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アートゥマ・シャクティ・ヴィダヤーラヤ(南インド・バンガロール カウンセリング・センター)



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ASVは、国際的なサイコセラピストたちのグループによって、カナダ人の キリスト教 神父ハンク・ナン(Fr. Hank Nunn)氏をリーダーとして1979年バンガロールに創設された、 精神的障がいをかかえる方のための施設です。

 

もともとは1960年代に交流分析を開発したカナダ人 のエリック・バーン(Erik Berne)氏の下、米国で働いていたソーシャル・ワーカーの女性が統合失調症 の男の子を彼女の家に引き取ったところからはじまりました。


彼女は、家族のようなコミュニティ単位の 中で患者を生活させることで、確実に社会に適応できるようになっていくことを発見していきました。

施設名であるアートゥマ・シャクティ(Athma Shakti)とは、 スピリット・パワー(Spirit Power)内なる精神の力、いわゆる “自然治癒力”のことで、ヴィダヤーラヤ(Vidyalaya)はスクール(School)学校のことです。 つまり、ここでは、トラウマ(おもに親による)・精神障がい(統合失調症・強迫神経症・躁うつ病・うつ病)、 無関心・無気力等の克服を、ホリスティック心理療法である自己の内的な力を使って治療していく リハビリ・センターです。

ここは、男女計25人の患者がリーダーのファーザー・ハンク氏と生活をともにし、17人のセラピストたちと毎日を過ごすコミュニティでもあります。吹き抜けの明るく開放された施設の中では、誰が先生で誰が生徒(患者)か区別がつかないほど、セラピストたちは患者の中に自然に溶け込んでいます。

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施設ホームページへ(英語) アートゥマ・シャクティ・ヴィダヤーラヤそこではグループ・カンセリングを中心とした欧米精神科のセラピーが施され、ベースにはキリスト教の奉仕精神のケアのもと、アートゥマ・シャクティ(ヨーガの用語)という施設名の通り、朝はファーザー・ハンク氏指導のヨーガ・レッスンから1日のメニューがはじまります。

心はクリスチャニティの博愛、テクニックは最先端の欧米セラピー、それを活かす根本パワーは東洋的原理(アートゥマ・シャクティ)を用いるという、論理的かつ現実的な方法を取り入れている非常にユニークな治療施設です。

ここは全国でも名高く、毎週2件の入寮申込があるようですが、すべての人をキメ細かくケアできるのは25人が限度ということで、それ以上は増やさない方針です。

ひとつの成功例として、統合失調症を患い数年間ここで治療を受けていた女性が、今では生きる希望が見つかり学校の先生として活躍している、という輝かしい体験談があります。
だいたい平均1.5年~2年間の治療で、薬を一切使わずに患者はこの施設を卒業し社会復帰していくようです。何年も精神的苦しみを患っている方からみると、その治癒のスピードは目覚しいものであり、非常に理想的なカウンセリング・センターといえるでしょう。

このように、深刻な精神疾患にある若者向け精神療法のリハビリにおけるASVの成功は、ヨーロッパや北アメリカ、アジアにわたる精神系の専門家たちの大きな興味を引き起こしているようです。

ベースに“博愛”精神があり、その上に西洋と東洋のメソッドがうまく融合されているので、欧米諸国やアジア方面から注目を浴びているのもうなずけます。だから、多くの欧米からの若者たちがボランティアとしてこの施設にやってくる姿が見られます。

ここでの毎月の治療費は患者の家族が負担していますが、それ以外は世界中から集まる寄付によって成り立っています。しかし、長期的にみると支払い者がいなくなったときにその患者をどうするかが当面の課題のようです。

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ナヴァグラハ・オーファネッジ・ケア・ホーム(南インド ポンディチェリー 孤児院)

Navagraha Orhanege Care Home / Podicherry

 

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Nocome・Trust(ノコム・トラスト)は、インド東海岸タミル・ナドゥ州隣接地域に位置するポンディチェリー連邦直轄地域の首府であり、元フランスの植民地であるポンディチェリーに位置する。

 

 

正式名はナヴァグラハ・オーファネッジ・ケア・ホーム(Navagraha Orhanege Care Home)~9惑星の孤児院~を略したものです。また、ノコムとはタミール語で「目的」。

 

 

40歳を迎えたばかりの創始者シャクティヴェル氏が、34歳だったときに始めました。現在では40人の恵まれない子どもと、30人の障がいを持つ老人や身寄りのない老人のケアを、夫婦二人とアシスタント一人で看ています。

