼。気温は45℃を超えようとしている。
車で9時間。
車中はエアコン付きで快適だが、
外では農夫が日陰で休んでいる。
こんな炎天下で農作業か・・・
         つづく・・・

輝ける 未来 その3

なんと、あの揺れは地震だったのか。
まさか日本を離れて地震を経験するとは露も思わず
もし大きな地震だとしても即、反応できずにいただろう。
長くスリランカに滞在している友人は、
ここの建築事情を熟知している。
軽い地震でも建物が崩壊する可能性があるゆえ
揺れたらすぐ外に飛び出すという。
日本の場合は逆に賢固な鉄筋コンクリート内に
いたほうが安全であることもあるから真逆だ。
それ以前にわたしの意識は、
  揺れ@日本=地震
  揺れ@他国=?
という認識。
いい機会だから改めることにした。
今は、どの国で何があってもおかしくない時代。
ぼ~っと暮らしていたら、瓦礫の下敷きになるやもしれぬとき。
そう。地震という自然現象が
我われに「気づき」を与えてくれる。
地震のときは
なにかをしている最中でも、瞬間なにが
起こっているのか誰もが「今ここ」に集中する。
これが、いわゆるヴィバッサナー瞑想の
真髄であろうと。
右往左往している思考に気づき、目覚め、
今この瞬間に舞い戻る。
それはまるで、地震ですべての行動・思考を
ストップさせられ 全身の五感に意識を
集中している様(さま)に似ている。
なぜ頻繁に地震が、悪天候が、天変地異が
こうも世界中で巻き起こっているのか。
半分気絶しているかのような寝ぼけ眼(まなこ)の
人類に、「目覚めよ!」と問いかけているようだ。
「今ここ」の現実を直視せよ、と。
つまりこの自然現象は、吉兆なのである。
小乗仏教は、「そのこと」を最も重視する。
2600年前からある、ありのままを直視する姿勢。
外的パワーで無理やり目覚めさせられる前に
自己の意思で「今ここ」にいつも居たいものである。
唯一 そこに
輝ける未来がある。
そんなことをつらつらと思いながら
スリランカを後にする。
これから、南インド。
いざ、奇跡の寺院 ティルチェンドゥールへ。
            つづく・・・

