FreeMeal

フリーミールとは?

途上国の恵まれない子どもたちに、
無償(フリー)で食事(ミール)を施すこと。

フリーミール(free meal)は、インドで行います。

インド人の「支援」は、金銭的なものより、物質的な寄付が一般的。
なぜなら「金銭寄付」は、渡された方(施設)がお金を有効に使うか分からないためです。

食べることは、生命維持に不可欠なもの。
「食事を無償」で提供することは、基本的な支援活動となります。
また、インドは信仰国なので、人々の精神的向上も願って行なわれます。

食事をする少年
「喜びのおすそ分け」、ひとり300円の「振る舞い」です。
「喜びのおすそ分け」、ひとり300円の「振る舞い」です。
フリーミールは、みなが潤う「循環システム」です。
インドの子どもたちの「ありがとう」

どこで、誰が施すの?

Where: 南インド タミールナドゥ州 

Who: 

Japan: NPO法人 ギビング・ハンズ 

India: フリーミール隊長 Mr.Manimaran ミスター・マニマラン

サンキューと掲げる少女
フリーミール活動のキーマン、マニ氏

教員時代に得たコネクションを利用し、彼特有の誠実さで教育現場でのネットワークを築き、教育委員会と話しをつけ貧困地域の学校や施設100箇所以上を「施しの場」として確保しています。毎日実施したとして各施設に3ヵ月に1度の周期で施せるシステムです。

定期的にチェックし、
安心してもらえるための努力もしています

わたしの定期的な訪印時に、寄付金は直接彼に手渡します。
また有効に使われているかチェックし、現場で撮影もします。

渡印時にわたし自身もフリーミールに参加して食事内容を確認し、直接子どもたちの感想や教師たちの意見を聞きます。

実際、日本でフリーミールを依頼される方に聞いてみると、「きちんと寄付金が使われていることが写真つきで報告されるので、ギビング・ハンズには安心して寄付ができる」という感想が寄せられています。

まさに【目で視える寄付】の実感です。

なぜ?

  • アンナ・ダン ~無償の食事~ その1

  • アンナ・ダン ~無償の食事~ その2

  • ヴェーダ聖典におけるアンナ・ダン

  • フリーミール インド的な意味合い

カレー
アンナ・ダン 〜無償の食事〜

アンナ・ダン ~無償の食事~ その1

 高貴な者たちは皆、豪華な家から出てきて、ゴータマ・ブッダの謁見を待ちわびていました。ブッダは長年にわたり行ってきた超越的な瞑想を終え、弟子たちと共に奥深い森からまもなく街へやってくるところでした。皆、生花や新鮮な果物、ハチミツ、穀物、野菜を入れた金、銀、宝石が散りばめられた高価な器を手にし、そのマナ(本来は神々から与えられる食物だが、ここではそれと同等に素晴らしい、神々に供養する食事という意味)からの芳香(アロマ)が街中に広がっていました。「アジアの光 -ブッダ―」の足が穏やかに通りに触れる姿を見ると、瞬きをするのも忘れてしまうほど、全員の目が完全に釘付けになりました。

Buddham Saranam Gacchami
Dhamman Saranam Gacchami
Sangam Saranam Gacchami

 マントラ(御真言)が聞こえてくると皆、宙を舞っていました。それは、優しい詩(うた)が骨まで染み込んだ弟子の魂の奥底から聞こえてくるものでした。ジョーティ(光 ブッダ)がビクシャ(慈善家を意味するが、ここでは厳しい苦行を終え森からやって来た聖人に施される食事のことを表す)を受け取りに自分たちの家にいらっしゃると期待していました。しかしゴータマ・ブッダは優しく微笑みながら一軒、二軒、三軒とすべての家を通り過ぎ、弟子たちも心を込めてマントラ(御真言)を吟じて静かについて行きました。高貴な者たちは器を持ち、用意したビクシャ(苦行を終えた聖人に施す食事)をジョーティ(光)が受け取ってくれることを待ち望み、全員静かにジョーティ(光)の後に従いました。

 ブッダはどんどん進み、高貴な者たちはその後を追い、ついに町から出て川岸にたどり着きました。そこには小さな小屋で暮らす洗濯係の一族がいたのです。そこに訪れたことがない高貴な者たちは、ブッダの後に続き少し距離を置いて立っていました。美味しいマナを入れた器を持ちながら、小屋の貧しさと荒れた環境を見たブッダが自分たちの方に振り向いてくれることを期待していました。