 

彼は言います。「当時のわたしは自殺を考えていて、場所を選ぶためと最後のご挨拶に、ある聖者のアシュラムを訪ねました」。

 

これが彼の孤児院創設物語のはじまりです。

 

彼の幼少期、父親が毒蛇に噛まれたことで働くことができず、子どもに十分な教育を受けさせられなかったことで、彼は満足のいく仕事もなく、何もかもがうまくいっていなかったと振り返っていました。当時30歳を過ぎた独身の彼には、すべてが空しく、まるで麻薬中毒患者のように、毎日 『死ぬこと』ばかりを貪っていたようです。


そんなとき、いつも行っているアシュラムに座し、最後の瞑(迷)想にふけったちょうどその時、どこからともなく、

 

死ぬほど身を捨てられるのなら、なぜその身体を他のために捨てよう(役に立とう)と思わないのか?

 

という、聖者の言葉が聴こえてきたそうです。その瞬間、彼の意識はチェンジしました。

 

「自分も父親の不健康のために大変な思いをしてきたのだから、自分と同じ境遇の子どもに同じ思いはさせたくない。であれば、その子たちのためのケア・ホームを興そう」

 


そう思った彼は、人が変わったように目的意識をもち、人伝えで危険にさらされている、または親のいない子どもを集めました。その間、2人の子どもを抱えた夫のない女性と出会い結婚もしました。その女性との間にひとりの子を儲け、3人の子どもと孤児たち合計40人と、今では一緒に暮らしています。

 

ワララール・ラーマリンガ・スワミガル 聖者を信奉する彼は、聖者の銅像をホームの中心に置いています。貧しい人びとに常に食事を施していた聖者は、「いつ、いかなる時に誰が訪れても食事の用意ができるように」と、カマドから火を絶やさなかったといいますが、その同じ方法で、彼の施設のカマドにも赤く燃えた炭が置かれています。

 

生存中のスワミは、デーパム(灯明)を灯すとき、ギー(もしくは油)ではなく、水を注いでいたそうです。火(食事)を他に施していたから、その因果で、たとえ水でも火が灯った(授かった)ということです。

 

子どもたちの生い立ちは、聞くとどれも厳しい。結婚前に赤ちゃんが出来てしまい、遠くの町から子を産み落としに来る母から生まれた子どもたち。両親ともに再婚し、置き去りにされた子どもたち。

 

上記のケースや貧困や病気、親の虐待などは日本の児童福祉施設でもよく聞く話です。しかし、スマトラ沖の津波で両親を失った子どもたち。他の孤児院に預けられたが、そこは寄付金だけ集め、子どもたちに一週間も食事を与えず、しまいには持ち逃げされ、そこに残された子どもたち。里親になるからと子どもを引き取り、手足を折られ、目をくり貫かれ、障がい者に仕立てられてから稼ぎに出される子どもたち。

 

どれも日本では聞かない話です。「子どもたち」としたのは、たいてい兄弟姉妹で引き取られるケースが少なくないから。

 

以前、フランス領だっただけに、この地域に住む外国人は少なくありません。わたしと会ったとき彼は、英語のパンフレットを常に持参していたので、外国支援者が多いのかと思いました。しかし、教育を十分受けていない理事長には、メールのやり取りはもちろん、パンフレットひとつ作るにも語学協力者が必要です。実際6年経つ現実は、外国の支援者はわたしが初めてで、スポンサー制度を開始するのも、初めてのことだと聞きます。

 

しかし、理事長の「子どもたちを助けたい」という真摯な想いは、学歴や知識、国境をも越える、とてつもないパワーをもたらすのだと、彼を見ていて痛感しました。

 

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アシャ・ディープ・ファウンデーション(北インド・UP州)

ADF施設訪問レポートが届きました (You tube)


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アシャ・ディープ・ファウンデーション

 

ADFは、南インド出身のキリスト教神父、ファーザー・ラジャモニー(Rev. A. R Rajamoney)氏がはじめた 慈善活動の施設で、デリーとウッタル・プラディッシュ州の境シャヒドゥ・ナガールに位置しています。 この地域はもともと州境だけに両地区から野放しにされていたところです。 ここに30年ほど前から多くのムスリム(イスラム教徒)たちが違法的に住みはじめ、 今では3万とも5万人ともいわれる人々が暮らす巨大なコミュニティとなっています。 しかしその実態はスラム街と化し、あたりはゴミだらけで、学校に通えない子どもたちの おもな仕事が『クズ拾い』として成り立っているのが現状です。