輝ける 未来 その2

8年ぶりに降り立つスリランカ。
当時はアーユルヴェーダ三昧の旅。
まさか、そのとき 孤児院視察する
未来の自分など 想像しえなかった。
そのときは奉仕が基本の小乗仏教(テーラワーダ)の国
というより、心身を癒してくれる緑の国という
恩恵を受けに来た。
で、今回の目的は、ヴィバッサナー瞑想
奇しくも仏教国のお正月時期に参上したため
毎日クラッカー音とともに座る日々となった。
毎夕、ナン(尼僧)による清浄なパーリ語の
チャンティング(読経)に聞き惚れ
エネルギッシュな
カッサパ長老によるダルマトーク(説法)に唸り
2ヵ月前に出家したばかりという15歳ほどの
リトル・ナン(小さな尼僧)たちの笑顔に囲まれ
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岩ばかりの山の上に聳え立つ瞑想ルームにて
毎日5~6時間瞑想し
まるでマチュピチュのワイナピチュ山頂を思わせる
かのような面持ちの山頂から朝日を拝む(サンゲイジング)毎日。
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あまりにも透明な空間ゆえか
瞑想で2時間組むパドマアーサナの足は
一向に痛みを覚えず、まるで異次元に放り出されたようだ。
出家したリトル・ナンは、頭髪を剃るとき
この上ない喜びを感じたと話す。
日本の同じ年頃の少女たちは、どうにかしてAKB48の
メンバーになれるかと躍起だというのに・・・
同じ地球上に このような空間・魂が存在すること自体
まだまだこのガイアも捨てたもんじゃないと思えた。
72歳になる長老は世界を巡り、次々と若い修行者をこの山に導き
教えを授けて自国に戻しているのだという。
長野県という田舎に住まう現在といえど
仕事で過ごす大都会の喧騒から少しでも離れたい。
秘境ともいえる山奥での貴重な体験を満喫していると
一切の世俗的思考から解放された魂が
ホッとひと息付いているのを感じる。
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今、この瞬間に生きる
ヴィバッサナーという概念。
これさえ身につけば、ひとはすべての
苦しみから解放される。
「苦しみ」とは、過去を生きていることであり
未来を慮(おもんばか)る生き方から起こる錯覚
に他ならない。
錯覚だと気づいたら、即、今に戻ってくる。
その訓練。
単純だが難しい。
瞑想していると 荒れ狂う思考に呆れる。
思考が悪いわけではない。
生きている限り、思考は必ず生起する。
ただ、それを認識する自己が存在しないことで
その思考に巻き込まれることが厄介だということ
なぜなら思考には必ず「感情」がともない
その感情が知性を阻むからである。
知性が低下した思考で次々と沸き起こる感情では
正しい判断ができなくなる。
これが ひとが不幸になる 負のサイクルだ。
どこかでこのスパイラルを止める必要がある。
◆◇◆◇
午後、ベッドでひと休みしていると、
揺りかごに乗っているかのような感覚が生じた。
天井から吊るされた蚊避けネットも揺らいだ。
ゆっくりと、しかし静かに。
  なんだろう・・・
その後、瞑想ルームに足を運ぶと、
一緒にここに来ている日本の友人が
呟く。
「地震、感じた? スマトラ沖でM7.8だってよ」
  !!!
              つづく・・・

輝ける 未来 その1

目まぐるしい勢いで3月が過ぎ去り
気づいたら今、スリランカにいる。
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わたしにとっては昨年の3.11に匹敵するほど
ここ1ヵ月は変化に富む激動の日々だった。
まさに
「今までの成果が現れるとき」という実感。
4月になったとはいえ寒々しい日が
続いていた日本を抜け、真夏の南インドに。
とその前に、寒くも暑くもない
輝ける島(スリランカ)の中央に位置する
キャンディでちょっとエネルギー補給。
今年からスリランカ航空が日本~スリランカ間の
直行便を運行したと聞き、早速利用してみることにした。
南インドに赴くには直行する便がないため、
東南アジアのどこかで必ずトランジットする必要がある。
どの便を利用してもしかし、13時間以上を要する。
待ち時間によっては15,6時間だ。
空港を降り立ち現地ホテルに入り込めるのは
日本の家を出発してちょうど24時間後という長旅。
スリランカといえば、南インドと目と鼻の先。
小1時間でコロンボからチェンナイに入れる。
今回の直行便は9時間で南アジア圏に
運んでくれるというから嬉しい。
機内は、国内線かと思われるほど狭くて驚いたが
幸い、空席ばかりで中央はほぼガラ空き状態。
徹夜で準備をした身体ゆえ、このガラ空き席にて
睡眠タイムが確保されることに満足。
キャンディに到着した翌日、
孤児院視察をした。
思えば25年前、わたしが初めて支援した子どもは
スリランカの男の子だった。
新聞広告の一面に掲載されていたフォスターペアレント
の制度を知り、即、申し込んだ。
今ではりっぱな大人になっていることだろうと。
今回訪問した場所は仏教徒が運営する小じんまりした
18人の男の子が住まう孤児院。
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    Sarana Sevana Lama Nivasaya
    (Helping Shelter Boys Home)
    男の子たちの避難救援ホーム

79歳になるミセス・ウィマラが流暢な
英語で案内してくれた。
この年齢になっても現役で奉仕活動を
遂行する姿は、日本も同様の仏教徒といえど
頭が下がる思いだ。
否、日本に本当の仏教徒など存在するのかと
この国の信徒に触れると痛感させられる。
                     つづく・・・