拠りどころ その4

信仰を持っている人は、精神的な病になりにくいと聞く。
なぜなら 『拠りどころ』 があるから。
それを 『依存』 と呼ぶ人もいる。
では、そう呼ぶ人はどこにも依存していないのかと・・・
子どもは親に
北欧人は福祉に
インド人は宗教に

   では、日本は?
戦前の日本人の拠りどころは、自然神であったり
その象徴である天皇率いる国家でもあった。
しかし、『経済至上主義』を柱に打ち出した戦後の
拠りどころは、ずばり“会社”といえるのではないか。
年功序列、終身雇用。 とりあえず
会社にしがみついてさえいれば、将来は安泰だった。
こんな幻影が崩れ去った今、多くの50代男性が自ら命を
絶っていく。また、会社は “拠りどころ” にはならないと
醒めきった若者は、次々と撤退(脱落ではなく)していく。
それを自己逃避だと言われる。
北欧での福祉制度が女性の自立を助ける反面、
離婚率の増加に拍車をかけている。
インドの廃れきった政治土壌が、国民同士の
助け “愛” を生みだしている。
日本の経済至上主義が、若者たちの「いらない族」を作り出し、
かえってモノが売れなくなっている。

こんなパラドックスをみると、なにが善いのか悪いか
まったく判断できなくなる。
モノゴトの一面だけでは見えない、社会のしくみと本質。
すべては表裏一体。
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『拠りどころ』とは、鳥の止まり木のようなもの。
本来 立ち寄り処であるはずなのに、拠りかかりっぱなし
だと、かえって弊害が生じる。
いざ木が折れたとき、いったいどうするというのか。
日本人はワーカーホリック(仕事中毒)といわれているが、
それは、会社信仰が成立したうえでのこと。
そうなくなりつつある昨今、なんらかの価値観をシフト
しなければ、その狭間で犠牲者となってしまう。
濁流に飲まれて流されるか、この変化にのって
大転換できるか、二極に分かれる時代がきたようだ。
それには、常に 『手段と目的』 を履き違えないよう、
しっかりと意識するしかなそうだ。
チェティ博士率いるインド人とスウェーデン人。
ともに学ぶべき友に囲まれた楽しい夕食は、
今後もしばらく続くようだ。
                           Fin

投稿者: givinghands

2007年3月からスタートしました、特定非営利活動法人 ギビング・ハンズ オフィシャル・ブログです。 このブログはおもに、ギビング・ハンズのスタッフや支援者が、インド・ネパールなどへ赴いた際の 活動報告や視察模様などを、写真アルバムを中心にお伝えする目的で作成しました。

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