そして、法的に認められないまま建てられた住居にどんどん人々が移り住み、 時の政治家たちが“票”稼ぎのために電気・水道などのインフラ設備を整えたことによって、 事実上の定住地となりました。 しかし、その後の環境整備は両地区の自治体が見て見ぬふりをしているため、 道路状況は極めて劣悪で、雨が降ると道はまるで湖のようになり、わずか10m先すら進めない状態となります。

住民の多くはムスリム(イスラム教徒)なので、その人口増加率は目を見張るばかりに増え続けています。 一世帯当たり最低5人の子どもを有し、多いところだと15人もの子どもがいると報告されています。 そして深刻なことに経済的不安定から、子どもに十分な教育を受けさせられない家庭がほとんどです。

それらの環境の中で約30年前から開始したこの慈善活動は、ヨーロッパから多くの支援を受けて、 貧しいスラム街の子どもたちの教育支援、身寄りのない子どもたちの避難場所と衣・食・教育の提供、 女性の自立支援や貧しい地域農家への有機農法指導など、多くのプログラムが遂行されています。

アシャ・ディープの意味は、『希望と光』です。その名前に忠実であるように、 どの人も人間としての可能性を最大限発揮し豊かになれるという哲学が、プログラムや組織活動を支えています。

ADFで取り組んでいる人材開発プログラムや、社会福祉に関心ある若者に無料でトレーニングを受けさせ、 各地域に戻ってもそれらが活かせられるよう支援するという、社会福祉活動に携わる人材を育てる プログラムは、非常に充実したプロジェクトとなっています。

ADFは、世界最大の福祉国家であるスウェーデンNGOからの支援割合が大きいのですが、 毎年3~4ヶ月間にわたりスウェーデンの社会福祉士や教師たちがボランティアでこの施設に滞在しています。 彼らは直接子どもと接することよりも、この施設の職員に対して教育することが多いようです。

ADF最高責任者である理事長のジョーティ女史は、ご自身の2人の小さなお子さんの 面倒を見ながら定期的に全国の大会や会議に出かけて社会福祉活動に携わっています。 また多くの外国にも赴き見聞を広げている、とてもエネルギッシュな方です。 そしてイギリスのチャールズ皇太子にもお声をかけ、施設訪問にいらしていただく要請をしてしまうほど、 非常に積極的かつ前向きな慈善活動家です。

ギビング・ハンズでは、ここに住む多くの身寄りのない子どもや、 貧しいスラム街の子どもたちの中から1人をチャイルド・サポーティングという形で日本のサポーター (支援者)に担当していただき、手紙と写真のやりとりをしながら彼らの生活全般、 教育への支援を行っています。また、特定の子どもは担当しませんが、スラム街で『クズ拾い』 として働く子どもたちの生活改善や、地域の環境衛生や医療制度の整備、老人たちのケアなど地域開発 プロジェクトの支援も同時に行っています。

2007年8月には、日本から6人の支援者が施設を訪問し、 子どもたちとの対面が行われました。ヒンドゥー語と日本語という会話言語が違えども、 遠く離れた親子が対面するような、温かいものが感じられました。

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グレート・コンパッション・ボーディング・スクール(ネパール・上ムスタン)


(全寮制学校)

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グレート・コンパッション・ボーディング・スクール

GCBSは、上ムスタンの子どもたちに良質の教育を提供する全寮制学校で、 ネパールの文部省HMGに登録されています。GCBS はムスタン出身のチベッタン僧侶 ラマ・ガワン・クンガ・ビスタ(Ngawang Kunga Bista)氏により2000年に創立されました。

ムスタンの人々はチベット語を言語とする仏教徒です。ラマは、若者たちにチベット語や チベットの文化的価値や英語を無料で教えるために、2000年5月に夜学の Tsechen Tharpaling Instituteを創設しましたが、人々の強い要望があり、 同年寄宿学校のGreat Compassion Boarding School (GCBS)を創設しました。 GCBSでは、年齢、人種、宗教、家系やカーストの違いで差別をすることなく平等に 勉学の機会が与えられており、子どもたちが道徳的には公正な人に、社会的には責任感があり 社会に貢献する人になることを目標としています。