 すると、貴族たちの私服や法服の洗濯を終え、貧しい洗濯夫たちが川から戻ってきました。小屋の集落へ帰ると、神々しいブッダが待っていたのです。すると、弟子と共にビクシャを待っていたブッダに対し、自分たちは何を供養すればいいのかと不安になり、言葉も出なくなってしまいまいた。高貴な者たちが持っている器を見ると、貧しい彼らは尻込みして、家にある味気のない料理(お水と付け合せの青唐辛子とたまねぎだけの昨晩の食事)を供養するかどうかを話し始めました。すると一人のおばあさんが玉ねぎ2個と青唐辛子を入れた土の器を持って小屋から出てきました。

 「あなたや最愛のお弟子さんのような賢人の方々にビクシャを供養できることはありがたいことですが、手持ちのものしかご提供できません。どうかお納めください」とおばあさんは言いました。

 「単なる行為からではなく、心からのビクシャをいただき光栄です」とブッダはおばあさんに言いました。弟子たちも洗濯夫一族からビクシャを受け取りました。弟子たちの方にゆっくり向き直るとブッダはこう言いました。

「まずは空腹の者に食事を与えること、それから彼らに説法しなさい。食事が優先で説法はその後です」

 それから、高貴な者をじっと見つめて言いました。

 「あなたたちは皆、裕福で莫大な財産、必要以上の贅沢、あふれた食料を手に入れています。おいしい食事を提供してもらい、宮殿にはたくさんのものがありますが、洗濯夫の貧しい一族をご覧なさい。お鍋が空でも、食べることを忘れてでも、ビクシャを我々に提供してくれるのです。これはまさに我々が必要としていることなのです。

 あなたたちの私服や高価な法服を洗うことで彼らの所業を洗い流し、食料がなくても我々の為に捧げてくれるのです。私はビクシャを受け入れることで彼らの所業(カルマ)を洗い流すためにここに来たのです」

 そして、ブッダは更に言いました。

 「たとえお礼を言われなくても、空腹の者に食事を与えなさい。そのような空腹を満たす行為は間違いなくあなた方を最善の道へと導くでしょう。貧しい者に食事を提供することは、あなた方の運命をも変える力を持つということです。これこそがあなた方の所業を洗い流す方法なのです

 ブッダは更に続けました。

 「あなた方が貧しい者たちに食料を与え、所業を取り除き、純潔となった時に再びあなた方のビクシャを受け取りに来ます」

 ブッダの言葉の真意を理解した高貴な者たちは、自分たちに微笑んでいる神を見つめました。

 洗濯夫たちは涙を浮かべ、無条件にブッダの足元にひれ伏し礼拝しました。

 ブッダもまた、高貴な者たちが貧しい者たちに食事を提供すことで、彼ら(高貴な者)の所業を洗い流し、純潔になれるよう幸福を祈りました。

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アンナ・ダン 〜無償の食事〜

アンナ・ダン ~無償の食事~ その2

 すべての王、首領、大臣、修道会の指導者、すなわち国の指導者、そして兵士や宮殿の使用人、警備員、護衛、職人や帝国民は、ゴータマ・ブッダのダルシャン(沈黙の謁見)を受けるため、宮殿内と外の通りに集合しました。マガダ国の皇帝、ビンビサーラ王は宮殿の正門に立ち、豪華な法服、笏、王冠、剣など身に着けず、非常に質素な衣服を纏(まと)い、お妃と共にその時を待っていました。ブッダがまもなく宮殿に到着するとういう連絡を受けると、宮殿から遠く離れた人たちもブッダのダルシャンを請いやって来ました。

 クジャクの美しい羽が舞っているかのごとく、トリ・マントラ(3つの理念という意味だが、ここでは「私はブッダに帰依致します」ということば)が耳へと、そして心の奥へ響き渡り、それに合わせブッダが宮殿にやってきました。正門では「動く神聖なるブッダ」に対し、ビンビサーラ王が敬意を表してひざまづき温かく出迎え、そして宮殿へとお連れしました。宮殿内の人、通りや廊下、上層階級の人など大勢の群衆が、美しく穏やかでとても優しいブッダの微笑みを見つめ、そっと手を振りました。

 ブッダは中へと入りビンビサーラ王がまずダルバーホール(宮殿の中にある大きなホールで、王様または皇帝が大臣や役人等と問題を解決するための話し合いの場として使っていた)へ案内しました。見事な装飾が施された荘厳なダルバーホールに続き、様々なホールへと案内し、そして食堂にたどり着きました。金の象牙製のテーブルには美味しそうな料理がずらりと並び、お妃の指示の下たくさんの使用人が料理を出すために待機していました。

