ハンク氏魂 変わらぬ態度

  
  是非、次回
  インドにいらした節は、コミュニティーに顔を出してください。
  I would love to have you visit the community
  when you visit India the next time.

バンガロールのカウンセリングセンター 
ASV(アートゥマ・シャクティー・ヴィディヤーラヤ)
からのメールを受け取ったのが、渡印が決まった日だった。
Dale Peacock デール・ピーコックと名乗る
ハンク氏の跡を務めるディレクターから。
ハンク氏本の出版記念セレモニーに出席して以来
実に、4年ぶりの訪問である。
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ASVの本を出版されてから、
ハンク氏の脳細胞が暴走し始めたと知らせを受けた。
ファーザーハンクは、日々の記憶が保てなくなり、
現在、ある施設で過ごしている。
つまり、
このカウンセリングセンターでの陣頭指揮は
今では取れない状態となった。
無理もない。
すでに御年、85歳である。
彼は、80歳すぎても現役で活躍していたのだ。
そろそろ休息期間に入ってもバチは当たらないだろう。
ハンク氏不在のASVは、この4年間で大きく変化した。
メインスタッフは去り、キッズ(患者)たちも大幅に減った。
建物のなかも、ずいぶん様変わりしていたが、
4年前と変わらぬ顔ぶれも多い。
夜中のフライトでバンガロールに着くや否や
まっすぐASVへと向かった。
4年ぶりに赴く所だが、
ガイドはしっかり場所を覚えていた。
夜中、3:30到着。
出迎えてくれたのは経理担当のマンジュー氏。
経理ゆえに、
私とは一番長い付き合いのスタッフだ。
彼からハンク氏の状態とスタッフの状況は
メールで聞き及んでいたが、
対面で報告を受けるのは久しぶりである。
ハンク氏に代わってディレクターが決まるまで
マンジューが私たちの窓口をしてくれていた。
  デール氏と明日お会いするが、どの方だろう?
「何回も会っているから、顔を見ればわかるよ」
と、マンジュー。
「Good Morning!」
朝食を摂っている私に話しかけてきた顔は
よく見慣れた男性、それがデール氏だった。
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今までは擦れ違い様にあいさつするだけで
話したことはなかった。
しかして彼は、一番の古株スタッフである。
  
  まぁ、あなただったの、デール氏とは。
そういえば、彼は
出版記念セレモニーで司会進行をしていた。
彼がいままでの経緯を話し始めた。
「ハンク氏自身が活動しなくなってから、
多くの古株スタッフはここを去っていった。
私のここでの経験は、30年ある。
どこのカウンセリングセンターでも
引く手あまたの存在であることは確かだ。
しかし、私は ここに残る選択をした。
   単に、『そうしたかった』 から。
スタッフはいなくなり、
多くのキッズも退院していった。
途端、どうなったと思う?
そう、
財政難になったことは言うまでもない。
そんな折、
ギビング・ハンズからの支援だけは
いつもと変わらず、継続されてきた。
有り難かった・・・
言葉にならないくらい。
本当に助かった。
だから、ぜひ一度、
会ってお礼が言いたかった。
ありがとう・・・」
聞いていたわたしが
言葉に詰まると、つかさず隣でガイドが口を開いた。
「あなただけが、ここでの本質を知っている。
     つまりハンク氏魂ってヤツを、ね」

この期間、わたしのところに
元ASVのメインスタッフから
新しくカウンセリングセンターを開いたので
ASV同様、支援をお願いできないか、
という
オファーが何度かあった。
既知のスタッフといえども、
基本、まだ視ぬ施設への支援など、わたしはしない。
何人ものキッズがわたしに気が付き、
わたしの名前を呼び話しかけてきた。
月日は流れども、彼らの記憶はしっかりしている。
ファーザーの記憶が遠退いた分、
キッズたちのメモリーには
しっかりファーザーが存在していることだろう。
今後も、そして永遠に。
そして彼が残してくれた本の邦訳が完成した。
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投稿者: givinghands

2007年3月からスタートしました、特定非営利活動法人 ギビング・ハンズ オフィシャル・ブログです。 このブログはおもに、ギビング・ハンズのスタッフや支援者が、インド・ネパールなどへ赴いた際の 活動報告や視察模様などを、写真アルバムを中心にお伝えする目的で作成しました。

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