日本の友人から紹介されたネパール在住のチベッタン・ラマと、 カトマンドゥのホテルで初めてお会いしたときの印象は、僧侶衣を着ていなければ、 とても聡明な青年というイメージでした。

ラマは5歳から僧院でモンク(修行者)生活を送っている、 『三つ子の魂、百までも』を地でいく僧侶です。数年前から僧院を離れ、 ひとり世界中を旅して西欧人を対象に『砂曼荼羅』を描きながら、 チベット仏教の一部を伝え歩いています。

このデモンストレーションで得た寄付金で、自国の子どもたちのために学校(GCBS)をつくり、 教育を受けられない貧しい子どもたちを無料で学校に通わせています。その学校維持費の捻出と、 準備不足でまだ受け入れられない子どもたちが列をなしているため、 早く多くの資金を集めることが当面の課題だと力説しています。

ラマ自身この活動をスタートさせるに当たって、相当な覚悟だったといいます。 まず自己の修行者生活を犠牲にしなければならないこと。 西欧人と触れあうことが修行で培った清らかな状態をキープしづらくすること。 子どもたちを一旦受け入れるからには、継続的責務が生じ、ひたすら世界中を訪問し続けるという 任務を果たさなければならないからです。

しかし、ラマは単に貧しい子どもたちに教育のチャンスを提供したいということだけで始めた活動ではなく、 これらのことを遥かに超える“使命感”があったのです。

学校を創設したラマの故郷でもあるムスタンという地域は、空路で一番近いジョムソン空港から馬か 徒歩だと5日間かかる、相当辺鄙な標高4000m級の高地にあります。以前は独立したチベット圏王国であり、 ネパールに吸収された今でもここでは独立した王様がいるのです。ダライ・ラマ法王がチベット自治区という インドのダラムシャラーにおいてチベット文化を守っているように、ここネパールにも多くの チベット難民が中国から逃れてきていると聞きます。

ムスタンがどのようにしてネパールの属国となったか詳しくはわかりませんが、 チベット人としてムスタンに住んでいる子どもたちに対して、ネパール政府から教育制度は提供されている ものの、それはヒンドゥー文化に基づくネパール語による教育なのです。ネパールの教育制度の下に置かれた 子どもたちは母国語を忘れかけ、これが文化的価値の衰退を招いているのです。このような現状を、 ラマは自分だけ守られた文化圏内の僧院でぬくぬくと修行していることに疑問を感じ、 そのまま黙って見てはいられなかったようです。

また、幼い頃から僧侶になるため僧院に送られる子どもたちはチベット語で教育が受けられますが、 修行生活に必要最低限の教育だけで、英語などの他言語を学ぶことが昔は難しかったといいます。 このラマはインドに渡って自力で英語を学んだ経験がありますが、そのときの大変さを身にしみて感じているようです。また、ほとんどの修行者は物心つかない年齢で僧院入りするため、中には修行よりも機械いじりが好きだったり、他の特性に気づいて将来の修行生活に不安を感じている者も少なくないようです。

なぜなら、もし修行者が将来自己の進むべき道が僧侶ではなく別の道があるの ではないかと気づいたとしても、現実生活で生きていける基本的知識が極めて薄いからです。 つまり修行生活以外『つぶしが利かない』ということになります。

また、ラマには、『修行者は僧院の中で瞑想したりマントラを唱えて慈悲の心を願うだけでなく、 もっと外に出て現実の場で人類の救済をするべきである』という持論があります。 しかし、現実はこのラマの意見に賛同し、慈善活動に協力してくれる仲間の僧侶は今のところ少ないそうです。 むろんダライ・ラマ法王はこの活動を承認・応援してくださっているようですが、 法王からの援助は一切受けていないと聞いています。法王はもっと世界の広範囲でやらなければならない ことがたくさんある方なので、自分ができることは最大限自分自身でやりたいと主張していました。

学校の名前であるGreat Compassion Boarding Schoolとは、“ 大いなる慈悲の寄宿学校”です。その名はラマの心意気そのものを反映しています。 なぜ寄宿学校なのかは、遠くから通うのが大変ということもありますが、 一番は多くの教育を受けていない親元に子どもたちを戻さないことで、教 育に対する親からの否定的影響を受けにくくするためなのです。

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シュリ・パドマ・プラカッシュ・セコンダリー・スクール(ネパール・ダパケール村)