 テーブルの近くには、清涼を保つためにクジャクの羽の扇子を持ちながら女中がそれぞれ立っていました。ブッダが到着すると次々と美味しそうな料理が運ばれ、王様とお妃が、ブッダに少しだけ味わって祈りを捧げてくださるようお願いしました。豪華な食卓を目の前にしてブッダはこう言ったのです。

 「ビンビサーラ王、宮殿の中で一番美しい場所へぜひ案内してください」

王は大変驚いて言いました。

「宮殿の美しい場所へはもうほとんどご案内しました。デーヴァデーヴァ(神よ)、どちらにお連れしたらよろしいでしょうか」

「ではお庭へ」と微笑みを浮かべて答えました。

「庭は広すぎて歩くのに大変時間がかかります。デーヴァデーヴァ(神よ)、柔らかい足を痛めてしまうのではないかと心配です」

「苦楽は同じことの表裏なのです」とブッダは優しく告げました。

「デーヴァデーヴァ(神よ)、どうか少しでも召し上がってください。それから参りましょう」と王が懇願しました。

「まず美しい場所を見てからにしましょう」とブッダは返しました。

 心地よい風に誘われ、花のよい香りを浴びながら、やむを得ずブッダを連れて行くことにしました。青々とした美しい草地、植物、木々、つるを見せながら色々と説明し、ブッダはその話をにこやかに聞いていました。そうしているうちに庭の隅にたどり着きました。そこで目にしたのは、ある小さな小屋の外で、子どものない年老いてよろよろした未亡人が薪のかまどを使い、土鍋でお粥を作っているところでした。

「どなたですか」とブッダが王に尋ねると、

「彼女は私の大切な、そして立派な方です」と、王はこの老婆の話を始めました。「実は、宮殿の庭を拡張しようとした時、周囲の家々の立ち退きを命じました。町に立派な家を提供し、皆それに応じてくれましたが、この方は小屋を出て行くことを拒んだのです。多世代にわたりここに住み続け、先祖が守り続けたこの場所で自分も一生を終えたいと、デーヴァデーヴァ(神よ)、そのように私に話したのです」

「権力や武力を行使せずこの未亡人を宮殿の庭に住み続けることを許可した、この場所こそ私が見たかった一番美しい場所です」

と嬉しそうな表情でブッダは言いました。

お妃と付き添いの者たちは皆、小屋から離れた所にいましたが、小屋の近くにいる王とブッダのことを、老婆は全く認識することができませんでした。眉上に右手を当て何とかわかろうとしましたが、やはり視力低下により見えず、2人が誰なのか、まったくわかりませんでした。

彼女は、2人のアティティス(通行人、来客)が町の裕福な家ではなく自分のところへわざわざやって来たと思い、大変喜び一緒に食事をするようアティティス(王とブッダ)に心からお願いしました。ブッダがじっと微笑みながら待っているので、王もブッダと待つことしかできませんでした。彼女の夫は、帝国を守るために戦争で勇敢に戦い、王のために命をかけました。その名誉を称え、そして王の寛大な心により、今までと変わらず彼女をこの地に永住させることになったのです。ブッダは草地に座っていましたが、傍らにいる王の目から涙がこぼれ落ちるのがわかりました。お粥を作り終えた老婆は、

「さあ、アティティス(お客様)、顔と手を洗ってお粥を食べましょう」

と言いました。

「そうですね、あなたと一緒に食事を頂けて光栄です」とブッダが返しました。

老婆は2人にお粥を運ぶと、ブッダは大いに喜んで少しずつ味わいました。王もそれに続きました。

「宮殿でこんなにおいしい料理を食べたことはありますか?」

とブッダが王に尋ねると、

「いいえ、一度もありません。デーヴァデーヴァ(神よ)」と答えました。

「食料を誰かと分け合うことこそ真の喜びなのです。しかし理解してほしいのは、私たちが持っている過剰なものを分け合うということではありません。

たとえ少ししかなくてもそれを分け合うのです」

とブッダは王に伝え、さらに続けてこう言いました。

「量の問題ではなく、分け合うのに必要なことは慈悲深い心をもつということなのです」

王はお粥を味わいながら納得しました。ブッダは嬉しくなり王に言いました。

「彼女を済度することが目的でここに来ました。そしてお粥を共有しました」

 お粥を分け合うことで、老婆は救済されたのです。当然、我々にもそのような(食事を分け合う)機会があるということです。

 多かれ少なかれ、できるだけ定期的に分け合うことにより、物質的、精神的に我々の進歩をさえぎる罪(カルマ)を洗い流してくれるでしょう。

皆さんは、結婚できるか、よい仕事が来るか、子どもが授かるか、よい教育が受けられるか、商売の発展の有無、様々な病気や痛み、結婚生活における苦労、そしてこれ以外の様々な問題を抱えていませんか?