(公立学校)
シュリ・パドマ・プラカッシュ・セコンダリー・スクール

この学校は村にある寺院の集会場を開放して職員室にしている、 校舎自体も非常に小さな公立学校です。もともとは国立小学校だったのが、 小学校を卒業した子どもたちが次の中学校に行くあてがなく、見かねた村長さんが尽力し 小・中学生が通える公立学校にしました。公立学校といえども校舎が小さく、教室に20人ほどの 生徒しか入れません。ネパールでは生徒40人に対して教員1人分の公務員給料が国から支給される 規則なので、20人の生徒に1人の教員給料はまかなえません。だからここでは、校長先生の給料 を分割したり村民の寄付によって他の教員の給料分を補っているのです。ここでは村の貧しい子どもたちが、 教室の小さな机にぎっしり座り授業を受けています。通りを越えたすぐ向こう側には、 裕福な世帯の子どもたちが通う私立学校がこの校庭から見え、 その立派な校舎との違いに驚かされます。

この村出身のネパール人から紹介されたこの学校は、日本人からの援助をすでに受けています。 その日本人から預かった支援金を銀行にプールしておき、そこから生ずる利息分を村の子どもたちの 奨学金に充てているのです。そして、年1回支援者(日本人)が学校訪問されたとき、 その年に奨学金制度で学校に通うことができた子どもたちとその親御さん、 そして学校職員や村の役員らを一同に会して会計監査を行うのです。 これは、寄付する側はもちろん、恩恵を受ける側の親子、 それを見守る職員ら相互の信頼関係がしっかりと出来上がっている証でしょう。

次のステップとして取り組もうとしている課題は、多くの子どもたちが学べる新校舎建設計画です。 しかし、土地の確保と土台だけは出来上がっているものの、現状は数年前から資金不足でその後の建設は ストップしています。近くにある立派な学校までには及びませんが、せめてより多くの子どもたちが通える 広い新校舎建設に向けて、ギビング・ハンズではできるだけ応援をしていこうと考えています。

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マドライ・コミュニティ・カレッジ(南インド・マドライ)


(職業訓練学校)
マドライ・コミュニティ・カレッジ

南インドのマドライにあるこの学校は、1952年にキリスト教神父ロイヤラ(Loyala)氏によって設立された、 インド最南端に位置するカンニャクマリからも子どもたちが通ってくる全寮制の職業訓練学校 (日本では専門学校に当たる)です。特に力を入れているのは女性に対して “手に職を持たせる”ことです。

この地域の地方に住む人たちの生活の糧はほとんどが農業です。 しかしその営みも安定しているわけではなく、天候や災害によって大きく左右されます。 収入によっては子どもに十分な教育を受けさせられず、まずそのしわ寄せの対象となるのは女性たちです。

家庭に入った女性の教養レベルが低いと当然職には就けず、 家計は夫に頼るしかありません。現在のインドは、ひと昔前の日本のように女性は結婚と 同時に家に入って家族の世話をするのが当たり前とされているので、 女性に対する教育はあまり重要視されていません。しかし近年の発展・多様化にともない、 女性に対する教育制度の関心は非常に高まってきています。女性の教育レベルが上がると、 職に就ける可能性が高くなり、結婚後の子育てにも非常に大きな影響を与えます。 また、子育てから離れたあとの再就職への道も大きく開かれます。これにより一家の家計が潤い、 子どもにさらなる高等教育を受けさせることが可能となります。

また昨今では、たとえ最低限の教育を受けていたとしても、 女性の就職率は非常に厳しく“手に職を持つ”ことが、職に就ける重要な手段となっているようです。

この学校は基本的に学費と寮費は無料ではありません。 しかしすべての生徒が必ずしもその費用を納入できるとは限らず、 農業の繁忙期は大丈夫でも閑散期は未納する家庭が多いようです。

ここでは、子どもたちの潜在能力の向上にと『I CAN program』――わたしはできるプログラム――が開発され、 新聞でも大きく取り上げられていました。単なる訓練校というだけではなく、 人間としての可能性を最大限発揮できるよう、能力開発や精神的なトレーニングにも力を入れています。

ここを総合的に統括するディレクターのムットゥ氏の部屋には、『Principal Servant (校長の使用人) 』 という表札が掲げられています。彼は学校にいるときには生徒と同じ制服を着て、 自己の位置付けは“使用人”だとアピールしながら、いつも生徒と同じ目線で物事を見て判断するよう心がけていると話しています。

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活動内容

 

 


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