空腹の者に食事を供給するという、非常に単純ですが有力な方法を取ることで、必ずやこのような問題から解放されるのです。

子どもというのは、プライドや偏見がなく、仕返しや差別など決してしません。まるで神のような存在なのです。よって、子どもたちに食事を提供することは神々に食事を供養することと同じ意味なのです。

親愛なる献身者の皆さん、「ギビング・ハンズ」のようにあなた方の手で奇跡と驚異を起こしてください。

すべての皆さんに感謝します。

アンナ・ダン 〜無償の食事〜

ヴェーダ聖典におけるアンナ・ダン

あらゆる奉仕と寄付においてアンナ・ダン(フリーミール)が最も徳のある行いです。お金や物資を与えることで貧しい人の生活スタイルを改善させることはできます。しかしそれ以上に、食事を提供するということは生きていく命を与えることができるのです。

飢えは我慢できるものではなく、直ちに満足させなくてはなりません。従って、かつてのブッダの言葉、「まず先に食事を与え、説教はその後に」となるわけです。飢えは善人を悪人に変えてしまいます。
アンナ・ダンは罪を洗い流すには最善の手段であり、食事を分け合うという行為は命を分け合うことにつながります。

アンナ・ダンは命を守る、すなわちJeevan(生きる)という意味で知られています。子どもに食事を与えることは、神に食事を供養する行為に等しく、人それぞれがもつ慈悲深い愛を表す素晴らしい意思表示なのです。

食事は、苦痛から喜びへ、悪から善へと変える力があります。そしてそれは、蓄えようとすると食料に限らず人の気持ちまで腐敗させることになり、逆に、お腹を空かせた子どもと食事を分け合えば、幸せが広がります。

祭事や儀式などのお祝い事に食事の提供は欠かせないものです。そして人は、食事以外のものでは「満足感」は得られません。人を満足させるのに最も簡易的な手段は食事を分け合うことです。

ヴェーダ聖典に、「空っぽの腹はHoma Kuntam(ホーマの火が燃えている窯)であり、食事は奉納物です。よって貧しい人に食事を施すことはすなわちホーマを行って恩恵を受けることにつながる」という記述があります。

食事を楽しむインドの女の子
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フリーミールを待つ子どもたち

 ヴェーダでは貧しい人、特に神々しく邪悪なものがない子どもに食事を与えることが最高の行いであることが強調して述べられています。

Annadanam Samam Danam Trilokeshu Na Vidhathe

アンナ・ダン(フリーミール)は地球上、そして悪魔がいる下界、神がいる天上界において他に超越するものがないほど、寄付を行う上で極めて崇高なものだと言えます。

 Gaja turaga Sahasram Gokulam koti danam Kanaka Rajatha patram Methini sagarantham Upaya kula vishuttam Koti kanya pradanam Nahi nahi bahu danam Annadanam samanam

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フリーミール(インド的な意味合い)

フリーミール インド的な意味合い

持ちつ持たれつ皆が幸福になるプロジェクト

インドではフリーミールが当たり前の文化です。星の替わり目(運気の境目)や記念日には他者に「振る舞う」習慣があり、施される側もその意味を理解しています。

どういうことかと言うと、食事を施される理由を知る子どもたちは、「振る舞われ役」をしっかりこなします。

彼らは確かに貧しく、あなたが提供する食事は年1回あるかないかの結婚式メニュー同様の「ご馳走」です。

どんなに小さい子どもでもその役割をまっとうすべく、お腹がはち切れんばかりに食事を平らげます。

さらに手配役のインド人スタッフは「振る舞う側(日本人)」と「施される側(子ども)」の意図を与(くみ)し、シネマ監督さながら任務をこなします。

特に、太陽※が生まれた瞬間と同じ天体に配される誕生日は、魂のリセット日として重要な「替わり目」。インドでの「バースデー@フリーミール」は、どの家庭でも最優先される行事のひとつです。

※占星学的に「太陽」は「魂」を表す

このようにフリーミールは、あなたと子どもは対等であり、貸し借りなしの心地よい関係、つまり「持ちつ持たれつ」プロジェクトです。

フリーミールで提供した食事の配膳風景
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フリーミール(インド的な意味合い)

Giving Hands 子どもたちに 未来への扉を…